姉の夢の中。part2
「ここは……お店……? スーパー?」
どう見てもそれ以外ではない周囲の景色を、琴音は珍しげに眺める。
蓮はエスカレーターを下りた先で足を止め、棚で視界を遮られた広い空間を見回しながら、
「ああ、そうだ。っていうか、さっきから何か見たことがあると思ってたら、ここ、姉さんがバイトしてるスーパーだ」
「アルバイト……? あら? あなた、お姉さんは東京大学を出たって言っていなかった? よく解らないけれど、日本一の大学を出たような人もアルバイトをするものなの?」
「さあな。なぜかは知らないが、当然のように卒業したらスーパーでアルバイトをし始めてた。姉さんの考えてることは昔からよく解らない」
言いながら蓮は踏み出し、無人のレジの前を通って店の奥へと向かう。足を踏み入れると途端に遙か上方まで伸びた商品棚の合間を歩きつつ椿の姿を捜す。
捜していると、いつの間にか場面は古めかしい図書館のような場所へ変わっていた。
先程まで様々な商品の並べられていた金属棚は古びた木の本棚へと変わり、うずたかいそれには、金文字でちらほらと『呼倉蓮』という文字が背表紙に書かれた膨大な数の書籍が並んでいる。
琴音がその文字に気がついたらしく、ふと足を止めた。
「これ……全部あなたの本?」
あまりこの本に触れたくはない。が、琴音が立ち止まったのだから置いていくわけにはいかない。蓮は琴音を振り返り、しかし思わず目を伏せながら言う。
「ああ……そうみたいだな」
琴音はなんとはなしの様子でその本へ手を伸ばす。が、
「あ――わたしが触ったら『消えちゃう』のかな?」
「いや、おそらくそれはないだろう。今のお前が消せるのは、まだ存在する力の弱い物だけのはずだ」
「ああ、そういえばそうだったわね。まあそれはそれとして、ねえ、蓮。ちょっと、これ見てみない?」
「べ、別に、見なくてもいいだろ……」
「どうして? 見ましょうよ。なんだか面白そうだし、それに、ここにこーんなにあるっていうことは、これってきっとお姉さんにとって重要なものなんでしょう? もしかしたら、何か重要なことが解るかもしれないわよ」
「それは……まあ、そうだな」
確かにこれには何か姉の心理を理解する大切なものがあるかもしれない。琴音を救うためだ、仕方ない。と蓮は本棚から一冊の真新しいハードカバーの本を抜き取り、それをめくった。
「……何、これ……? 『行動報告書』……?」
やはり常に目は見えていたのか、それとも椿の夢――つまり思考を脳へ直接、流し込んでいるのか、中に書かれてあった文字を見て、琴音は訝しげに呟いた。
蓮は琴音がおそらく知らないはずの文字を読み取ったことに小さく驚いてから、しかしそれよりも気になるアルバムの中身へ目を戻し、
「ああ、これか……」
その内容が恐れていたようなものではなかったことに安堵して肩の力を抜く。だが、まだどこか緊張しながらページをゆっくりと進める。
「すごい。何これ……。生まれた時からのあなたの行動とか様子が全部……」
「……ああ」
自分が姉に『行動報告書』を書かされ始めたのはつい数ヶ月前のことだ。それ以前のものは椿が自ら記していたのだろうか。蓮は訝りながら、自らの行動報告書を読み進める。
すると、確かにそれには一分一秒単位で、蓮の生まれたときからの行動が微に入って記録されている。起床した時間から就寝した時間はもちろん、幼い自分が夜泣きをして目を覚ました時刻や、発熱をした際の三十分ごとの体温変化。発言内容とそれを発言した場所と時刻。そして小学生時代から現在までのテストの点数記録から現在のそれまで、執念的とも思える精緻さでの記録がなされていた。
だが、それはあくまで純粋な記録だった。そこに椿の悪意などがなかったことに蓮がまたも密かに安堵していると、
「ふふっ。『私がキッチンへ向かうと、お姉ちゃん、と言って後をついてこようとして転倒。床に鼻を打ち鼻から出血。』だって、可愛い」
「も、もういいだろ。これをぜんぶ見てもキリがない。行くぞ」
蓮はそう言って本を棚へ戻し、足を先へ進める。琴音は小走りに後ろについてきて、
「でも――これはなんなの? どうしてあなたの記録が……?」
「さあな」
この自分への観察が、どのような感情に基づいてされたものなのかなど自分には知る由もなく、またあまり知りたくもない。蓮は顔を前へ向けたまま答える。そして数秒ほど進むと、
「あ、ドアがあるわ」
本棚で作られた一本道の行き止まりに、一つのドアがあった。かなり見慣れた襖戸だった。
「この先にいるの……?」
どこか不安げに訊いてくる琴音に、蓮は、
「解らない。だが、入るしかない」
いつの間にか帰り道が本棚で閉じられている背後をちらりと振り返りつつ言って、その襖を慎重に開けた。
瞬間、足を踏み出さずとも周囲の景色が変わった。
「え……?」
と怯えた様子の琴音の手を掴みつつ、蓮はすぐさま周りを確認する。だが、待ち受けていたかのように何かが襲い掛かってくるような気配はなかった。
狭い正方形の部屋にいるのは自分と琴音だけで、またこちらへ向かって刃が降ってくるというような危険も見られなかった。とりあえず、ここで命の危険に晒される恐れはなさそうだ。
そうと解れば、と蓮は琴音の手を離し、もう一度、今度は落ち着いて周囲に目をやった。
「ここ、何かしら……? お姉さんの、お部屋……?」
琴音はそう言って、ピンク色のぼんやりとした明かりに照らされる部屋を見回した。
「いや……違う、と思う」
廊下から垣間見たことしかないが、姉の部屋の電灯がこのような色をしていた記憶はなく、そしてこのような大小さまざまな写真が、まるで巨大なちぎり絵のように壁一面を無数に埋め尽くしていたのも見た憶えがない。
「これ、あなたの写真……? それと、わたし……?」
壁へ近づき写真を見つめた琴音が、眉をひそめながらそう呟いた。
その隣へ並んで見てみると、確かにその写真のほとんどは蓮を写したもので、それに混じって琴音を写したものも貼られていた。そして、その『琴音の写真』を見て、先程から息を呑んだように黙っている琴音と同じく蓮も言葉を失う。
写真に写っている琴音は、その全てが様々な原因で無惨な死体となり果てていた。病院のベッドを鮮血へと染めて俯せているもの、高階から飛び下り激しく頭を打ち付けたようなもの、車にはね飛ばされたように壊れた車椅子とともに道路に倒れているもの――
見ているだけで気分の滅入ってくる写真が、蓮の日常を写したらしい写真に埋もれるようにして壁に貼り付けられていた。




