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人類憐みの令

 とある島国のとある時代に大江戸幕府なる幕府が開かれた。大江戸幕府はとある将軍の一族が支配していた。徳永家、それが大江戸幕府を支配する一族だ。ことは5代目将軍、徳永綱吉公の時代に起きた。様々な不幸が立て続けに降りかかった。地震、火山の噴火、飢饉に極めつけは将軍家跡継ぎの死亡。5代目将軍綱吉は悩んだ末、とある高名な占い師に相談した。すると占い師はこんな助言をした。「この国中を悪霊が覆っています。その悪霊が悪さをしているようです。解決したければ人が死なない国にしてください。悪霊は災害を起こす度に減りますが、人が死ねばその分悪霊も増えます。どうかよき政を」かくして人類憐みの令という法律が施行された。いかなる人も貧困から救済され、生きる権利が保障される。具体的には餓死しないよう申請し、その貧困が認められた全ての国民に対して国が金銭や食料の援助をする。そんな制度だ。道端で貧乏人がバタバタといき倒れている国に初めて人道的な法律が制定され施行された。


 国民は歓喜した。明日の食い扶持を心配する必要がなくなったのだから当然だ。しかし喜ばない者達もいた。役人だ。彼らは一様に苦虫を噛み潰したような顔をした。彼らは自身に待ち受ける困難をすでに予期していたのだ。



 人類憐みの令が施行されてから500年。この制度は何度も改正・改変されながらも存在し続けている。


 『憐み区』、とある島国の中でどういうわけか最も小悪党の集まる区『灰汁賭(あくと)()』の別名だ。人を殺す程の重罪は犯していないが、窃盗や詐欺の前科を持つ者が非常に多い。彼らは一様に困窮していて所謂『憐み人』、人類憐みの令の適用される者が非常に多い。


『憐み区』そこは国内で最も『憐み人』の多い町なのだ。


 そんな憐み区役所に20代後半のとある役人が出勤する。その顔には生気がなく、自身の行く末を悲観した者特有の目をしていた。なんということはない憐み区ではよくあることだ。むしろ生気のある役人のほうが少ないし、なんなら区役所の他役人に比べればやつれて頬がくぼみ、目の下に隈がないだけマシと言える。そんな区役所内でも最も生気が無く淀んだ部署に役人は在籍している。保健福祉部生活課憐み係。総員15名の大きな係だが、やけに空気が淀んでいる。特別会話が少ないわけではないし、それどころか笑い声すら聞こえるというのにどうにも陰気な雰囲気だ。


 「おはようございます。憐み係ゴエモン、出勤しました。」


その役人ゴエモンは出勤するなり、挨拶をした。ゴエモンというのは偽名だ。憐み係の役人は憐み人から恨みを買うことも多いため偽名を名乗ることが許され、希望する者は仮面を被って職務に従事することも出来る。それだけでなく、安全のため鎖帷子や防弾チョッキ等支給されており、その仕事の過酷さが想像できるだろう。


「おうゴエモンおはよう。お前の担当憐み人の石川から連絡があったぞ。なんでも会社を起ち上げたいとのことだ。」


憐み係係長のカンダタがゴエモンに挨拶と業務連絡をする。ひどく気だるげだ。ゴエモンは顔を嫌そうに歪める。


「げっ。あいつ働いたこともないくせに…。無視しちゃダメですかね。」


「ダメだ他の役人が被害を被る。」


「確か、会社を起ち上げてはいけないという条文は人類憐みの令にはなかったですよね。」


「そうだな。」


「では認めざるを得ないんですかね。」


「ダザイが今回と似たケースを担当していたはずだ。確か歌姫になるための修行があるから仕事ができないとか言ってたのをうまいこと言いくるめて仕事をさせていた。参考になるはずだから聞いてこい。」


起業と歌姫。全く違うケースに聞こえるが、法律の条文に禁止されていないことを諦めさせ、堅実に働かせるという目的は同じだ。本来夢を抱き、企業の準備をすることや歌姫になるため練習することは素晴らしいことだ。しかし、働きもしないのに国民の血税で生活費が賄われている憐み人は状況が違う。夢を追うより先に憐み人という立場を脱却する必要がある。

とはいえ明確に条文で禁止されていないため、無理矢理「やめろ」と押さえつけることは出来ない。それをすると「人権問題」だと騒ぐ連中が出てくる。


条文にないことでも無理矢理禁止する方法はあるが、それはあくまで説得が出来なかったときの最終手段。つまりゴエモンはまずは石川を説得しなければならない。


「ちなみに石川は今どこに?」


「自宅だ。今日中に訪問してやれ。」


「わかりました。」


「頼んだぞ。」


ゴエモンの口から憂鬱なため息が漏れる。そして、まず助言を得るため先輩役人のダザイの席へと向かった。


 ダザイの席に近づくとゴエモンが声をかけるより先にダザイが声をかけてきた。


「おう、ゴエモン。今この憐み人の生活歴確認してんだけど酷いぜ。恥の多い人生だ。欲望のままに振る舞ってみても虚しさしさしか残らないのにな…。」


 ダザイは偽名のせいか太宰治の作品にちなんだ話をすることが多く少し鬱陶しい。今回は太宰治の「人間失格」からパロディーしているようだ。無視することも出来るが、今回ゴエモンは教えを請う立場だ。愛想笑いの一つぐらいは浮かべてやらなければならない。


 「ははっ。面白いですね。」


 「愛想笑いにもなってねーぞ。」


どうやら愛想笑いに失敗したらしい。表情筋が動かなかったのが敗因だろう。しかしそんなことは気に留めず、ゴエモンは用件を切り出す。ダザイはこのくらいのことで気分を損ねる人間ではない。


「ダザイさんに用がありまして。」


「ん、なんだ。」


かくかくしかじか。ゴエモンは用件を伝えた。


「あー。あの勘違いおばさんのことね。仕事しろって言ったら『歌姫は労働なんてしないっ』って返されて、意味を理解するのに時間がかかったわ。」


ダザイは懐かしそうに天井を見上げながら話した。


「でも今じゃあ洋菓子屋さんに就職して立派に憐み人を卒業してるぜ。喜ばしいが、おかげで行ける店が一つ減ったなぁ。」


あそこ好きだったんだけどなぁ、とダザイは漏らす。自身の担当した憐み人の就職先にはいきたくないと考える役人は多い。憐み区の憐み人は基本ロクデナシだ。他の町には事故や病気などの不運のせいで憐み人にならざるを得なかった、人類憐みの令で保護すべきと強く思わされる真人間も大勢いるらしいのだが、憐み区しか知らないゴエモンはロクデナシしか知らないし、他の憐み区の役人もそうだ。

憐み区の憐み係の役人にとって元とはいえ憐み人の作った商品を信用することが出来ない。まして自身の体内に入る食料品となるとなおさらだ。

憐み人を就職させると通える店が減る。因果な仕事である。


「話が逸れたな、石川の起業についてだが、……。」


そうしてゴエモンはダザイから助言を受けて石川の家へ向かった。


ゴエモンは仮面と鎖帷子を装備している。憐み人の家を訪問する時のお決まり装備だ。


石川家をノックすると中に入るよう返事があったので中に入る。部屋は少し狭いが、キレイでこじゃれて見える。生活に困窮している憐み人の部屋は掃除の行き届いてない部屋が多いので珍しい。


「ゴエモンさん。遅いですよ。わざわざ役所まで行ったのにいないし。何してたんですか。」


茶髪のこじゃれた青年、石川がゴエモンに声をかける。ゴエモンは石川のプロフィールを思い浮かべる。


石川金吉27歳。大会社社長の長男として生まれるが、会社を継ぐ前に不景気で経営破綻する。両親は既に他界。従業員になることはプライドが許さないとのことで最低でも管理職でないと働きたくないとのこと。現在無職につき就労を促したところ、起業すると言い始めた。


人生舐めてる意識高い系の勘違いナルシストだ。


ゴエモンはため息が漏れそうになるのを堪え、石川に返事をする。


「緊急の要件がない限り、就業時間前に来ないでくださいと何度も申し上げています。10分や20分前ならまだしも、1時間前は早すぎます。」


働き方レボリューションなるものが推進される昨今の政治情勢、風潮からゴエモンの言い分は間違っていないはずなのだが、石川は肩の上まで両手を持ってきて首を振り、「ふー、やれやれ」と欧米的なポーズで呆れを表現して見せた。


「やれやれ。ゴエモンさん、そんなんじゃダメですよ。一時間前に出社して会社の為に奉仕するのが一流、ゴエモンさんのそれは三流ですよ。仮にも僕の担当なら一流の流儀に従ってもらわないと。」


などと無職27歳石川が高説を垂れているのをゴエモンは黙って聞いている。こういう時、仮面があって良かったとゴエモンはつくづく思う。表情を見られることがないというのは楽なものだ。


石川の話はさらに続く。


「それに今回の話は緊急を要します。ビジネスの世界は移り変わりが早いんです。スピード感が大事なんですよ。あー役人のゴエモンさんにはわかりませんかね。」


もみあげをくるくると指先でいじりながら説明する石川はご満悦である。それに対してゴエモンは微動だにしない。頭の中では石川のこのご高説を、役所でどう面白おかしく話してやろうかと考えることで苛立ちから目を背けていた。


だがいつまでも話を聞いてる訳にはいかない。「ははっ」と乾いた笑いを一つして、ゴエモンは用件を切り出した。


「その起業についてですが、考え直していただくことは出来ませんか。」


「なぜですか。確実に成功するプランがあるのに。」


ゴエモンの言葉に石川は心底不思議そうに聞き返す。


「まず商売に確実なんてものはありません。である以上、確実に見入りのある仕事をすることが優先されるかと思います。少なくとも憐み人を脱却するまでは。それに会社を起ち上げるための資本はどうするおつもりですか?憐み人は借金を借りることも返すことも出来ないんですよ。」


会社を起ち上げるには最低でも20万円かかる。これは役所に支払う金額であり、当然その他にも多々お金がかかることだろう。そんなお金が用意できるなら生活費にまわせという話だ。それに憐み人の生活費は国民税金から支出されているため、個人の資産形成とみなされる借金の返済もできない。借金を憐み人が返すと税金から個人の負債を返済していることになり、個人の資産が借金をするほどに増えることになってしまう。

当然借金も出来ない。借金には返済がつきものだからだ。


ダザイから授かった助言がこれだ。


しかし石川もそのことは理解していたようで前髪を払いながら返答した。


「それは共同経営者に任せますよ。既に声をかけてあります。今頃会社起ち上げ資金をかき集めているはず。それに収益が確実じゃないといわれましたがそれはあくまで凡人の意見、経済界を俯瞰してきた僕にはわかるんですよ。これは成功します。確実にね。」


ゴエモンはまさかの返答に困惑した。こんな奴に協力する奴がいるなんて……。


会ったこともない石川の共同経営者を憐れんだのも束の間、面倒なことをしやがってと恨んだ。確かに第三者が資金を用意すると言われれば文句が言いにくい。石川に共同経営者がいることなど想定外だったため、その辺の条例は確認してきていない。


旗色の悪さを感じつつゴエモンは質問を重ねる。


「先程プランとおっしゃっていましたが事業計画書はあるのですか。」


「ありますよ、ちゃんと…。ここにね。」


石川は自身のこめかみを指先でトントンと叩き、自信たっぷりに言い放った。


その返答に流石のゴエモンも絶句していると石川は言葉を続けた。


「もういいですかね。そもそも起業してはいけないという条例はなかったはずです。なんの権利があって僕の起業を妨げるのですか。報告の義務は果たしましたのでお帰りください。」


憐み区の憐み人はこういう所が厄介なのだ。妙に小狡い。変に知識があるのだ。


ゴエモンは悔しさに歯噛みした。


社会通念上、おかしなことを言っているのは石川のはずだ。自身のお金だけでは生活出来ない者がその足りない分だけ血税から援助してもらい、最低限度の生活が出来るようにするのが人類憐みの令だ。


自身の生活も自力で成立させられず他者の手を借りている者が起業することの違和感は万人に理解してもらえるのではないかと思う。


なのに、人権や福祉の観点から、法律の根拠のない行動の制限は禁止されており、石川の起業を止めることが出来ない。


「また来ます。」そう言って役所に戻るしかなかった。


ゴエモンは自身の無力を嘆いた。


役所に戻ったゴエモンは課長に石川の件を報告し自席へ戻った。そして自席で拳を握りしめ、石川の雪辱を噛みしめていた。


「力が…、力が欲しい。奴を従わせるだけの力が…。」


ゴエモンは知らず、呟いていた。


「力が…、欲しいか…。」


ゴエモンの呟きに予期せぬ返答があった。


「課長…!?」


そこにいたのは保健福祉部生活課課長。まあまあ偉い人だ。


「力が欲しいか…。」


課長は同じ言葉を繰り返した。課長の眼鏡が光を反射して、妖しく光る。纏うスーツに威厳が宿る。その言葉は確かにゴエモンに向けられていた。


ゴエモンは応えた。


「欲しいです!力が!」


「そうか、ならばくれてやろう。」


ゴエモンの言葉に課長が応じた。そして課長が『力』の説明をしようと口を開くよりわずかに早く、ゴエモンはまくしたてた。


「いただけるのですか!?奴を職に就け、己の無力無能を知らしめ、過去の言動に羞恥し、生まれてきたことを後悔させるだけの力が…。」


「えっと……、そこまでは難しいかな…。」


課長は日和った。


ゴエモンはがっかりした。


「そうですよね。そんな都合のいいこと無いですよね。」


「いや、まあでも石川を職に就けることは出来ると思うぞ。」


そういうと課長は一枚の書類を取り出した。


「こっ、これは!」


ゴエモンは課長の取り出した書類を振るえる手で受け取り、文面に目を通すと、目を見開いた。


「そう、命令文書だ。」


命令文書とは役人が憐み人に対して振るえる唯一にして最大の武器。期限内に命令文書に従わない憐み人は、人類憐みの令の適用を受けられなくなる。お金がもらえなくなるのだ。


「これがあれば……、勝つる!」


ゴエモンは勝利を確信した。


「待っていろよ石川!貴様にこの命令文書を突き付ける時が楽しみだ!舐めた口をきいたこと、後悔させてくれるわ!はーはっはっは!」


ゴエモンのご機嫌な高笑いは憐み係中に響いた。


「ゴエモン、命令文書を交付する時いつもああだよな。」


「疲れてるんだろ。察してやれよ。」


係の者はゴエモンの奏でる騒音に怒ることもなく、温かい視線で見守っていた。


ゴーンゴーン。


終業の鐘が鳴り響く。本日の業務は終了だ。


ゴエモンの高笑いも唐突に止み、ゴソゴソとデスク、周りの片づけを始めた。


「では、定時なので帰ります。」


「ああ。また明日な。」


ゴエモンはハキハキと帰宅することを告げ、課長は快く返事を返した。


そしてゴエモンが命令文書を石川に突き付けるのは翌日に持ち越された。


クソみたいな仕事だが、定時に帰れるからゴエモンはがんばれる。


「ぷはー!今日も酒がうめえ!俺偉い!」


今日もゴエモンはつまみを片手に安酒を呑み、明日の仕事に備えるのだった。


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