第25話 魔王軍の残党を追って
フォン! フォン! フォン!
朝靄の中、教会の裏手に、風を切る音が響く。
フォン! フォン! フォン!
いつもと同じ時間。いつもと同じテンポで。
穏やかなアーシャ=ヤームの、いつもの朝。
フォン! フォン! ……フォォン。
最後の一振りだけ、ほんの少しだけ迷いを孕んだ。
「おはよう! リディ! 今日も偉いねっ!」
背後から、明るい声が飛んできた。
「おはよう、ルティ」
ライデルは剣を納め、振り返る。
ルティが手にしたパンの包みを胸に抱えて、小走りで向かってくる。
素朴で、素直で、まっすぐな瞳。あどけなさの残るその表情には、世界を信じるような強さと儚さがあった。
「はい、朝ごはん。ちゃんと食べないとダメだよ?」
「ありがとう。ルティも早起きだね」
† † †
ふたり、教会の縁に並んで腰かける。
どこかぎこちない沈黙の後、ライデルがそっと切り出す。
「ルティ、やっぱり──」
「ふぇっふぁぃにっ!」
──ルティが、ライデルの言葉を遮る!
「わふぁひふぉ!」
──真っ直ぐな瞳で!
「いひまふはりゃ!!」
……パンを口いっぱいに頬張りながら……
(ニャー、ニャー、ニャー)←ネコ蝉の鳴き声
「ぷっ、あははっ、何言ってるか分かんないよ、ルティ」
ルティの仕草が可愛くって、思わず笑みが零れる。
「……もぐ……もぐもぐ…… 絶対に、私も行きますからぁ」
顔を赤らめて、頬を膨らませながらルティが言い直した。
「……でも」
言いかけて、ライデルは口を閉ざした。
伝えたいことが多すぎて、どれを選べばいいかわからなかった。
「『でも、愛するルティの笑顔は、このボクが守るよ!』……って?」
「「サーナ!」」
全く似ていないモノマネとともに、サーナが姿を現した。
「そんなに眉を寄せてちゃ、顔にシワできるよ? ほらほら、笑顔笑顔ーー」
小さな体をひょいと跳ね上げ、ふたりの隣に腰かける。
陽気で、人懐っこくて、時折ものすごく頼りになる。──旅の道連れとして、これ以上ない存在だ。
「でも、本当に危険だよ」
その笑みの裏で、彼女の声は一瞬だけ真剣味を帯びた。
「……うん。でも、私、行くよ」
ルティは遠くを見つめて、静かに答える。
「やっぱり、生まれ故郷だから」
風が、巡る。いつかの記憶と、まだ見ぬ大地の予感を運びながら──
† † †
ヴィシアム連合王国との和平合意より一年。聖オルビア帝国は、この合意をもって南部小大陸における旧魔王軍南部小大陸方面軍の『残党軍』の補給路を断ち、その機を逃さず、残存勢力の掃討を図るべく、北部諸都市への戦力集結を本格化させていた。
「リディーッ! その書類、そこじゃないよー! そっちは領収印付きの方ー!」
「え、あ、こっち? いや、これ請願書じゃない? あれ? あれれ??」
「違ーうっ!」
教会の執務室に、雷鳴のようなルティの声が響いた。
「うう、ごめん…… ほんとに…… 紙の束が似てて……」
床に散らばった文書の山の中で、ライデルは呆然と紙を拾い上げていた。
「ははは。この一年でルティは本当に頼りになるようになったな!」
執務机の奥からグラハムが低く笑った。
「それにしても、今からこんなんで大丈夫かよ!? “神学顧問”様!」
南部小大陸において、残党軍を討つべく、聖オルビア帝国・帝国軍による掃討作戦が本格的に始動した。連合王国の言語と文化に深く通じたライデル・ウェミナール准司教は、騎士修道会付き神学顧問として召集された。
「積荷はすべて確認した。出発準備は予定どおり進んでいる」
「ありがとう、ナギさん」
併せて戦時外交官、および通訳の任も帯びて帝国軍に同行することとなった。信仰に根ざした交渉と、連合王国との橋渡し役として、ライデルの存在は不可欠とされ、戦場においても剣ではなく言葉を武器に、静かにその役割を果たし始めていた。
† † †
今日は一行が南部小大陸に向けて出発する日。
街は相変わらず喧噪に満ちていた。荷馬車が軋む音、湖を駆ける風の音、ネコ蝉の鳴き声。それがアーシャ=ヤームのいつもの風景だ。
でも今日は、少しだけ、違って見えた。
「……ここを離れるの、寂しいね」
ライデルが、湖の向こうを見つめながらつぶやいた。
「ま、旅立ちってのはそーいうもんだ」
グラハムが手綱を引きながら笑う。
「また帰ってくればいいだけさ」
そして、荷馬車はゆっくりと進み始めた。
ルティがそっと、ライデルの袖を握った。
「大丈夫。きっと戻ってこよう。みんなで」
「……うん」
遥か南東の海の向こう、まだ見ぬ大地──
南部小大陸が、彼らを待っていた。




