姉の夢の中。part4
ただひたすら真っ直ぐ上へ向かう細いコンクリート階段をしばらく上ると、やがて一枚のよく見た襖へ行き当たった。それを開けると、そこにはやはり見慣れた光景が広がっていた。
蓮は、当然毎日見ている自宅の居間へと足を踏み出す。と、
「やはりお出でになりましたね、蓮さん。お待ちしておりました」
居間中央に置かれている座卓の前に正座していた椿が、こちらを見上げながらそう言った。
「待っていた……?」
「はい。私と夢の中で話がしたかったのでしょう? ですから今朝、わざとあのような過激な告白をなされたのでは」
「過激な、告白……?」
「い、いや……」
読まれている。現実と変わらずいつもどおりの冷淡な瞳で見つめてくる椿に虚を衝かれた蓮は、訝しげに首を捻る琴音に見つめられてさらに狼狽する。狼狽していると、
「まあ、まずはともかくどうぞお座りください。黒瀬琴音も、構いません、好きなところにおかけなさい」
「は、はい……」
と、やけに縮こまっている琴音とともに蓮は、座卓の上に用意されていた湯気立つお茶の前に座り、そして尋ねた。
「姉さん、ひょっとして、これがちゃんと夢だって自覚してるのか?」
「ええ、自覚しております」
椿は即答する。蓮は少なからず驚かされながら、
「どうしてそんなことができる」
「蓮さんは『箱』で人の夢へ入ることができますから、いつ私の夢の中へ入ってこられようと失礼のないよう、ずっと以前より夢の中では正気を保つよう気を付けておりました。が、しかし、やはり難しいものですね。やや上手く行かなかったようでお見苦しいところをお見せしてしまったようです。申し訳ありませんでした」
「い、いや……」
「それで、私からどのような話をお聞きになられたいのでしょう。まあ、おおかた予想はつきますが」
椿に尋ねられ、蓮はそうだったと居住まいを正した。この夢へ来た理由は、論理的思考の怪しくなっている椿から簡単にその真意を聞かせてもらうことだった。
だが、どうやらこれは失敗だった。しかし、このまま帰るわけにはいかない。正面からでもぶつかってみるしかない。蓮は尋ねた。
「じゃあ、訊かせてもらう。姉さんが、俺がこの件を解決しようとすることに強硬に反対する理由はなんだ。どうして琴音を脅迫なんてしてまで、俺の邪魔をしようとする」
「それは――……そう、ですね。蓮さんがわざわざ私の中へ入ってくるほど訊きたかったことなのですから、はぐらかすわけにも参りません。では、あくまで私のカンとして申し上げさせていただきますが、この件、裏に術士が絡んでいる可能性があります」
「術師……? 催眠術師か」
蓮が驚きながら尋ねると、椿は小さく頷いた。
「はい。術師――すなわち蓮さんとは対極をなす存在、夢を現実へと持ち込むことのできる輩でございます」
「夢を、現実へと……?」
琴音が呆然とした様子で呟く。が、椿はそちらへは一瞥もくれないまま、
「ですので、蓮さん。おそらくこの件、様々な要因から一筋縄に行かないものと私は判断します。実際、まだ何もかもあやふやで断言できるようなことなど何一つありませんが、その恐れが非情は非常に高いと言って過言ではないでしょう。よって、私は蓮さんがこの件に関わることにはやはり反対させていただきます。あなたはもう、黒瀬琴音とは縁を切るべきです」
「…………」
琴音は硬い表情で黙り込む。蓮はその琴音の表情を見て思わず姉に怒りを覚えながら、
「つまり、俺にはその術師の術に打ち勝てる力がない――姉さんが反対する理由はこれか」
「はい、そのとおりです」
椿は言葉を濁すこともなく言う。蓮の頭にさらに血が上る。
「……どうしてだ」
「ですから、この件はかなり複雑な――」
「そうじゃない。どうして姉さんは俺の邪魔をするんだって訊いてるんだ」
「邪魔……? 邪魔とは、どういうことでしょう」
「どうもこうもない。何をするにしてもだ。何をするにしても、姉さんはいつも俺の邪魔をする。俺のやろうと思った大抵のことには何かしら理由をこじつけて反対するだろう。どうしてなんだ。そんなに俺が信用できないのか? それとも、俺のことが嫌いで嫌がらせがしたくて仕方がないのか? どっちなんだ」
蓮はまくし立てるように尋ねた。それを、いつもどおりの冷めた表情で黙って聞いていた椿は、その無表情でじっと蓮の顔を見つめ、やや間を空けてから言った。
「私があなたを嫌っている? なぜそう思われるのですか」
「いちいち俺のやることなすことに反対をするからって言ってるだろ。報告書なんてただ面倒くさいだけのものを書かせるのも、一人暮らしをしようとしたらなぜかついてきて俺を縛るのも、実は俺への嫌がらせなんじゃないのか。『箱』の受け継ぎに選ばれたのが俺だったことに嫉妬して、徹底的に監視することで俺が『箱』を使うのを邪魔して、あわよくば自分の思いどおりに俺を動かしたいと思ってるんじゃないのか。それともひょっとして姉さんはこの琴音の件にどういう形でか関わってて、これ以上、俺にそれを暴かれるのを恐れてるんじゃないのか」
「れ、蓮、それは――」
「それは全くの誤解でございます。蓮さん」
蓮を止めるように口を開いた琴音の言葉を、椿はどこか表情を暗くしながら断ち切った。
「私は悲しゅうございます。蓮さんの目には、私はずっとそのように映っていたのですね。私はただ、あなたのことが心配なだけでございます。どうしても心配で心配で仕方がないのです」
「はぁ……? し、心配心配って、姉さんはうるさいんだよ、昔から。なんでもかんでも俺を制約しようとしないでくれ。俺は姉さんの操り人形じゃないんだぞ」
「…………」
蓮の言葉に、椿は神妙な表情のまま黙り込んだ。
が、やがて、その瞳にじわりと涙がにじみ、一筋の涙となってこぼれた。
蓮がその信じられない光景に呆然としていると、椿はやや震えた声で叱るように言った。
「弟を愛しく思うことの何がいけないことだと言うのですか。私は本当に、あなたが愛おしくて愛おしくて堪らないのです。束縛をせずにはいられないほど、あなたが愛おしいのです」
「は……? い、愛おしいって……」
涙ながらに語られる椿の言葉に、蓮は恥ずかしいような気分でたじろぐ。すると、琴音が、
「れ、蓮……。やっぱり、お姉さんはあなたのことが……その……」
「……?」
察しろと言うように途中で言葉を途切らせた琴音に、蓮は首を傾げる。椿が小さく頷いた。
「はい、そうです。わたしは頭のおかしな女なのです。弟を弟としてだけではなく、一人の男としても愛おしくて仕方のない女なのです」
「え……」
蓮は絶句する。椿は続ける。
「なぜあなたのことがこれほどに好きなのか、私にも解りません。ですが、気がついたときにはあなたのことしか見えなくなっていたのです。あなたが私と血の繋がった弟であることは重々承知しております。しかし、どう自分を言い聞かせてもあなたが一人の男性として愛おしくてしようがないのです。ここまで明かしてしまったのでもう正直に言わせていただきますが、私が、あなたが黒瀬琴音と関わることに反対した一つの原因はこれです。黒瀬琴音とあなたが頻繁に会い、心を通じ合わせているらしいことが、私にはどうしても我慢ならなかったのです。つまり、私は嫉妬したのです」
ここが夢の中であるため、精神のコントロールに失敗しているのだろうか。涙を流しながら堰を切ったように椿はそう語った。そして、やはりいくらかはそうだったのか、やがてその涙を指で拭うと、椿は相変わらずの仏頂面へと戻り、
「失礼しました。しかし、この際なのではっきりとさせておこうかと思います。――黒瀬琴音」
「は、はいっ」
唐突に鋭い視線に射すくめられて、琴音は身を固くする。椿はその琴音を睨むように見据え、
「まずはあなたに、一つ訊かせてもらいます。その答えの次第で、今後の私の行動が大きく変わってきますから、真剣に、よく考えてから答えなさい」
「は、は、はい」
琴音は椿の威圧感にただ慌てるふうで頷く。と、椿は尋ねた。
「では訊かせてもらいますが。黒瀬琴音、あなたは無論、蓮さんのことを心の底から愛しているのですね?」




