記憶 10
帝都。帝国の首都である。
文化、経済、軍事の中央を担い、皇帝の王宮や各省庁も存在している。
今ジラーリアがいるのは帝都第10区。
彼女が暴れ出してから約一時間が立った。
(帝都第十区はほぼ壊滅。しかし、軍はまだまだいる。)
帝国近衛隊隊長、シャルロッテは思った。
「しかしまあ…あれほどの魔力の塊をよく制御できるものだな…」
彼女の姿は見えない。しかし、魔力感知でその姿をすでに捉えていた。
彼は数分前の帝国議会の様子を思い出していた。
突如現れた敵。これにどう対処するかという話になった。
彼は最初感心した。
この国の腑抜けた貴族どもがまだ逃げていないことに。
が、正確には逃げたくても逃げられないらしい。
彼女の膨大な魔力のせいで「転移」装置は故障し、帝都の各地にある魔力障壁もほとんど破壊されたようだ。
特に頑丈に作られた議会周辺の障壁は残っているからそこに集まった、ということだ。
そして結局決まったことは、近衛隊に「国立聖霊研究所」の職員や各地の有名魔法使い、帝国軍隊長を集めた部隊をぶつけることだった。
「…シリウス・テリアメスはいないのか?」
「ええ。彼女とは今連絡がつかないようです。」
「そうか。」
(…それにしても、皆どこかで見たことがあるな。)
シャルロッテは辺りを見回した。
右の方にいる青い髪の青年。
(…名前はなんだっけ?)
彼は百年に一度の魔法の天才として以前メディアで取り上げられていた。
他も大体、いわゆる「魔法の専門家」と呼ばれる連中だ。
大学教授、元軍人、民間軍事企業のトップ… 。
「よお、シャルロッテ。」
声をかけられてみると、
「ああ、リントン。久しぶり。」
黒い髪の男。国立精霊研究所の所長、リントンが立っていた。
彼とは仕事柄付き合いがある。
精霊。人工的に作られた魔力の結晶(霊晶)のうち魔法が宿った特殊なものを経口接種することで使える魔法。
複数の魔法を使うことができるようになるが、元となった魔力が動物から回収されているため、理性の働きや身体に影響を及ぼす可能性が指摘されている。
「おいシャルロッテ。聞こえるか?」
頭の中で声がした。
作戦本部だ。
「もうすぐ標的を捉える。ただちに攻撃を開始する。」
シャルロッテは答えた。
「ああ、気をつけろ。
相手の総合魔力量は推定こちらの3倍とも4倍とも…」
司令部は彼に注意を促す。
「…来たな。」
シャルロッテはつぶやいた。
副隊長、ヘルセスに命令する。
「ヘルセス、戦闘準備だ。」
その瞬間。場にいた全員、400名前後が固まった。
「……」
彼らの前に立っているのは、ジラーリアだ。
そのあまりの魔力量に誰もがたちすくんだ。
「……」
全身をどす黒い魔力がウェディングドレスのように包んでいる。
薄く赤い目が怪しく輝いている。
彼はふと、ジラーリアの右手にある細長い剣に気がついた。
それは赤黒く輝いて、柄のあたりから赤い液体が滴っている。
(…ルカエル…!?なぜここに!?)
「テーリア=ルカエル」。
数百年前、旧帝国で戦争が起こった。
その時の戦場に残った刀を溶かして国随一の刀工が打ったと言われる。
術式は「惨劇」。「相手を斬るほど剣撃の威力と攻撃範囲が増す」という恐ろしい能力。
今は帝都の博物館で厳重保管されているはずだった。
シャルロッテは「亜空間」を発動した。
彼の右手に穴が開く。そこは深い青で満たされている。
その中から数本の太い鎖が出現し、ジラーリアの両手を絡めた。
彼の亜空間は特殊な性質を持っている。「亜空間」の中に一度はいってしまうと、その物質は「亜空間」の性質を持つようになる。
「亜空間」の性質を持つということは、シャルロッテの意志が物理法則を凌駕することを意味している。
だから彼が浮かべと思えば浮かぶし、絡まれと命じればその通りに絡まる。
ジラーリアは鎖のせいでうごけていないようだ。
近衛兵らから歓声が上がる。
しかしシャルロッテは少し不安を感じた。
(彼女がこの程度の技で封じられるだろうか?)
鎖といってもただの鎖ではなく、世界でもトップクラスの硬さを誇る金属で構成されている。
だが目の前の怪物の動きを止めるには物足りないように思った。
彼は慎重に、鯨の死体を引き寄せた釣り人のように鎖をたぐる。
ずるずると不気味な音がして、少しづつジラーリアが近づく。
シャルロッテは緊張のあまり手が汗で濡れるのを感じた。
彼の作戦はジラーリアを亜空間に引き摺り込むことだ。
そうすれば誰であろうと生きられない。
もう少し、もう少しで触れられるという距離。
彼は右手の穴をジラーリアに当てようと、手を伸ばした。
その瞬間。
目の前で、ジラーリアの真っ赤な口が裂けた。笑っていた。
その笑いはどんなものよりも邪悪で不気味だった。
(待っー)
シャルロッテが慌てて後退しようとしたが、間に合わなかった。
彼は首を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。
(…これは…想像を…はるかに…)
シャルロッテはすぐに起き上がった。
目の前でルカエルが迫る。
「亜空間」に自ら入り、少し離れたところに転移した。
同時に、近衛兵による一斉攻撃が行われる。
人の海がジラーリアを飲み込んだ。
(さすがにこの人数に囲まれては勝てまい。)
ジラーリアという少女のことは聞いていた。
彼女は帝国による実験、「白銀計画」の最初の被験体である。
白銀計画では、他者の陶臓を移植することで、歴代最強の魔法使いである「レベルス=テリアメス」の再現を目指す。
再現したレベルス=テリアメスを使えば、これまでよりも容易に他国を侵略できるからだ。
そこに必要なのは莫大な量の新生児の陶臓(魔法を使用する際の魔力の生産に使う臓器)と、王家の血、そして非常に魔力抵抗の少ない人間である。
王家の血をとることは難しくなかった。なんと言っても王がこの計画を立てたのだから。
莫大な量の陶臓は、キオンという謎の男によってもたらされた。
彼は医者をやる傍ら学校などのさまざまな施設を運営しているらしく、数百の陶臓を集めるなど簡単だと語った。
彼は陶臓の対価を求めた。
が、それは金ではなく、今後の自分の活動を帝国が黙認することと被験者に子供を産ませ、引き渡すことだった。
帝国は無論それを受け入れた。
何百という小さな命の破片。それを紡いだ遺伝魔法学、生体魔法学、魔法医学…。
何百年という魔法学と、数えきれないほどの尊い命の結晶。
それがジラーリアという魔法使いの本質である。
結果、あのような化け物が生まれた。
魔法使いの能力は主に陶臓の性能と、所持している魔法の性能による。
ジラーリアはどちらもトップだと言っていいだろう。
しかし、それはあくまでも一対一の話。
帝国の近衛兵といえば、世界最強の部隊。
それが300人もいるのだ。彼女が生き残る確率など万に一つもない。
シャルロッテは完全に勝ちを確信して、少し遠くを見ていた。
その時ふと異変を感じた。
あんなに多かった近衛兵が半分以下になっている。
人もまばらで、赤い液体がそこらじゅうに散らばっているのが見える。
(…まさか。)
信じられなかった。いやそんなはずと思いながら前を凝視する。
どんどん近衛兵は減っている。隙間からジラーリアの真っ赤な瞳が見えた気がした。
(…嘘だろ。)
ついに最後の近衛兵が倒れた。
残っていたのは、真っ赤に染まったジラーリアだけだった。
返り血を浴びて服は余すところなく真紅に染まっている。
彼女の手に握られたルカエルは、血を吸って巨大化し、2倍以上の大きさになっている。
シャルロッテは生まれて初めて、命の危険を感じていた。
残っているのは自分含め4人。
副隊長であるヘルセスと、リントン。そしてもう1人の謎の人物。
「……」
4人ともぼーっとしていた。
目の前で起きたことの衝撃が大きすぎたのだ。
次にジラーリアの標的になったのはリントンだった。
一瞬。彼はルカエルが目の前に迫っていることに気がつき、すぐに横に避けた。
が、ジラーリアの右手が彼の肩に置かれるや否やアルミ缶の様にくしゃっと潰れてしまった。
「リントン!」
叫んだが意味はない。
彼はすでに赤い水たまりとなっていた。
「…リントン。」
シャルロッテは再び呆然とした。
ジラーリアは次にヘルセスを狙った。
ヘルセスは剣を抜き応戦しようとしたが、構えた剣ごと真っ二つにされた。
「…ヘルセス…」
ぽつり、と呟いた時。
「…見苦しいな。」
初めてジラーリアが口を聞いた。
その声にハッとする。
「結局帝国に利用されるだけの運命だというのに、わざわざ死ににきたなんて。」
彼女は髪を片方いじりながら続けた。
「…何がしたいんだ?お前は。帝国への恨みを晴らしたいのか?」
「別に。」
だろうな、と思った。
もしそうならとっくにできている。彼女が「演算崩壊」を乱発しておけば全てが壊れるのだから。
だが実際はそうではない。現に自分はここに立っている。
「まあそうね。でも、その恨みはすでに元凶…キオンをメチルとシリウスが殺したから、もう関係ないわ。」
(…キオンが殺された!?)
彼はシャルロッテから見ても相当な実力者だった。
下手をすれば、自分よりも強力とさえ。
「へえ。じゃあ、なぜ?」
シャルロッテは自分が死ぬ可能性を十分に認識していたが、それでいてなお気になった。
なぜ彼女が自分を殺さないのか。
彼女の目は空虚に輝いている。
全てを手に入れられるほどの強さを持ちながら、何も手に入れようとしていない。
これほど多くの人を殺しているのは、なぜなのか。
自分の欠けた心を誰かの血で埋めようとしているのか?
「なぜこんなに、全てを壊そうとする?
それでいてなぜ自分を殺そうとしない?」
「殺すよ。ただ、それはお前の部下を全員殺してからだ。
自分の責任に押しつぶされたまま、絶望して死ね。」
大量の瓦礫が謎の青年を襲った。
シャルロッテは彼の存在にすら気づいていなかった。
ただ、どこかで見たような気がしていた。
「……」
息もできず、視界の端でその様子を眺めていた。
「残虐、か…。それを知りながら放置した、俺にも責任があるんだろうな。」
彼は全てを諦めたように呟いた。
シャルロッテは「亜空間」の奥義を使うことに決めた。
多分勝てないとほぼ確信する中で、ジリジリと魔力を貯める。
その時だった。
「…勝手に殺してんじゃねーよ、姉さん。」
声がした。
2人ははっと、瓦礫の山の方を見た。
大量の残骸たちが、一気にあたりに散らばり、中から件の青年が出てきた。
「…なんだと?」
ジラーリアは信じられなさそうに言う。
「やあ、姉さん。初めましてだね。」
「姉さん」。その言葉を聴いてシャルロッテはようやく青年のことを思い出した。
「フェンリル=ドルマールだ。」




