第34話 行軍開始
カッ、カッ、カッ!
副指令のモルニエール卿が、剣の柄で地面を三度叩くと、ざわめきは収まり、辺りは静寂に包まれた。 ライデルが壇上に上がると、騎士たちが槍旗を一斉に傾ける。
そしてライデルは説法を始めた。静かに、そして諭すような声色で──
「今日、我らが踏むこの大地は、神より託された教区『グリンセイランド』。
しかし、祭壇は倒れ、鐘楼は黙したまま──
我らは報復ではなく、回復のために剣を執る。
神の田畑を耕す、十字の鋤として刃を振るえ。
罪ある者を憎まず、罪そのものを討て。
──これぞ騎士修道の誓い」
静かな説法が、じわりと胸を震わせる。
しかし、上陸部隊本隊壊滅の報は誰の耳にも届いており、皆一様に表情は暗い──
「祈りつつ進め、信を違えずに戦え」
「“神が我らと共におらば、誰が我らに敵し得ようか。”」
聖典の一節が落ち切った瞬間、その声色がわずかに変わった。 ライデルは准司教としての言葉ではなく、自分の言葉で語りだす。
「──既に皆も聞いていると思うが、上陸部隊の本隊は嵐に呑まれ、海の泡と化した」
騎士たちは、その声に顔を上げ、聞き入る。
「今ここにあるのは、我ら先遣隊の三千のみ。対する敵は、 ……万の軍勢だ。我らに『死』が迫っている。──死は怖いか? 私は怖い」
その言葉に、騎士たちは息をのむ。
「しかし、真に恐れるのは己の死ではない。大切な人の死だ。私はこれ以上、大切な人を死なせないために、ここに立っている。
そして皆もそうであると信じている。
敵は我らより数が多い。しかし、彼らは数を頼む者であり、我らは志を頼む者である。
一日だ、一日だけでいい、敵の侵攻を防ぎ切って見せよ!
さすれば我らの叡智と、神の御力が必ずや奇跡を起こす! 必ずだ!!
私はここに宣言する!! 我らこそが勝者であると!!
聖オーランの導きと、あなた自身の誇りに誓って、今こそ、その武勇を示せ!!」
「「 応!!」」
騎士たちがその瞳に、僅かな光を宿した気がした。
† † †
騎士団は東部平原に向かい行軍を開始する。死地に赴く、その足取りは軽くない。
グラハムはひとり思案する。
昨晩──
「リディ、本当にできんのかよ? 大水門を決壊させて、洪水で敵を飲み込むなんて」
グラハムはそう口にしながら、訝しげにライデルを見やった。
「ああ、洪水で敵を飲み込む。
そして物資を水没させ継戦能力を奪う。
さらに橋を押し流し敵部隊の侵攻を防ぐ」
ライデルの声に、迷いはない。
「ああ! 確かにそれなら、増援の到着まで耐えられるだろうよ! だが敵も馬鹿じゃねぇ! こっちが討って出て、川岸に陣を敷いた時点で気づかれるぞ! 大水門の守りを固められたら終わりだ!」
グラハムの懸念に、ライデルはふっと目を伏せた。
「……これだけの戦力差、そろそろ裏切りや降伏を画策する人もいるかと思ってね」
「……?」
グラハムはその言葉の真意が分からず困惑した。
† † †
「モルニエール卿、本隊の指揮を任せます」
「……はっ!」
「最初の狼煙から四刻です。四刻を防ぎ切ったら、撤退して構いません」
ライデルとグラハムは静かに馬首を返すと、北へ向けて駆け出した。 別動隊が浸透する、静かな川沿いの道を進んでいく。
「三ノ門から大水門までの距離は、凡そ十四キロメートル。帝国軍と残党軍の戦力差と、水門同士の距離を考えると、水門の破壊にかけられる時間は二刻半だ。最初の狼煙から二刻半。それが『約束の刻』だ」
「ここからは別行動だね……ボクは東岸から、グラハムは西岸から攻め込んでくれ」
「……リディ、死ぬなよ」
「グラハム、君も」
† † †
グラハムは別動隊の一隊を従え、川の西岸を遡上する。
「──グラハム殿、大水門への道より、少々西にずれているかと」
別動隊に同行する騎士が、不審げに尋ねる。
「あぁ! 俺たちは大水門には向かわない」
「──なっ!? 一体、何をおっしゃっているのです!?」
──その問いに答えるように、グラハムは昨夜の会話を思い返す。
† † †
「グラハム、君にだけ伝える。これが、本当の作戦だ」
──ライデルは地図を広げ、現在の位置を指し示す。
「ボクたち別動隊は、大水門を目指し北上する」
──ライデルの指が、北へ向かい地図をなぞる。
「そして、それを『通り過ぎる』」
「──??」
ライデルが指し示す指は、更に北へ……
「ボクたちが落とすのは、大水門じゃない。その上流にある三つの水門を一気に落とす」
「──ッ!?」
「人工的に鉄砲水を発生させ、その猛烈な流れをもって、大水門を決壊させる!!」
ライデルの指が指示したのは、川の遥か上流。
「まずは、上流にある一ノ門、そして支流にある二ノ門を同時に襲う。奇襲により敵を素早く殲滅したら、水門を開く。恐らくこの時点で敵は気づく。
ここからは時間との戦いだ。下流に向かい、三ノ門に両岸から攻め込みこれを落とす。
二つまでは、耐える。
三つなら……大水門は、決壊する!
水は水竜となり、蛇行する川の東側──低地にある残党軍陣地を飲みこむ!!」
「こいつぁ…… すげぇな…… 流石は俺の坊っちゃんだ」
「頼りにしてるよ、相棒!」
† † †
「信じがたい…… そんな作戦……!」
別動隊の騎士たちが、ライデルの真意を知り、思わず息を呑んだ。
「恐らく、大水門を決壊させる作戦は、敵に漏れている」
「内通者がいると?」
「それを逆手にとり、大水門に敵の視線を集める!」
「敵の目が大水門を向いている隙に、上流の水門を落とすぞ」
まっすぐ前を見据え、馬を駆ける!
「見えたぞ! 一ノ門だ!」
いま、雌雄を決する戦いが幕をあけた !!




