第11話 公爵と記憶の中のレヴィ様
アクィターナ公国──
名目上はヴィシアム連合王国に属するが、その国力は単独で連合王国諸国に並び立つ。街を流れる貨幣も軍旗も、すべてが“アクィターナ”の色だった。
その強大な国を治めるのが、アクィターナ公爵家である。
──そして現在の公爵は、あの魔王レーヴァタスの継子でもある。
チチチ…… チチチ……
バルコニーに止まった小鳥たちのさえずりが、アーシャ=ヤームの夜明けを告げる。湖面を渡る涼やかな風が、ライデルたちの頬をそっと撫でた。
今日は、現在のアクィターナ公爵への謁見の日。宿から用意された馬車に揺られ、石畳の街を進む。遠くには、白亜の宮殿――かつて魔王レーヴァタスが暮らした宮殿が、朝の光にほのかに染まっている。
† † †
「聖オルビア帝国聖座特使、ライデル・ウェミナール准司教、御前へ!」
侍従長が宣言すると、荘厳な扉が開く。
持参した、円十字杖を捧げて進み、片膝をつく。
中央にはシャーシャ人の若き公爵、その隣には重々しい鎧をまとった男――屈強なラオ族の将軍が控えていた。
「遠き旅路ご苦労であった。──顔を上げてください」
緊張を隠しきれない公爵の声が、広間に響いた。先ほども公爵らしい言葉の中に、不自然に敬語が混じっていた。
(公爵、聞いていた通り、まだ経験が浅いな)
「寛大なる公爵閣下、ならびに威名高き将軍閣下にお目通り叶い、恐悦至極にございます。我が皇帝と教皇よりの親愛と、平和の祝福をまずは申し上げます」
ライデルは隣に控える将軍を、僅かに見やる。
(実権を握っているのはこの将か)
「貴殿らの目的は、我が領邦に在る同胞の司牧と聞く。これを喜んで許す。ただし──」
公爵が目配せすると、後ろで控えていた将軍が一歩進み出る。
「ただし、民心は今なお戦禍で揺らいでおる。布教活動──つまり、新たな改宗勧誘や論争説教は、しばし控えてもらいたい」
将軍の声色は重く、反論を許さない力強さがあった。しかし、それに剣気はなく、むしろ街を案じる熱が滲んでいた。
(不遜さはないな。前公爵、つまりは魔王、その忠臣であるラーナシン将軍。代替りしても公爵家への忠誠心は変わらずか)
「謹んで拝受いたします。まずは慈愛にて人心に光を灯しましょう。布教の時期は、公爵閣下のお印なくば一切行わぬこと、ここに誓約いたします」
「時として“舌”は刃に等しい。民草が剣より言葉で殺されることの無きよう、よろしく計られよ」
将軍が、低い声で釘を刺してくる。
「剣は鞘に、言葉は福音にのみ用いる所存」
† † †
謁見を終え、宮殿を後にする一行。
人族やエルフ族が多く暮らすオルビア人居住区に向かう途中、湖畔の広場でふと足が止まった。
小さな石碑。そこに、一人の老女が静かに花を手向けていた。
「……あれは?」
ナギがそっと問いかける。
「あの碑、前公爵様の……追悼碑だよ」
サーナが答えた。
人類の宿敵だった魔王を、人族が弔う。その違和感に、ライデルたちは足を止めた。
「ちょっと、話を聞いてみようか」
できるだけ刺激しないよう、ライデルが老女に近づく。
「……あの、失礼ですが。どうして前公爵様に献花を?」
老女は、驚いたように顔を上げた。しかし、すぐに穏やかな微笑みを浮かべ、静かに答えた。
「レヴィ様はね……」
「レヴィ?」
ライデルが首をかしげる。
「ああ、前公爵様が、まだ剣闘士だった頃の愛称よ。今は『レーヴァタス・エル・アクィターナ』。でも、昔はただのレヴィ様だった」
老女の目は、遠い日々を見つめるように柔らかだった。
「闘技場で勝つたびに、貴婦人たちが歓声をあげたものさ。『レヴィ様! レヴィ様!』ってね……」
「レヴィ……なんかリディに似てるな」
横でグラハムが呟いた。
「え、ってことは、ルティにも……?」
サーナがいたずらっぽく言うと、
「似てません!!」
ルティが顔を真っ赤にして怒った。
そのやり取りに、老女もくすくすと笑った。
「レヴィ様は、強くて気高くて、最後まで私たちの王様だった。“魔王”なんて、物騒な呼び名をされているけれど……この街を見れば、あの方がそれだけの存在ではなかったって、きっとわかってもらえると思うの」
そう言って老女が目を向けたアーシャ=ヤームの街並みは、陽光を浴びて、どこか誇らしげに、そして静かに輝いて見えた。
† † †
静かに献花を見送った後、ライデルたちは再び歩き出した。ライデルは、静かに歩を進めながら空を仰ぐ。
人類の領域を侵略した魔王と、ここで聞く魔王の輪郭が違いすぎる。心の奥底に、鈍い違和感が渦を巻く。
ボクは、分かりたくないのだろうか? それとも……
しばらく進み、辿り着いたのは、オルビア人居住区にある小さな教会。この地で、彼らの新たな日々が始まろうとしていた。