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下級侍女ノエラと死神王弟ヴォルフラム

王妃付きの下級侍女は、死んだ友人の亡骸を清める

作者: Vou
掲載日:2026/10/25

 その日、私が扱った骸(むくろ)は、今年に入ってからやってきた、王妃マグダレーナ・ライヒェンベルク陛下に仕える二人目の新人侍女だった。


 王宮の本殿の奥に佇む後宮では、人が死ぬことは珍しいことではない。そして、人が死ねば新しい生者が後宮に補充される。

 中には子を産み、新しい生をもたらす者もいるが、そうでない者も少なくない。そこでは生と死の均衡が破れ、死が常に優位に立っている。

 それはきっとこの後宮という場所が、新しい命を産む喜びよりも、死を呼び込むような嫉妬や憎悪に支配されているからではないかと私は思っていた。


 私はそういった嫉妬や憎悪から離れたところで、「死」にだけ接触する人間だ。なぜなら、私は後宮でも最下級の侍女だから。

 

 王宮の中で、私の仕事が表立って語られることはない。

 つまり、私は表向きいない者として、そして陰では穢れた者として扱われていると言ってもいい。だから私は生者よりも死者に近い気分で過ごしているのかもしれない。

 ただ黙々と、後宮の雑務をこなす。死者が出ればその亡骸を清め、処理をするのも私だ。

 王宮の人々が、私を蔑んで、死神の子鴉(リトル・レイヴン)と呼んでいることも知っている。


 侍女の死体の服を脱がせ、濡らした布で体を拭き取った。生者とは違う、強張った肌だ。けれど、すっかり亡骸というものに慣れてしまった私は、その肌に親しみすら感じる。

 侍女の名はエルゼ、といった。

 エルゼさんは私と同じように貧しい平民の出自で、私よりもずっと年上だったのだけれど、私のことを蔑まない、数少ない同僚だった。後宮に入ったばかりでエルゼさんも不安で、私には話しかけやすかったのだと思う。

 けれど、エルゼさんは不運だった。

 あまりにマグダレーナ陛下に気に入られすぎたのだ。

 ここは後宮だ。必要以上に誰かの寵愛を受ける者は、激しい嫉妬と憎悪に晒される。それは身分にも関係はない。王妃や側妃に愛される侍女でも、国王に愛される王妃ご自身や他の側妃であっても。

 一度嫉妬と憎悪に捕まってしまうと、逃れることは困難だ。そうして捕らわれたまま身動きが取れない間に、簡単に死に襲われてしまう。

 だからここで生き残りたければ、私のように目立たず、誰もやりたがらない穢れた仕事でも率先してやれなければならない。誰も私の代わりになりたいなどとは思わないから、誰も私のことは追い出そうとしない。


 私は生前よりも親しみをこめてエルゼさんの体を清めた。

 首には縄で締められた痕が痛々しく残っていた。

 首を吊って窒息死、と宮廷医師は診断し、王宮では自殺と断定されたが、後宮の誰もが、誰かに殺されたのだと噂していた。宮廷医師もおそらくそう思っていただろうけれど、後宮の侍女が誰かに殺されようが、ここでは大きな問題ではないのだ。

 

 首から下の体を拭いていく。

 後宮に入ったときにはずいぶんと痩せていたのに、今は少しふっくらした体つきになっていた。そういえば、マグダレーナ陛下から甘いお菓子などもずいぶんといただいていたな、と思い返した。エルゼさんはそのお菓子をこっそり私にもくれたことがあった。

 エルゼさんが、少なくともその死の直前までは、ここで幸福であったなら良いのだけれど。


 その体の左足のふくらはぎを拭いているときだった。

 私はふと違和感を覚えた。

 

 ふくらはぎのその先、足の甲……指先……と視線を移していった。……小指がない。

 左足の小指が、まるで包丁にでも切り取られたかのようにすっぱりとなくなっていた。切れた傷口は塞がっていたが、赤みがかっていて痛々しかった。

 何か事故があったのだろうか? 少なくとも、後宮に来てからできた傷ではないだろう。少し左足を引きずるような動作をすることがあったような気がする。

 そういえば、ほかにもどこかで足の指が欠損している人を見たような気がしたけれど、誰だったかは思い出せなかった。


 私にはその小指が切り取られた痕が、亡骸であるにもかかわらずひどく痛々しく見えた。それこそ、首の縄の痕のように、エルゼさんを死に至らしめた致命傷のひとつのように思えてならなかった。


「ノエラ、お清めは終わった?」


 突然声をかけられて、どきりとした。私はとっさに左足の先を布で覆い隠した。自分でもなぜ隠したのかわからないけれど、エルゼさんのその指は人に見せるべきではない気がした。

 そして振り返って、私は萎縮し緊張した。


 声をかけてきたのは侍女長のヘレーネさんだった。

 その後ろにはマグダレーナ陛下もいらっしゃり、私の手の先の亡骸を見ていた。陛下の目は虚ろで、私にはまるで陛下も後宮で犠牲になったひとりの亡骸のように思えた。

 

 マグダレーナ陛下は、三十年ほど前までは伯爵夫人だった。夫がいたにもかかわらず、当時王太子だった国王ハインリヒ陛下に見そめられ、半ば強引に後宮に連れられてきたそうだ。

 それが正妃にまでなったわけだから、ハインリヒ陛下の寵愛ぶりが窺い知れる。四十代後半となってなお、その美しさにも艶めかしさにもまったく衰えはない。


 そしてそのマグダレーナ陛下が、エルゼさんの亡骸を前に、突然わっと泣き出した。

 エルゼさんがマグダレーナ陛下のお気に入りであることは、後宮の誰もが知っていたが、その取り乱しようは少し常軌を逸しているように思えた。自分自身も卑下するようだけれど、亡くなったのは、ただの平民の侍女なのだ。


 そのマグダレーナ陛下の様子を眺めていたヘレーネさんも、どこか呆れているように見えた。私は、ヘレーネさんが、マグダレーナ陛下に、特定の侍女ばかり特別扱いしないように諫めていたのを知っていた。

 けれど、私にとっては、マグダレーナ陛下も、ヘレーネさんも似たような存在だった。ヘレーネさんは長く陛下の侍女をやっているせいか、どこか考え方は似ていて、どちらも侍女には厳しい方だった。一緒にいすぎて、最近はお顔までどことなく似てきた気がしていた。


   ※


 マグダレーナ陛下が泣き続けているところに、また別の人影が現れた。

 やってきたのは二人の若い男性で、私はまたどきりとした。

 そもそも後宮に国王陛下と一部の王子以外の男性が訪れることはほとんどない。それが二人もやってきたのだ。

 私は慌ててエルゼさんの体に、脱がしていた服をかけた。


「母上、もうおやめください」


 マグダレーナ陛下に声を投げかけたのは、第二王子オスヴァルト・ライヒェンベルクだった。


「オスヴァルト……」


 オスヴァルト殿下の呼びかけに、ようやくマグダレーナ陛下は顔を上げた。

 

「オスヴァルト……何とかしてちょうだい……」


「何とかと言われましても……」


 死んだ人間が生き返ることはない。それは後宮で最も権力を持つ王妃陛下であろうとわかることだろう。


 オスヴァルト殿下は困った顔をした。

 この二人は母子としてとても親密な関係だ。王太子殿下は後宮には寄り付きもしないのだけれど、オスヴァルト殿下はマグダレーナ陛下を頻繁に訪ねてくる。

 母と子の関係というものが、孤児の私にはよくわからないので、それが健全な母子の関係なのかもよくわからない。


「オスヴァルト……。あなたはずっと私と一緒にいてくれるでしょう?」

 

 マグダレーナ陛下はオスヴァルト殿下にしがみつくように抱きついて、再び泣き始めた。オスヴァルト殿下はエルゼさんから陛下を引き離すようにして、遺体安置室を出ていった。

 ヘレーネさんも、呆れ顔のままその後をついていく。


 そして、ひとりだけ男性が残った。

 

 その男性は私が唯一、普通に口を聞ける男性で、私が「死神」の子鴉(リトル・レイヴン)と呼ばれる理由となっている方だ。


 王弟ヴォルフラム・ライヒェンベルク殿下——王宮内で人が亡くなると、その死に導かれるように必ず亡骸のもとに現れる、通称「死神王弟」。ヴォルフラム殿下に見初められた者は死ぬ、という噂まで立っていた。

 国王ハインリヒ陛下の信頼も厚い王家の重要人物であるものの、皆、薄気味悪がって近寄ろうともしない。ハインリヒ陛下とは十五歳以上年も離れていて若く、甥のオスヴァルト殿下とほとんど年齢の差はない。美しい容貌ながら、婚約の話も上がらないのも、「死」の妖しい雰囲気が女性を斥けてしまうのだろう。

 それが逆に、私にとっては心地よく、王弟殿下であっても臆することなく接することもできる要因だった。王弟殿下のほうも、「死」に日常的に触れている私を信頼してくれているのか、平民の私とも、ひとりの人として接してくれている気がする。

 王弟殿下と親しくしている私が、後宮の人々から嫉妬も憎悪も受けないのは、もちろんヴォルフラム殿下の不人気のおかげだ。


「ノエラ、死体はどうだ」


 ヴォルフラム殿下は、亡骸とともにいる私に、亡骸の様子を尋ねる。これはいつものことだ。


「どうだって言われましても、何度もお伝えしている通り、私は医師ではございませんので」


「医師の意見を聞きたいのではない。王宮医師など、死者とまともに向かい合おうともせん」


 それは私も同意見だ。


「見ればわかりますよ。この……エルゼさんの体の奇妙なところに。できれば女性の裸は見ないでいただきたいですけれど」


「見んわ。だからおまえに聞いておるのだ。……奇妙な点というのは、死因に関係するものか?」


「だから私は医師ではございませんので……。でも、見たところ、死因は縄で首が絞まったことだとは思うのですが……奇妙なのは、左足の小指が切り取られたようになっていることです。指を切って死んだなんて話は聞いたこともないですけれど……」


「指……? 指くらいで死ぬわけがないではないか」


「わかっていますよ。だから言っているではないですか……。ですけれど、それでも何だか、その指がエルゼさんの死につながったのではないかと思えるくらい痛々しくて……」


「その指は死んでから切断されたのか?」


「だから私は医師ではありません。ですが、傷口は塞がって出血の跡もないので、少なくとも死後にできたものではないと思います。ですが、そこまで古い傷にも見えません」


 私の言葉を噛み締めるように、ヴォルフラム殿下が考え込んだ。


「ふむ。興味深い話だな。やはりおまえは頼りになる女だ」


「誰と比べているのですか? 私以外で、殿下と話をしようなんて思う女なんていないではないですか」


「……」


 ヴォルフラム殿下はまた思案気にしてから、口を開いた。


「私はこれから調べることがあるから、失礼するとしよう。いつまでも後宮にいるのも気まずいのでな」


「やはり本当に女性と話す機会がないのですね……」


 ヴォルフラム殿下は小さく舌打ちをした。私に聞こえないようにしたつもりだろうけれど、聞こえている。

 殿下はそれ以上何も言わずに遺体安置所を去ろうとするので、私は慌てた。


「ちょっと殿下! 亡骸を運ぶの手伝ってくださいよ」


   ※


 エルゼさんの亡骸を後宮の外に運び出してから、ヴォルフラム殿下と別れ、私はひとりになった。

 

 エルゼさんの左足の指の欠損のことが、どうしても私の頭から離れなかった。思い返してみると、エルゼさんは少し左足を引きずって歩くようなところがあった気がした。過酷な環境で生きてきた貧しい平民が体のどこかを痛めているのはよくあることなので、気にも留めていなかったけれど。

 そういえば……今年後宮に入ってきた一人目の新しい侍女も足を引きずっていた様子があった気がしてきた。やはり左足だっただろうか。偶然なのだろうか? エルゼさんとは対照的に、マグダレーナ陛下の不興を買って、後宮にやってきたその日に追い出されてしまって、顔も名前も覚えてすらいないけれど。いったい何をしてしまったのだろうか。

 その一人目の侍女とエルゼさんとで違っていたのは年齢くらいで、私と近い歳だった。エルゼさんのように落ち着いたお姉さんのような雰囲気が、陛下の好みなのだろうか? 確かに、若い私もぞんざいに扱われているけれど……。


 私はエルゼさんの体を清めた布を持って王宮の外れの洗濯場に向かった。

 けれど、洗濯場の前まで来て、私の足は止まってしまった。このあたりで、首を括ったエルゼさんの亡骸が見つかったのだ。

 エルゼさんがどうしようもなく愛おしくなり、体を拭いた布を洗われてしまうことがなぜか躊躇われた。

 その亡骸はまもなく焼かれてしまう。そのうえ、布が洗われてしまったら、エルゼさんが本当にこの世からいなくなってしまう気がした。


 すると、そこで洗濯をしていたひとりの女が、私のほうを向いて不思議そうな顔をした。


「洗うの?」


 女は立ち上がって、こちらに歩いてきた。


「洗うなら、今一緒にやってしまうから」


 その女も、なぜか左足を引きずって歩いているように見えた。


   ※


 私が同僚の侍女とマグダレーナ陛下のお部屋をお掃除していると、そこにオスヴァルト殿下がひとりの若い令嬢を連れてやってきた。

 

 ヴォルフラム殿下と同じように美貌を持ちながら、明るく優しいと言われているオスヴァルト殿下は、王家との縁を望む貴族令嬢をよく惹きつけるようだった。

 けれど、優しいのは母親や高貴な身分の方たちに対してだけで、後宮の、特に平民の出自の侍女からはとても評判が悪い。私も苦手だった。


「あら、かわいらしいお嬢様ね。新しい婚約者の方かしら」


 貴族令嬢がマグダレーナ陛下に頭を下げた。

 

「はい。クラウディア・エーレンベルク公爵令嬢です。悪くはないですが、母上のお美しさにはとても敵いませんよ」


 悪びれる様子もなくオスヴァルト殿下が言った。

 クラウディア様は驚いた表情を隠しきることができていなかった。


 そんなことを言うから婚約者に逃げられるのだ。あるいはオスヴァルト殿下が嫌になるのだろうか。母親を何よりも優先するオスヴァルト殿下は、婚約の話が持ち上がるたびに解消を繰り返していた。

 あのように美しく艶めかしい母親がいては、どのように美しい貴族令嬢であろうが霞んでしまうのかもしれない。

 愛だの恋だのよくわからないのだけれど。


「ところで、オスヴァルト。エルゼの代わりになる、新しい娘は見つかったのかしら?」

 

「母上……。侍女はもう十分ではないですか……」


「……オスヴァルト。あなた、お母様のお願いが聞けないというの……?」


「誰でもよければすぐに見つかると思いますが……」


 オスヴァルト殿下が困ったように答えた。


「誰でもよいわけがないではないの」


 マグダレーナ陛下の機嫌が悪くなっていくのがわかる。


「……あのよろしければ、私が王妃陛下のお手伝いをさせていただけませんか」


 クラウディア様が機嫌を取ろうとして、そんな提案をした。


「おまえには無理だ」


 即座にオスヴァルト殿下が言い、マグダレーナ陛下に申し訳なさそうな顔を向けた。


「……母上、大変失礼いたしました。このように分別のつかない女を連れてきてしまい……。直ちに婚約は破棄いたします」


 貴族令嬢があまりの驚きに口を開けたまま固まってしまっていた。


「すぐに新しい、適切な侍女を見つけて参りますので、少しだけお待ちください」


 オスヴァルト殿下は、マグダレーナ陛下だけをまっすぐ見つめていた。

 それでもご機嫌斜めなマグダレーナ陛下は、尊大な王妃というよりも、わがままな貴族令嬢そのもののように見えた。


   ※


 朝一番で、誰よりも早く起きて後宮の門の掃き掃除をしていると、ひとりの女性が近づいてくるのでぎょっとした。


 その女性は、左足を引きずって歩いていた。

 引きずっている気がするのではなく、明らかに引きずっていた。

 女性は左足を踏み出すたびに、痛みのためか顔を歪めていた。怪我をしたばかりでその痛みにまだ慣れていないようにも見えた。

 そして、その女性はエルゼさんの歳に近いようにも見えた。


 私が凝視していると、女性のほうから口を開いた。

 

「すみません……。私はアデーレと言います。今日から……」


 ゆっくりとしたその言葉の続きを待ちきれず、私は遮って尋ねた。

 

「新しい侍女の方ですよね? 王妃陛下の」


「……はい。そうです。オスヴァルト殿下のご紹介で……。どこかでお会いしたことがありますか?」


 私の凝視を不審に思ったのか、アデーレさんが尋ねてきた。

 

 私はとても嫌な予感がしていた。

 このアデーレという新しい侍女と、亡くなったエルゼさんの運命が重なっているように思えた。


「いえ、初めてです……。あの……左足が悪いのですか?」


「ああ……はい。ちょっと怪我をしてしまいまして」


「怪我をしたのは、左足の小指ですか?」


 私の問いに、アデーレさんの顔が青ざめた。まるで左足の痛みすら吹き飛んだように。


「なぜそれを……?」


 私は手に持っていた箒を放り投げ、とっさにアデーレさんの手を取り、後宮の門から離れるように引っ張った。自分でもなぜそうしたいのか、はっきりと説明できる気はしなかったが、そうしなければならない確信に近いものがあった。


「何をするのですか……?」


 私は構わず足を速めた。


「痛いです……」


「あ、すみません。でも……あなたはここに入ってはだめです。とにかく一刻も早くここを離れましょう」


 アデーレさんは少し抵抗するそぶりを見せたが、痛む足で踏ん張れず、諦めたようだった。


 

 後宮から離れようと王宮を歩き回る、みすぼらしい平民の女二人は見るからに怪しかった。

 きっと、逃亡者のように見えたのだろう。王宮内を巡回していた衛兵が私たちを呼び止めた。


「どこに行くのだ?」


 その視線は明らかに私たちを訝しんでいた。


「あの、この者が怪我をしていまして……宮廷医師様のところに連れていこうと……」


 私はアデーレさんの左足を示した。

 その靴から、血が滲んでいるのが見えて、私は焦った。

 アデーレさんの顔は真っ青になっていた。


「大丈夫ですか……? すみません、私……」


「宮廷医師がおまえらのような者を診るわけがなかろう。後宮に戻って、傷でも洗ってやれ」


 衛兵は冷酷に告げた。


「……違うのです。私、この方に無理やり連れ出されて……」


 アデーレさんが衛兵にそんなことを言うので、私は驚いた。助けているつもりだったが、アデーレさんからすれば、誘拐されたと思ってもおかしくない状況だ。


 衛兵が私を睨んだ。


「おまえ、どういうつもりだ?」


 衛兵に問い詰められた私は言葉を詰まらせる。

 アデーレさんの傷を悪化させ、衛兵に捕まりそうになり、私はいったい何をしたいの?


「私の指示だ」


 後ろから声がして、私は振り返った。


 そこに、王弟ヴォルフラム殿下が立っていた。


   ※


 衛兵から助けてくれたヴォルフラム殿下は、なおも嫌がるアデーレさんを無理やり医務室に連れて行き、治療を受けさせた。

 左足の小指はやはり切断され、まだ新しい傷だったのか、塞ぎかけていた傷口が再び開いてしまっていたようだった。

 私のせいかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちになった。

 

「まったく……。オスヴァルトが王妃陛下に紹介した侍女を勝手に連れ出すなど、おまえは何を考えているのだ」


 アデーレさんの治療がひと段落すると、今度はヴォルフラム殿下が私を責めた。

 

「ヴォルフラム殿下こそ、なぜあんなところにいらっしゃるのですか?」


 私も、偶然殿下が通りかかったのだとは思えず、気になっていたので質問した。


「今日、新しい侍女が来ると聞いていたから、様子を見に行こうと後宮に向かっていたら、衛兵ともめているノエラを見かけたのだ。私もおまえの話が気になっていてな。あのエルゼという侍女の……」


「左足の指の話ですね? それで、新しい侍女の方の左足の具合を見たかった、ってところですかね」


「そうだ。そうしたら案の定、というわけだ。私は私で、調査をしてわかったことがあってな。で、おまえはなぜその侍女を……アデーレといったか……後宮から離そうとしたのだ?」

 

「その左足の、小指のせいですよ」


「左足の小指のせいで、アデーレも殺されると思ったのか?」


「……わからないです。でも、何か良くないことになりそうな予感がして……。ヴォルフラム殿下もご存じのとおり、後宮の下級侍女がどうなろうと、誰も気に留めないのです」


「私は気に留めているではないか。ノエラ、例えばおまえの身に何かあれば、私はとても悲しい」


 ヴォルフラム殿下が唐突に真顔でそんなことを言い出すので、私は面食らってしまった。冗談をこんな真顔で言うなんて、皆の言うとおり、この方は変人だ……。


「何のお話をされているのですか……?」


 横で話を聞いていたアデーレさんが、遠慮がちに声をかけてきた。

 そもそも王弟と下級侍女が対等に話をしていること自体が奇妙だっただろうに、自分の身に危険が及びそうになっているような話にまでなっていて、私よりよほど面食らっていただろう。


「私は危険な目に遭うところだったのですか?」


「ああ、すまない。この王宮には魔が多く潜んでいるものでね……。あなたの安全は必ず保証しよう。……あなたが出会った魔についてもお伺いできませんか?」


 アデーレさんの顔は、ますます青くなってしまっていた。


 私たちはじっと待った。

 

 やがて、アデーレさんは観念し、その重い口を開いた。


   ※


「『死神(デス)』とその『子鴉(リトル・レイヴン)』が何の用ですか? ここに死体はございませんよ」


 後宮の王妃陛下の居室の前で私たちを出迎えたのは、侍女長のヘレーネさんだった。


「何の用事かは存じませんが、マグダレーナ陛下はオスヴァルト殿下とお取り込み中です。出直していただけますか?」


「その二人に用事があるのだ。通してもらおうか?」


 ヴォルフラム殿下が無表情に言った。それは王弟としての命令だった。


「王妃陛下に、誰も通すな、と言われているのです。いかに王弟殿下でも通すわけには……」


 ヘレーネさんの制止など関係ないとでも言わんばかりにヴォルフラム殿下は進んだ。


「おやめください」


 ヴォルフラム殿下が、王妃陛下の私室の扉を開けた。

 私もそそくさとついていく。


 そこには、マグダレーナ陛下を前に頭を下げてうなだれるオスヴァルト殿下がいた。一方のマグダレーナ陛下は不機嫌そうに肘掛けに腕を置いて横を向いていた。

 

「親離れの時間だ、オスヴァルト」


 「死神」ヴォルフラム殿下が、宣告するかのように言った。


「叔父上、なぜ後宮に? 誰も死んでおりませんよ……。そんなことよりも、ちょうどよかった。お伺いしたいことがあるのです。叔父上が、私の用意した侍女を追い返したと聞きましたよ。そのせいで、僕が母上から非難されてしまっているのです。なぜそんなことをしたのですか?」


 マグダレーナ陛下の不機嫌が、オスヴァルト殿下に伝播したかのように強い口調だった。


「もう一度言う。おまえの親離れのため、というのがひとつの理由だ」


「何を仰っているのです?」


「オスヴァルトよ。おまえはマグダレーナ陛下から、満足に侍女……いや、娘の代わりを用意できないことを叱責されていたのだろう?」


「なぜそのことを叔父上が……?」


 オスヴァルト殿下の顔が青ざめる。


「やはりそうだったか……」


 ヴォルフラム殿下は小さく笑みを浮かべたが、それはどことなく悲しげな笑みだった。


「カマをかけたのですか……?」


「悪く思うな。確信はあった。ただおまえに認めさせたかっただけだ。本当は……否定してほしかったのだがな……」


「なっ……」


「兄上……国王陛下から、三十年前の、マグダレーナ陛下の秘密を聞いたのだ。オスヴァルト、おまえの集めた侍女を見る限り、おまえも知っているのだろう?」


「やめてください! 侍女も聞いています」


 オスヴァルト殿下が声を荒げた。


「その侍女に関わる話をしているのだ」


 ヴォルフラム殿下は冷ややかに応じた。


「おまえがマグダレーナ陛下に請われて侍女を探し始めたのは、今年に入ってからだったな。一人目はリーゼ・ベルクマン。身寄りのない平民の娘だ。王家の一部の者は、無理な役割が必要なときはいつも孤児院から人を調達する癖があるようだな」


 リーゼ……確かにそんな名前だったかもしれない。私と同じように、孤児院から連れてこられていたのだ。もしかしたら、私が幼い頃、孤児院にいた頃に会っていたこともあったのかもしれない。


「だが、リーゼ・ベルクマンはマグダレーナ陛下の意に沿わず、その日のうちに後宮を追いやられた。おそらくそれは……年齢のせいだ。リーゼは二十歳にも満たなかった。若すぎたのだ。そうですね、王妃陛下?」


 ヴォルフラム殿下がマグダレーナ陛下に問うが、陛下は不機嫌そうにしたまま、何も答えなかった。

 ヴォルフラム殿下は構わず続けた。


「けれど、二人目のエルゼ・フォーゲルは完璧だった。年齢は三十歳。そして、何より、その左足の小指がなかった。それは私のかわいい子鴉(リトル・レイヴン)が見つけてくれたのだが」


 ヴォルフラム殿下が私を手で示した。「かわいい」だなんて気色悪い。


「マグダレーナ陛下はエルゼをとても可愛がっていらっしゃいましたね。……ところが、エルゼはなぜか、王宮の外れで、突然自殺した。その理由はご存じですか、陛下?」


 マグダレーナ陛下が少しだけ反応して、ヴォルフラム殿下を一瞥した。

 

「エルゼも偽物だったからだ!」


 口を挟んできたのはオスヴァルト殿下だった。


「偽物……? どういうことだ、オスヴァルト? リーゼもエルゼも偽物だったというのか? では本物とは誰のことだ? 私が保護した三人目アデーレ・クラインか?」


「そうです。アデーレ・クラインこそ本物なのです。それをあなたが……」


「年齢が三十歳そこそこで、左足の小指がなければ本物だというのか? 小指の切断が、オスヴァルト、おまえの命令でなされたことだとしてもか?」


「何ですって……?」


 そのとき初めて、マグダレーナ陛下が言葉を発した。不機嫌を通り越して、驚いた表情になっていた。


「何を言っているのです、叔父上? 私が指を切らせたですって? 彼女たちは最初から指がなかったのです」


「しらばっくれても無駄だ、オスヴァルト。王妃陛下に急かされて焦っていたのであろう? アデーレ・クラインに至っては、傷口が塞がりきってもいなかったぞ。貧しさにつけ込んで、高い給金と引き換えに、指を切れと彼女らに命じたのであろう?」


「いい加減にしてください、叔父上!」


「おまえこそ私を見くびるのではない。私は王位継承権こそ下位だが、現時点では国王陛下に準ずる権限を持っているのだ。証拠として下手人から命令書も回収済みだ」


「オスヴァルト、あなた、指がある者の指を切って、偽物を作っていたというの? なんて残酷なことを……」


「母上のためなのです……。すべてお母様の……」


 オスヴァルト殿下は哀願するようにマグダレーナ陛下に言うが、陛下の目は、汚いものでも見るような目だった。普段、陛下が私を見る目よりも酷いかもしれない。

 

「それから……実は、後宮を追いやられたリーゼ・ベルクマンも見つかってな。念のため、左足の小指を確認したところ、やはりその指はなかった。彼女もおまえの命令で指を切断させられたことを認めている」


 オスヴァルト殿下がまた動揺したように見えた。


「指まで切断させたのに後宮から追い出されたリーゼへの補償だと言って、洗濯女として雇ったようだな。だが、本当の狙いは補償などではない。リーゼに後宮への恨みを植え付け、何かあったときに利用していたのだな?」


 私はエルゼさんの布を持って洗濯場に行ったときに会った、左足を引きずっていた洗濯女を思い出した。


「そんな洗濯女など知りません!」


 オスヴァルト殿下が否定するが、ヴォルフラム殿下は意に介さない。


「その洗濯女は、一日で追い出された自分の後にやってきて、マグダレーナ陛下に寵愛される侍女エルゼ・フォーゲルのことを知って、その理不尽にひどく屈辱を感じました。そして、エルゼ・フォーゲルを快く思わない人物がもうひとり……」


 ヴォルフラム殿下が、オスヴァルト殿下をまっすぐ見た。


「私が、親離れをしろと言った意味がわかるな、オスヴァルト?」


「……」


「おまえは王妃陛下がエルゼばかりに気を取られているのを目にし、激しくエルゼに嫉妬した。自分が用意した侍女に、母親を取られた気持ちになって、憎悪した。それで、リーゼにエルゼを殺すように命じた。金もちらつかせてな。リーゼは承諾し、洗濯場に来たエルゼの首を締めて殺した。殺人の目撃者も何人も見つかっている。下女が下女を殺したところで、この王宮では誰も大事にしようとは思わないから、ろくな調査もされずに自殺として一度は処理されてしまったが……」


「もしそうだとしても、その女が勝手にやったことでしょう」


 オスヴァルト殿下は認めようとしない。


「リーゼはすでに自白し、おまえが渡した金貨も押収している。それに、おまえが先日婚約破棄した、クラウディア・エーレンベルク公爵令嬢からも証言を得ている。おまえが、エルゼをひどく侮辱し、『殺してやりたい』と普段から口にしていたと。母親を取られた嫉妬が常軌を逸していたとな。おまえの犯行を立証するためなら、公爵家も全面的に協力してくれるそうだ」


「オスヴァルト……。あなたがエルゼを殺したの? とても良い子だったのに……。なんて残忍なことを……」


「母上、違います! 叔父上の言うことはすべてでたらめです!」


 オスヴァルト殿下は必死に抗弁を試みるが、その言葉がマグダレーナ陛下の耳に届くことはなさそうだ。

 ヴォルフラム殿下の自信を伺う限り、もう十分な証拠も揃っているのだろう。


「オスヴァルト。王妃陛下が仰るとおり、おまえのやったことはあまりに残忍だ」


 そう言いながら、ヴォルフラム殿下はマグダレーナ陛下に顔を向けた。


「ですが、マグダレーナ陛下、すべての発端は、あなたの願いだったのです。いえ、もっと言えば、国王陛下が三十年前、あなたを見初めてしまったことが発端だった」


「ああ、ヴォルフラム……。あなた、国王陛下から伺ったのね……」


「はい。三十年ほど前、あなたは伯爵夫人として、前夫の伯爵との間の子を妊娠していました。ですが、兄上……当時のハインリヒ王太子はそれでも構わないと無理やりあなたを伯爵から奪いました。そのことについて、部外者の私が善悪を断じるつもりはございません」


 私には愛だの恋だのはよくわからないけれど、陛下がひどいことをしたのはわかった。


「子どもは生まれました。女児でした。ですが、ハインリヒ王太子は、王家の血が入っていないその子どもを、王宮で育てることをよしとしませんでした。かといって、伯爵家も、王家に奪われた王太子妃の子どもを受け入れようとはせず、その子は孤児院に入れられることになったのです」

 

 マグダレーナ陛下の顔はどこか遠くを見るように、寂しげだった。

 

「あなたは、いつかその子を取り戻そうと、目印として、我が子の……赤ん坊の左足の小指を切断しましたね?」


 マグダレーナ陛下は何も言わなかった。黙ってヴォルフラム殿下の話を肯定しているかのようだった。


「幸い、女児なので、見つかりさえすれば、後宮で雇って側に置くことはできると思っていたはずです。ですが、あなたはずっと後宮に閉じ込められ、我が子を探す機会などうかがうことはできませんでした。周りにいるのは王宮から自由に出入りできない侍女たちか、自分の地位を狙う側妃ばかりです。娘を探してくれる者もいないまま時は過ぎ、やがてハインリヒ王太子……現ハインリヒ国王陛下との間にもうけた子どもたちが育ち、王子としてある程度の権限も持つようになりました。特に、第二王子オスヴァルト殿下は王妃陛下に特に懐きました。いえ……何でも言うことを聞くように、王妃陛下がそう育てたのです」


 オスヴァルトはマグダレーナ陛下に、いまだ縋るような顔をしている。自分が利用されていたことに気づいているのだろうか。


「王妃陛下、あなたはオスヴァルトに、侍女ではなく、娘を探すように依頼したのです。左足の小指の欠損を目印にするように伝えたはずです。だから、オスヴァルトは、左足の小指がない女を探していた。ですが、いかに王家の人間であろうと、思うほどそれは簡単なことではない。当人がそんな身体上の欠陥をわざわざ人に言いふらすことなどないだろうし、平民であれ、靴を履くから目で見てもわからない。赤ん坊の頃に切断されていたのであれば、歩行にも慣れて、足を引きずりもしない」


 今度はヴォルフラム殿下が、オスヴァルト殿下を哀れむように見た。


「だから、オスヴァルトは、言うことを聞く貧しい娘を見つけては、侍女として後宮に送り込むため、左足の小指を切断させ、このような悲劇を招いたのです」


 話を終えたヴォルフラム殿下を、マグダレーナ陛下はただ黙って見つめていた。

 オスヴァルト殿下は、ヴォルフラム殿下をきつく睨んだ。


「叔父上、言いたいことはそれだけですか? 私はあなたを恨みます。母上と僕の仲を裂こうとしたことを……」


「オスヴァルト……いえ、王妃陛下。あなたは教育を間違えた。人の指を切断させ、殺害までして、それよりもあなたとの関係のほうを気にするような王子を作ってしまったのです」


 ヴォルフラム殿下は、オスヴァルト殿下よりも、マグダレーナ陛下を非難するようだった。


「身寄りのない平民の侍女が指の一本を失ったり死んだところで何だと言うのです!?」


 私はオスヴァルト殿下のその言葉に、胸を突き刺された気がした。わかってはいるけれど、エルゼさんの命はその程度のものと思われていたのが悔しかった。そして、その程度なのは、私の命の価値も一緒なのだ。


「オスヴァルト、残念だが、もうおまえの未来はない。だが、はっきりと教えておこう。平民の命も王族の命も同じく大切なものだ。この王宮で、平民の命が軽く扱われていようが、王国法でも殺人は重罪だ」


 私はヴォルフラム殿下の反論に驚いた。平民と、王族の命が同じだなんて、考えたこともなかった。


「死体好きの『死神』にそんなことを言われたくはない!」


 オスヴァルト殿下は、なおもヴォルフラム殿下に噛み付いた。


「ヴォルフラム殿下は好んで死体を見ているのではありません! 亡くなった方を敬い、同じ悲劇が起こらないように原因を調査しているのです」


 私は身分もわきまえず、ついに声を上げてしまった。


「誰に向かって口を利いている、下女が……」


「やめなさい。オスヴァルト」


 私を庇ったのは、マグダレーナ陛下だった。


「皆、私のかわいい侍女たちです。もうこれ以上、後宮を荒らさないで……。私が間違っていたことは認めましょう。いかなる罰も受けます」


「母上……」


 オスヴァルト殿下はそれ以上、何も言えなくなった。


「王妃陛下、赤ん坊の指を切ったことは別として、今回の一連の侍女の件について、反省しているあなたを裁く王国法はございません。あなたが今回の件に関してしたことは、オスヴァルトに娘を探すよう頼んだだけなのですから」


「だけど……」


「あっ!」


 私は何の脈絡もなく声を上げてしまった。

 とても重大なことに気づいてしまったから。


「どうした、ノエラ?」


 怪訝そうにヴォルフラム殿下が尋ねてきた。


「私、思い出したことがあるんです……。大したことではないとすっかり忘れていたのですが……」


「だから、何だと聞いているのだ」


 私は振り返って、部屋の扉のところにいた侍女長のヘレーネさんを見た。


「ヘレーネさん、左足の小指がないですよね? 私、一度だけヘレーネさんが靴擦れを起こしたときに、偶然、左足を見てしまったことがあって……」


 ヘレーネさんは驚いた顔をして私を見た。けれど、すぐに観念したようにため息をついた。


「ええ……。失礼ながら、お話はすべて聞かせていただいておりました……」


「ヘレーネさん……あなたは……」


「おい、ノエラ!」

 

「ヴォルフラム殿下、隠す必要なんてないです。だって……親子なんですよ、マグダレーナ陛下とヘレーネさんは」


「嘘……」


 そう呟いたのは、マグダレーナ陛下だった。

 

 ヴォルフラム殿下も観念したようだった。

 きっとそれを明かすことが正しいことなのか、お二人の気持ちを考えるとわからなかったのだろう。

 でも、孤児の私ならわかる。母親が誰なのか知ることができるなら、絶対に知りたい。知って、抱きしめてもらいたい。


 マグダレーナ陛下は立ち上がり、ヘレーネさんに歩み寄った。


「ヘレーネ……あなた……」


「足の指がなくて、幼い頃は、いじめられたこともあったのですよ……」


「ごめんね……。どうしても……あなたを諦められなくて……」


「でも、ずっと、いつかお母様に会いたいと思っていました……」

 

 マグダレーナ陛下はヘレーネさんを抱きしめた。


 お二人はただ泣いて、抱きしめ合った。


「母上、その者も偽物ですよ!」


 オスヴァルト殿下が叫んだ。


「母上、僕を見てください! 見捨てないでください!」


 必死なオスヴァルト殿下の声は、マグダレーナ陛下の耳には届かず、お二人はより強く抱き合った。

 

「オスヴァルト、無駄だ。侍女長は王妃陛下の実の娘だ。王妃陛下……私は国王陛下を擁護するつもりはまったくありませんが、あなたを伯爵から奪ったことも、子どもを奪ったことも、国王陛下はずっと気に病んでおりました。贖罪のつもりではないのですが、お子様を……ヘレーネ様をずっと側に置かれていたのです。自分の罪を認めるようで、ずっと明かすことができなかったようですが……」


「殿下、もう説明は要りませんよ。ご本人たちはわかっているはずです。そっとしておいてください」


 私はヴォルフラム殿下を黙らせるために、たしなめた。


   ※


 その後、正式な裁定を経てオスヴァルト殿下は王子の地位を剥奪され、幽閉されることになった。

 ヘレーネさんは侍女長の仕事を続け、これからもマグダレーナ陛下のお側にいることになった。


「まったく……。兄上にも反省してもらわんとな。まったく色恋のせいで人まで殺される事態になるとは……」


 ヴォルフラム殿下が呟いた。

 

「愛だの恋だのややこしいですよね。ややこしいと言えば、親と子の関係もですが……。私は孤児でよかったです。面倒なことに巻き込まれることもないですから」


 私も殿下の呟きに応じた。

 本心ではなかったけれど、何だか強がりたかった。私には、ヘレーネさんのように、親子の証となりそうな目印など何もなかった。


「何だ、ノエラ。おまえは親に会ってみたいとは思わないのか?」


「思わなくはないですけれど……。関係のない人まで巻き込んでしまうのであれば、会えなくてもいいです」


 私は、エルゼさんの亡骸を拭いた布を取り出して眺めた。エルゼさんの無念を思うと、また悲しい気分になってしまう。

 

「何だ、その布は?」


 ヴォルフラム殿下が不思議そうに布を見た。


「私がただ一人、お友達になれた侍女の、エルゼさんの形見です」


「その布切れがか?」


「布そのものではなくて、この布で、亡骸を清めたのです」


 ヴォルフラム殿下が怪訝な顔をする。


「衛生的に問題がありそうだが……」


 その殿下の言葉に私は呆れた。


「仰るとおり、衛生面のことがあったので、もう洗っていますよ。もう匂いも残っていませんけれど、それでも捨てられないのです。……そんなことしか言えない殿下には、きっとひとりもお友だちがいないのでしょうね」


「何か引っかかる言い方だな」


「……まあ、私も友達なんていないのですけれど。後宮で……いえ、この王宮の中で最下層の人間ですから。でもエルゼさんは、私がここで初めてお友達になれた、唯一の方だったのです」


 ヴォルフラム殿下が不思議そうに私の顔を覗いてきた。

 

「私はノエラとは友人のつもりだったのだが、違うのか?」


 私が「王弟殿下と平民が友人なんてありえないではないですか」と言おうとして、止めた。

 感情をあまりに表に出さないヴォルフラム殿下が、珍しく不服そうな顔をしていた。それはとても「死神」とは思えない、あどけない、ただの青年の顔だった。


 この人は、冗談なんかではなく、本気で私を友人と仰ってくださっているのだとはっきりわかって、私は何だかおかしくなって笑ってしまった。


 死神(デス)と子鴉(リトル・レイヴン)——王宮では忌み嫌われる私たちだけれど、どうやらお互いにとっては、かけがえのない存在らしい。

 

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ミステリー大好きなのでこの作品を書いてくださって本当にありがたいです! ホワイダニットを解いてみたら「うんうんいるいるこういう人~が悪くかみ合ってしまった悪夢のピタゴラスイッチ」、描写の説得力が高くて…
そもそも国王が悪い
バディの推理ものはよい。王弟殿下もなんか隠された設定ありそう。 王子は両親の身勝手さのミックスで、しかも親にあったギリギリの良心が育たなかったんだろうな。まぁ生育環境には同情するが。
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