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結晶の結界  作者: 茅原
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夢の中の、その中へ。再び。part4

 病院の玄関をくぐると、周囲の景色が昼から夜へと切り替わった。


来診受付などのある事務室の奥の明かりと非常口の緑の電灯表示に仄かに照らされる無人のロビーを駆け抜け、琴音の病室のある七階を目指すためにエレベーターのボタンを押したが、反応がなく、諦めて階段へと向かった。


 白い蛍光灯の点る階段に足音を響かせて、蓮は七階を目指して駆け上がる。駆け上がっていると、唐突に明かりが消えた。そして壁に、白く光る点が上から下へ流れ始めた。


 これは――点字だ。階段を上りながら、蓮はそう気がつく。そして、一度も勉強などしたこともないはずのそれを読む。いや、頭に響き始めた琴音の声が蓮に読んで聞かせた。


『本当は関わりたくなかった。このままでよかった。外は怖い。出たくない。人は怖い。誰とも関わりたくない。でも気づくと蓮の――彼の手を掴んでいた。あの人はわたしを愛してくれている。わたしは彼に愛される資格のある女になりたい。彼は、わたしの夢を綺麗だと言ってくれた。でも、その『綺麗』は真実のものではない。わたしはただ無知なだけ、ただ何も知らないだけなのだ。人と関わることで生まれる『本当の感情』というものをわたしは知らない。けれど、わたしは彼と出会ったことでそれを得た。つまり、汚れてしまった。だから、いま彼にわたしの夢の中へ入られることは正直、怖い。わたしの本当を――わたしの汚い部分を、彼に見られてしまうかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。もう愛されなくなってしまうかもしれない。嫌だ。嫌だ。わたしは愛されたい。そして愛したい。ああ、駄目だ。この心には欲しかない。汚れてしまった。わたしは汚れてしまった。戻れない。わたしはもう戻れない』


「っ……!」


 頭に響くその悲嘆の声を聞きながら、しかし蓮は足を止めることなく突き進む。そして頭の中のその声が消えたと思うと、今度は琴音の歌が頭に響き始めた。


命短し恋せよ乙女――と、琴音は静かな声でゆったりと歌う。その歌のさなかに蓮は七階へと着き、廊下へ出て琴音の病室を目指す。


そうして、709号室があるはずの場所へと着いてみると、そこには病室の扉ではなく、


『姫』


 と書かれた表札がかけられている襖があった。今度は何が飛び出してくるかと慎重にそれを開けてみると、そこには何もない。まるで部屋が潰されたかのように頑強な岩の壁が入り口を塞いでいた。


どこからどう見てもただの岩壁――だが、おそらくこの先に琴音はいる。蓮はそう確信し、どうしようかと思案しつつ試しにそれを蹴ってみた。


すると、意外にも脆かった。岩はまるで重い鉄球をぶつけられたような勢いでひび割れ凹んだ。拍子抜けしたような気分でもう一発、靴の裏を叩き込んでみると、早くもその足が壁を貫通して空間に出た感触を感じた。


足を壁から抜き、それに空いた穴からその先を覗き込んでみると、畳敷きの広い和室が見える。どうやら、この先にあるのは琴音の病室ではないらしい。


しかも、部屋からはなんの声や音も聞こえず、人の気配がない。琴音がこの先にいるという期待はあまり持てなそうだ。が、


 ――まあいい。


この道が琴音へと通じていることにおそらく間違いない。蓮は続けて壁に三発、四発と足の裏を打ち込んで、ようやく人ひとりが通れるほど穴を開けると、それへ顔を入れて、部屋の中を覗き込んだ。そして、驚いた。


「……何してるんだ、お前?」

「……え」


 琴音は、脅えたような色を浮かべていた顔から力を抜いて、呆けたように口を開ける。


 赤黒い水溜りの中に座りながら、丸くした目でこちらを見上げる琴音。その膝の前、水溜りの中心には、『自分』――つまりもう一人の蓮がいる。そしてその『自分』は、一見して解るほど明らかに死んでいた。ベッドの頭上に開いた部屋入り口から、蓮は再び尋ねる。


「なんだ、それは」

「え……?」

「お前は……俺を殺したかったのか?」

「え? ち――違っ、そんなんじゃ……! って、え? ど、どうしてあなた生きてるのよ!?っていうか、どうしてあなたが二人もいるの!?」


 ベッドの上に降りた蓮と、床に仰向けに倒れている蓮を忙しく交互に見ながら、困惑を通り越して狼狽の体で琴音は尋ねてくる。


「まあ、お前が俺を夢に見てるっていう、ただそれだけのことだろう」


 ブーツで乗っていたベッドから床へ降りて、蓮は琴音に手を差し出す。


琴音はまだ呆然とした様子でその手のほうへと手を動かしたが、ハッとした様子でその手を戻して、手の平から伝って腕までついていた血を袴の腿あたりで擦り拭い取ると、再び蓮の手へと手を伸ばした。だが、再びその手を止めて、その顔にどこか怪しむような影を作ると、


「……あなた……本当に、本物の蓮よね?」

「ああ、たぶんな」

「証拠は?」


「今お前が、そこの偽物の『俺』から流れ出した血を自分の意思で消したことだ。気づいてるか、お前? 今お前は、着物で擦っただけでその手から完全に血を消した。それに、つい今まで着物に染み込んでいた血ももう消えている。それが、その『俺』が偽物である証拠だ。それがもし本当の俺なら、その『俺の血』というお前の夢とは異質の存在をお前は消すことができないはずだからな」


「なるほど……。そう、よね……」


 納得はしたらしいが気分は晴れないらしい顔で、琴音は蓮の手を掴んで立ち上がった。そして、どうやら蓮が死んだことにそうとう驚いたらしく、まだどこか気の抜けたような顔でじっと蓮を見上げながら、


「あー、びっくり。びっくりした」

「そうか。悪かったな」

「うん、びっくり。びっくりした。びっくりした。あー、びっくりした……」


 大きく目を見開かせながら、自分の言葉にこくこくと頷いて俯いて言った。


「おい、お前、本当にちゃんとこれが夢だって認識できてるか? ここは夢の中。お前の夢だからな?」

「ええ……」


琴音は足下へと視線を落としながら小さく頷いて、そしてそれからしっかりとした真っ直ぐな目で蓮を見上げ、


「ええ、解ってるわ。大丈夫よ」


 その目にも、その言葉にも曇りはない。ならば心配はない、と蓮は安堵して、


「そうか。じゃあ行くぞ」


 部屋の出口へと足を向けた。しかし、すぐに琴音が、


「待って。行くって、どこに? 出口はさっきあなたが入ってきた場所しかないわよ。この部屋、どこにも扉がないの」

「……? なに言ってるんだ。あるだろ、あそこに」


 蓮は、広い和室の部屋の隅、ここからは対称の位置の現実と変わりない場所に設けられている襖を指差した。琴音は目を丸くしながらその襖を見て、


「あら本当」

「……お前、本当に大丈夫か?」

「だから大丈夫って言ってるでしょ。さっきまではどこにも出口がなかったのよ、本当よ」

「そう……だったのか」


 どうやら琴音は本当のことを言っているらしい。蓮はそう感じて頷き、


「だが、今はちゃんとある。行くぞ。もうそろそろ目的の記憶に辿り着くことができてもいいはずだ」


 そう言って、襖へと足を向け直した。しかし、服の背中を軽く引っ張られる感触がして、再び足を止めた。


「ちょっと、待って……?」


 今度は何だと肩越しに振り返って見下ろしてみると、琴音はなぜか悲しげに俯いていた。


「どうした?」


 蓮が訝りながら問うと、琴音は蓮の服の裾をその細い指で摘まんで俯いたまま、囁くように言った。


「このさき何か危ないことがあったら、絶対に、逃げてね……?」

「……? 何言ってるんだ。俺は何があっても逃げるなんてゴメン――」

「いいから逃げるの」


 睨むような目を上げ、琴音は少し強い口調で蓮の言葉を遮った。


「わたし、イヤよ? あなたが、今わたしの後ろにいる、あんな……あんなあなたになっちゃうのなんて……。あなた、言ってたじゃない。『夢がなんなのかは自分にも解らない』って。もし――もしものことがあったら、どうするの……? わたしは……わたしは別に、ただ自分の足で歩けるようになりたいから、自分の目でものを見ることができるようになりたいから、こうしてここに来ているわけじゃないのよ……?」


 言って、琴音は蓮の服を摘んでいた手に力を込めた。


「…………」


 まるで心の底から訴えるように深刻に言葉を紡いだ琴音に、蓮は返す言葉を見つけられない。先ほど心の声を聞いてしまっていただけに、この言葉が本音であることに疑いはなく、そしてそれを面と向かって伝えられたことの重みは思わず戸惑わずにはいられないほどだった。


 蓮は戸惑った。心配させたことを謝ればいいのか、心配してくれることに感謝すればいいのか、それともまた何か別の返事をすればいいのか、どれが正解なのか解らない。解らないが、しかし、そもそも、


「心配するな」

「え……?」

「琴音。もしまた俺が死ぬようなことがあったら――その時はこれは嘘だと、自分はいま夢に呑まれているんだと思え。なぜなら、俺が殺されるなんていうことは絶対にありえないからな」


蓮が言うと、琴音はその顔に疑いの色を浮かべて、


「相変わらずスゴい自信だけど……本当? 絶対に?」

「ああ、絶対だ。この世界では俺が一番強い。やはりそれは確実だ。だから、その俺が死ぬなんていうことは起こりえない。もし起これば、それは嘘だ、偽りの映像だ」


 蓮は言って、顔を前へ向けた。すると、琴音は数瞬の間を置いてから蓮の服を摘まむ手を下ろして、くすりと笑った。


「あなた、相変わらず自信過剰なのね」

「過剰じゃない。適切だ。前もそう言っただろ」


 蓮は琴音のほうを振り返って言う。


 そう、と琴音は諦めたような顔で笑い、


「けれど、『俺が負けるはずがない』なんて、なんだか私利私欲のために世界を滅ぼす巨悪みたいなこと言ってるわよ、あなた」


「巨悪……? フン。まあ、あながち間違ってもいないだろう」


 蓮は苦笑して、行くぞ、と、止めていた足を琴音とともに前へ踏み出した。

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