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結晶の結界  作者: 茅原
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エピローグ

「え……? ど、どなた――えっ? ぷっ――あはっ、あはははっ! な、なに? その――うくっ、くっ、くくっ――あははははっ!」


 秋晴れの休日の午後。蓮が病室へ姿を見せるやいなや、琴音は腹を抱えて今まで見たこともないほどに笑い始めた。


 笑われる覚悟はできていた、否、笑われることを期待してさえいた蓮は淡々と、


「笑うってことは、やっぱり目が見えるようになったんだな」


 言いつつ、装着してきていた大きなマスク、サングラスを外して、被っていた野球帽とパーカーの帽子を脱いだ。


琴音は、その目尻で明るく輝く涙を拭いながら頷き、


「ええ、そうよ。それに足も少しなら動くわよ、ほら」


 と、やや苦しげながらも足をわずかに動かして見せた。


「そうか。ああ、よかったな。ところで――医者は? お前を診て、なんて言ってた?」

「ううん、なんにも。だって、目が見えるようになったことも、歩けるようになったことも、まだ教えていないもの。叔父さんはもう知っていたみたいだけど……ね。あ、それより――それよりね……蓮」


 琴音は蓮の名を呼び、その顔をまるで林檎のように紅く染めながら俯かせて、


「その、あ、ありがとう……。そして、その……ご、ご、ごめんなさぃ……」

「は……? ごめん、って、何がだ?」


『ありがとう』と言ってもらえるのは解るとして、謝られる理由などあっただろうか。聞き取れないほど声をか細くさせながら言葉を結んだ琴音に、蓮は怪訝に首を捻る。


「そ、それはその、あの――あの時の、アレが、あの……」


 琴音は伏せた目を泳がせたまま言って、蓮の表情を窺うようにちらりと目を上げる。が、そうして蓮の顔を見ると、急にその顔に明るい笑みを広げて、


「あ――う、ううん。ま、まあ、気にしてないのならいいわ。うん。と、ところであなた、なんなの、それ? ふふっ、それでちゃんと変装できてるつもりだったの?」

「そんなわけがないだろ。まあ、お前にそこまで笑われるとは思ってなかったけどな」

「ごめんなさい。だって、最初に見た瞬間はすごく驚いたんだもの。だから気付いた時にその分おかしくって。うふっ。――あ。でも、あなたを待ってた甲斐があって、それ、スゴくちょうどいいわ。ねぇ、蓮、ちょっとあなた、出て行ってよ」

「は? どうし――」

「でもその前に、その変装グッズを貸して。外に出られる服に着がえて、そのついでに変装もしちゃうから」

「外に出る……? お前、退院するのか?」


 蓮が驚いて訊くと、琴音はその黒髪をさらさらと輝かせながら顔を横に振った。


「それはまだやめておくわ。焦る用があるわけでもないし、退院は少しくらい歩けるようになってからにしようと……思う。……まあ、本当に歩けるくらい足が動いてくれるようになるかは解らないんだけどね……」

「いや、その心配は必要ないと思うが……まあ、たぶん」


 どうやらネガティブな性格までは治らなかったらしく、途端にどんよりと顔を曇らせ始めた琴音の言葉を蓮はやや呆れながら否定し、


「で、話を戻すが、『外に出る』って、お前はこれから一体どこに行こうとしてるんだ?」


 と、尋ねた。目的すらも解らない外出に付き合ってもいいのだろうか。琴音はまだこの病院においては目と足の不自由な、かつ社会参加を拒否した少女である。勝手に病院外に連れ出せば何かしら面倒なことになってもおかしくはない。


 だが琴音は、その蓮の懸念に対して、妙に穏やかな、まるでいま病室を照らしている午後の陽射しのように柔らかな笑みを浮かべて、言った。


「わたし、お父さんとお母さんの、お墓を見に行きたい」

「墓……? ああ、お前、聞いたのか……」

「ええ。叔父さんが話してくれたわ。だけど、この目で確かめたいというか……。もうこの際、一気に心の問題は片付けてしまおうと思って」

「……そうか。でも、その墓がどこにあるのか知ってるのか?」

「え……? お墓がある場所って、町に一カ所なんじゃないの……?」

「ああ、それはそうだが、この町の墓場にあるとも限らないし――そうだ。ちょっと、待ってろ。いろいろ調べてた姉さんに訊けば解るかもしれない」 

「お姉さん……?」 


ああ、と蓮はズボンのポケットから携帯電話を取り出しながら頷き、


「今はたぶんバイト中だが、まあ電話は繋がるだろう」


 そう言って椿に電話をかけた。そうして、その期待どおり詳細の位置まで知り尽くしていた椿にそれを教えてもらうと、


「うむ。ではそうと決まれば、早うここから出て行け。それで、着替えたらすぐに呼ぶから、わらわをだっこして車椅子に乗せるじゃ」


琴音姫はそう言った。




 やや日も傾き始めた病院への帰り道。


 地面が黄色く染まっているようなイチョウの並木通りを、上下赤いジャージに蓮のジャケットを羽織った琴音の乗る車椅子を押して歩きながら蓮は尋ねた。


「あんなこと、する必要あったのか?」

「何が?」

「花を供えたりすることだ。あいつらは……お前にそんなことをしてもらう資格なんてないはずだ」


 蓮が声を冷たく言うと、琴音は蓮を振り返るようにしていた顔をどこか寂しげに微笑ませながら前へと向け直し、


「……さあ、わたしにもよく解らないわ。わたしも、やっぱりまだ今のあの過去をどう捉えたらいいのか迷ってる。でも、いちおうこれで決別はしたつもり。わたしはまだ生きていて、あの人たちはもう死んでいる。そういうどうにもならない別れはもうしたから、後はわたしの中の問題よ。わたしという存在にとってあの人たちは一体なんだったのか――そう考えることは、否応なしにこれからのわたしに付きまとってくることだろうし」


「……そうか」


 蓮は俯きながらそうとだけ答えてしかし、


「ならいっそ、またお前の夢に潜って、一緒にあいつらを殴りにでも行くか? ちょうどいいストレスの発散くらいにはなるだろうし」

「いいわよ、そんなの。まだ今のところ会って話なんかしたくないし、殴るなんてことしたってなんの意味もないでしょ」

「少なくとも、それを見たら俺の怒りはいくらか消えると思うけどな。俺は、あの男がお前を階段から突き落とした光景をまだ忘れていない。というか、一生わすれることもないだろう」

「あなた……」


 と、琴音はハッとしたような顔で蓮を見上げて、


「もしかして……ロリコン?」

「……どうしてそうなるんだ?」

「いや、小っちゃい頃のわたしのことが好きだったのかと思って。まあ確かにすごく美人で、今とは違う可愛さがあったけれど、でも……」

「お前な……気が小さいのか、図々しくて無礼なのか、そろそろはっきりしたらどうだ」

「ん? もちろん図々しくて無礼よ。あなただけに対してはね」

「ああそう」


 図々しい不敵な笑みを口元に浮かべる琴音に呆れて、蓮は溜息混じりに返事する。すると、どこか暗い声で琴音が言った。


「でも……わたしがそういう可愛くない子だったから悪かったのかな……。もっと素直で明るい子だったなら、もしかしたら……」


 秋の寂しげな空気に、琴音の不安げなか細い声が溶けていく。


 それは違う。と思いながらも、その琴音の悄然とした様子にどう声をかければよいのか戸惑い、蓮は沈黙した。だが、その静寂に押し出されるようにやがて言った。


「でも、俺は、お前がお前でいてくれてよかったと思ってる」

「え……?」

「俺は……お前と初めて出会った時、『俺はきっと、この人のために今まで生きてきたんだ』って、たぶん、そう思ったんだ。そんなものは幻想――くだらない夢だと解っていても、俺はお前という存在の中に、俺の未来を見ずにはいられなかった……。だから……そうだな。俺にとってのお前は、希望なんだと思う」

「…………」


 琴音は頬を染め、目を丸くしながらただこちらを見上げる。蓮は続けた。


「だから、俺はお前がお前でいてくれてよかったと思っている。でも、それはあくまでも俺の話だ。お前がこれから自分をどういうふうにしていくか、自分自身をどういうものだと考えていくのか、それは全てお前次第だ。――でも、まあ……俺が、お前のことをこう思ってるってことは、忘れないでほしい……と、思う」

「そ、そう……。それは……よかったわね」


琴音は前を向き俯きながら、小さくそう言った。が、ハッとした顔で再びこちらを向いて、


「あ、い、いい、いえ、違うの! そ、そ、そういう意味じゃなくて――どうでもいいっていう意味じゃなくて……! え、ええと、その――」

「い、いいんだよ、返事なんて、別に……」


 言い淀む琴音の様子に思わず焦らされながら、蓮は顔を逸らした。


 すると、妙に気まずい静寂の幕が下りた。鮮やかな黄色のイチョウの葉を踏みしめる音だけが二人の間を満たす。


 ふと、蓮は半ば苦し紛れながらも、琴音に訊きたいことがあったのを思い出した。


「と、ところで、お前。このままずっと病院にい続けるつもりなのか? もし退院したらどこに住むつもりなんだ?」

「え? さ、さあ……どこかのアパート、とか……?」

「へえ、そうか」

「な、何……? なんで急にそんなこと……」


 琴音は、こちらが何か企んでいることに感付いたように怯えた表情で訊いてくる。


 蓮は片頬を吊り上げ、


「ちなみに――だけどな、いま俺が姉さんと住んでる家には空き部屋が一つあるんだ。あまり日当たりはよくないが、割合ひろくて居心地は悪くない。掃除もされていて綺麗だ」

「へ……? そ、そう……。それで、それがどうしたの……?」

「退院したら俺の家に住めばいいって言っているんだ。で、外に出たついでだから、これから俺の家に寄っていこう。もうそろそろ姉さんも帰ってくるだろうし、もしお前がそれで構わないなら、その挨拶を姉さんに済ませておけばいい」

「あ、挨拶……? 一緒に住む挨拶って……なっ!? そ、そんなの、む、むむ、無理よっ! って、っていうか、あなたと一緒に住むって……!? イ――イヤ! イヤじゃ! イヤなのじゃ! 姫は行きたくないのじゃ! お主はただ病院に姫を送り届ければ――って、お、お願い! 待って! そ、そんな挨拶をしに行ったら、わたし、またあなたのお姉さんに叱られちゃうわよ!」

「また? またってなんだよ?」

「え? あ、そ、それは……。と、とにかく、挨拶なんてわたしには無理よ! わ、わたしがそういうことできない人間だって、あなた知ってるでしょ!」

「その、まずできないって考える自分は間違ってたってもう解っただろ。何事も挑戦さ」


 蓮はそう言って、あたふたする琴音を乗せた車椅子を自宅へと向かって押し進めた。

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