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第八夜

 父の命を受けて主馬しゅめは城内で聞き込みを始めた。本当は左京ノ進に直接話を聞きたいところであったが、まずは正門へ向かった。左京ノ進に会う前に、確認したいことがあったのだ。

 正門では清兵衛という若い足軽が朝から門番をしていた。


「清兵衛、今朝の件で詳しい話を聞きたいのだが少しだけ良いか?」


 清兵衛は一瞬だけ主馬に目をやったが、すぐに正面を向きなおした。


「ええ、どうぞ」

「左京ノ進が百姫を連れ帰った姿をお主は見ていたのだろう?何か変わった様子はなかったか」

「いいえ、いつも通りでした」


 何らかの手がかりを聞き出そうと必死な主馬に対して、清兵衛の返答はあまりにも素っ気無いものであった。


「いつも通り?これだけの事件が起きたのにいつもと変わらなかったと?」

「はい」

「そんな筈はあるまい!」


 主馬は語気を強めたが、清兵衛は相変わらず正面を向いたまま姿勢を崩さなかった。


「では聞くが、左京ノ進の愛馬が見当たらないのは何故だ?」

「それは……」


 清兵衛は一瞬言葉に詰まったが、鋭い目つきで主馬に目をやると答えた。


「愛馬は賊との戦いの最中、傷を負って死んでしまったそうです」

「ならば、二人はどのようにして帰ってきたのだ?」

「賊から馬を奪って来られたようです。ですが、その馬もお二人が下馬された途端どこかへ走り去ってしまいました」


 それは理路整然とした語り口ではあったが、その答えに裏付けは全くなく、主馬にとって到底納得のできるものではなかった。その時、あるものが主馬の目に止まった。


「ところで首についているその傷は一体どうしたのだ?」


 清兵衛の首元には、鋭利なものが刺さったと思われる穴にような傷が無数に残っていた。


「血痕は拭き取ったようだが、襟元にはまだ血が染み付いているぞ」


 しかし清兵衛は指摘されても気にする素振りすら見せなかった。


「我々はあなた方と違って一日の殆どをここで過ごしております。大きな虫に刺されるなど日常茶飯事の事です」

「虫だと……」


 主馬はさらに問い詰めようとしたが止めた。清兵衛が明らかな敵意を持ってこちらを睨みつけていたからである。


「まだ何か?」

「……いや、邪魔立てしてすまなかった」


 主馬は清兵衛と特に親しい間柄という訳ではなかったが、病床の母親を世話している優しい男だと耳にしていただけに、このように敵意をむき出しにする姿はにわかに信じられなかった。


(昼間の左京ノ進といい、皆どうしたのだ。まるで別人のようだ)


「ところで……母君は息災か」

「はい。おかげさまで元気にしております」

「そうか良かった。では失礼する」


 主馬は礼を述べると早足でその場を後にした。


 主馬は大銀杏の樹の下にある石に腰掛けて腕組みをしていた。思案を巡らせるとき、いつもこの場所に来ては良い考えが浮かぶまで座り続けた。銀杏の葉を頭や肩に乗せながら日が暮れるまで座っていることも珍しくなかった。


(清兵衛の母親は先月亡くなったと聞いている。なのに何故顔色ひとつ変えずあのような嘘をついたのだ。それにあの首の傷。あれが何か関係しているのか))


「主馬様! 何しているんですか」


 大声に驚いて振り返ると一人の若い女性が立っていた。束ねた栗色の長い髪を下ろすと、主馬の頭上に乗った銀杏の葉を手に取った。


「おお……天音あまねか。こんなところでどうしたのだ?」

「それはこちらの台詞ですよ。もうすぐ夕時で御台所はてんやわんやなのに、その裏手でそんな顔つきで座りこんでいるんですから。呼びかけても気付かれないし」


 天音は長いまつ毛が縁取る瞳をを釣り上げ、頰を膨らませた。


「おお、もうそんな時間か」


 立ち上がって西の空を見上げると、すでに空は茜色に染まり、夜の訪れを告げようとしていた。


「で、何を考えていたんです? 」

「いや、大したことではないのだ」


 そう言って立ち去ろうとした主馬だったが、台所から昇る煙を見て振り返った。


「そういえばお前は姫様の配膳役であったな」

「ええ、そうですが。それが何か」


 天音は不思議そうにぱちぱちと瞬きをした。


「百姫様は戻られてからお食事を取られたか? 」

「いえ、まだ食事をできるような気分ではないとおっしゃったので、そのまま御膳を持ち帰りました」

「そうか。で、夕食もこれからお届けするのだな」

「いえ、それが夕食は作らなくて良いと」

「それは百姫が言われたのか」

「いいえ、厨房を任されている、すず様がおっしゃったんです」


 主馬はそれを聞いて天音に詰め寄った。


「今からすず殿と話はできるか」

「それが、昼時から姿が見えないのです。何も告げず居なくなるような方ではないのに」

「居なくなる前にどこか変わった様子はなかったのか」

「変わった様子……あ、そういえば」

「どうした?」

「いえ、そういえば首元から出血されておりました。それで大事を取られて休まれたのかも」

「穴のような傷が幾つか出来てなかったか」

「うーん……」


その時、台所の方から背の高い女が近づいてきた。


「あ、すず様!どこにいらっしゃったんですか?」


 天音は急いで女の元へ駆けて行ったが、女は天音には一切目もくれず、主馬の方へと近づいてきた。


「貴方がすず殿か。少しだけ話を伺いたいのだが……」


 すると女は懐から刃渡りの長い包丁を取り出した。そして突然走りだすとその包丁を主馬に向けて投げつけてきた。主馬はそれを寸前でかわすと脇差を抜いて構えた。


「お主、すず殿ではないな!」


 しかし女は答えることなく、さらにまた包丁を取り出して今度は主馬の胸元へ突きつけてきた。主馬はそれを脇差で弾くと一気に詰め寄り、刃を女の首元に当てた。


「その動き、さては忍びか?」


 主馬は女の顔を覗き込んで驚いた。何故ならその表情からは命を奪おうとする者が放つような殺気は感じられず、目線すら合わさないその表情はまるで感情のない人形のようだったからだ。


「主馬様、後ろ!」


 天音の声で振り返ると、銀杏の枝の隙間から黒い蛇が今にも飛びかかろうと首をもたげていた。


「ええい、邪魔だ」


 主馬は女をいなして地面に押し倒した後、くるりと身を翻すと脇差でその蛇を叩き切った。蛇は真っ二つに切れて地面に落ち、暫くの間のたうち回ったがやがて動かなくなった。


「おい!一体どういうつもりだ!」


 主馬は女の手から包丁を取り上げ体を抱え上げた。しかしその体はまるで魂が抜けたように、主馬の両腕に重くのしかかった。


「すず様、起きてください!」


 天音も女の体を強く揺すったが、目を覚ます気配はなかった。


「まさか死んでいるのか……」

「いえ、脈はあるようです。とりあえず目を覚ますまでどこかで寝かせましょう」


 主馬は女を背負うと桐山家の屋敷へ連れて行った。そして父の多聞たもんを連れてくると、これまでの経緯を話した。


「なるほど、首の傷跡か……」

「はい。そしてこのすずという女の首にも傷跡がありました」


 主馬が言う通り、すずの首元にも清兵衛と同じような傷跡が見られた。


「で、お前の推測では左京ノ進の首元にも同じような傷があると言うのだな」

「おそらく。ですのでこれから確かめに行こうと思うのです」


「主馬様、いけません!」


 異を唱えたのは天音だった。


「どうして止めるのだ」

「先ほど主馬様が切断した蛇の最後を見られましたか。蛇は青い炎を上げて燃えておりました」

「それが何の関係があると」

「あれは普通の蛇ではありません。おそらく妖怪の類のものです」


 それを聞いた主馬は鼻で笑った。


「妖怪だと?まるで妖怪を見たことがあるような話ぶりだな」

「いえ、これはある人から聞いた話ですが、千年を生きた蛇は妖怪となり、人をたぶらかすそうです。ある時は人に化け、ある時は蛇を持ってして人を操ると」

「ある人とはお前を育ててくれたあの和尚様のことだな」


 多聞の問いかけに天音は頷いた。


「その和尚の話は私も左京ノ進から聞いている。とても優れた人物だと。そして冗談が好きな好々こうこうやともな。おそらく天音はその和尚の冗談を真面目に取ってしまったのだろう」

「しかし、主馬様もご覧になったでしょう。すず様のあの異様な姿を」


 主馬は先ほどの無感情だったすずの表情を思い出した。


「では仮に蛇が妖怪だったとして、何の目的で我らを襲うのだ」

「そこまでは……わかりません」


 考え込む二人を見て多聞は決心した。


「よし、ではこうしよう。天音、お前は和尚様の元へ行け。この現状を伝えて来るのだ。それが本当に妖怪の類の話であれば良き知恵を借りて参るのだ」

「わかりました」

「そして主馬よ。お前は左京ノ進の様子を探って参れ。ただし首元に傷があるかを確かめるだけだ。もしお前から見て明らかに様子がおかしければすぐに私に報告せよ」


 主馬は頷くと多聞に尋ねた。


「父上はどうなさるのですか」

「私は大殿に会って、明日にでも百姫様と話すよう説得して参る。この件、やはり百姫様にも聞かねば解決しない気がするのだ」


 そして三人は明日の同じ時刻にまた集まるよう約束すると一旦解散した。

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