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第三夜 

2017.11.6 大幅改稿

草むらに寝かされた沙夜姫の肌色はすでに生気を失っていた。傷口のあたりがみるみるうちに肌はどす黒い土色へと変わっていく。


(……これはただの毒ではないな。おそらく大蛇の呪いを含んだ毒。このままでは間もなく命を落としてしまうだろう)


 天狐は悲しげな目で沙夜姫を見つめた。


(やはり人間とは、か弱いものだな……)


 白狐はそっと身体を沙夜姫に寄せると、傷跡を優しく舐めた。すると沙夜姫の体は徐々に白い光を放ち宙に浮いた。


(か弱き人間の命など捨てて、これからは妖狐に戻り私達と共に生きてゆくのだ)


 すると、光に包まれた沙夜姫はうっすらと目を開いた。座してこちらを見ている白狐に目をやった。

 

「あなたは……誰?」


「私は天狐。お前に命を授けたもう一人の母だ」


 沙夜姫は手足を動かそうとしたが力が入らなかった。だが噛まれた傷口の焼けるような痛みは次第に和らいでいき、気がつけば温かく心地よい感覚に包まれていた。それは幼い頃に母に抱かれて眠った懐かしい感覚だった。


(あなたが、お母さま……)


そのとき、大蛇の放った言葉が脳裏をよぎった。


「私は……あなたの子供なのですか? 」


 沙夜姫の質問に白狐は静かに頷くと言った。


「本当だ。その昔、私はお前の父親に救われた。その礼として私の腹に宿っていた命を、お前の母親に託したのだ。つまりお前は人の子でもあり私の子でもあるのだ」


しかし沙夜姫は嘆くことは無く、うっすらと笑みを浮かべた。


「それで合点がいきました。幼い頃から習字のお稽古よりも、庭を走ったり石垣を登ったりすることの方が好きでしたもの……」


 沙夜姫の脳裏に、城中で過ごした楽しい日々が走馬燈のように駆け巡った。


「私はどうなってしまうのでしょうか。このまま極楽へと誘ってくださるのですか」

 

 沙夜姫の問いに天狐は首を振った。


「お前は大蛇の呪い毒に侵されてしまった。人としての魂はすでに風前の灯。このままではお前は死んでしまうだろう。そこでお前の中に眠るあやかしの力を呼び起こし、お前を助けようとしているのだ」


「……そうなのですね」


「案ずるな。やがて人の姿は失うが、お前なら私のような妖狐になれるだろう」


 白狐の言葉を聞いて、沙夜姫の目から大粒の涙がこぼれた。それを目にして白狐は驚いて訊ねた。


「妖狐になることが怖いのか?数十年しか生きられぬ人と違い我らは長寿。さらに千年も生きれば私の様に天狐となり、私と天を自由に駆け巡ることも出来るのだぞ」


「いいえ、怖くはないのです。ただ……お父様や城内の者たちにもう会えなくなることが悲しいのです」


 意識が薄れていくなか、沙夜姫の脳裏に浮かんだのは十兵衛の顔だった。


「言いたかったことも言えないまま、人で無くなることが悲しいのです」


 沙夜姫のすすり泣く声は夜風に乗って草原に響いた。


「言いたかったことだと?それはお前が嘆き悲しむほど大切なことなのか? 」


 沙夜姫が涙を溜めたまま頷くと、大粒の涙が白い肌をつたった。


「そうか……」


白狐は少し思案した後、天を仰いで言った。


「ならばお前に少しだけ時間をやろう……」


 そう言うと白狐は雄叫びを上げた。すると天を厚く覆っていた雲が一瞬にして消え去り、満月が再び顔をだした。白狐は軽々と高く飛び跳ねて、その七本の尾を真っ直ぐ立てると、月明かりに照らされた白銀の毛並みは徐々に輝きを増していく。


「そなたに授けよう。我ら妖狐の力を!」


 次の瞬間、天狐の体から一本の尾が切り離された。その尾は昼間と見間違うほどの閃光を放つと、やがて花火のように弾けて消えた。そこには細長い物体がまばゆい光を発しながら宙に浮いていた。


それは一本の弓だった。弓は白狐の毛並みのようにきらきらと輝き、まだほのかに光を放っている。弓は沙夜姫の方へ矢のように飛んでいくと、体の上でぴたりと止まった。すると不思議なことに沙夜姫の体にみるみる力がみなぎっていく。


「私の妖力をその弓に封じた。その弓を持っている間は封じた妖力で大蛇の呪いを抑えることができる。これでそなたは人の姿を保ったまま死なずに住む」


「この弓を肌身離さず持っていれば、私は人の姿でいられるのですね……」


沙夜姫は恐る恐る指先で弓に触れた。


「左様。だがお前は弓の妖力で生かされているに過ぎない。弓の妖力は徐々に失われていく。やがて弓の妖力が尽きればお前は人の命を失う」


「その残された時間とは、一体どれくらいなのでしょう」


「おそらく1日持つかどうかだ。だが安心しろ。命を失う前に私が迎えに来て妖狐にしてやろう。わずかな残された時間で親しき者に想いを告げてくれば良い」


 沙夜姫は一度だけ強く唇を噛みしめると、改めて白狐に聞いた。


「一つだけ……教えて下さい。私が人に……元の姿に戻る方法はあるのでしょうか? 」


「妖力が抜けた途端、お前は死ぬ。なぜならその身体は私の妖力で保てているに過ぎないからだ。元に戻るには人の身体を生き返らせるしか無い。だが蛇の呪いをかけられたその体をもとに戻すのは不可能だ」


「本当に......本当に不可能なのですか?」


 沙夜姫の問いを白狐は一度飲み込むと、しばらくの沈黙の後ゆっくりと口を開いた。


「無いわけではない。呪いを解く手段はただ一つ。呪いの主である大蛇を討ち滅ぼすことだ」


「では大蛇を討つにはどうすれば良いのですか」


「そのような馬鹿げたことを。人の力で大蛇を討つことなど出来るわけがなかろう!」


 その言葉を聞いて沙夜姫は慟哭した。白狐は深くため息を付くと、優しく沙夜姫に語りかけた。


「その弓を手に取りなさい。ゆっくりと弦を引いてみよ」


 沙夜姫は涙を拭くと、白狐の言う通り弓を手に取り弦をゆっくりと引いた。すると何も番えていなかったはずの弓に、一本の青白く光る矢がうっすらと姿を現した。驚いて沙夜姫が弦を手放すと、矢は一瞬で消滅した。


「それは破邪の矢。お前の妖力を具現化したものだ。邪悪な者の魂を断つことができる」


「この破邪の矢で大蛇を射れば、倒すことができるのですか?」


 白狐は静かに首を振った。


「今のお前の妖力では、大蛇の命を奪うどころか傷すら付けることはできないだろう」


「それでは……やはり諦めるしかないのでしょうか」


「そうではない……だが……」


 天狐は一瞬言うのをためらったが、沙夜姫の必死な目を見るとため息をついて重い口を開いた。


「破邪の矢は妖の力を吸い取ることができる。お前がその矢で数多の妖怪を討ち、妖力を十分に貯めることができれば、いずれ大蛇を射ち抜くほどの力を得られるかもしれん。だが無駄に射ち過ぎれば自らの妖力を失う。その瞬間、お前は妖狐にもなれず死んでしまうだろう」


「つまり人の姿に戻るには妖怪を退治する他ないと……」


 戸惑う沙夜姫に天狐は言った。


「できぬと思うなら、親しきものに別れを告げた後、妖狐として我らと共に生きよ。その方がお主も幸せなはずだ」


 沙夜姫は覚悟を決めた。沙夜姫は天狐の弓を抱きしめると、力強い声で叫んだ。


「私が選ぶ道はただ一つ。大蛇を討ち人に戻ること。そのためにこの弓で妖怪変化を退治します」


 沙夜姫の決意を聞いて、白狐は笑い声を上げた。


「良かろう。ならば私が授けたその弓、妖を討つために使うが良い。今よりお前は人ではない。妖狐でもない。お前は半妖の化姫じゃ」

 

 天狐の弓は沙夜姫の胸元で一層光り輝くと、やがてその身体をぼんやりと包み込んだ。天狐の弓が放つ光は何処か優しく暖かくて、安堵した沙夜姫はその場に倒れ込むとそのまま眠りについた。


(敢えて運命に抗うか……妖狐として生きれば苦しむこともなかろうに)


 沙夜姫の頰に伝う一筋の涙を見た天狐は、大きな体を沙夜姫の側に侍らせ、母狐が小狐を包み込むようにして身体を丸めた。


(人に預けたとはいえ、かつては我が腹の中で育んだ命。せめて今宵だけでも、母らしくお前の側にいてやろう)


 静まりかえった草原で聞こえるのは草花が夜風になびく音と虫の声だけだった。暗闇から差し込む月光が沙夜姫と天狐を優しく照らしていた。

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