処女の器。
「れ、蓮? 蓮なの? どこへ行っていたの……?」
椿が病室へ入ると、琴音の切迫した声が暗い病室に響いた。ベッドから背を起こしている琴音は、今にもそこから下りようとするように柵を掴みながらその身を乗り出してこちらを向いていた。
が、その顔は微妙に椿を向いていない。つまり、まだ琴音の目は見えるようになっていない。椿はそのことからも嫌な予感を感じ、蓮の姿を捜しながら病室の中へ入った。そして、
「れ、蓮さん!」
ベッドと壁の隙間に横たわっている蓮を見つけ、すぐさま駆け寄った。体を抱き起こし、すぐさまその口もとへ耳を近づけて呼吸の有無を確認する。すると、呼吸は確かにあった。
一定のペースの緩やかな寝息が、蓮の口からはもれている。とりあえず椿はそれに安堵したが、やはり蓮の意識が戻ってきていないことに思わず混乱しながら、
「蓮さん……! ああ、蓮さん……!」
と蓮の頬を撫でるように軽く叩いた。しかし、
「あ、あ、あの……蓮の、おね、お姉さん、ですか……?」
琴音がそう尋ねてきて、椿はいま自分が混乱してどうするとすぐに気づいた。
「ええ。あなたと現実で会うのは少し久し振りですね。けれど、今は悠長に挨拶を交わしている暇などありません。蓮さんが、目を覚ましていません。どうやら、あなたたちは間に合わなかったようです」
「……? ど、そ、その……な、何が、ですか……?」
琴音は、やはり見えてはいないらしいその目を慌ただしく泳がせながら尋ねてきた。
「見たところ、あなたはまだ何も問題を解決できていませんね。なので、あなた方が夢の中へ潜っている間、こちらの世界で何が起きていたのか。その全てはまだあなたには伝えられません。あなたの中の真実の形をいたずらに変化させるべき時ではないでしょう」
椿は言って、腕の中の蓮へと視線を向けた。
「ですがともかく、蓮さんが目を覚まさない原因は『箱』が壊れたせいです。普通、夢の主が目覚めれば、蓮さんは『箱』を出口として強制的に夢から追い出されます。しかし、こうして蓮さんは目覚めていない。これはあなたが目を覚ますよりも前に『箱』が壊れたためです」
「そんな……。ど、どうして、『箱』が……?」
「ですから、それはまだ教えられないと言っているでしょう。今はそれよりも、とにかく蓮さんを救わねばなりません。あまりに長時間、他者の中にいると、自我がその他者の中へ溶け消えてしまうとのことですので、時間がありません。一刻も早く、あなたが救ってください」
「え……? そ、そんな、わたしが、そんなこと……」
「できない、と言うのですか? 蓮さんを見殺しにすると」
「ち、ちが――そ、そうじゃなくて、その……あの……ま、まず、は、『箱』が壊されているなら、やっぱり蓮が――蓮くんが、こ、こっちへ戻ってくることは――」
「その心配はいりません。確かにこの『箱』はもう完全に壊されていますが、別の手段――処女の箱というものがあります」
「しょ、しょじょ……の箱……? しょ、しょじょ――って、な、なんですか……?」
「一人の男にも犯されていない女、を意味する言葉です」
「……? あ――」
と、本当にいま言葉の意味を知ったらしく顔を俯ける琴音の無知さに呆れつつも仕方がないかと椿は思いながら、
「処女の器――とは、つまりそれも『箱』です。呼倉の血筋である処女の肉体は、その『箱』となりうるのです。その処女の口に呼倉の血を満たして作る処女の器――無論、私は処女ですので、それになることができます。ですので、あなたはもう一度ねむり夢を見、いちおう蓮さんと再会してからまた目を覚ましなさい。そうすれば蓮さんは問題なくこちらへ戻ってこられるはずです」
「そんな……そんなこと、お、お姉さんも危ない……」
「私の心配は不要です。とりあえず蓮さんの無事を確認するまでは首がちぎれても生きているでしょうから、安心なさい」
「で、でも……!」
おそらく自分から能動的に何かをしたことがないのだろう。ほぼ反射的な様子でそう言う琴音に椿はそう感じた。蓮の体をそっと壁へもたせかけてから、琴音の肩へ柔らかく手を置いた。
「しっかりなさい、琴音。あなたがそのようなことを言っていてどうするのです。いま蓮さんを救うことができるのは、あなたただ一人なのです。蓮さんを愛しているとあなたは言ったのですから、将来、呼倉の女となる身としてその役割を果たしなさい」
「よび、呼倉の女……? そ、そんな、わたし……」
「心変わりしたのですか? もう蓮さんは愛していないと」
「そ、そうじゃありません! ――あ……。そ、その、そうじゃなくて、その……わたしは、やっぱりダメ、みたいですから……。目も、足も、やっぱりダメで……その……こ、こんな、ベッドに寝てるしか脳のない人間は、れ、蓮くんに、ふさわしく……」
「そうですか。それは残念です」
椿は淡々とそう返す。
「ですが、今後あなたがどういう身の振り方をするにしても、とりあえず今は蓮さんを助けなさい。あなたがグズグズしていると、このままでは蓮さんが本当に亡くなられてしまうのです。つまり、あなたに蓮さんを殺されてしまうのです。私はそれを許すわけにはいきません」
「え……? そ、それは、その……わたしも蓮くんは助けたいです……。で、でも、わたしにそんなことができるとは、その……そ、それに、な、なんていうか、その……い、今、頭の中が、その……グ、グチャグチャで、わたし、眠れないと……」
「その心配も不要です。私が無理やり眠らせます。あなたもやはり蓮さんを助け出したいようですし、緊急事態ですので、まあ仕方がないでしょう」
「え……?」
椿が荒事をしようとしていることを察知したのか。立ち上がった椿を琴音はどこか怯えたような表情で見上げる。が、椿は、
「苦しいのは一瞬だけです。では、蓮さんを連れてなるべく早く帰ってきなさい」
そう言って頸動脈を締め、琴音を気絶させた。




