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三話

 二つの墓碑の前にファリアは立っていた。葬儀を終え、セラとハイメは村の外にある狭い墓地の一角に埋葬されていた。家族の名が刻まれた石を見つめるファリアの目には、悲しみよりも疑問が滲んでいた。なぜ二人は殺されなければいけなかったのか。それは毎日ここへ来るたびに強くなっていった。

 マントの人物について、ファリアは村の住人に聞いて回ったが、皆一様に見ていないと答えるだけだった。ファリアの住む家が村の外れということもあり、犯人は目撃されていなかった。警察の捜査も、こんな片田舎では人数をかけて取り組んでくれる期待は薄く、犯人の正体を知ることは、このままでは不可能に思えた。

 笑顔をなくしたファリアに、村人たちは優しく接してくれた。料理を差し入れたり、子供達が歌を歌ってくれたりと、どうにかして励まそうとしてくれていた。しかし、ファリアが欲しているのは大事な家族を奪った犯人だけだった。家と墓地を往復する毎日の中で、殺されたという強い疑問は、やがてマントの人物に対する深い恨みへと変わっていった。家事をしていても、ベッドで寝ていても、ファリアの頭からあのマント姿が消えることはなかった。

「許さない……」

 二人の墓碑の前で、ファリアは決意した。犯人には、命を奪った報いを必ず受けてもらうと。だが、それも犯人の正体や居場所がわからなくてはどうにもならなかった。家への道を歩きながら、ファリアは思案する。

 と、目の前の建物を見て、ファリアは足を止めた。いつもなら通り過ぎてしまうぼろぼろの家屋に気を引かれた。ここには一人の老婆が住んでいるのだが、ほとんど姿を見せたことはなく、一体何をしているのかもわからない。ファリアを含めた住人達は、その不気味さから、この家に近付くことはまずなかった。だが噂では、老婆は占い師だとか、呪術師などと言われていたが、わざわざ聞きに行く者などいるわけもなく、本当のところはわかっていない。

 ファリアは、そういう神秘的な力を信じているわけではなかったが、犯人につながるのなら、藁にもすがりたい思いだった。あちこちはがれた壁や屋根を見上げると、ファリアは深呼吸をしてから扉を叩いた。木製の扉は軽い音を響かせる。しかし、中からは何も反応がない。もう一度叩くと、今度はぎいと扉がきしんだ。見るとわずかに隙間が空いている。鍵はかかっておらず、開いているようだ。ファリアは迷ったが、意を決して中に入っていった。

「ごめんください」

 入ると、そこは待合室のような小部屋で、入り口からの光しか入らず、かなり暗い。その左右には隣の部屋へ続くと思われる扉があった。しんと静まり返った部屋には、ファリアの足音しか聞こえない。

「ごめんください」

 二度声をかけても、やはり反応はなかった。仕方なく、近かった右の扉を開けようと手を伸ばした時だった。

「どちら様かえ?」

 突然背後から話しかけられて、ファリアは跳び上がって振り返った。そこには、黒い服を着た、背の低い老婆が立っていた。少し曲がった腰に手を当て、細い目で見上げている。

「あっ、初めまして。ファリア・トランスです。……ええと、ですね――」

「旦那と息子のことは、残念だったねえ」

「……え?」

 老婆は優しい微笑みを見せた。村では姿を一度も見たことがないのに、なぜ知っているのか、ファリアは不思議だった。そんな様子を感じたのか、老婆は口を開く。

「村のことは、何でも知っているんだよ。……こっちへ来なされ」

 言うと、老婆は左の扉の奥へ進んでいく。妙な不安を抱きつつ、ファリアはその後を付いていった。

 そこは入口の部屋よりも一回り広く、物も多く置かれていた。窓がないので、壁にはランプがかけられており、うっすらと部屋全体を照らしている。中央にテーブルが置かれ、その上にも周りにも雑然と物が散らばっていた。日用雑貨も見えるが、用途のわからないものが大半を占めている。

「そこに座りなされ」

 促され、ファリアはテーブルの横の椅子に腰を下ろす。老婆もその向かいの椅子に座った。少し緊張しながら、テーブルの上を占有する様々な物を眺めていると、おもむろに老婆が聞いた。

「私に、何の話かえ?」

 前のめりになった老婆の首のネックレスが、じゃらりと鳴った。ファリアは一呼吸置くと、最初の質問をした。

「あなたは、占い師、なんでしょうか」

 老婆の口の端が上がる。

「理解できない人間には、好きに言わせているがねえ……名乗るとすれば、私は魔術師だよ」

「魔術師……?」

 どこかで聞いたことはあったが、ファリアには馴染みのない職業だった。

「魔術なんて、失われて久しいものだ。知らなくても当然さね」

「それは、誰かを捜すことはできますか?」

 真剣に聞くファリアの目を、老婆は見つめる。

「……誰を捜している」

「夫と息子を殺した……犯人です」

 険しい表情になるファリアだったが、老婆の顔はそのままだった。

「捜せますか?」

 ふん、と息を吐くと、老婆は言った。

「悪いが、私ではできないねえ」

 ファリアは力が抜けたようにうつむいた。

「もし、その犯人を捜し出せたとして、その後はどうするつもりかえ?」

 聞かれてファリアは、膝の上で拳を握った。

「私の手で、犯人に復讐します」

「殺す、ということかえ?」

 恨みに満たされた茶色の瞳が老婆を見ると、ファリアは小さくうなずいた。これに老婆は、ほっほっと笑う。

「なかなかいい目をする。だがね、力のない女が、どうやって犯人を捜し出す? 村を出ても、追剥に遭って戻ってくるのが落ちだろうさ」

「それは……」

「犯人の顔は見たのかえ?」

「いえ……」

 マントの人物は終始フードをかぶっていた。体格からおそらく男だと推測はできたが、肝心の顔だけは、ファリアはわずかも見ることはできていない。老婆は呆れたように頬杖を付き、言う。

「復讐心だけで突っ走ろうとしていたのかい? もうちょっと自分を案じたらどうだい」

「私は、いいんです。ただ、夫と息子の無念が晴らせれば……」

 唇を噛んだファリアは、悔しさに顔を歪ませる。その様子に老婆は冷めた視線を送る。

「悪いけど、私は役に立てない。他を当たりなされ」

 断られ、一瞬すがるような表情を見せたファリアだったが、すぐに諦めに変わると、静かに椅子から立ち上がった。そして扉を開けようと力なく取っ手に手をかけた時だった。

「いや、待ちなされ」

 呼ばれてファリアの動きが止まる。振り向くと、老婆は一点を見つめ、何やら考え込んでいるようだった。やがてファリアに目を移すと、手招きをして、再びファリアを椅子に座らせる。

「何でしょうか」

 小さな声で聞くファリアに、老婆は鋭く怪しい目付きで言った。

「一つだけ、役に立てるかもしれない」

「本当ですか!」

 ファリアの顔が明るさを取り戻す。だが老婆は低い声で続けた。

「浮かれるのはまだ早いよ。……言っておくがね、これは危険を伴うものだ」

「それでも構いません。私は――」

「まあ聞きなされ。……これはね、禁術と呼ばれているもので、誰も使ってはいけない魔術なんだ。魔術に精通した者ならば、一度は使いたい欲に駆られる代物でねえ、老い先短い私としては、欲を満たして悔いなく死にたいと、そう思っているんだがねえ……何しろ禁術だ。これは使われた者に危険がある術でねえ、そちらが承諾してくれなければ、私も無理に使うことはできないわけさ」

「き、危険とは、どういうことが……?」

「それは、使ってみるまではわからないよ」

 老婆は怪しい笑みを浮かべる。

「発狂でもするのか、はたまた寿命が短くなるのか……いろいろな危険を想像した上で、それでも覚悟ができるというのならば、そうさね……無償で協力しようかね」

「無償で? 本当ですか?」

 老婆は深くうなずく。

「こっちとしては、禁術を試させてもらうわけだしねえ。危険な目に遭わせて金を貰うというのは、さすがに気が引けるよ」

 にやりと笑い、老婆はファリアを見る。

「……さあ、どうするね」

 どんな危険があろうと、家族を失った以上の辛さはないとファリアは思っていた。すべては無念を晴らすため、復讐を果たすため――ファリアの中の意志は固まっていた。

「お願いします。その禁術というものを、使ってください」

 これを聞いて、老婆の口角が上がる。

「嬉しい返事だねえ……じゃあ、ちょっと待ちなされ」

 そう言うと老婆は立ち上がり、壁の隅に置かれた木製の収納箱を開けた。たくさん物が入っているのか、がちゃがちゃと音をさせながら、懸命に何かを探っている。

「……ふう、あったあった」

 取り出したのは一冊の分厚い本だった。それを持って再び椅子に座ると、テーブルの上に散らばった物を、片腕で一気に床に落とし、分厚い本をどかっと中央に置いた。

「これはね、若い頃から使っている魔術の手記でねえ……お師匠様には内緒で、禁術について書いたページがあるんだよ」

 本を真ん中から開くと、老婆はぺらぺらとページをめくっていく。

「この辺りだったか……ああ、これだね。懐かしい。まさかこうして使う日が来るなんてねえ」

 目を細めながら、老婆は自分で記した文字を黙読していく。それを見ながら、ファリアは質問をした。

「あの、その禁術は、一体どういうものなんでしょうか」

「使ってみれば、すぐにわかるはずだよ。……不安かえ?」

「いえ……ただ、本当に役に立つのかと思って……」

「これなら役立つはずさ。私を信じなされ」

 不安と緊張を見せるファリアをよそに、老婆は黙読を終えると、椅子に座り直し、精神を集中し始めた。

「そちらは黙っているだけでいい。じゃあ、始めるよ」

 老婆は曲がった背中を伸ばすと、本の文章を指でなぞりながら、それを読み上げていく。聞いたことのない言葉と発音を聞きながら、ファリアはこわばった表情で老婆を見つめるしかなかった。文章の読み上げが一分ほどで終わると、次に老婆は右手を伸ばし、向かいに座るファリアの額を指先で弾いた。くらっと頭が揺れる感覚だけで、特に痛みはなかった。

「……終わったよ」

 え? とファリアは目を丸くする。

「あの……何か変わったことでも、あるんですか?」

 老婆は落ち着いた表情で答える。

「上手くいっていれば、その内変化に気付くはずさ」

 変化と言われても、ファリアには自分の何が変わっているのか、まったくわからなかった。体を動かしても異常はなく、視界も普通だった。術が上手くかからなかったのだろうかと疑い始めた時だった。

(ここは……どこだ……)

 ファリアの動きが止まる。どこからか男性の声が聞こえた。後ろに振り返ってみるが、扉はぴったり閉まり、人影もない。空耳かと思っていると、声はまた聞こえた。

(どうなってるんだ? 俺は確か……)

 ファリアの中に、まさかという思いが湧いた。声は空耳などではない。どこから聞こえてくるのかわからなかったが、その声は、確かに聞き覚えのある男性の声だった。

 思わず立ち上がったファリアは、部屋の中を見回しながら叫ぶように呼んだ。

「セラ! セラなんでしょう?」

(……ファリア? 何でファリアの声が聞こえるんだ)

「どこなの、セラ!」

「その体の中さ」

 老婆は驚くファリアを見上げながら言った。

「この禁術はねえ、任意に選んだ魂を、生きた人間の体に宿らせるものなんだよ。どうやら上手くいったようだねえ」

 嬉しそうに笑う老婆に対し、ファリアは戸惑いながら声のする自分の頭を探る。

「え……じゃあ、この声は、夫の、セラの魂が……中に……?」

「そういうことさね。また話ができて、よかっただろう?」

 たとえ声だけでも、再びセラと話すことができたのは確かに喜ばしいことだったが、これが犯人への復讐にどう役に立つのか、ファリアにはわからなかった。

「なぜ夫の魂を、私に……?」

「旦那は犯人に殺されたんだろう? それならその犯人の顔を見ているかもしれないからねえ」

 ファリアは目を見開く。対峙していたセラなら、犯人の顔を見た可能性は高い。

(……あいつの顔は、ちゃんと憶えてるよ)

 急な声に、ファリアは驚いて聞き返す。

「セラ、あなた会話が聞こえるの?」

(ああ。目の前の婆さんもしっかり見えてるよ。……だけど、あいつを見つけたとしても、ファリア一人で近付くのは危険すぎる。誰か助けを呼んだほうがいい)

「助けと言われても……他人に手を貸してくれる人なんて……」

「何を話しているのかえ?」

 老婆に聞かれ、ファリアはセラの言葉を伝える。

「――ふむ、それは旦那の言う通りかもしれないねえ。でも、犯人に太刀打ちできる力さえあれば、助けなんていらない。そういうことかえ?」

「そうですけど、私はそんな力も能力も持ち合わせていませんし――」

「旦那はどうだい?」

「セラは、長く剣術を――」

「それなら旦那に任せればいい」

 ファリアは首をかしげる。

「任せるって、魂だけの夫に、どう任せろと……?」

 困惑するファリアに、老婆は一息吐いてから話した。

「この術が、なぜ禁術になったのか。それは宿らせた魂が、宿った体を支配できるからなのさ。これがもし国王にでも使われたら……わかるだろう? だから禁じられたわけさ」

「支配って……それはつまり……?」

「その体を、旦那が好きに動かせるということだ」

 ファリアは思わず自分の体を見下ろす。

「でも、今は私の意思で動かしていますけど」

「私はこの術をかけられたことはないからねえ。細かい説明なんてできないが、どうにかすれば、主導権が旦那と入れ替わるはずだよ。それは自分達で探しなされ」

「入れ替わったとして、その、元に戻らないなんてことには……」

 老婆は怪しく微笑む。

「さてねえ。どうなるかは、あんた達次第さね」

 不安が頭をよぎったが、それでもファリアの思いにためらいはなかった。姿はなくても、セラという心強い存在が寄り添ってくれることに、途方に暮れようとしていたファリアは勇気と手段を与えられたのだ。曇って何も見えなかった道の先が、一気に晴れ渡ったような心持ちになれた。

(大丈夫だよファリア。俺は自分のこの状況を理解してる。ファリアの体は一時借りるだけだ。元に戻さないなんてことはしないから)

 気を遣うセラの声が言った。

「うん……セラの剣、頼りにしてるから」

 声だけのセラなのだが、不思議とその表情がファリアの脳裏に浮かぶ。今はおそらく笑顔を見せているはずだった。だがこれは生前のセラの表情を当てはめているだけなのだ。どうしたってセラの顔をもう一度見ることはできない。触れたくても触れられない歯がゆさに、ファリアの胸は切なく締め付けられた。

「最後に、忠告しておくよ」

 老婆の細い目が、じろりとファリアを見る。

「旦那の魂といられるのは、長く見ても九十日だと憶えておきなされ」

「え……ずっといられるわけではないんですか?」

 楽観的なことを言うファリアに、老婆は呆れた表情を浮かべる。

「何を言っているんだい。この術は自然の理から外れたことをしているんだよ。一つの体に二つの魂が宿るなんて、不自然極まりない状態なんだ。……まあ、そのままでもいいって言うのなら、ずっといることはできるけどねえ。その代わり、体や心がどうなるのか、私は保証できないがねえ」

「それが、最初に言った危険なこと、ですか?」

 老婆は黙ってうなずく。

「九十日……三ヶ月間で犯人を見つけて、この手で……そんな短期間で果たすなんて……」

 三ヶ月はファリアには短く感じられた。セラは犯人の顔を見てはいるが、どこにいるかまではわかっていない。この国は広い。捜し回っているうちに三ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。さらに言えば、犯人は必ずしもこの国内にいるとは限らないのだ。二人が殺されて数日が経っている。すでに遠い国へ逃げていることも考えられた。こうなってはもう三ヶ月どころではなくなってしまう――そんなふうに考えると、ファリアの中には悲観的な焦りがじわじわと湧き始めるのだった。

(俺が付いてる。ファリアは一人じゃないんだ。三ヶ月で十分だろ)

 強気なセラの言葉で、ファリアは気持ちが少し軽くなったように感じ、小さな笑みをこぼした。一人ではないという言葉が、今のファリアには支えになった。

「……私にできることはもうないよ。後はあんた達自身で頑張りなされ」

 老婆は分厚い本を閉じ、片付け始める。

「あの、本当にお代はいいんですか?」

「今さら金を要求するような汚い真似はしないよ。私も禁術を使えた欲を満たせたからねえ。お互い満足したってことさね」

「そうですか……ありがとうございます。必ず犯人を見つけます」

「魂を戻す時は、またここへ来なされ」

「はい。その時はまたお願いします。それでは……」

 ここへ来た時とは違い、意気のある表情で会釈をすると、ファリアは扉を開け、部屋を出ていった。その姿を見送って、老婆は収納箱に本を収める。

「私の腕も、まだまだ鈍っていなかったねえ……」

 禁術をかけた手応えに、老婆は声を抑えて笑う。と、その視線が急に宙へ向けられた。見えない何かを追うように四方を見る。

「これも術の影響かねえ。呼んだ覚えはないんだけどねえ……」

 やがて老婆の視線が定まると、その一点を見つめる。静まり返った部屋には何の音もなかったが、老婆には何か聞こえているらしく、うんうんと相槌を打っている。

「……わかったよ。仕様がないねえ……」

 すると老婆は、しまったばかりの本をまた取り出すと、テーブルの上で開いた。

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