ミュウからの話
「あれ。ティーだ」
某月某日。一三四○。天候、晴れ。気温、19度。風、南東。
のどかな昼下がりだった。いつもより賑やかな野外は、ほんの少しの緊張感を含んでいる。
つかの間とは言え、久しぶりにゆっくりした休日である。
視界の奥、複数の兵士達が射撃訓練をしているところに同隊員の姿を見つけて、ミュウが小さく呟いた。
がっちりとした体格で肩幅があり、よくいる屈強な兵士の見た目だが、すぐに彼を判別できた。
「早いなー。もう射撃練習してたんだね」
隣を歩くエニが感心感心、と遠くの彼を褒める。ふわふわの髪の毛が風で揺れる。
ティーは至極真面目だ。律儀で硬く、勝利に対し余念がない。そういうところは見習うべきである。
前へ前へと意気込みすぎるゆえ、他隊員とぶつかることも多々あるけれど、それを止めるのが自分の役目だったりする。
自分たちはと言うと、野外演習場の奥にある掘っ立て小屋みたいな建物ー正確には
『屋内障害物射撃訓練所』とか言うらしいーに先程まで共に居て、一運動してきたところだ。
兵士や軍用犬を催した木板の的を使い、屋内は高低差のある仕様となっている。
配置された全ての目標を撃ち倒し、ゴールにたどり着くまでの経過時間を計り、己の指標とするのだ。
ちなみに民間人やVIPの的もあって、それを誤射するとペナルティとして突破タイムに5秒加算される。
一人ないし二人で挑むことができて、それぞれこの基地内でランキングが付けられているのも醍醐味である。
ゲームアトラクション好きの上官が有志を募って製作した、渾身の代物だと聞いた。
確かに、的は大小様々、動いたり飛び出してきたり多彩だ。凝った作りであるのは間違いない。
もちろん、新参兵の訓練にも活用されている。
今度の作戦は狭い屋内への突入が多そうだったので、隊を組むエニを誘い、
シュミレーションを兼ね一回やってきた。なかなかの好タイムという結果で、
満足しつつその場をあとにし、のん気に散歩している現状というわけだ。
余談になるが、この基地に駐屯する全軍隊員の中で、ミュウはベスト3の成績を持っている。
特に目的なくぶらぶら歩いていたら、別の射撃場に入っていくもう一人の同隊員を見つけた。
エニに無言で指差して合図する。こくりと頷いた彼と一緒に、そのままそちらへ向かった。
垂れ下がるデザート迷彩柄の布の下をくぐり、薄暗いスペースへ足を踏み入れる。
「どうも」
「おっじゃまっしまーす」
中には数名の兵士がたむろしていた。光る鋭い眼が一斉にこちらを向く。
ここは狙撃兵たちの特別訓練場だ。前触れなく知らない兵士が入ってきたからか、
急に空気が強張ったのを感じる。通常の一兵よりも殺傷能力が高いとみなされている狙撃兵は、
恐れられたり忌み嫌われたりすることが多い。それを理由としてか、他人との関与を嫌う狙撃兵が多いのも事実だ。
だが、それは互いに勝手な偏見を抱いているだけである。少なくとも、自分は同じ一兵士として考えている。
この場所は特別、と名付けられてはいるが、狙撃兵以外立ち入り禁止という訳ではない。
それでもなんとなく息詰まる空間の奥で、何か作業中の見慣れた仲間がようやく気づいてくれた。
「お」
切れ長の眼を見開いて、彼はちょっと驚いた顔で二人の方を見ると口端に笑みを浮かべる。
「どうした小柄コンビ」
木椅子に座り、卓上に色々な部品を広げて、膝上で銃をいじっているところだったようだ。
彼のトレードマークとも言える煙草はさすがに吸っていないようだ。
すぅ、と周りの視線が外れていくのを感じながら、ミュウは同隊員の前に立つ。
「二人で奥の演習場に行ってきてさ。帰り際、ちょうどここに入ってくルールーを見つけたんだ。
せっかくだから、遠距離射撃を教えてもらおうかな、って思って」
想像していなかった相談ごとだったからか、再び驚いた表情をこちらに向ける。
隣にいるわくわくした様子のエニをちらりと見やって、ルールーと呼ばれた男は面倒くさそうに頭を掻いた。
「…どうしても今じゃなきゃ駄目か?」
すぐに了解の意を示さず渋る彼に、エニはぐいぐいと入り込んで逃がさない。
「だってどうせ暇なんでしょー?」
「いや見れば分かるだろ。整備中ですけど」
「いいじゃん、それはあとであとで」
「ちょっとだけ、付き合ってくれないかな」
ここは自分も引き下がらず押していく。現役の狙撃兵に直にレクチャーしてもらえる機会はなかなか無い。
必要性があるかと聞かれれば答えづらいが、知っておいて損はない技術知識である。
ハァ、可愛い二人の頼みなら断れないねぇ、と大袈裟にため息を吐いて、ルールーは立ち上がった。
「わーかったわかった。その代わり、手厳しくいくからな。覚悟するように」
「えーこわーい」
「俺は鬼教官だぞぉ」
「きゃー」
何故か熊のように両手を挙げて脅すルールーから、ふざけた悲鳴を上げてエニは逃げる振りをする。
使うのはスナイパーライフルではなく、セミオートのアサルトライフルに高倍率スコープを装着したものだった。
膝立ちになり、積み上げられた土嚢に銃身を乗せ安定させて発砲する。
左右の並びでは狙撃兵たちがその腕を披露している。手厳しく、と言った割には
使用における簡単なポイントとアドバイスを伝えただけで、ルールーはまた手元の銃の整備に戻った。
ゆっくり息を吐き、気持ちを落ち着かせて狙い撃てば、きちんと的に当たる。
でも実際の戦場では、一瞬で判断し一瞬で引き金を引かねば、こちらが殺られる。
先程までスピーディーな動きの中目標を追い続けていたので、迅速な照準と反応力は研ぎ澄まされている。
しかしこの"狙撃"には、同じ射撃とは言えど少し違った技術を要されるのだ。難しい。面白い。
微かに鼻唄を奏でながら部品の整備を続ける同隊員を見やる。
ちょっと思い出したことがあったので、そのまま問うてみることにした。
「そう言えば、明日の作戦行動、ちゃんと内容聞いた?」
目線を手元から外さず、ルールーはさも当たり前かのように答える。
「んや」
「…お前な」
思わず手を止め彼の方を向いた。エニは隣で一心不乱に的を狙っている。
続いて説教されると思ったのだろう、間を空けることなくルールーは弁解と自己防衛のための極論を口にした。
「戦場では目に入った敵を撃ち殺す。ただそれだけ、だろ」
彼が全体作戦会議をすっぽかしたのは、これが初めてではない。
それがバレる度に監督不行き届きだ、と上官に釘を刺されるのは俺だ。
悪気は言うほど無いようで、反省の色が見られないのが何とも不安なところである。
「作戦はお前が聞きゃあいい。お前の指示で、俺は動く」
どういう理由か、彼はミュウのことを軍隊長並みに慕っているところがあった。
一番いい判断ができるのは俺らの中じゃお前だけだから、という彼の独断によるものだ。
「………」
しかしそれは手放しに喜んでいい事じゃない。きちんと組み込まれた枠に入らぬ一人の勝手な行動で、
チーム全体が危機に晒される可能性だって充分あり得るのだ。最低限の協力はすべきである。
咎める視線で焼き焦がすように無言でじぃっとルールーを睨む。
いたたまれなくなったのか、片手をひらひら振り変に固まった空気を払おうとした。
「冗談だ」
そんな怖い顔すんなよ、と彼は笑って誤魔化す。
あとで書類に目を通しておくから。やっぱり反省はしていないようだった。
今度は強引に腰のベルトを引っ張ってでも会議に参加させなければならない。ちゃんとした監視が必要だ。
銃の最終チェックを進めながら、今度はルールーの方から短い問いがくる。
「ティーは」
「向こうで明日使うアサルトライフルの撃ち慣らししてる」
「ほぉん。真面目ちゃんだこと」
興味なさそうに、軽く馬鹿にするような語調を滲ませて吐き捨てた。
特攻猛進型のティーと後援慎重型のルールーは、隊内でもしょっちゅう衝突する仲である。
大体は嫌味なルールーにティーが食って掛かり、エニが面白がってミュウが押さえつける構図だ。
他分隊の連中からお前ら本当に仲良しだな、とたまに言われることがあるが、
同意も否定も出来ず、ただ曖昧に笑って返すばかりだった。
「だめだー…上手くいかない」
二人で話している間も黙々と打ち込み、一つ弾倉を撃ちきったエニが、落ち込んだ声を漏らし銃から顔を離した。
名案を思いついた表情でこちらを振り返ると、高らかにそれを発言する。
「ねぇ、ルーの貸してよ!」
「あァ?」
「ルーのなら上手くできるんじゃない?狙撃手のだもん」
「銃の性質よりも人の腕だと思うけどな…まァ、いい。使ってみるか?」
「やった!」
整備したばかりの愛銃をよく簡単に他人へ渡せるものだと少し驚いてしまった。
実際に戦場で使い込んでいる、狙撃用にカスタムされたアサルトライフルをもってすれば
きっと容易に的を撃ち抜けるに違いない。そう結論づけるのは分からないでもない。
こうして、こうして、と細かい部分を確認していきながら、エニは体勢を整える。
銃の持ち主は何も口を出さず、腕を組んで見ているだけだった。
準備を終え、一発一発、丁寧に狙って発砲していく。
「あんれー?やっぱ難しい…」
しかし、考えていたよりも上手くいかなかったようで、彼はまた首をひねる。
そんな様子を小さく鼻で笑い、ようやくルールーが木椅子から腰を上げた。
「だぁから言ったろ。銃の性質じゃねぇんだって」
貸してみ、と先程までエニが使っていた方の銃を取って、狙撃兵は慣れた手つきで構える。
真っ直ぐ先を見つめるルールーの眼の色が変わった、と思った瞬間、乾いた発砲音が響いた。
射撃は素早く間隔は短い。あっという間に十発ほど撃ちきる。弾は見事に的の中心部を穿っていた。
ぶれない銃身、落ち着いた照準、鋭く光る狐目。
「ま、こんなモンだ」
立ち上がってなんてこと無い風にそう言うと、銃をエニに返した。
素直に、さすがだ、と思った。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、凄い、と思った。
ミュウの思考を代弁するように、横で歓声があがる。
「すげー!全部真ん中!」
「俺の技術をナメてもらっちゃぁ困る」
手を叩いて無邪気に称える教え子へ、ちょっと嬉しそうに師匠は返す。
エニから自分の銃を受け取り卓上に置くと、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
その卓上に軽く腰掛け、細長い煙草に火を灯す。この基地内にも愛煙家は多いが、
(小隊の中でもエニ以外は喫煙者である)彼は珍しい銘柄を好むヘビースモーカーだ。
独特な香りの良い煙が鼻をくすぐり、無性に自分も吸いたくなる。
「そうだ、ミュウ」
再び試射に勤しむエニの後姿を、しばし心此処に在らずの状態でぼうっと見つめていた。
やたらと平和なこのひと時が、まるで夢を見ているかのような錯覚に陥らせる。
ふとルールーに名を呼ばれて我に返った。愛銃を手に立ち上がった彼の方を振り向く。
「暇な時でいいから、O.Z.のところ寄ってやれ」
「オズ…」
「無理矢理にでも引っ張って来い、って言われたぞ。お前なんかしたのか」
ほんの少し声のトーンが落ち、彼は眉をひそめる。名前を聞いて思い起こされるは、小汚い軍医である。
そう言えばここ最近戦地へ赴くことが続き、しばらくあの人のもとを訪ねていなかった。
ちりぢりのくせっ毛に無精髭、分厚い眼鏡をかけた痩せぎすの男。
我々の所属する分隊員で、あの人にお世話になったことがない奴はいない。
腕は確かで名医といって間違いないのだが、如何せんちょっといき過ぎた、奇抜で奇妙な行動が目立つ。
言ってしまえば、"変人"なのである。
あることをきっかけに、自分が専属で診てやると問答無用で宣言されて、それ以来定期的に足を運んでいる。
他の面々にいらぬ心配をかけたくなかったから、そこら辺のことは口外していない。
「…いや」
出来るだけ平然を装ったつもりだったが、ミュウの表情と言葉の裏に何かを感じ取ったのだろう、
ルールーはそれ以上は追求してこなかった。煙を吐くと、エニの隣に付き自分も撃ち慣らしを始める。
ちゃんとコツ教えてよ、ともう一度ねだる教え子へ、今度は丁寧に助言していた。
あーでもないこーでもないと、普段の物静かな狙撃訓練場ではあまり聞かないボリュームまで二人は次第に盛り上がる。
周りにも試し撃ち中の狙撃兵がいる。少し声を抑えたほうがいいかもな、と注意しようと思った時だった。
突然、三人の背後から低く太い声がかけられる。
「騒がしいと思ったら。全く随分と呑気なこった」
その声にエニとミュウは振り返り、ルールーは動かぬまま聞こえるか聞こえないかの大きさで舌打ちした。
そこには腕組みをして見下すように堂々と立つティーの姿があった。
眼鏡の奥で光る深緑色の瞳は、きつく睨みを利かせている。上背もあるので威圧感はより増す。
呑気ねぇ、とティーの言葉を繰り返すと、ルールーは銃から顔を離し馬鹿にした口調で言い放つ。
「心優しい狙撃兵様が可愛いお友達にご教授して差し上げてたところだ。悪いか?」
「ティーも教えてもらえば?」
「おゥ、基礎の基礎からちゃーんと教えてやるぜ。まずは"命乞いの仕方"から、な」
「くだらねぇ。余計なお世話だクソ野郎」
飛ばされる挑発には乗らず突き放して吐き捨てる。彼の言葉じりが乱暴なのは元からだ。
何も用がないのにわざわざこの訓練場まで来るとは思えない。射撃を教えてもらいに来た訳でもなさそうだ。
「何かあったのか」
険しい表情を変えないティーに尋ねてみる。何故かぎろりと射る目でこちらを見ると、
仕切り直しのように咳払いをして、くい、と親指で後ろを示し短く報告した。
「部隊長がお呼びだ」
ぴり、と張り詰める空間。ふざけていた空気が瞬時に兵士のものへと変わる。
「…そう」
「…じゃ、続きはまた今度の機会な」
「…うん」
上官からの召集に遅れると、他隊員たちの前で大声で怒鳴られ渇を入れられる。
それは隊全体の士気を下げることになるし、時間の無駄にもなる。
何よりもその公開処罰がとにかく恥ずかしい。ただちに揃って行動に移った。
ミュウは射撃用の高台から降りてティーの元に小走りで駆け寄る。
面倒くさがりなルールーでさえきびきび動き、使っていた銃を卓に立てかけ、椅子の背に掛けていた上着を取る。
エニも持っていた銃を返すと、腰巻にしていた上着を解いて、ぱさりと羽織った。
準備する三人をきちんと待っていてくれるあたり、何だかんだティーも気の置けないところがある。
垂れ下がる布をくぐって、ルールーは一つ伸びをすると呟いた。
「わざわざ呼び出したァ、何の用だろうな。あんまり長くないといいんだが」
「ルーがサボったから皆お説教だったりして」
「てんめぇ…また作戦会議バックレやがったのか!何度目だ!軍人としての自覚なさすぎだろ!!」
「声がデケェんだよ馬鹿真面目」
「てめぇが心底怠慢なだけだろうが!! この狐眼野郎!!」
「はいはーい言い合いっこはあとあと!早く行かないとねー」
「大体、後方支援任されてるくせに隊の動き知らないで現場に立とうとするそのクズ精神が信じられん」
「テメェにゃ直接迷惑かけてねぇだろう?それとも何か、俺の援護がなきゃビビッてオチオチ前にも出られねぇって?」
「わぁ。ティーとルーがお互い貶し始めたー!見てられなーい!」
「…やめろよ二人とも。ニアも煽らない」
明日、また戦場へとこの四人で降り立つ。そして、また四人で戻ってくる。
この当たり前のことが、当たり前ではないという現実。
そういう世界に、俺たちは生きている。
騒ぎ続けながら前を行く三人の背中へ、一人先に今回もよろしく、と心の中で声を掛けた。
…つづく
2013.5.9.