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第二夜

2025.6.10 大幅改稿

その夜、沙夜姫は眠りにつけずにいた。頭の中で何度も繰り返される十兵衛の言葉。彼が少しも躊躇することなくお輿入れを後押ししたことに強い憤りを覚えていた。しかし竹を割ったように真っ直ぐな十兵衛の性格を思えば、予想できる答えでもあった。

 

(十兵衛は只の従者。今まで私のことを案じてくれていたのもそういう役目だからに過ぎない。勘違いしてはいけないのよ)


 姫はそう自分に何度も言い聞かせた。しかし想いを断ち切ろうとすればするほど、姫の心には十兵衛の言葉や仕草が浮かび、その度に胸が締め付けられる思いがした。


「姫様、姫様」


 寝所の障子の向こうから姫を呼ぶ声がする。月明かりに照らされて障子に映る見慣れた影。沙夜姫の胸の鼓動は急速に高まった。


「そこにいるのは……十兵衛か?」


「はい。左様でございます」


「こんな夜更けにどうしたのだ?」


「実は姫様にお話したいことがあります」


 姫は胸を抑えて深く息をすると、そっと障子を開いた。廊下には確かに十兵衛が跪いていた。


「どうして寝所へ?こんな夜更けに何の用だ?」


 すると十兵衛は突然身を乗り出して沙夜姫の手を強く握りしめた。姫は予想外の行動に言葉を失った。


「逃げましょう、姫様。私とどこか遠くへ」


「正気か十兵衛?何を馬鹿なことを!婚姻まで城からは出るなと、父上からきつく言われておるのは知っておろう」


「無論存じております。だから今夜しかないのです!」


 戸惑う姫をよそに十兵衛は姫の手を引き、半ば強引に外へと連れ出した。


「ま、待て、待ってくれ。もしも父上に見つかったなら、そなた只では済まぬぞ」

「私のことなど良いのです!早く参りましょう!」


 二人は辺りを気にしながら城内を駆け抜けていった。不思議なことに城内の者は皆、魂が抜けたように座り込んで寝ていた。十兵衛は繋いでいた馬に跨ると姫を背後に乗せ、城の外へと馬を走らせた。


 生まれて初めて見る城外の景色。沙夜姫は不安よりも、いつもお城の上から眺めていた景色が、こうやって間近に見られることに心が踊った。そして何よりも十兵衛と共にいられることが嬉しく、姫の心は喜びで満たされていた。


 草原を駆ける二人の頭上には満月が輝いていた。沙夜姫は十兵衛の背中で、びゅうびゅうと過ぎていく景色を眺めながら、これはきっと夢なのだと自分に言い聞かせた。思い焦がれた外の世界を、十兵衛の背中越しに眺めていることが今だに信じられなかったのだ。


「お前らしくない。一体どうして、私を連れ出したのだ?」


 しかし沙夜姫の問いにも十兵衛は無言で、ひたすらに馬を飛ばした。沙夜姫はうっすらと口元に笑みを浮かべると、振り落とされないよう背中から強く抱きしめた。


 どれくらいの時間駆け抜けたか。大きな森の手前にある草原で十兵衛は突然馬を止めた。


「姫様、さぁ馬からお降りください。迎えの者がそこで待っております」

「迎えの者?お主ではないのか?」


「これからの旅路、私一人では手が足りぬ故、ある者に手助けを頼んだのです」


十兵衛はそう言うと、早足で歩き始めた。十兵衛と二人きりではないのか、と沙夜姫は少し肩を落とすと、急に不安になり周囲を見渡した。


「その者はどこにいるのだ?人影などまるで見当たらないが……」


 沙夜姫は不安を感じ、十兵衛の袖をぎゅっと掴んだ。


「人影など見当たらなくて当然です。なにせ人など居りませんから」


「十兵衛、何を言っているのだ?お前の言っている言葉の意味がわからないのだが……」


「ふふ......ならば教えて差し上げましょう」


 十兵衛は不敵な笑みを浮かべ振り返ると、沙夜姫の両肩を強く掴んだ。

 指先が肩に食い込み痛みを覚えた沙夜姫は、十兵衛の手を振りほどこうと抵抗した。


「痛い、十兵衛!お主様子が変だぞ……何をするつもりだ?」


 困惑する姫をよそに、十兵衛の身体はみるみる変化していった。両肩を掴んでいた腕は段々と細くやせ細っていき、首は異様に伸び始めた。


「十兵衛……?」


 沙夜姫の前に立っていたはずの十兵衛の面影は微塵もなくなっていた。頭髪が抜け落ち、目はみしみしと音を立てながら左右へと離れていく。それは全身が漆黒の鱗に覆われた人外の姿、大蛇だった。

 ゆっくりと持ち上げたその頭は仰け反るほどに高く、その体格はまるでそびえ立つ千年の大木のように太い。目の前で起きている奇怪な出来事に姫は言葉を失うと、とうとう腰を抜かしその場にへたり込んでしまった。


「どうした?お転婆姫もさすがに腰を抜かしたか?」


 大蛇は地響きのような低い笑い声を発した。


「お前がこの世に生を受けて以来、わしはお前を喰らうことをずっと楽しみにしてきた。一度失敗したが今回は上手く行った」


 そう言うと気味の悪い紫の舌をペロペロと出しながら、姫の鼻先まで顔を寄せた。


「なるほど確かに美しい顔だ。頭からひと思いに食べてしまうには余りに惜しい。さぁどうしてくれようか」


 大蛇の側には人と同じほどの無数の大きな蛇が、今にも沙夜姫に襲いかかろうと頭をもたげている。


「その顔が苦痛に歪むのを見ながら、皆でじっくり味わうも一興か……」


沙夜姫はあまりの恐怖に涙を浮かべ震えていた。沙夜姫はようやく絞り出したか細い声を震わせて、大蛇に訊ねた。


「なぜ……私を食べようとするのだ?」

「お前を喰らう理由?」


 大蛇は横に大きく裂けた口元をにやりと開いた。


「妖狐の子を喰らわば、その妖力を得て寿命が千年延びるという。故に私はお前を喰らうのだ」


「違う、私は人間だ。妖狐などではない!」


 首を左右に振って否定する沙夜姫を見て、大蛇は再び不気味な声を響かせて嗤った。


「知らぬのか。人の腹で育ったゆえそのような姿をしておるが、お主は千年を生きる妖狐の血を引いておる。その身体には確かに天狐の血が流れておるはずだ」


沙夜姫はその場にひれ伏すと、手を合わせて命乞いをした。

「それはきっと何かの間違いです。あなたの望む物は何でも差し上げます。だから命だけはお助けください」


「ならぬ!」


 大蛇の大きな声は静寂に響き渡った。そして首をゆっくりと伸ばすと、命乞いをする沙夜姫の鼻先で大きく口を開いた。


「私はお前の命が今すぐ欲しいのだ!」


 沙夜姫は思わず目を閉じると、心の中で助けを求めた。


(お父様!十兵衛!助けて!)


 その時だった。一閃の眩い光が大蛇の目の前を横切った。


「くっ……誰だ?」


 大蛇が振り向いた先には、大きな白狐が沙夜姫を口にくわえて立っていた。


「お前は天狐!?」


 白狐の体は月光に照らされて神々しく輝き、身体の長さほどある七つの尾が夜風になびいている。白狐は大蛇に背を向けると、気を失ってだらりとうなだれた沙夜姫をくわえたまま駆け出した。


「おのれ!逃がすものか!」


 大蛇たちは白狐を追いかけたが、天を飛ぶように駆ける白狐の背中はみるみる遠ざかって行く。到底追いつけないことを悟った大蛇は、大地をびりびりと振るわせるほどに叫び声をあげた。


「ならばお前に呪いをかけてやる!死ぬまで自らの血を呪い、もがき苦しむがいい!」


 するとみるみるうちに漆黒の低い雲が現れ、その雲は満月を覆い隠した。やがて大粒の雨がぽつぽつと降りはじめ、地面は一瞬にして黒く染まった。

 次の瞬間、漆黒の雲をジグザグに切り裂いた稲光が白狐に向かって落ちていった。


 白狐は素早く飛び跳ねて稲妻をかわしたが、稲光に見えた閃光は一瞬にして蛇に形を変え、沙夜姫に襲いかかった。


 白狐は身を挺して沙夜姫をかばおうとしたが、姫の身体にはすでに蛇が巻きついていた。


(しまった!)

白狐は鋭い爪先で蛇の首元を切り裂くと、蛇は甲高い断末魔の叫びを上げながら、やがて黒い煙となって跡形も無く消散した。


 白狐は空中に放り出された沙夜姫に飛びつき口で受け止めると、そっと地面に寝かせた。沙夜姫の白い首元には蛇の歯型がくっきりと残り、咽を伝った鮮血はみるみるうちに衣服を真紅に染めていった。


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