第2話
沢山の人が行き交う大通り。緊張をありありと顔に浮かべて歩く少年が一人。歩調に合わない深い呼吸、眉間に寄ったしわ。雑踏の喧騒も彼の耳には届いていないだろう。
「ふぅ…」
一際大きな息を吐いて、大通りから横道に逸れる。そうして小高い丘を上がり、鉄格子の門に守られた大きな屋敷の前で立ち止まる。その間から屋敷へと真っ直ぐに伸びる道と美しく咲く色とりどりの花と整然と刈り揃えられた芝生の生えた庭が垣間見える。暫し呆然と目の前の光景を眺めていると、門の両端に控えていた大柄の兵士が少年に話しかけた。
「ここは神子様の屋敷だ。用が無いのであればお帰り願いたい」
銀の鎧に頭身を包んだ兵士は少々威圧な口調で言う。表情は見えないながらも確かな力強さを感じた少年は表情を引き締めると、兵士に向かって口を開く。
「グラバール士官学校第63期卒業生アサド・グレイルです。本日付でこちらに配属になりました。卒業勲章とバッチになります」
そういって胸のポケットから勲章と羽を模したバッチを取り出す。兵士はそれを見ると一つ頷く。
「これは失礼をした。少し、待って貰えるか」
そう言うと、兵士は鉄格子越しに近くに居たメイドを呼びつける。一言二言言葉を交わすとメイドは深く一礼をしてから屋敷の方に走り出した。
「もうすぐ案内の者が来る」
「ありがとうございます」
「いや。しかし…今年は君か」
そう言って品定めするように下から上へ頭をゆっくり動かす。黒のズボンに紺のブレザー、大きめな青い瞳に白い髪と肌、中性的な顔立ちのあどけない少年が兵士の目に映っていた。
「あの…」
「君は咎人か?」
その質問に少年は驚き、しかし目を逸らさずにはっきりと答えた。
「…はい、そうです」
兵士はふむと小さく唸る。すると、屋敷の方から慌てて走ってくる影が一つ。
「申し訳ありません!遅くなりました!」
来て早々勢い良く頭を下げる。真っ直ぐに切り揃えられた艶のある黒髪、色白で細身な体。強く触れてしまえば壊れてしまう、そう思えるほど線の細い儚げなメイド姿の女性だった。
「マナ、彼を神子様のところへ」
「あ、はい!今年の方ですね、こちらへどうぞ」
息を切らしながらも弱々しく笑顔を見せると、軽い会釈をして少年を屋敷の中に誘う。
「頑張りたまえ、少年」
「はい、ありがとうございます」
兵士から短い応援に微笑み返してマナと呼ばれた女性と並んで屋敷へと歩き出す。
「マナ・ルディと言います。神子様のお話し相手をしています。よろしくお願いしますね」
「こちらこそ。アサド・グレイルです」
「まずは神子様にあいさつしましょう。今は自室に居られるはずです」
綺麗な庭を横目に豪華な装飾を施された玄関の扉を開ける。一面に敷き詰められた赤い絨毯が迎える。アサドは歩むたび、自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。
そんな事を知らないマナに案内されるがままに2階に上がり、とある一室で歩みを止める。マナは控えめにノックをした。
「神子様、今年の士官生さんが挨拶に来ましたよ」
しかし、中からは何の返事も無い。それどころか物音一つ無い。緊張状態が続くアサドの横でマナは溜め息をつくと、ノブを捻って当たり前のように部屋に入っていく。
「えっ…」
「あ、アサドさんもどうぞ」
状況に追いつけていないアサドだが、言われるままに部屋へと入っていく。が、その足は一歩目で止まってしまう。というよりも動けなかった。
床に散乱する服や本、ぬいぐるみなどの数々。いわゆる足の踏み場も無い状態だ。しかし、マナはさすがに慣れているのか上手く足場を見つけて奥へと進み、大小様々なテディベアの山の置き場になっているベットらしきものに呼び掛ける。
「神子様、おはようございます」
そう言うと、テディベアの山がうごめく。そして、少女が首だけを山から出した。
「…マナ…?」
「はい、今年の士官生さんが来てますよ」
金色の長い髪と目がゆっくりと動いてアサドを捉える。随分と緩んだ表情ではあったが、それは確かに今まで憧れとして遠くに眺めていた神子の顔である。余りの緊張にアサドは目が眩みすら覚えていた。
「んー…分かったー…」
それだけ言うと、再び山の中に消える。同時にアサドも強張った表情のまま小さく息を吐く。
「では、他の皆様にも挨拶に行きましょうか」
挨拶が済んだとは言い難いが、それでもマナは良しとしたらしい。蒼白な唇を少し吊り上げると、部屋を出るように促す。アサドも言われるがままにそれに従った。
「驚かれましたか?」
廊下を並んで歩く二人、マナは伺うようにアサドの顔を覗き込みながら言う。アサドは少し考える素振りを見せた後、口を開く。
「色々有りますが…一番驚いたのは、神子様は意外と可愛い物好きだった事…ですかね」
マナはその返答に目を丸くし、そして小さく微笑んだ。
「ふふっ、そうですね。そういう事は覚えておいて損は無いかと思いますよ。あ、次はここですね」
そういってマナが案内したのは厨房だった。