5 俺が気が付いた時、場所が変わっていたんだが
「んっ……カニ、オツ……んんっ」
朝、眼を覚ます。
何か、懐かしい光景を見たような気がするんだが……。
夢って、起きた瞬間に忘れることがあるよな。何か物凄いインパクトのある夢だったにも関わらず、その直後にははっきりと思い出せなくなってたりするし。
まあ、取りあえず朝か……えっ! 朝?
ぼんやりした頭で考える。
天井を眺め、
「ここ俺の部屋だよな」
あれ? 俺、山に薬草取りに行って、その後リノアたちに会って、河原で遊んでて、確かイノシシが突進して来て……。
はっきりしない意識の中で直前までの記憶を思い返していると、ふと何かいる気配に気付き、首を倒して横を見てみる。
するとそこには、目を真っ赤に腫らしてこちらをジッと見つめているリノアが俺のベットの傍に座っていた。
「……」
しばし俺の思考が止まる。
俺をジッと見つめている赤く充血して腫れ上がったリノアの目と俺の目が合う。
「フォルトちゃん!」
いきなりリノアが叫んで飛付いてきた。
瞬間、直前までの記憶がよみがえって来る。
そういえば俺、イノシシとリノアの間に立ってイノシシに真正面から追突されて吹っ飛んだんだったっけか。どうやらリノアは無事だったようだ。ちょっとホッとする。
「よかったあ! よかったよお!」
「痛ッ!」
大泣きしてリノアに抱き着かれた瞬間、右手に鈍い痛みが走った。見てみると添え木がされてあり、包帯、なんて無いから布で動かせない様にしっかりぐるぐる巻きにされている。この痛みからすると、どうやら骨が折れているのかも知れない。
「ごめんなさい、フォルトちゃん! 手、いたい?」
慌ててリノアが俺から離れる。
そしてまた泣き出しそうな声で聞いてくる。
「……少しな。でも大丈夫だ」
誤魔化してもしょうがないだろうから、端的に事実だけを伝える。
こういう時、女の子を気遣って強がって見せれば良いのかもしれないけど、どうも俺はそういうのが苦手だ。
それにしてもどうやら、俺は生きていた様だ。
丸一日、気を失っていたらしい。
リノアに聞いてみると、朝だと思っていたのが既に昼を過ぎていたんだそうだ。
……そうか。右腕が折れただけで済んだのか。
確かイノシシの走る速度って時速40kmくらいだって聞いたことがあったな。
なんだっけ? あんときは部活中「十二支はランニングホームランができるか?」って下らない話をしていたような気がするが。
ちなみに『ランニングホームラン』は和声英語なんだそうで、英語で正式には『inside-the-park home run』と言うらしい。
あんときは辰がいないっていうんで騒いだ気もするが、この世界ならいそうだ。
まあ、現実に目の前に現れたらベースを回るとかいう大きさじゃないのだろうし、違う意味で大騒ぎだろうけど。
改めて俺はしみじみと添え木を当てられてグルグル巻きにされた右手を眺める。
思い返せば結果的に失敗したとはいえ人前で空間収納を使おうとしてしまった。
前世のクラスメイトたちが言っていた「この能力は隠した方が良い」というアドバイス? がすっかり頭から抜けていた。
けど、あの時はバレる事を気にしているなんてそんな余裕なんか無かったし。
今になって考えてみると、空間収納に収納しようとせず、目の前に森で集めていた石を積み上げて壁とかつくるとかすればよかったんじゃないだろうか?それ位の量は軽く入っているし。
もっとも、その時にはやっぱり俺が空間収納を持っている事がバレてしまう可能性も高かったかも知れないが。
もちろん、リノアを助ける為にバレるのであれば仕方ないと思えるが、それでももうちょっとうまいやり方があったんじゃないかと考えてしまう。
まあ、すべて結果論だけどさ。
振り返る事は大切だと思うんだ。
前世、どんなスポーツでも試合後の反省ミーティングは重要だと思ってたしさ。
そう言えば、前世、高校の野球部の顧問の先生が「勝因の無い勝利は有っても敗因の無い敗北は無い!」と言ってたっけ。
そう考えると、今回の敗因……と言うか悪かったところと言うか、どうすれば良かったんだろう?
そもそも突然飛び出してきたイノシシに咄嗟に対応するなんて、どう考えても無茶だよな。
そうだ! イノシシだよ!
で、イノシシはどうなったかと言うと、リノアの話では俺とぶつかった時、俺も吹っ飛ばされたが、同時にイノシシも吹き飛ばされてそのまま体制を立て直して慌てて森の中に逃げて行ったそうだ。
う~ん? イノシシの体当たりの方が強いと思うんだが、何で向こうも吹っ飛んだんだ?
5才児の身体だし、普通なら俺もろともリノアも吹き飛ばされて、良くて多少リノアのダメージが軽減される程度だとおもうのだけど。
まあいいや。深く考えても分らないものは分らないし。それよりも、リノアに怪我が無くて本当によかった。
「フォルトちゃん、いたいの!?
俺が黙って右腕を見つめ続けていたもんだから、リノアが心配そうというか、泣きそうという様な顔を向けてくる。
そんな顔しなくてもいいのに。リノアがこんな顔をするのは珍しいもんだから、俺はどうしたらいいか分からなくなる。
「だっ、大丈夫だから」
俺はオロオロとして、でも今度はリノアに不安がらせないようにしようと笑顔を作る。
でも多分その笑顔は引き攣っているのだろうと自分でも解る。
やっぱ、なんかこういうの苦手だな。
「目を覚ましたのねフォルト。気分はどう? 気持ち悪かったり、頭が痛かったりしない?」
そんな時、リノアの声を聞き付けたのかナーザ母さんが部屋に入ってきた。
手には皿を乗せたトレイを持っている。
皿からは暖かそうな湯気と美味しそうな匂いが立ち昇っていた。
たちまち、美味しそうな匂いが部屋中に広がる。
助かった。ナーザ母さんナイスタイミングだよ。
「大丈夫みたい。右手は少し痛いけど、その他は何とも無いみたい」
ナーザ母さんに聞かれて改めて自分の状態を確認してみる。
自分でも不思議なくらいに右手以外は体調は悪くない。そう考えると、もしかしてあの薄紫ツインテール少女天使がステータスを普通よりか上げてくれたっていうおかげだろうか?
『折角特別に異世界転生の権利を獲得されて転生するのですから、サンプルとしてすぐに亡くなられては困りますので、多少高くなるように手続きしておきますね』
だ、そうだ。サンプルと言う言葉に多少引っ掛かりを覚えない訳でもないが、助かった事には違いないので、素直に感謝しておこう。
でも、自分が思っているよりも高いのか? あまりこの世界で目立ち過ぎないようにってそこまでずば抜けて高くはできないって言っていたような気がするが。
GUUUUUUUU!!!
突然、俺の腹の虫が盛大に部屋中に鳴り響く。
それもそのはず、考えてみればリノアの話からすると、昨日の晩ご飯と今朝の朝ごはんを食べてない訳だから、丸一日何も食べてないことになる。これは育ち盛りの5才児にはなかなかにキツい。腹が鳴るのは致し方ない事だろう。
ちなみに、村での食事は、朝と夕方の一日二食が一般的らしい。時折、前世のおやつの様な間食はあるものの、貧乏と言う訳では無いが裕福と言う訳でもない村の生活ではこれが普通の様だ。大きな町だと一日三食が一般的になるらしいが。
「あらあら、お腹がすくなら大丈夫そうね。右手は後でまたヒューク司祭が診て下さるから、まずはこれを食べなさい」
「わたしが食べさせてあげる!」
ナーザ母さんの言葉にリノアが勢いよく反応する。
「えっ、いいよ。自分でやるから……」
俺は慌てて手を振って拒絶しようとしたが右手がグルグル巻きになっていてうまく行かなかった。
「右手つかえないでしょ。だから、わたしが食べさせてあげる!」
「あらあら、良かったじゃないフォルト」
「母さん!」
ナーザ母さんは俺の抗議の声を無視してリノアにトレイごと皿を渡し「あとお願いねリノアちゃん」と言葉を残しさっさと部屋を出ていってしまった。
確かに俺の利き腕は右手だけどさ……。
リノアは受け取ったトレイごとこちらに向き直り、その顔に満面の笑顔を浮かべてスプーンを手に取っている。
「食べさせてあげるねフォルトちゃん! はい。ア~ンして♪」
リノアは皿の中のスープをスプーンですくうと、冷ます為にフーフーと息を吹きかけてからスプーンを俺の口元に差し出してくる。
「いっ、いや、いいよ。左手で何とかするからさ」
俺は慌てて遠慮しようとするが。
「ア~ン♪」
「だから、自分で……」
「ア~ン♪」
「だから……」
リノアはニッコリと笑みを浮かべてスプーンを差し出して同じ言葉を繰り返している。
何だろう? 5歳児の幼女なのに、この有無を言わせない迫力は?
「ア~ン♪」
「……あっ、あーん」
俺は観念してリノアの言う通り口を開けた。
◇
「ア~ン♪」
「あーん……」
リノアが何度目かのスプーンを差し出してきて、俺が大口を開けてそれを食べようとした瞬間、
「ただいま~! フォルト大丈夫か!」」
「あっ!」
俺の二人の兄のアムルト兄さんとハワルト兄さんが俺の部屋に入ってきた。
「「……」」
「……」
一瞬の沈黙。
「ア~ン♪」
に、リノアの嬉しそうな声が部屋内にやけに大きく聞こえる。
何でこんな時だけ二人とも部屋に来るまで静かに入って来るんだよ! いつもなら家に帰って来た時に大声で騒いでドタドタと駆け込んでくるくせに!
俺はこの後、事あるごとにアムルト兄さんとハワルト兄さんから(特にハワルト兄さんから)ちょくちょくからかわれることになった。