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穢人  作者: 高ノ木 恵三叶
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日常

 黒い空が少しずつ青く色付き始めた頃、僕は目を覚ました。外はまだ薄暗く、僅かに鳴く朝蝉(あさせみ)と小鳥の(さえず)りが障子越しに聞こえる。首を傾け部屋を見回すが、まだ皆眠っているようだった。

 僕が住んでいるのは山奥にある小さな孤児院で、僕を含めた九人の孤児たちが暮らしている。ここは元々、民家だった家を孤児院として利用している。皆が住むには少々狭く、寝室も限られている為、複数人が同じ部屋で寝ている。

 薄暗闇の中、僕は布団を畳み他の人を起こさぬよう、そっと寝床を抜け出した。顔を洗いに井戸へ向かい、縁側の踏石(ふみいし)で自分の草履(ぞうり)を探している時だった。井戸の方から水の跳ねる音がする事に気が付いた。どうやら早起きは僕だけではないらしい。


「......ん?辰巳(たつみ)か、おはよう」


 毬栗頭(いがぐりあたま)で鋭い目をした小柄な少年が、着物の両肩を脱いで上裸で豪快に顔を洗っていた。

 頭だけをこちらに向けてそう言ったのは、同じ屋根の下で暮らす一つ上の友人、露橋慶祐(つゆはしけいすけ)だ。目つきの悪さとその身嗜みから、良くない輩に見えなくもないが、決してそんなことはない。

 派手に舞う水飛沫(みずしぶき)が雫となり、彼の肩の傷跡の上で光った。


「おはよう慶祐、僕が一番だと思ったのに早いなぁ」

「俺はいつも通りだからな。みんなまだ寝てるのか?」


 そう言って慶祐は、僕の後ろの方を気にして覗き込んだ。


「まだ寝てるよ」

「そうか、そりゃそうだよな」


 近づくと慶祐は半歩避けてくれたので、僕も並んで顔を洗い始めた。井戸の芯まで冷えるような冷たい水が、朝の眠気を一気に吹き飛ばした。


「いやぁ、俺の馬鹿な弟と違って辰巳はしっかりしてるよなぁ....」

「ん、何が?」

「ちゃんと起きるところとかだよ。今日買い出しの日だろ?」

「あぁ、そりゃ当番だからね」

「あいつは自分が当番でもずっと寝てるからなぁ」

「まぁ寝ないよりはいいんじゃない?寝る子は育つって言うし、育ち盛りなんだよ」

「でも年下の子に起こされてるのは駄目だろ」

「それは......そうかも」

「....そうか、あいつまだ育つんだな。それが俺との違いか、年の差ってやつかな......?」


 あいつと言うのは慶祐の弟である克巳(かつみ)のことで、僕と同い年の友人だ。

 顔を洗い終わった慶祐は、雑に(しわ)の入った着物に腕を通しながら悲しそうに空を見上げた。


「年の差って、君ら一つしか変わんないよね....?だ、大丈夫だよ!慶祐も来年にはきっと大きくなるって!」


 必死の励ましで元気づけた。慶祐は背のことになると途端に元気がなくなってしまう。

 慶祐と克巳は兄弟で、兄である慶祐は背丈の事で悩んでいるのだ。彼曰く、「高い所にある物を取る時、弟に頼らないといけないし、他の人から弟と間違われるし、兄としての示しがつかん」だそうだ。

 実際、克巳の背は僕と同じ位で、慶祐とは頭一つ分も違う。並んで立つと、慶祐の方が弟に見えるのは仕方のないことだろう。僕らより一年早く生まれた慶祐に、果たして今から爆発的な成長期は訪れるのだろうか......。


「........はぁ」


 慶祐は大きな溜息をつき、俯きながら目をぐりぐりと擦った。

 彼はいつも誰よりも早く起きて、井戸の水汲みや竈の掃き掃除を済ませている。だから皆が起きる頃には、朝の支度が大体終わっている。何故そこまでするのかと聞くと、「ここの年長者としてこのくらいの家事はして当然だし、何より肇さんには無理をさせられない」とのことだった。彼の低身長は、早起きによる寝不足が原因なのかもしれない。でも、理由はそれだけではないと思っている。

 あれは今から何年か前、孤児院が飢餓に見舞われていた時のことだ。その時慶祐は、僅かしかない自分の食事を克巳に分け与えていたのだ。弟の身を案じ、食べ盛りのはずの時期に己の空腹を堪えてだ。克巳の成長は、君の優しさの賜物なんだよ。......そんな事、恥ずかしくて本人には言えないけど。


「なんだ、急に笑って。さては馬鹿にしてるな?」

「違うよ、何でもない」


 僕は空を見上げた。どこを見ても見渡す限り、雲一つない快晴だった。この抜けるような青空は、これから遠出をする僕らにとって絶好の状態だと言えよう。

 鼻から大きく息を吸い、ゆっくりと深呼吸をした。早朝の涼しく澄んだ空気が、身体の隅々まで染み渡った。とても心地良く、清々しい気分だ。

 だが日が昇ってしまえば、すぐに気温が上がり蝉が騒ぎ出してしまう。静かで涼しい時間はそう長くは続かない。後に猛暑と轟音を控えた僅かな静寂。嵐の前の静けさとでも言うべきか、この過ごしやすい夏の早朝が、僕は好きだ。


「今日は....暑くなりそうだね」

「そうだなぁ、雨が降らん程度に曇ってくれりゃ一番いいんだけどな」

「そんな都合のいいことにはならなかったね」

「でも晴れてよかったな。荷物濡れんのが一番駄目だ」


 僕らの暮らす孤児院は、一番近い店屋でも徒歩四時間は優に超える程山奥にある。気軽に買いに行ける距離ではないので、食料は基本、孤児院の庭で育てた野菜や果物、近くの川で釣った魚などで賄っているが、それ以外の自給できない物は数か月に一度、当番制で買い出しに出掛けるのである。当番制と言っても他の子達はまだ小さいので、僕と慶祐と克巳の三人で交代している訳だが....。


「よし、それじゃあ早いとこ支度するぞ」


 僕らが身支度を終え出発する頃には、外はすっかり朝になっていた。





 孤児院の皆と揃って朝食を食べた後、僕ら土間で最後の支度を終わらせていた。草鞋(わらじ)を履き台所で瓢箪(ひょうたん)に水を入れていた時、襖が開いた。

 ふらふらと部屋から出てきたのは、孤児院の先生である乙島肇(おとしまはじめ)さんだった。西洋下げ巻の(つや)やかで美しい髪をした、小柄で肌の白い物静かな女性である。彼女とは年があまり離れていないので、僕らにとっては姉のような存在である。


「......もう出掛けますか?貴方達にはいつも迷惑を掛けますね。本当は私が行けたらいいのだけれど....」


 申し訳なさそうに伏せた顔がとても暗かった。そんな表情をしていては、折角の綺麗な顔が勿体ない。


「何言ってんだ肇さん、別に迷惑なんて思ってねぇよ」

「そうですよ。肇さんはみんなのことがあるんですから、僕らに任せて下さい」


 暗い顔をした肇さんに、そんなことは気にしなくていいと言った。買い出しくらいは僕らに任せて欲しい。

 彼女は生まれつき身体が弱いらしく、血色の悪さがそれを物語っている。よく咳をしては寝込み、小走りをしたり少し階段を上ったりするだけで息が上がってしまう。買い出しなど以ての外だろう。

 この孤児院には、先生が二人しかいない。肇さんともう一人、院長の聖山源之助(ひじりやまげんのすけ)さんだけである。院長は遠くへ出稼ぎに行っている為、基本ここにはいない。年に数回帰ってくる程度だ。だから実質、先生は肇さん一人ということになる。僕らはできる限りの協力は惜しまないのだ。


「........本当に、優しい子ばかりね」


 肇さんは僅かに微笑んだ。暗い顔が少しばかり晴れたようだった。

 肇さんに続いて、克巳も部屋から出てきた。兄と同じ毬栗頭で、あちこち皺の入った見窄(みすぼ)らしい身形もそっくりだが、目は兄と違って柔らかだ。のんびり屋な性格が、そのまま顔に出ているようだ。


「なんだ、兄ちゃん達もう行くのか?」

「そろそろな」

「こんな暑い中ご苦労だな、可哀想に」

「おう、そう思うなら代わるか?」

「それは勘弁して欲しいな、俺は部屋で涼んでおくよ」


 運良く夏の買い出し当番を免れた克巳は、余裕の態度で他人事のように振舞った。全くこいつは......。


「ちゃんとみんなを見といてね克巳」

「肇さんの手伝いもするんだぞ」

「はいはいわかってるよ」

「二度寝したら駄目だからね?」

「畑仕事もするんだぞ」

「俺どんだけ信用されてないんだよ」


 信用していない訳じゃない、念を押しているだけだ。でもこんなことを言いつつ、僕らは何も心配していない。人より少し怠惰で怠け癖はあれど、克巳はやる時はやる男だ。みんなのことも、肇さんのこともきっと大丈夫だろう。


「なになにー?けいすけにいちゃんたちおでかけするのー?わたしもついてくー!」

「あ、ずるーい!たつにいぼくもいきたーい!」

「いけませんよ、みんなは先生と一緒にお留守番ですよ」


 僕らの会話を聞きつけ、部屋からぞろぞろと子供達が出てきた。一緒に行きたいと言う子達を、肇さんは優しく宥めた。


「えぇー、だってこのまえかつみもいったじゃん!」

「そーだよ、だからぼくもいく!」

「ぼくもぼくもー!」

「行くのはとても遠い場所だから、もう少し大きくなってから....ね?」

「でもかつみまだこどもじゃん。ぼくまいにちひとりでおきて、おてつだいしてるよ?こどもじゃないし、おとなだし」

「....こらこら、そんな言い方は駄目ですっ。克巳兄さんでしょ?」


 克巳だけが散々な言われようだった。小さい子にこんなことを言われて本当に情けない。


「......言われてるよ克巳」

「何故だ、なぜ俺だけ......」

「日頃の行いが悪いからだろ。まずはみんなに起こしてもらうのを辞めることだな」

「......それは厳しいぜ兄ちゃん」

「そういうとこだぞお前」


 なかなか言うことを聞いてくれない子供達に、肇さんは困った顔をしていた。そんな様子を見て、慶祐は子供達の頭を撫でながら優しく諭した。


「そうだな、みんなお手伝いしてて偉いぞぉ。克巳よりも大人だな」

「えへへ」

「それじゃあ────」

「でも、先生を困らせるのは大人じゃないぞ?大人っていうのは、誰かを困らせたり傷つけたりしない人のことなんだ。......大人だったら、分かるな?」

「......うぅ」

「先生の言うことを聞いて、大人しく待ってるんだぞ。大きくなったらみんなで一緒に行こうな」

「......うん」

「......わかった」

「よし」


 子供達は、慶祐の言葉に納得してくれたみたいだ。本当に慶祐は頼りになる。僕も彼を見習わなければならない。


「ありがとう。私がもう少し頼れる先生だったら....」

「いいんだよ、肇さんは殆ど一人で俺達をみてくれたんだ。今度は俺達が支える番だ」

「......あんなに小さかったのに、いつの間にかこんなに立派になって」

「そうだなぁ。こんなに立派で頼れるのに背は小さいままなんて、兄ちゃん可哀そうだなぁ」

「おい、引っぱたくぞ克巳」

「....ふふっ、そういう所は相変わらずね」


 そうやって土間で話している間に、出掛ける準備が整った。


「それじゃあ行ってくる」

「夜までには戻ってくるから」

「えぇ、気を付けて行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃーい!」

「じゃあねー!」


 皆集まって手を振り、僕らを見送る。出掛ける時のいつもの光景だ。いつも通りに出掛け、いつも通りに帰ってくる。みんなの「おかえりなさい」が待っているから。

 そんな当たり前の日常が、紛れもない”幸せ”なのだと、僕は知らなかった。大切なものは、失って初めて気付くものなのだから......。


「「行ってきます」」


僕と慶祐もみんなに手を振り、孤児院を後にした。

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