序章
―――右目が霞む。
それでも視線は敵を捉えたまま。
―――左腕はもう使い物にならないだろう。
それでも右腕で構えた剣の切っ先は相手へ。
―――左脚に力が入らない。
それでも歩みを止めない。
「たかだか一人を殺すのに騎士団総動員とはな。」
俺は振り返り相手を睨めつけながら言う。
「その騎士団相手に、ここまで逃げ切っていてよく吠える。」
非常識な存在は貴様だと言わんばかりに相手からの怨嗟が響く。
「だが、その逃亡劇もここで終いだ。」
それもそうだろう、前方には騎士団16人。
後方には切り立った崖、下は大きな河があるとはいえ飛び降りたとしても、この高さでは無事ではすまないだろう。
「数々の戦場を潜り抜けたドレッド将軍が、聖女の使いっ走りとはな。」
「聖女の神託は絶対だ、そんなことも忘れたのか?グレン第一王子。」
「否もはや王子ではないのだったな。」とあざ笑うように付け加えられた。
「”グレン第一王子は後の魔王となる、力をつける前に……殺せ。”……クックック。歴史に残らぬ妾腹の王子も魔王として華々しく散ることができるのなら本望だろう?」
何が本望か、魔王として死ぬぐらいなら王族籍を抜いて自由に生きたいというのに。
自由になったところで何がしたいわけでも無いが。
ふと、ここにいたるまでの経緯を思い返す。
俺は第一王子だが妾腹のため王位継承権は嫡子である弟よりも低かった。
そこで国を割ることを避けるために嫡男である弟に権力を集めさせた。
そこまでは良かった。
だが、ウォーノス伯爵が聖女を養子とし、弟のランスロットの婚約者としてあてがってきた所から歯車がずれてきた。
聖女は神託を下す。さながら未来予知のように王国に起こる未来を言い当て不幸な行き先を曲げてきた。
疫病の流行、魔物の襲撃。
国の貴族たちは彼女に傾倒し始めた。弟も同じだ。
彼女に愛をささやく事を第一として自分の仕事を放棄し始めた。
それでも諦めずに苦言を呈していたが、狂い始めた歯車は戻らない。
このままでは国が傾く、倒れるぐらいならば国を割ることを厭わず権力を俺に集めたほうが良いだろう。
神託が下ったのは、そう考えて行動し始めた直後の出来事だった。
この時点で俺の行動が遅かったのだと気がついた。
俺の手の内に切り札はなく、信用できるはずだった側近はすべて聖女に絡め取られた後だった。
もともと王としての素質はないと思っていたが、この状況では自分の手際の悪さに笑うしか無いだろう。
俺はそんな事を思い出し、ふと笑っていた。
「……何がおかしい!」
「おかしくて笑っているわけではないさ、俺にはここから巻き返す策などないしな。」
満身創痍で立っているのもやっと、駆けつけてくる味方は存在しない。
こいつらに殺されれば俺の死体は見世物とされて、きちんと弔うこともされないだろう。
死してもなお辱められる、それだけは簡便だ。
「だが、お前らにだけは絶対に殺されたくはない。」
俺はそう言うと、崖下へと背中から飛び込んだ。
なぜ殺されたくないと思い続けたのか。
親に捨てられ、友に裏切られ、付いて来る臣下も居らず。
なぜ意地汚く生き延びようとしたのか。
その答えを得られぬまま、俺は水面に叩きつけられた。




