52 俺が目の前の貴族のお嬢様について、いろいろ考えていたんだが
本物のメイドさんに恭しく手を取られて馬車から小さな女の子がゆっくりと降りてくる。
大体、俺やリノアと同じくらいの歳だろうか?
やっぱりどこかで……。
あっ、思い出した!
パスレク村にしかいなかった俺が、何処かで見たことがある子だなと思ったら、数か月くらい前に、みんなで教会教室の帰り道に見かけた、立派な馬車から降りてきて村長のエドワードさんの家に入っていった貴族らしき女の子だ。
遠目でしか見てないけど、あの綺麗な艶のある茶色い長い髪と、俺達と同じくらいの歳にしてはしっかりした理知的な雰囲気は間違いないだろう。
あの時は馬車の中にいたのだろう、メイドさんは見えなかったけど、両側に控えていたのが男女の騎士だったのも同じだし。
「うわあ、きれいな白い靴!」
リノアが、女の子の足元を見て思わず声を上げている。
確かに、足元を見れば、いかにも高そうなシンプルだけど白い上品な造りの良さそうな靴を履いている。
だけど、この大分乾いてきたとはいえ、多少はぬかるんでいる地面を歩いたら、すぐに汚れてしまうのではないだろうか?
貴族のお嬢様なら、靴も何足も持ってきているだろうし、もう少し泥跳ねしても目立ちにくい色の靴も持っているだろうに。
それとも、一足くらい白い靴が汚れてもいいくらい、靴をたくさん持っているのだろうか?
そんなことを考えているうちに、白い綺麗な靴が地面に着く。
本当にかなり綺麗な靴だけど、このぬかるんでいる地面を歩くには向いていないと思うんだけどな。
汚れたら、もったいないだろうに。
泥跳ねしたら洗うのが大変だぞ。
俺は今世も前世も、外で身体を動かすことが好きだから、前世でも練習着や運動靴を泥だらけにして、母さんに、汚れを落とすのが大変なのにと、不平を言われたことが何度もあったな。
それでも、ちゃんと綺麗にしてくれてたし……。
今更感謝の念がこみ上げてくる。
本当に今更だけど。
あと、これも今更なんだけど、幾ら貴族のお嬢様とはいえ、こういう時は馬車から降りて少しでも車体を軽くするべきではないだろうか。
しかも、本物のメイドさんまで乗ってるし。
貴族のお嬢様っていうのはこういうものなのだろうか?
凛とした感じには見えるけど、高慢て感じはしないんだけどな。
俺の目測で測ると、二人合わせて……。
まあ、それは抜きとしても、女性に重さのことを言うのはなかなかに勇気がいるか。
それは前世での兄貴と兄貴の彼女のやり取りで実感している。
この系統の話はデリケートなので、触れないのが吉だ。
「キサナティアお嬢様はお身体が弱くてな。この数か月、パスレク村の先の別荘地で静養されていたんだ」
俺が、ふと、前世のことを思い出していると、ベーシウスさんがオズベルト父さんに、目の前の貴族のお嬢様のことについて話していた。
っていうか、今の話の内容、俺の考えていることが、ベーシウスさんに見透かされてるんじゃないだろうか?
もしかして、表情に出ていただろうか?
俺はそっと、自分の頬を抑えてみる。
う~ん、自分じゃよく分からないや。
病弱だから、外に出なかった?
それにしても、ふ~ん、キサナティアお嬢様っていうのか。
でも……。
理知的だけど、病弱そうには見えないんだけどな。
それとも、貴族のお嬢様は病弱でも人の前ではそういった様子を見せてはならないのだろうか?
確かに、前世の物語とかでも貴族は弱みを他者には見せられないというようなシーンがあった気がするけど。
だとすると、結構あの子もあの歳で大変なのかもしれない。
「クレール殿、日が完全に落ちきる前に沢で水汲みと身だしなみを整えてきてはどうでしょうか」
ベーシウスさんがキサナティアお嬢様の隣りに控えている女性、メイドのクレールさんにそう提案している。
30代くらいの女性だろうか。
「そうですね。仕方がありません。キサナティアお嬢様、まいりましょう」
「ええ」
あらかじめそのつもりだったのか、クレールさんはすでに持っていく荷物の準備を整え終えているらしく、キサナティアお嬢様の肩をそっと押して、ヒューク司祭が説明した森の沢があるという方へと誘導していこうとする。
おお、流石出来るメイドさんって感じ。
「エニム、護衛を頼む」
すると、すかさずベーシウスさんがエニムさんに同行するようにと指示を出す。
「承知しました」
エニムさんが頷き、キサナティアお嬢様たちに付いていく。
おおっ、こっちも出来る騎士様って感じだ。
そうして、キサナティアお嬢様とメイドはエニムさんが護衛について身を清めに行くことになった。
まだ、秋ではあるが、そろそろ寒くなってくるころである。
水浴びをするにしても、拭うだけにするにしても、日があるうちの方がいいだろう。
沢へと降りれるという森の方には、旅人が小休憩で利用されているのか、獣道ほどではないが、多少道らしき風になっている場所があった。
結局は仕方ないのでここで野宿の準備をすることになった。
流石に多少、顔見知りの貴族のお嬢様が立ち往生している横を、急ぎでもないのに通り過ぎて知らん顔するわけにはいかないだろうし。
それこそ、江戸時代の無礼討ちにでもなりかねない。
そういえば、前世歴史の先生が、「実際には太平の世で、時代劇のような無礼討ちはめったになかった」と言っていたっけ。
無礼討ちが成立する条件がかなり厳しく、証拠や証人の証明が必要で、認められなければ本人は切腹、お家は財産没収のうえ断絶だったらしい。
それも、太平の世を築くための、一つのルールだったそうだ。
ただ、この世界では実際にあるらしい。
それこそ、無礼討ちのように武士の名誉、この場合は騎士の名誉を傷つけられたとかいう、一応のそれなりの理由がなくても、感情のまま行動する貴族もいるそうだ。
オズベルト父さんも、そういった場面に遭遇したことがあると、苦々しい表情で教えてくれた。
まあ、オズベルト父さんやヒューク司祭とベーシウスさんの関係を見ていると、いくら何でもそうはならない気はするけどね。
「ロイドも馬の世話を頼む。俺は残って馬車の見張りをしておくから」
「分かりました」
そう、返事をした御者のロイドさんは手際よく馬車から馬を離し始めた。
「じゃあ、こっちは俺が残ろう。女性陣が行くんだ、俺よりも聖職者のヒューク司祭が男手としてついていた方が良いだろう。ヒューク司祭、子どもたちを頼みます」
「分かりました」
「すまんな、そうしてもらえると助かる」
「それも織り込み済みだろ」
「まあな」
ベーシウスさんが、騎士からぬ、ニカッとした笑みを浮かべる。
堅苦しいのよりこっちの方が、ベーシウスさんも合っているんだろうな、きっと。
「じゃあ、俺も男だし、俺もここに残るよ」
俺も右手を上げてそう言う。
「えっ、フォルトちゃん、行かないの? じゃあ、わたしも残ろうかな」
すると、リノアが隣りで考え出した。
「リノアは行ってくるといいよ。せっかくの女の子同士なんだから友達になれるかもしれないし。まあ、貴族の子だから難しいかもしれないけど。でも、ここら辺はアストランの森と違って魔物も出るし、騎士のエニムさんもいるから、近くにいれば安全に水浴びとかできるかもよ」
やっぱりこの世界だと、身分差があると、ちょっと難しいかな?
「でも、フォルトちゃんは?」
「俺は後で皆が戻ってきたら、父さんと父さんの知り合いのベーシウスさんとでも行ってくるからさ」
それに、どっちにしろこんな森の道の途中とはいえ、誰かが馬車を見ている必要があるだろうし。
子どもの俺でも見張りくらいは役に立てると思う。
それに小さいとはいえ、貴族のお嬢様が水浴びをしに行く近くに同世代の男の子がいる訳にはいかないだろうしね。
「……うん。分かった」
リノアが納得してくれたのだが、何と無くしぶしぶといった感じなのは何故だろう? そんなずっと離れるわけでもないし、パスレク村でも家に帰る時は別々だろうに。
まあ、何はともあれ、俺はヒューク司祭と一緒にリノアが森の沢の方へ降りていくのを、ぼんやりと見送った。




