酸素と時間と人生と。
酸素は、エネルギー消費の着火剤となり、物質の腐敗を加速させる。エネルギー活動とは、エントロピーの増大を意味し、酸素はいわば「時間の加速装置」と言っても、過言ではない(そんなことを言っているやつは誰もいないが)。
食品を真空パックし、冷凍庫の中で保管する。
酸素もなく、光も当たらないゼロ度以下の環境では、分子の崩壊速度もゼロへと近づく。実際には数万年から数百万年あたりで崩壊するが、それはほとんど「時間の止まった状態」と言っても過言ではない。
クリストファー・ノーラン監督の映画『TENET』では、ハイウェイで燃え上がった車が、時間逆行により、凍り付くという表現があった。あれはおそらく燃焼によるエントロピー増大を逆回しにすることにより、温度が奪われるという現象を表現したものに違いない(本当か?)
だとすると、人間が感じる時間の経過の大部分≒正体は、酸素に支配されているとも言える気もする。
ふと思いつく。
高地に住めば、あるいは細胞の老化速度を遅らせ、長生きできるのではないのか?と。だが、今度は燃焼剤ではなく、熱と光そのものである太陽との距離も近づき、紫外線によるダメージを受けることにもなるので、これは却下か。
光も、熱も、酸素も低い世界で長生きをする。
もし、それらの環境が整ったとして、今度は果たしてそれを「生きている」と言えるのか、という問題が発生する。
生きるとは、崩壊に向かって、エネルギーを放出する行為であり、暗闇で息をひそめ、ただ静かに時の経過を待つのは、ほぼ停止している=死んでいる状態と同じとも言える。
適度に発光しながら、頃合いで燃え尽きる。
それが「最良の人生」というものなのかもしれない。
いつもどおり、予想外のオチで着地。




