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白雪姫とヴァンパイア  作者: 澪川夜月
第一章 斯くて世界は廻り出す
4/21

“トクベツ”な人(1)

 目の前にあるのは、私の数学のノート。今朝先生に教えてもらったばかりの解法をしっかり覚えようと、私はそれを必死に眺める。……眺める、けれど。


「……うあああぁぁぁ……!」


 あんなことがあった後で、平然と勉強に集中できるはずもない。思わず声を上げながら、私は机に突っ伏した。

 こんなことができるのも、教室に誰もいないからこそだ。私は普段はそう登校が早い方でもないけれど、今日は先生への質問をするために早めに来たせいか、登校した形跡があるのは朝に部活動がある子だけ。その朝練で部活動の子がいない今、教室にいるのは私一人きりだ。 もし数人でも誰かがいて、雑談でもしてくれていたら、ここまで意識が持っていかれることもなかったはずだ。……多分。

 ちょっと自信がないのは、この際隣に放置しておくとして。


 私以外は無人の教室。他のクラスもほとんど登校してる子はいないんだろう。普段の騒がしさは微塵もない。そんな静まり返った教室に一人でいれば、どうしても考えは今朝のことに向かってしまう。……どうしたって、忘れられるはずもない。左の頬には未だにキスされた時のあの温度が残っていて、瞼の裏にはあの時見た彼のイジワルな笑顔がある。初めて見た色々な顔。それは記憶がない以上初対面なんだから当然と言えば当然だけど、ここまで鮮やかに思い出せるのは、ただそれだけが理由じゃない。


「……どうして、」


 ――あんなことをしたんだろう。

 ぐるぐると脳内で繰り返し再生される疑問は、きっと未だに私が混乱している証。

 あんな……頬にキスなんて、日本じゃ恋人同士でもない限り滅多にすることはないはずだ。ましてやされた経験が一度だってない私には、そんな行動を予想しているはずもない。それこそ、心臓が止まるほど……なんて表現しても過言じゃないくらい、衝撃的なことだったから。


「あれは挨拶……あれは挨拶……! そう、きっとフランス流の……!!」


 ブツブツと繰り返し自分に向けて呟いてみる。いわゆる自己暗示だ。そうでもしなきゃ冷静になれない。とにかく今は落ち着くのが最重要課題なんだからと、それらしい理由を言い聞かせた。彼はフランスにいたわけだから、きっとああいう挨拶が日常的に行われていたんだ。……と思う。フランスの文化には全く詳しくないけど、きっとそうだ。というか、そうでなかったらあの行動の意味が分からない。

 なんて考えながら冷静になろうとしてみるけれど、それで平気になったら誰も苦労なんかしないんだろう。しばらくの間、必死に自分へと言い訳を並べてはみたものの、結局効果は全くなくて。未だに戸惑いやら気恥ずかしさやらが消えない自分に溜め息をつきつつ、ぐでっと机の上で伸びた。


「……深い意味は、ないよね……」


 誰にともなく呟きながら、何となく左の頬に触れてみる。そこには未だに感覚があって、またはっきりと思い出されたそれに私はぶんぶんと大きく首を振った。

 深い意味なんてあるはずがない。だって私は残念ながら平々凡々な一般人、彼みたいに一目でトクベツだと分かる人とは根本的に違うんだから。そこだけは冷静に判断しながら、改めて彼のことを思い出す。


「……ユエくん、かぁ……」


 久し振り、と、彼は言った。それはつまり、昔に彼と私が会っているという証拠だ。けれども、私にその記憶はない。

 ……それはきっと、私が忘れてしまったからだ。

 五年前のあの日から、私の記憶は曖昧になった。……というよりも、ほとんどのことを忘れてるんだ。


「そうじゃなきゃ……」


 彼のような人を、忘れてしまうはずがない。

 外見、雰囲気、纏う空気も、何もかも。全てがあんなに特別な男の子。最初に見たときは、まるで人形のようだと思った。整い過ぎている綺麗な顔に、考えの読めない無表情。まるで作り物のような完璧さがあったけど、それでもやっぱり次の瞬間には、そうじゃないんだと否定する。

 強い瞳だったと思う。それこそ、はっきりと"生きてる"ことを示す、意思の籠った目をしてたから。ああ、この人は生きているんだと理解したけど、同時に私との確かな違いも感じてた。

 平凡な私とは絶対的なまでに違う、トクベツな存在。そういう子を私は何人か知ってるけれど、中でも彼からはそれを強く感じさせられる。それはきっと、容姿や纏う空気に加えて、何となく、一人が好きそうな……人を寄せ付けないような、近付くことすら躊躇わせる雰囲気があったからなんだろう。

 例えば彼のお母さんであるカロルさんには、人好きな雰囲気と親しげに接してくれるその態度から、そこまで気後れを感じることは少ない。だけど、言うなれば彼の印象はカロルさんのものとは正反対。人付き合いに自信も度胸もない私は、そういう知り合いが全くと言っていい程いなかったから。

 ……正直、苦手かもしれない。そう、思ったけど、浮かべた笑顔は優しくて。穏やかなそれに、ただ純粋に、綺麗だと惹かれたのも事実。決して冷たい人じゃないんだと、そう感じさせる笑顔だった。

 ……なのにあの唐突すぎる一件で、彼がどういう人なのか、全く分からなくなったんだ。


「なんでいきなりあんなこと……あぁもう……っ!」


 第一印象と違いすぎるというか、むしろ行動が斜め上過ぎて印象どころじゃないというか。そもそもどういう意図があっての行動だったのか、それすら私には分からない。

 本当に挨拶なのかな。いや、だとしたらあのイジワルな笑顔の意味は何だ。確信犯の笑みに見えなくもなかったんだけど。

 それに冷静に考えてみれば、カロルさんは月くんが日本に"来た"んじゃなくて"帰ってきた"って言ってたはず。つまり元々は日本にいたわけであって、当然日本では挨拶に……キス、なんてしないって知ってるはずだ。そう考えれば、私の反応に対する笑顔の意味も理解できるけど、じゃあからかうためだけにあんなことをする程軽い人に見えるかと言われれば決してそんなこともない。……ように見えたんだけど、どうなのかな。結構タラシな人だったりとか…………からかわれた? いやでも勝手にそう決めつけるのは良くないし……そう思考を巡らせてみても、一人で悶々と考えていて結論が出てくるはずもない。


「……勉強しよう……」


 独り言を零して、無理矢理頭を今朝の一件から離しながら。

 ……別の意味で、苦手になりそうだ。

 そんなことを、ただ漠然と考えていた。




* * * * *




「おはよう、姫ちゃんっ!」

「あ……おはよう、マッチ」


 どうにか勉強しつつも時折一人苦悩していたところに、明るく可愛い声が響いた。呼ばれた私が振り返れば、そのソプラノに相応しい容姿の女の子がこちらへと小走りにやってくる。

 マッチ……林万智。私の小学校からの友達。容姿と仕草から与えるイメージは、きっと森の子リスか白兎ってところだろう。この学校きっての美少女であり、同時にアイドル的存在。彼女もまた、私の知るトクベツな子の一人だ。


「あ、またお勉強? 姫ちゃんすごいねーっ!」


 くりくりとした大きな栗色の瞳が私のノートを映し出す。こげ茶色のツインテールが、前屈みに見るマッチの動きに合わせて可愛く揺れた。驚くと同時に感心しきりのそのセリフは、わりといつも言われること。だけどそれに含まれた言葉に、私は思わず苦笑する。


「マッチ、やっぱり"姫ちゃん"はもう……」

「え? どうして?」


 やんわりと、マッチのことを傷付けることのないように、これで何度目かになるお願いをしてみようと試みた。あんまり人の多い場所ではしにくいからこそ、人のいない今口にしてみたんだけれど。何度か瞬きをするマッチは、本当に不思議そうに目を見開いて数回瞬きをした。そう呼ぶのは至極当然とばかりのその反応に、私は曖昧に笑う。


「やっぱり私には似合わないし……全然"姫"って感じじゃないから……」

「でもでも、名前がもう『白い雪』で白雪姫だもん! やっぱり姫ちゃんだよ!」


 マッチの力強い主張に、私はそれきり何も返せなかった。

 小学校の頃から呼び続けた愛称の正当性を力説するマッチに、悪意は欠片も感じられない。だからこそ、私はいつも最後まで反論することができないでいる。名前に『ヒメ』って文字がどこかに含まれてもいないし、私は全然お姫様って感じの子じゃない。確かに名前から連想はできるかもしれないけど、本当にお姫様が似合うのは絶対にマッチの方だ。

 とはいっても、もう長年使い続けた呼び名を今更変えてもらうのも、もう遅すぎる気がするし……他意はないんだからまあいいかと毎度のことながら割り切って、私は目の前のマッチに視線を向ける。


「それに、凄いのはマッチの方だよ。この前の中間も、総合で三位だったし……」

「えー? でも万智、全然努力とかできないもんっ! 数学キライだし、予習とかできないし……」


 肩を上げてのオーバーリアクションも、可愛らしいものに映る。形のいい眉を寄せて、長い睫に縁取られた目がイヤそうに数学のノートを見た。めったに浮かべないその表情は、どれほどマッチが数学を苦手としているのかを如実に表していて。


「やっぱりムリだよっ! 万智にはできないっ!!」

「はは……でも私はこれくらいしないと、赤点取りそうだから……」


 次々に表情を変えるマッチに苦笑して、私はノートをしまいこんだ。

 私と違って、マッチは基本的に何でもそつなくこなせちゃうタイプだ。飲み込みも早いし、私みたいに予習しなくてもマッチなら大丈夫だと思う。私の場合は、好き嫌いの問題じゃなくて、やらなきゃいけないレベルだから仕方がない。この学校は全国でも三本指に入る難関私立大学の附属にあたる高校だ。奇跡的に合格した程度の私がこれくらいの努力を惜しんだら、まともな成績は残せない。

 ……とは言っても、今だって別段順位が良いわけでもないし、伸びてるような実感もない。やり方が悪いのかもしれないけど、先生方だって忙しいし、塾に行けるはずもないし……誰か良い指導者がいてくれれば良いんだけど、そうそう簡単にはいないしなあ……

 はあ、とこっそり溜め息を吐き出すと同時、耳に入るのは教室のドアが開く音。

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