白雪姫は毒りんごを食べない
ある雪の日、黒檀の窓枠のついた窓際で縫い物をしている最中、室内にはらはらと舞い落ちてくる雪に目を奪われ、針で自分の指を刺してしまった女性がいた。彼女のその指からは、血が三滴ほど床上に薄く積もった白い雪に滴り落ちた。
彼女は思った。この雪のように淀みなく白い、そしてこの血のように鮮やかで赤い、窓枠の木のように真っ黒な子供が欲しい…と。やがて彼女の願いは通じ、その思った通りに雪のように白い肌、血のように赤い頬と唇、黒壇のように真っ黒な髪を持った可愛らしい子供が生まれた。
しかし、彼女…王妃はその望み通りに生まれた子供を見ることなく、息を引き取った。まるで願いを叶えた代償とでもいうように。
生まれた子供は《白雪姫》と名付けられた。
【白雪姫は毒りんごを食べない】
むかしむかし、ある城にそれはそれは美しいお姫様が住んでおりました。そんな姫の継母である王妃様は、大変恐ろしい魔女でした。
そんな魔女の弟子が私――エルール・マニエル。
この国の王様の正妻であった王妃様が亡くなり、その後妻の座に就いたのが私の師匠であった。王妃となった師匠は、弟子であった私を彼女付の侍女として王城へ共に連れてきてくれた。
王様には前妻との間にお子様がいた。名を白雪姫。数回しか会ったことはないが、とても可愛いお姫様だった。きっと成長するにつれ、この子はこの世界の誰よりも美しくなる、と初めて会った時に受けた衝撃は今でも忘れられない。
だが、私の師匠である彼女は、この世界で一番美しいのは自分だと思っている。確かに師匠は女の私から見ても身内の贔屓目なしでも、とても美しい人だ。内面はともかく。
そんな師匠は、自分が一番であることを他人に脅かされるのをよしとしない。高慢で残酷な性格の師匠のことだ、きっと自分より美しく成長するであろう白雪姫のことをよく思っていないはずである。
だから毎晩、不思議な魔法の鏡に向かって、一番美しい人は誰かと問うているのだろう。もし、鏡が白雪姫の名を口にした時、起きるであろう出来事は目に見えている。私は、いつか来てしまうであろうその時を想像し、白雪姫を不憫に思うのであった。
師匠が王妃となり、私が王城へ住まうようになってから数年が過ぎた。
まだまだ赤子だった白雪姫が7歳になったその年。恐れていたことが起きた。
その晩、いつものように師匠が魔法の鏡に問いかけた。
「世界で一番美しいのは誰?」
いつもだったらこの後、「それは王妃様です」という答えが返ってくるはずなのだが、その晩は違った。
「それは白雪姫です」
魔法の鏡は、そう答えた。この魔法の鏡はなんでも答えてくれる不思議な鏡。その答えに間違いは決してない。
7歳の少女へと成長した白雪姫は、既に師匠の美しさを越えてしまっていたのだ。普通であったら世界で一番美しいだなんて、喜ばしいことであろう。だが白雪姫にとっては命の危険も伴う美しさだ。運命とは残酷だ。
やはり予想していたように、魔法の鏡からその答えを聞いた師匠――――否、魔女は怒りに震えていた。
「初めて見た時からあの子は嫌いだったのよ…」
聞いたこともないような低い声で彼女は呟いた。私は全身に鳥肌がたち足が竦み、体が思うように動かなくなった。部屋中に恐ろしい冷気が漂い始め、吐く息が白くなる。
「し、しょう…」
なんとか声を絞り出し、彼女の視線が私へと向けられた。
「…あぁ、エルール。……そうだわ!お前にお願いしようかしら」
師匠は綺麗な笑みを浮かべ「白雪姫を殺してきて頂戴」そう私に告げた。
そして更に、白雪姫の心臓を持ち帰ってきて欲しいと付け足した。
「ふふ。人間の心の臓を食べると、力が増すというじゃない?」
ほんとうに楽しそうな様子で彼女は「楽しみにしているわ」そう言い残し、私の前から去った。
彼女が去って行ったこの鏡の間にはいつも通りの無機質な空気が戻った。あの突き刺さるような冷気はどこにもなくなった。
ガクッと力が抜け、体が崩れ落ちる。落ち着きを取り戻そうとゆっくりと呼吸を繰り返す。
師匠は恐ろしい魔女だ。私はそんな魔女の弟子になったのだ。こういうことは、いつか起きるだろうと予想はしていた。だけど、まだ子供である少女を手にかけることになるとは…。
白雪姫―――世界で一番美しい人。
そして、世界で一番理不尽な理由で命を狙われることになった、哀れな少女。
「鏡さん、聞きたいことがあるの…」
明くる日。朝陽がほどよく空に昇った頃、私は白雪姫と共に城から少し離れた森の中へと来ていた。
「マニエル様が、ピクニックに誘って下さるなんて嬉しいです」
無邪気に笑いながら横を歩く少女を見て、胸が痛くなる。
「私はただの使用人です。様付けは必要ありません、王女様」
平静を装いながら淡々と喋る。着々と森の奥へと進んで来ていた。
「じゃぁ、エルールさん…って呼んでもいいかしら?」
「様付け以外でしたら、王女様のお好きなようにお呼びください」
そう答えると白雪姫はパァと明るい表情になり、嬉しそうにはにかんだ。
「ええ!ねぇ、エルールさん」
「はい」
「エルールさんの瞳ってとっても綺麗よね」
「え……」
驚いた。私の瞳は血のように真っ赤だ。気味悪がる人はいても、綺麗だなんて言った人なんかいない。信じられない気持ちで白雪姫を見つめ返す。
「…それに、その髪の毛も素敵。フードなんかで隠さないで見せびらかせばいいのに」
そう言いながら、白雪姫はつま先立ちをしながら腕を目一杯に伸ばし、私の被っていた真っ黒なフードをとった。
フードが背中へと落ち、私の髪が風に靡く。
「真っ白な雪みたいで、やっぱり素敵です」
白雪姫は満足そうに微笑む。
私の髪は、真っ白な白髪。老人のようなその髪色が私は好きじゃない。だからいつも外へ出るときはフードを被っている。
真っ赤な瞳に真っ白な髪。私はこの容姿のせいで両親に捨てられた。どこへ行っても気味悪がられ、どこにも私の居場所はなかった。そんな時に、私を拾ってくれたのが師匠だった。
「お前、行く宛がないのなら私の弟子になってみない?」――そして私は、魔女の弟子となった。
実の親でさえも見捨てるような私の容姿を綺麗だとか素敵だなんて言うこの少女の気持ちがわからない。幼さゆえの純粋さ…なのだろうか。
「ありがとう、ございます。そんな風に言って下さったのは王女様が初めてです」
「お世辞だと思ってるでしょう?でも、これは本心ですからね、エルールさん!」
私は、この子を手にかけなければならないのか。何も知らない純真無垢なこの少女を。継母から殺されそうになっているだなんて、思ってもいないのだろうな…。
森の奥までやって来た。辺りいったい木々に覆われ、陽の光など殆ど届かない、薄暗い森の中。大人ですらもう森から出ることはほぼ難しい所にまで白雪姫を連れてきた。
「エルール…さん?どこまで行くんですか?もうこの先を進んでしまったら戻れなくなってしまいます」
さすがに白雪姫も辺りの様子がおかしいことに気付いたらしい。少し不安げに見上げてくる。
私はそんな彼女を安心させるようにニコリと微笑む。
「王女様、大変お疲れでしょう?そこの木の幹に座り休憩を致しましょう」
白雪姫は不安な表情のまま、コクリと小さく頷いた。
「どうぞ王女様、お飲みください」
私は持ってきていた飲み物を白雪姫へと手渡す。彼女は喉が乾いていたのか手に取るとお礼を言って、すぐに飲み干した。
「!!」
すると白雪姫は突然、顔を両手で押さえ始めた。
「あ、あつい…アツイ…顔が熱いわ…っ!!!」
苦しそうに白雪姫は幹から転げ落ち、地面に倒れた。
「王女様、申し訳ありません。私にはこれくらいしか思い付きませんでした…。直に治まりますので…どうかご辛抱下さい…」
少しでも楽になるように、私の一回りも小さい体をギュッと抱き締める。
暫くして、呼吸は乱れているが白雪姫は落ち着いてきたようだった。
「エ、ルール…さん…どう、して」
荒い呼吸を繰り返しながら、白雪姫は問うてくる。
「王女様、よくお聞き下さい。私はこの森に貴女を置き去りにしていきます。私は師匠…王妃様より貴女を殺すよう命令を受けました。ですが私が手を下さずとも、このままここにいれば森の獣に襲われ、命を落とすでしょう」
腕の中の白雪姫の体がピクッと動いたが、気にせず続ける。
「もしも運よく生き延びたとしたら、私は今度こそ貴女を王妃様の言う通りに葬ることになります。…そうですね、貴女にかけたその魔法が解け、まだ貴女が生きていることがわかった時、再び王女様の前に現れましょう」
私は白雪姫に顔が少しだけ醜くなる魔法をかけた。先ほど彼女に飲ませた飲み物に混ぜておいたのだ。醜くなると言っても、一過性のもので数年後には効果が切れる。彼女が生き延びていたらの話だが。
私には師匠に拾ってもらった恩がある、だから師匠を裏切ることもできない。だけど、そんな理不尽な理由で白雪姫を殺すこともしたくない。こんな少女を一人森の中に放置すること自体、手を下していることに変わりはないと思うが、自分で直接手をかけるより幾分か私の気持ちが楽なのだ。可哀想なことをしているのは分かっている。白雪姫にも師匠にも中途半端なことしかできない。でも、私にはこんなことしか思い付けなかった。
「……ごめんなさい、王女様」
抱き締めていた白雪姫から腕を離し、立ち上がる。彼女は俯いたままこちらを見ようともしなかったので、顔がどのようになったのかわからなかった。
「もし王女様が生きていれば、また会えるでしょう。………さようなら、白雪姫さま」
私は風に溶け込み、その場を逃げるように去った。
「只今、戻りました」
「ああ!エルールおかえりなさい。きちんといいつけ通りにできたのかしら?」
「王女様と共に森深くへ行った所、森の獣に出会し、そのまま王女様はその獣に喰われました」
用意しておいたセリフをそのまま伝える。内心ではバレてしまわないだろうかとても不安だったが、堂々と伝えなければ、動揺を悟られてしまう。私は努めて平静に淡々と伝えた。
「あら。じゃぁ、心臓は持ち帰れなかったのかしら?」
「はい。申し訳ございません…!どんな罰も覚悟の上です!」
下げていた頭を更に深く下げる。暫く静寂が訪れたが、突然頭上から聞こえてきたのは、笑い声だった。
「ふふふふふ!あはははははははは!!いいのよ、エルール!心臓なんて!あんな小娘の心臓なんていらないわ!むしろ食べたくないもの!お前を試すようなことをしてごめんなさいね、エルール」
「い、いえ…………」
師匠の狂ったような笑みに恐怖を感じ、半歩後ずさってしまう。
「頭を上げなさいエルール」
言われた通りに視線を少しずつ上げていく。次第に視界に入ったのは、美しく残酷な微笑みを浮かべた、一人の魔女だった。
それからというもの師匠は、毎日鏡に問う。
「世界で一番美しいのは誰?」
「それは王妃様です」
魔法の鏡の、その返答を聞くたびに彼女は満足そうに笑うのだった。
白雪姫の父親である王様には、白雪姫は一人森の中へ入ったきり戻らないと伝えた。最初の数週間は探索隊や様々な人間を雇い、森の中白雪姫を探したが、見付けることは叶わず、ついに捜索は打ち切られた。
王様は大切な王妃の忘れ形見である娘を亡くし、とても落ち込み、終いには寝込んでしまった。
城の中は、実質王妃様である師匠の独壇場と化した。
毎日贅沢三昧である。豪華なドレスに宝石。そして毎日豪奢なパーティーを王城で開いた。
そんな生活の日々が続き、師匠はすっかり白雪姫のことなど忘れてしまったようだった。
埃の被った鏡の間で、私は一人魔法の鏡の前で佇んでいた。ここ数年、師匠はこの場を訪れていない。あんなに毎日のように世界で美しいのは誰かと問うていたのが今では遠い昔のことのように思う。
今、この魔法の鏡に白雪姫が生きているか聞くのは簡単だ。だけど、その答えを聞く勇気がなかった。
あのまま本当に獣に襲われてしまったか、それとも運よく生き延びて今もこの国の何処かにいるのだろうか。
あの日――、師匠に白雪姫を殺すよう命令を受けた日、私はこの魔法の鏡に問うた。
たとえ魔法でも白雪姫の顔が醜くなれば、王妃が世界で一番美しい人になるか。答えはイエスだった。
だから私は更に魔法の鏡から、数年間だけ効く顔の醜くなる粉の作り方を聞いた。
そして、私はその粉を混ぜた飲み物を白雪姫に飲ませた。何故数年間にしたかというと、師匠の性格上、数週間は舞い上がり毎日魔法の鏡に例の質問をすると思ったからだ。予想通りあの頃師匠は、毎日魔法の鏡に美しい人は誰か聞いていた。だから数日や数週間の効き目ではダメだと思い、数年間持続する効果を選んだ。
私が白雪姫をその場で殺さなかったことがバレないようにする為。
誰もが白雪姫という王女がいたことを忘れ去ってしまうには十分な年月が過ぎた頃。
王様の容態が更に悪くなった。師匠は数日に一回は見舞いに行っているようだった。
ある時、いつものように王様の見舞いを済ませたであろう師匠が物凄い形相であの鏡の間に向かっていた。
「師匠…?一体…」
恐る恐る声をかけてみる。
「あの男!!私より前妻の王妃の方が美しかったですって!?」
師匠は怒り心頭といった様子でどす黒いオーラを辺りに散らしながら、ズンズンと鏡の間の方へと歩いていく。
「世界で一番美しいのは、この私なのよ!」
王様は、前王妃様の娘である白雪姫をそれはもう溺愛していた。そんな娘がいなくなってしまったのだ、王様の精神はかなり病んでしまったのだろう。弱っている時とは、普段は言えないような心の本心がポツリと出てしまうものだ。
前王妃様のことは、肖像画でしか見たことはないが優しそうな雰囲気の儚い女性だった。美しさでいったら到底師匠には敵わない。それでも、心の美しさでいったらきっと前王妃様であったのだろう…。
「鏡よ!世界で一番美しいのは誰!??」
久しぶりに聞いた、その質問。当然返ってくる返答は……
「それは白雪姫です」
!!!!
私も師匠も驚きに目を見開く。
「世界で一番美しいのは誰?」
聞き間違えかと、師匠がもう一度聞き直す。
「それは白雪姫です」
部屋の温度がどんどん下がっていくのが肌で感じられる。
「…白雪姫ですって…?」静かに、だがしかし確実に怒りのこもった声だった。
「エルール!!!!どういうことなの!!?あの小娘は、7年前に死んだはずでしょう!!?」
そう。あの7年前のあの日、確かに私は白雪姫を深い深い森の奥に置き去りにしたはず。まさか…本当に生き延びていた??
「わ…かりませ、ん」
「エルール!!!」
師匠の尋常でない怒りにビクッと体が跳ね上がる。
まさか…まさか。白雪姫は生きている?
そして、私のかけたあの魔法が解けた?
「す、すぐに!すぐに調べて参ります!もしあの子が生きているのであれば、わたしが仕留めて来ます。どうか、師匠…!今一度わたしにチャンスを」
「エルール…次はないわよ」
「はい」
私は物凄い速さで森の奥へと入る。風と同化しながらグングンと森の更に奥へと向かう。
頭の中が少し混乱している。白雪姫はあのあと、どうやって生き延びた?普通の少女がこんな森の中一人で生きていけるはずがない。森には凶暴な獣だっているのに。
ずっと奥へ進んでいくと、鬱蒼と生えていた木々が途絶え拓けた場所に出た。そこは陽がよく当たり、とても暖かい場所だった。水の音も聞こえるからきっと川も何処かに流れているのだろう。一面に色とりどりの花が咲き、小動物たちが戯れているのも見受けられる。
森の奥深くに、こんな場所があったんだ…。
少し歩いていると、ふと木で建てられた小さな家のようなものが見えてきた。少し背の高い草に覆われたそこは、森の中ひっそりと隠れるように存在していた。
その家へ少しずつ近付く。全体が見える所まで来た時、正面の扉から誰かが出てきた。サッと草の影に隠れる。
出てきたのは、それは目を奪われるほどの美しい少女だった。黒壇のような黒い髪、雪のように白い肌、血のように赤い頬と唇。
間違いない、あの子は白雪姫だ。あれから7年経ち、14歳になった彼女は美しく成長していた。私のかけた魔法も解けているようだ。その元気そうな姿を見て、どこかホッとしている自分がいた。
「次はないわよ」ふと師匠の先ほどかけられた言葉が頭を過った。全身から冷や汗が涌き出る。
今度こそ白雪姫を殺さなければ、きっと…私の命もない。師匠は残酷な人だ。弟子であろうと容赦なく手にかけるはずだ。
私はグッと手に力を入れ、深く息を吐き出す。せっかく生き延びていた白雪姫に再び会えたのは嬉しいが、私は恩人である師匠を裏切れない。今度こそ白雪姫に直接手を下さねば。
どうやら、白雪姫は森の小人と共に住んでいるようだった。小人は全員で7人。邪魔をされては厄介なため、小人たちが留守の時を狙う。
私は老婆に化け、りんごを入れたバスケットを手に持ち、その家の扉を叩いた。
「お嬢さん。かわいいお嬢さん、赤い赤いりんごはいかが?甘くて美味しいよ」
物売りのフリをして、出てきた白雪姫にりんごを薦める。目を見開き驚いた顔をした白雪姫だったが、すぐに笑顔に切り替わり「まぁ!素敵!今お茶を淹れた所なの!りんご売りさんも是非うちに上がって下さいまし」と無邪気に誘って来た。
「い、いや。儂は・・・」
「今、お腹が一杯で少し休憩したらりんごが食べられそうなの!だから、それまでお話相手になってくださいませんか?一人でお茶は寂しいわ」
美少女にそんな寂しげな表情をされては、何故か良心が痛む。それに、毒を仕込んだりんごを食べるのを見届ける必要もあった為、私はその家へと足を踏み入れた。
白雪姫に促されるままに、食卓テーブルの椅子に座り、お茶を薦められる。
「こんな遠くまでお婆さん一人で来たの?」
白雪姫が興味津々といった様子で聞いてくる。人の来訪は久しぶりなのだそうだ。
お茶を頂きながら、話を交わす。
彼女は7歳の時に森の中で迷い、この家までと辿り着いた。そこで7人の小人たちと出会い、事情を話すと小人たちは同情し一緒に住まわしてくれることになった。住まわしてもらう代わりに、彼女は家事を受け持つことになったんだそうだ。
そうか…。白雪姫は運よく小人たちと出会い、7年もの間ここまで生きてきたのか。
「しかし、どうして森の中で迷子になってしまったんだい?」
自然な会話の流れとして言ったつもりだった。だがそれを耳にした途端、目の前の白雪姫の表情がスッと変わった。
「それはね、お婆さん…いいえ、エルールさん貴方のせいよ」
「………え」
いま、なんて…
「ねぇ?エルールさん、やっと会いに来てくれたんですね」
白雪姫の声がどこか遠くから聞こえてくる…。手から力も抜け、持っていたカップがカシャンと音を立ててテーブルへと落ちた。
白雪姫の美しい笑みを最後に私の意識は途絶えた。
「………ん」
次に目が覚めた時、最初に目に写ったのは見覚えのない天井だった。起き上がろうとし、ジャランという音と共に身動きがとれないのがわかった。両手足首に鎖のようなものが繋がれていた。その鎖は寝ているベットの四隅の脚に繋げられ、容易には外せなさそうだった。おまけに意識が途切れてしまったせいで、老婆から元の姿に戻ってしまっている。
一体…なにが。
「あ、起きましたか?」
声のした方へと顔だけ動かすと見たことのない男の子がいた。誰??
その男の子は私の目が覚めたことがわかると、パタパタと何処かへ走って行った。……あ、彼はきっと小人だ。小人は普段滅多に人前に現れないので詳細を知っている人間は少ないが、私は魔女の弟子だ。小人の特徴は以前、師匠から教わった記憶がある。尖った耳に三角帽子を被り、小さな子供のような体型。そしてその体に似合わずかなりの怪力。
そんな風に小人について知識を思い出していたら、ふと横に人影が現れた。
顔を横に向けると、そこには白雪姫がいた。
「…王女様」
「エルールさん、お久しぶりですね。あの日以来ですか?」
あの頃と変わらない無邪気な笑顔を浮かべた白雪姫が、そこにいた。
「あんな仕打ちをしたわたしに復讐って訳ですね…」
今の現状を考え、導きだした答えだった。だが白雪姫はきょとんとした顔をした後、
「別に復讐しようなんて思っていません。むしろエルールさんは、私を助けようとしてくれたのでしょう?」と首を傾げ逆に質問をしてくる。
「あれは助けた内に入りませんよ…。貴女が助かる確率の方が低いと思っていました」
「でも、私はこうして生きています…いや、俺は生きてる」
え……、いまなんて…?
驚きに何も言えず、ただ白雪姫を見つめていると、彼女は髪を掻き上げ、着ていたドレスの上半身部分を破り棄てた。
「こういうこと」
そう言いながらグイッと私に近づいた白雪姫のその上半身はまだ幼いながらも、キュッと引き締まり到底女性の体とは言えなかった。
目を見開き、口をパクパクさせることしかできなかった。
「プッ。変な顔」
男だとわかった途端、何故か美少女が美少年に見えてくるから不思議だ。
「い、いい一体どういう…」
「どうもこうも、俺は男だってこと」
口角をあげ人を小バカにしたような笑みを浮かべる目の前の少年は、私の上へと乗り上げてきた。ベッドが二人分の重みにギシリと鳴る。
「男?え、だって白雪姫は国の王女様で……可愛らしい姫が住んでるって民からも慕われて…」
「生まれた時から俺は男。ったく、クソ親父のせいでずっと女として生きてきたんだよ」
白雪姫が言うにはこうだ。
生前から前王妃様は、ずっと女の子を望んでいた。だが生まれてきた子供は男の子だった。そしてそれを知ることなく前王妃様は亡くなった。それではあまりに報われない。そう考えた父である王様は、彼を『白雪姫』と名付け、女の子として育てることを決めたそうだ。
彼が男の子だと知っている人間は極僅か。後妻である師匠にすら知らされていない事実であった。
驚きのあまり言葉をなくす。
ずっと王女様だと思っていた子が実は王子様だったなんて…。
「どうだ?驚いたか?」
悪戯の成功した子供のような、彼のその表情はやはりまだどこかあどけなさが残っていた。
「正直…すごく驚いています。でも、それとこの今のわたしの現状に一体どんな理由が?」
先ほど復讐する気はないと言っていた、けれどこの鎖に繋がれ身動きがとれないこの状況はどう考えても恨まれているとしか思えない。
「なぁ、エルールさん。一目惚れって信じる?」
「…一目惚れ…ですか?」
コクリと頷き、彼は静かに語りだした。
「俺はね、物心がついたばかりの頃、とても美しい人を見た。恐らく世界で一番美しい人。だけど、俺が気になったのはその隣で赤色の瞳を潤め、恥ずかしそうに白い髪を懸命に隠しているお姉さんだった。同じ城に住んではいるけど、彼女はいつも美しいあの人の傍にばかりいて、俺が会えたのはほんの数回程度。そんなある日、彼女が森へピクニックに誘ってくれたんだ。俺はすごく嬉しくて、内心はしゃいでいた…。まさかあんなことになるなんて思わずに…」
ゴクリと喉が鳴る。それは…、まさか。
空中を見ながら淡々と喋っていた彼の視線が、私の視線と交錯する。彼はそっと私の頬を手のひらで撫でた。ビクッと思わず体が強張る。
「エルールさん、ガキの恋愛だと思って甘く見ないで?7年も待っていたんだ、貴女が来るのを…」
スルリと彼は右手で私の髪を左耳にかける。彼に触れらた耳が少し熱くなる。
「俺が生き延びさえすれば、また貴女が会いに来てくれるっていうから、必死で森の中をさ迷ったよ。そしたら丁度この小人の家を見付けてさ。顔の醜くなった俺でも小人たちは歓迎してくれたよ。3年くらい経った頃かな?魔法も解けて、元の顔に戻った。それからいつ貴女が来るかなってずっと待ってた」
背筋がゾクッとなる。彼の手が耳、頬、首筋、鎖骨へと移動したからだ。
「それで…、貴方はわたしをどうしたいんですか?」
「取り合えず、あのクソババァから奪いたい。だから戻れないようにここに縛っとこうかなーって」
「それに俺が殺されてしまっては、元も子もないからね」と妖艶な笑みを浮かべる。
「師匠は、魔女ですよ?私が貴方を殺すのに失敗したと分かれば、すぐに私達二人を見つけ出して同時に始末されるのが目に見えています」
彼はんーと考え始めた後、私が殺されてしまうのは困ると言った。
「なぁ、そもそも何で俺はあのクソババァに命狙われてるんだ?」
そうだった。彼は根本的な理由を知らなかったのだ。普通自分の命が狙われていると知ったら理由が聞きたいのは当たり前だ。
しかし、さっきから師匠をクソババァと何度も。あんな人でも一応彼の継母なのだけど。まぁ自分を殺そうとしている人間に対してだから、私には何も言えないけど。それにしても男になった途端、白雪姫の口調がだいぶ荒い。
私は、彼にことの真相をすべて話した。師匠は自分が世界で一番でないと気がすまない…と。彼はそんな理不尽な理由で殺されそうになっているのだと。
最初のあのときは、白雪姫が不憫だったのと私自身の保身のためにあんなことをしたこと。そして生きていることが分かり、今度こそ私は貴方を殺しに来たのだと。
「私には師匠を裏切ることはできません…ですが、できることなら、あなたを殺すこともしたくない…」
これが本心だった。話してる最中ずっと目を伏せていたので彼の表情はわからない。
「…なぁんだ。俺てっきり貴女も俺を殺したがってるのかと思った」
聞こえてきたのは彼の明るい声と、視線を向けてみるとホッとしたよう表情がそこにあった。
「それならいい考えがある」
「え?」
彼が自信満々そうに言うので、どういうことかと先を促す。
「どちらも助かる方法」
彼は私の耳元へ口を近付け、囁くように彼の考えを提案してきた。
「ほ、ほんとうにそれだけでいいんですか?」
「ああ、その鏡がほんとうに聞かれた通りにしか答えないっていうんならな」
信じられない気持ちだが、彼を信じその提案を呑むことにした。
「なぁ、これが上手くいけば俺は貴女をアイツから奪える?」
「奪うもなにも…わたしは師匠の弟子であり王妃様の侍女ですから、傍を離れるな……んっ」
私の言葉は最後まで言えなかった。白雪姫に口を塞がれてしまったからだ。彼自身のその口で。
「…んっ……んぅっ!!」
息苦しくなり、空気を取り入れようと唇を僅かに開けた隙間から、彼の舌が入れられる。どんどん深くなっていく口付けに意識が朦朧として、頭がクラクラしてくる。
「…はっ……は…」
やっと解放された時には呼吸が乱れ、荒い息しかできなかった。唇は解放されたが、私の手足首は鎖に繋がれたまま。
「はは!エルールさん、エロい顔!」
「な…っ!だ、誰のせいだと!!」
自分でも頬が上気し、目が潤んでいるのがわかる。
「なぁ。もしこの鎖を外しても、俺の傍にいてくれる?」
14歳とは思えないほどの色気を漂わせながら、彼は私に顔をグッと近付けて問いかけてくる。唇が触れるか触れないかギリギリの距離で。
「………っま、まずは!先ほどの貴方の提案を師匠に使ってからです。それと、顔が近すぎです」
ニッと笑い、チュッと軽いキスを落とし彼は私から離れ、ジャラジャラと鳴る鎖を外し始めた。
漸く手足が自由になり、ホッと息をつく。
「それが上手くいけば、また俺の所に戻ってきてくれるんだよな?」
「そ、そうですね…一応どうなったか報告を貴方にしなければいけませんしね」
命がかかっているのだ、結果がどうあれ彼には知る権利がある。
「信じていいんだよね?」
「お互いに生きていればですが!」
「そう、わかった。じゃぁ、またここで貴女が来るのを待っているよ」
思ったよりもすんなりと解放してくれた彼に少しだけ拍子抜けしながら、小人の家を後にした。
「大丈夫。貴方はもう俺から離れて暮らすことはできないはずだから…」そんな不穏な発言を私が去った後に彼がしていて、それを聞いていた小人たちが青ざめていたことなど、私には露知らず。
「師匠…白雪姫という女はもうこの世にはいなくなりました」
城に戻った私は、直ぐ様師匠の元へと赴き、考えていた通りの言葉を連ねる。
「ああ!エルール!お前ならきちんとやってきてくれると信じていたわ」
師匠は、それはもう嬉しそうに微笑み、私を抱き締めた。
「これでこの世界で一番美しい女性は師匠です」
すぐに師匠は魔法の鏡の前に立ち、あの質問をはじめる。
「鏡よ、鏡…」
「し、師匠…!あの、鏡に問う時は、ぜひこの世の女性の一番ということで、『世界で一番美しい女性は誰?』というのはどうでしょう?」
師匠の言葉を途中で遮り、白雪姫が提案してくれた通りのことを伝える。
「……………いいわ、エルール。お前の言う通りにしましょう」
師匠は私の提案を受け入れてくれ、「世界で一番美しい女性は誰?」と鏡に向かって質問をした。
そして、鏡から返ってきた答えは…………「それは王妃様です」
「嬉しいわ!あの忌々しい小娘は本当にいなくなったのね!ふふ…ふふふふ!あははははは!これで私の美しさは世界一よ!!」
師匠は満足そうに何度も何度も、魔法の鏡に同じ質問を繰り返す。
そう――白雪姫が考えついたのは、質問の中に『女性』という言葉を入れること。白雪姫は確かに世界で一番美しいかもしれないが実は男であることなんて師匠は知らない。だから、世界で一番美しい女性は、実質師匠なのだ。
私はこうも上手くいくなんて、実は思っていなかった。だから余計に安堵した。
数日後、師匠の目を盗み私は白雪姫のいる小人の家へと向かっていた。尤も師匠は再び世界一の称号を取り戻し、また贅沢三昧の日々を送っているので、もう白雪姫のことなどすっかり忘れてしまっているようだった。
小人の家へ辿り着くと、2人の小人が外で洗濯物をしていた。そんな小人たちに私は挨拶をしてから、家の中へと脚を踏み入れる。
中へ入ってみると小人たちがいそいそと部屋の掃除をしたり、料理をしていたりと、家事全般をこなしていた。
私は何か違和感を覚えつつ、白雪姫がいるという寝室へと向かった。
「エルールさん!遅い!待っていたんだよ」
「す、すみません…?」
部屋の中に入ると何故か開口一番に怒られた。そしてベッドで横になっていた彼は私の元へと来て、ギュッと抱き締めてきた。
「また何年も待たされるかと思ったよ」
抱き締めたまま彼は私の頭を撫でてくる。彼と私の身長は同じくらいなので、すっぽり腕に収まるというにはほど遠い。
「私は、事の経過を報告しに来ただけです」
「ああ、そういえばどうだった?あのクソババァ。上手くいっただろ?」
私は上手くいったことと、今の城の現状を伝える。
「…それとあの…貴方が生きていること、本当に王様に伝えなくていいんですか?」
白雪姫は、前回の時別れ際に自分が生きていることを誰にも伝えないでくれと頼んできたので、王城にいる誰にも今日まで伝えていなかった。
「ああ、それでいいよ。クソ親父のことなんかどうでもいいーし。エルールさんさえいてくれればいいよ」
「…………」それはそれで、どうなんだろう。白雪姫は一体私のどこにそこまでの価値を見出だしているのだろう。
「あ、の。王じょ……王子様、一体わたしのどこがそんなにいいんですか?」
私は言ってしまえば、可愛くも美しくもないし、師匠のように魔女として一人前でもない。むしろ、私の容姿は気味が悪いし、魔女として利用価値もない。そんな私をどうして彼は…。
「……初めて会った時、貴女こそ母親の望んだ『白雪姫』だったんじゃないかって思ったんだ」
「え?」
「黒壇のように真っ黒なローブに隠れた、雪のようにキラキラした白い髪。血のように赤い瞳。白雪姫と呼ばれるのは俺じゃなく、貴女だったんだと思ったよ…」
彼は本当に愛おしそうに私を見つめ、こめかみに口付ける。その瞬間、胸の奥がギュッと苦しくなった。それと同時に心臓がドキドキと脈打つ。
相手は14歳のまだ少年よ!ダメダメ…っ!と自分に叱咤する。
「ねぇエルールさん、俺を選んでよ」
ぶんぶんと首を横に振る。
「わ、わたしはまだ師匠の傍で修行中の身ですし、そ、そそそそれに!また師匠の美しさが再び誰かに越されてしまい、暴走しかねませんし…」
魔女である師匠の美しさは衰えを知らない。魔女にとって年月などあってないようなものである。でもいつかまた、白雪姫のように師匠よりも美しい人が現れてしまうかもしれない。
「そんなん、大丈夫だよ。俺以上に美しい人間なんて現れないから」
なんて自信!!!!
「エルールさん、俺のことも心配してくれてるんだ?いつか白雪姫が生きてるのがバレて、また命が狙われるかもしれないって」
そう。自分より美しい白雪姫がまだ生きているともしバレてしまった時、今度こそ師匠は自ら彼を始末しに来るだろう。
「あのクソババァは、俺がアイツより美しいのが気に入らないんだよな?」
「えっと…そうなりますね」
「じゃぁ、簡単」そう言って白雪姫は、ベッドのサイドテーブルに置きっぱにしになっていた果物ナイフを手に取り、自分の頬に傷を付けた。
「な!なにをしているんですか!!」
私の止める隙もない内に、彼の真白い肌に横一線の傷が出来てしまった。その傷からダラリと血が滴ってくる。私は慌てて、懐に入れていた白いハンカチで傷口を押さえる。
「こんな傷が顔にあるんじゃ、世界で一番美しいとは言えないだろ?…それにさ、俺は男なんだから成長するにつれ、『美しい』なんて括りじゃなくなると思うよ?」
「そ、そうやって思っていたのなら、何も顔を傷つけなくて良かったじゃないですか!!」
じわじわと白かったハンカチに血の赤が滲んでいく。その時、ふと思ってしまった。――綺麗だと。白雪姫を生んだという前王妃様は自分の血が雪の上に滴り落ちた様を見て、こんな子供が欲しいと願ったのだと聞く。今ならその気持ちがわかる気がした。
読んで頂き、ありがとうございました。いつかこの続きが書けたら……と思っております。またその時に、再び読んで下さる方がいらっしゃったら嬉しいです。2017/10/12




