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結晶の結界  作者: 茅原
35/47

夢の中の、その中へ。再び。part3

  ○  ○  ○


 ベッドの上に座っていた。


 夢から覚めたような気分で瞬きをしてから、琴音は部屋を見回す。


 広々とした和室である。整理は綺麗に行き届いていて、またほとんど物もないためどこか殺風景でもあったが、居心地は悪くない。部屋の外と繋がる襖もないから安心だ。


 ベッドの足元のほうに大きなテレビがある。映画だろうか、テレビには一人の中年男性がブランコに乗りながら歌っている白黒の映像が映っていた。


 ふと気付くと、殺風景かと思われていた部屋の壁備え付けの棚には、たくさんの写真が写真立てに入れられて飾られていた。よく見てみると、それに映っているのは全て自分だった。


カウボーイのような格好をして馬に乗っているものや、エプロンをつけて楽しげにフライパンを握っているもの、またビキニ姿でビーチを歩いているものもあり、そのどれもが何やら楽しげにカメラに向かって明るく笑いかけている。


 いつ撮ったのか記憶にないそれらの写真をもっとよく見ようとベッドから畳に足を下ろして、琴音は自分が入院服を着ていることに気が付いた。


「ああ……」


 思わず小さく驚きの声をもらし、なぜこんなことも解らなかったのかということを思い出す。


 ――そうか。ここ、わたしの病室だ……。


 確認するため、もう一度、広い部屋を見回す。見回してみると、ちょうどベッドの反対側に外へと出られる縁側があった。


ベッドの上を移動してそのほうへ行ってみると、確かに外へは出られそうだったが、出て落ちれば命が助かりそうもないほどに地面は遥か下である。あまりの高さに目が回りそうになり、琴音は慌てて頭を引っ込めた。そして、


「…………」


 ベッドの上に座り込んで、ひとり呆然とする。


 何かが変だ。何かが変な気がする。だが、何が変なのか解らない。つい先程まで、自分は必死に何かをしていたような気がしないでもない。今の今まで、誰かと一緒にいたような気もしないでもない。


「何、してたんだっけ……?」


 首を捻りながら呟き、記憶のとっかかりを探すように再び部屋の景色へ視線を向ける。すると、ベッドの頭上の壁に一枚の絵が掛けられていることに気がついた。


黒い和服を身にまとった、どうやら侍らしい一人の少年が、真っ赤な鬼へと向かってその剣を振るっていた。しかし、描かれているその物々しさとは対照的にその絵柄は絵本そのもので、眺めているとむしろ温かな気分になる。


「…………」


 知っている。自分は、この少年が誰だか知っている。


 だが、どうしても思い出せない。この少年が誰であるのかをよく知っているのだが、なぜかまるで何もかも思い出せない。しかし、思い出せない――ということは、自分にとってはどうでもいい記憶だったということだろうか。うん、そうだ。きっとそうに違いない。


 そう気分を変えて懸命に頭を働かせるのをやめると、琴音はなんとなく疲れた体を休ませるため、小さく息をつきながらベッドへ横になった。


 そうして、この部屋の居心地のよさに浸っていると、不意に大きな音を立てて下からベッドを叩かれた。


 琴音は驚いて体を起こし、何事かとベッドから顔を出して床を見ると、ベッドの下から何かが苦しげに動いているような音が聞こえてきた。そして、唐突に一本の手が伸び出てきた。


 琴音が思わず息を呑むと、もう一本の手もベッドの下から出てくる。続いて、ほふく前進をするようにして男の頭と体が這い出てきた。


 その、全身を黒服で包んだ男は、体や服に付いたホコリを払ってから、疲労を吐き出すように深い息をつきながら琴音を見下ろし、


「捜したぞ、琴音」


 そう言って、その顔に苦笑を浮かべた。


「……あー」


 ゆっくりと水面へ浮かび上がっていくように記憶を取り戻して、琴音は目を丸くしながら暢気な声を出した。


「そう、そうだった。あなただったわね、蓮。すっかり忘れていたわ」

「……なんで俺を忘れるんだ」

「ふふっ、ごめんなさい。そうね。そうだったわ。わたし、いま自分の夢の中にいるんだったわね。危うくまた自分で自分の夢に呑まれるところだったわ」


 琴音はそう言ってベッドから降り、着ていた入院服を夢の中のユニフォームである赤い振袖へと変化させた。以前、蓮の作ってくれた物よりも明らかにデザインは劣るが、この物自体を作ることにはいくらか慣れてきている。さほど難しいことでもない。


「じゃあ、行くか――と、言いたいが」


 と、蓮は、ここでは和風になっている琴音の病室を見回した。


「どこにも……出口がないな。そっちの窓からも出られることは出られそうだが、おそらくそっちは正しいルートじゃないだろう」

「そうね。じゃあ、また出口を作る?」

「いや、その前にちょっと部屋を探ってみよう。どこかに隠された出口があるかもしれない」


 と言って、ベッド脇にある小棚の引き出しを開けた。刹那、


「ッ!?」


 蓮の胸を、刀が貫いた。


 その引き出しから突き出てきた一本の刀を握る真っ白な手は、蓮を突き刺すと、数瞬の沈黙ののち素早く引き出しの中へと戻り、そのさい蓮は再び声にならない叫び声を上げた。体から刀が引き抜かれた直後、天井へも届くほど蓮の体から血が吹き出した。


 明らかに気を失った様子で蓮は床へ倒れた。それからしばらくして、


「……?」


 え――


と、琴音は声の出ない口を開いた。

 

畳へ倒れ、その体から黒みがかった赤を畳に広げていく蓮の傍まで放心しながら歩き、呆然と佇んで見下ろす。

 

やがて、赤い液体が琴音の足まで届いた。白い足袋を赤く滲ませていく赤い水面に立ちながら、微動だにしない蓮を見つめる。目の前の光景を見ることだけに手一杯で、完全に思考は停止している。


 水面に膝をついて、そっと蓮の肩に手を触れてみると、なんの抵抗もなしにその体は仰向けに倒れた。瞼は静かに閉じられ、開く気配はない。倒れた勢いで横を向いた顔は、赤いものが畳へ広がっていくごとに青白くなっていくように見える。


「……うそ……」


 吐息のようなかすれた言葉を搾り出して、琴音は体を支える糸が切られたようにその場に腰をついた。着物の赤を下からゆっくりと重い赤へ染め上げていく水たまりの中に呆然と座り込んで、琴音は床へついていた手の平を目の前まで掲げてみる。


「…………」


 生温かい、艶々とした赤い液体が手の平から手首のほうへと伝って落ちる。


 ただ何も考えられないままに、赤い液体が肘のほうへと伝っていくのをまるで観察するようにしばし眺めてから、琴音はふと蓮の体へと目を移した。


 蓮は動かない。まるで死んでしまったかのように体をだらりと弛緩させて床に寝転んでいる。


 なぜ、こんな所で蓮は眠ってしまっているのだろう。早く前に進まなきゃいけないのに、どうして眠ってしまうのだろう。そう。蓮はただ眠っているのだ。眠っているだけなのだ。なら、早く起こさないと――。琴音は、蓮の体をそっと揺すった。


「蓮、起きて……。ねえ、起きてよ……。起きて、ねえ……」


 二度、三度と体を揺する。しかし、蓮は全く瞼を開かない。


 揺する力が弱いのだろうか。琴音は少し力を強めて蓮を揺すった。


「どうしたの、蓮……。どうして眠るの……?」


 不意に視界がぼやけた。しかし、琴音は自分が泣いていることには気付かない。ただ、蓮の体を揺すり続ける。


揺すり続ける。


  ○  ○  ○

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