“トクベツ”な人(2)
「あ! おはよう万智ちゃん!」
「おはよー万智、今日は早いねーっ!」
「あ、うんっ! おはよう二人ともっ!」
登校してきた友達に呼ばれ、マッチはそちらへと走っていく。明るさに満ちた声音と共に走る小柄なマッチの姿に、クラスの誰もが視線を向けた。中でも特に男子からのものは目立つのは、必然、っていうものなんだろう。目立つか目立たないかの差こそあっても、彼らは一様に熱の籠った目をしながらその頬を緩める。
「やーっぱ可愛いよなぁ、林さん。ウサギみてー」
「あー、そうそう! 何かぴょこぴょこしてる感じ!」
「可愛いし、性格良いし、頭も良いしな!」
「やーっぱオレらのアイドルだよなー」
男子が見惚れ、憧れに満ちて向ける視線。その先にいるマッチは、たくさんの女の子達に囲まれて華やかな雰囲気の中で笑ってる。
皆に愛される存在。……愛されるために、生まれてきたような女の子。
例えば別の誰かがマッチのいる場所にいたら違和感があるだろうし、そもそもあれだけの人数はきっと集まらない。もし集まったとしても、全員から可愛がるような温かさは向けられたりしないと思う。
あれは、トクベツなマッチだからこその立ち位置で。
そんなマッチだからこそ、私よりも遥かに"姫"の呼称が合ってると昔から思ってるんだけど……
「姫ちゃんもおいでよーっ!」
「あ……うん」
手招きするマッチが使ったのは、やっぱり昔から馴染んだ呼称。それに苦笑しながら集まっている場所へ向かえば、背後からくすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。
つい気になって振り返れば、映ったのはよく知ってる男の子。
「相変わらず、"姫ちゃん"ねぇ?」
「……あ、いや……違、」
「梓くんっ!」
からかうように笑う彼へと私が反論する前に、マッチが嬉しそうに名前を呼んだ。それを耳にした周囲の女の子達も、さっきまでマッチを見ていたのとは違う種類の輝くような目を向ける。
「あっ、倉前くん!」
「おはようっ、倉前くん!」
「こっちおいでよーっ!!」
俗に言う、黄色い声。それを一身に受け止める彼……倉前梓くんは、言ってしまえばイケメンに属する人気者な男の子だ。染めてないのに明るい茶髪と、悪戯が好きそうな黒い大き目の瞳。全体的に『小学校では悪ガキでした』なヤンチャっぽい雰囲気を残した、可愛くも格好良くも見える整った顔立ち。多分、今校内で一番人気があるんじゃないかな、と思う。少なくとも、女の子達の騒いでる比率からして、同学年では最も人気があるはずだ。成績も悪くないし、運動だって中学校ではサッカー部のエースだったくらいの実力。今は帰宅部みたいだけど、勧誘だってたくさんきてるのは有名な話だ。
……校内の人気。そう考えた瞬間、ふと浮かんでくるのはユエくんの顔。
正反対、とまではいかないけれど、倉前くんとは全然違うタイプの男の子だった。……と言うよりも、ユエくんみたいな男の子は今まで見たことがないけれど。他の人にない雰囲気に、魅力。そしてあれだけの綺麗な顔だ。この学校に編入するくらいだから学力も相当なものだろうし、フランス語だって喋れるのは確実。それだけの要素が揃ってるんだ。きっと、彼も人気が出るんだろう。そして、きっと――……
「おはよう、林さん」
近づいてきた倉前くんは、真っ先にマッチに笑顔で挨拶をする。その表情は、さっきまで私に向けられていたものとは……いや、違うな。マッチ以外の誰かに向けているものとは、明らかに柔らかさと優しさが増してるから。その違いは誰もが気付く程なんだろう、後ろにいた女の子達がやや残念そうに溜め息を吐くのが分かった。
「やーっぱ、倉前くんも万智ちゃん狙い?」
「しょーがないでしょ、何せ相手が万智だし」
「やーっぱ、美男は美女とくっつくのかねー……」
こそこそと喋ってるんだろう声も、近くの私にははっきりと聞こえる。自然と耳朶を打つ彼女達の会話に、私は改めてマッチと倉前くんを見た。
美男美女な上に、この上ない程の幸せそうな笑顔で会話をする二人。それはまるで映画のワンシーンか何かのように映る。それも当然、恋愛映画のヒロインとヒーローの会話シーンだ。他の誰もが声をかけられないような空間に、二人が纏う雰囲気はどこまでも楽しげで。そこだけ切り取られているかのように眩しさを帯びた二人の姿は、理想的な恋人達の姿にも見える。
……うん。やっぱり、あの二人はすごくお似合いだ。
内心で頷いていれば、ふと一人の女の子が、私の袖を引っ張った。
「ねぇ、白井さんって倉前くんと同中だよね?」
「え? あ、うん。マッチも同じだけど……」
「ふーん?」
「そうなんだー……」
別に隠すことでもない事実に頷けば、女の子達は互いに顔を見合わせた後、期待に満ちた目で興味津々とばかりに私を囲んだ。その状況に、思わず私は身を固くする。
いつもはマッチが中心で、その隣には倉前くん、更に周りを女の子達が囲んでる。私はその一歩後ろで、その会話を聞いてるだけの役だ。だから決して中心になり得ない私は、初めてのこの状況に少しだけ体が硬直した。
別に彼女達が嫌なわけじゃない。だけど、やっぱり私は後ろで聞いているのが合ってると思う。威圧感ではないけれど、たくさんの人に見られると緊張するのは避けられないし、大勢と一度に会話をするほど私には社交性はない。改めてそう自覚してる私に気付くはずもなく、彼女達はどこか楽しげに口を開いた。
「じゃあじゃあ、倉前くんって、やっぱ中学から万智狙いなの?」
「っていうか、彼女っていたりする?」
「昔の彼女とかでもいいんだけど!」
「……あ……えっと、まぁ、」
これは答えて良いことなのか……曖昧に頷きながら、私は中学時代を思い出す。
五年前のあの日より昔のことに関しては、どうも記憶が曖昧だ。けれどそれより後のことなら、結構鮮明に覚えてる。
倉前くんとは、中学で三年間クラスが一緒だった。一方のマッチとは、三年生のときだけ一緒。つまり二人が出会ったのは、三年生の時が初めてだったと思う。マッチと倉前くんの関係は、三年生の途中からずっとあんな感じだし……
「三年でクラスが同じになってから……あんな感じ、かな?」
雰囲気だけなら特に問題はないはずだ。そう結論付けて答えつつ、私は更に思考を巡らせる。倉前くんがマッチを三年のときに好きになったのはほぼ間違いないと思うし、マッチも倉前くんのことは決して嫌いじゃないと自信を持って言える。親しげに名前を呼んでるし、何よりマッチは思ったことが表情に素直に出る方だ。それであれだけ嬉しそうに笑顔で話しかけるってことは、相当好きな証だろう。けれど、不思議なことには……
「でも、何でか付き合わないんだよねー、万智と倉前くん」
一人が心底不思議そうに言えば、周りも首肯することで同意した。
「そうそう! 何か、お互いスキスキオーラ出してるのに、不思議と付き合わないよねー」
「倉前くんはアレじゃない? もうちょっとそれっぽくなってから、とか!」
「実は万智ちゃんの方がラブじゃなくてライクの方だったりとかは?」
「いやー、ないでしょー。だって万智、前に『梓くんが彼氏だったら良いのに』って言ってたし!」
「あー、言ってた言ってた!」
「『梓くんって、やっぱり人気あるんだね』とも言ってた!」
「えー、じゃあやっぱ両思いなんじゃん?」
「付き合えばいいのにねー。お似合いなんだし!」
そう、二人は不思議と付き合わない。私もマッチから、直接的ではないものの、何度かそう匂わせる言葉を聞いたことがある。だから好きなんだとは思うけど……告白する様子は、今のところほとんどない。今まで恋人がいたこともなかったみたいだから、もしかしたらマッチに自覚がないだけかもしれないけれど。
それでもやっぱり二人がお似合いなことも、良い雰囲気であることも事実。だからこそ、いつか遠くない未来、やっぱり付き合うことになるんじゃないかな、なんて。そんなことを考える私を、一人の女の子が振り返った。
「白井さんもそう思うよねー?」
「……え?」
私が意識を他の方へと向けている間に、どうやら話は盛り上がっていたみたいだ。けれどもいきなりのことに反応できなかった私に、彼女達全員の目が私に向いた。
それはどこか、期待と興味を含むもの。
「え、もしかして……」
「白井さんって、倉前くんのこと……」
「え……あ、違うよ? そんなんじゃないよ!」
その後に続く言葉が何なのか、さすがに察して私は慌てて否定する。女の子がこの手の話題で盛り上がるのは分かってるけど、こんな誤解が広まったら気まずい以外の何でもない。
確かに倉前くんは優しいし、良いところだっていっぱいある。私もそれを知ってるから、人気があるのも頷ける。けれど、私はそういう感情を、倉前くんには持ってない。
けれども一度興味を持ったらしい彼女達に、それが受け入れられることはなく。
「えー、わざとらしーい!」
「もしかして、倉前くんが万智ちゃんのこと好きだから言えないとか?」
「そりゃー、倉前くんみたいに顔が良くて成績良くてスポーツできれば、好きになっちゃうよねー!」
「いや、あの……ホントにそれはないから……」
「えー?」
「でもまあ、あの二人だしね……」
「残念ー」
からかい混じりの彼女達に強く言う気にもなれず、苦笑しながらやんわりと否定すれば、ようやく彼女達も違うとわかってくれたみたいで、さして盛り上がらずに収束を見せた。そもそもそこまで確信があったわけでもないし、あの二人の前では片思いすら有り得ないと思ってくれたんだろう。
とりあえず誤解が解けたことにほっとした私に、ふと思いついたように彼女達の一人が再び唇を開いた。
「じゃあ、白井さんってどんな人がタイプなの?」
「……タイプ?」
投げかけられた質問に、私は数回瞬きをした。きょとんとしたまま視線を返すだけの私に、その子は何度も首肯する。