記憶 3
一方その頃、無限ホテル。
「……。」
ジラーリアは迷っていた。生気が消えた港町を眺めている。
保安チームを送ったはいいが、果たしてどの程度戦えるか。
遠いのであまりよく見えないが、おそらくすでに港町の人間は全滅した。
保安チームの人間も、どのくらい生き残っているやら。
無限ホテル、最上階。ここは正確に言えば無限ホテルではない。
最上階はジラーリアによる無限を応用した「絶対防御」で隔絶されており、部外者は本来入ることができない。
自在に入ることができるのは各特別指定職員のみだ。彼らは最上階につながる'鍵'を所有しており、それをエレベーターで使うことで行ける。
ジラーリアは感じていた。
自分の領域に入ってくる、部外者の存在を。
彼女はそっと布団に横たわった。
無限ホテル、ロビー。
メチル、エラルド、ガングートが到着した頃には、もうすでに遅かった。
そこにはすでに数多の低級職員らの死骸が積み重なって、濃い血の匂いがした。
破けた制服。床に落ちて割れた職員証。露出した肌。赤い液体。壊れた武器。
惨状の証明者たちは、そこに死骸となって残された様だ。
彼らにとって幸だったことがもしあるのならば、それは彼らの友人であるわずかな生存者らが保護されたことであろうか。
命がまだあった職員らは、ガングートをはじめとする外務部門の2級職員らによって運び出された。
「……。」
エラルドは息を呑んだようにただ一点を不気味なほど見つめている。
メチルは冷静に相手を見る。
相手は4人。
1人は金髪の男…。
「なんだ。男だったのか?あいつは「娘」とか言ってたような気がするんだが。」
メチルは聞く。呆れた様な声。
「あの人は娘が欲しかったんだよ。」
「ふーん…髪が長いし、中性的な顔だし、声も高いからわからなかった。
いや…わからなかったわけじゃないな。多分触れちゃいけないと思ったんだろうな、あの時の俺は。」
「優しかったんだな。」
「ああ。金も時間も何もかも有り余ってたからな。足りなかったのは知識や理解だ。
理解しないことに対する理解が、知らないことに対する知識が、な。
つまるところ、今とは逆だったんだ。」
「…ジラーリアは?」
「父親の仇を取りに来たのか。殊勝だな。でも、これから先は進ませない。」
メチルは触手を発現させた。黒い線が空間を切り裂く。
「うちの職員をこれだけ殺しておいて、まさか無傷で済むとでも?」
「…別に親の仇を討ちに来たんじゃない。ただ、欲しいんだ。無限に広がる空間が。
それを手にすれば、僕はきっと完璧になれる。
国軍にも対応できるだろうな。'鍵'をくれないか。」
「よく知ってるな。だが残念だな。お前にくれる鍵はない。」
「お前に言ってるわけじゃない。」
メチルが触手を伸ばした瞬間ー
彼の首に一筋の血の筋が走る。
すぐに後退する。代わってエラルドとガングートが前に進んだ。
少しして首の傷はぴったりと閉じた。メチルの命が本格的に危機にさらされたのは久方ぶりだった。
(この攻撃…)
メチルは背筋がぞっとした。エラルドとガングートも同様だ。
彼に傷をつけたのは、ファウスターの後ろにいた謎の女だ。
銀髪で見た目が少しシリウスに似ている。
しかも、肌…首のあたりが真っ赤だ。顔は白いのに。
肌が乾燥して赤いとかそういう風ではなく、もっとドクドクしている赤。情熱にも似た、グロい赤だ。
髪の毛が長いので目はわからない。
しかし彼らを戦慄させたのはその見た目ではない。
ぞくぞくと1級、2級職員たちが戦闘のために集まってくる。
「来るな!」
メチルは後ろにいたヘルメスとアリエルに命令した。
ヘルメスは銃を構えたままその場に立ち、アリエルも止まった。
外務チーム、サービスチームの人間も集まってきている。
「…壊撃…7…」
声が小さく響いた。
耳が裂けるような爆音。
ガラスがことごとく割れ、壁が裂ける音だ。
メチルは耳を塞いだ。
(………………!)
「なぜお前がその攻撃を扱える?それはシリウスの…」
言い終わるまでもなく、次の攻撃が来た。
「触手」では防ぎきれないほどの圧力。
メチルはそのまま床の叩きつけられた。
後ろを振り向くと、2級たちにも被害が及んでいるのがわかる。
アリエルが治療班を率いて戻ってきているようだが、すでに手遅れそうな者もある。
「撤退しろ!全員別館に避難だ!」
そう告げ、2級たちを下げる。
「おや?そんなことをしている暇があるのかな?」
ファウスターが笑う。
扉が開き、大勢の魔法使いたちが流入してきた。
おそらくメリアドール社の連中だろう。
「………。」
その時、エラルドに通知が来た。
統括チームからだ。
彼は鬱陶しいなと思いながら答える。
「エラルド。聞こえるか。」
「はい。」
「さっき記録チームから連絡を受けた。今記録チームを除く全ての特別指定職員がそちらに向かっている。」
「はい。」
「お前が戦うにはよくない相手がいるようだな。戻りなさい。」
(…よくない相手、ねえ…)
見ればわかる。誰のことを言っているのか。
ファウスターの後ろに立っている1人の赤髪の男。
兄だ。レシエンドだ。
「…。いいえ、結構です。」
「何だと?」
「これは僕の復讐の一環なんです。どうか、見守ってください。
僕からアゲハを奪った、その輪を破壊するんです。跡形さえ残らないように。」
「おい…」
もう聞こえない。耳につけていた通信機の電源を切った。
「……よう、兄貴。」
こんな時に何を言っているのかと思う。
目の前には死体の山が、後ろには護るべき職員たちがいるというのに。
復讐…?
自分の愛する者を奪ったのは兄ではないというのに。
なぜ兄を恨んでいるのか?アゲハのことを認めなかったのは父親ではないか。
なぜ兄を恨んでいるのか?アゲハのことを奪ったのはジラーリアではないか。
でも死人を殺すことはできなくて、神を殺すこともできないから。
八つ当たりでしかない。唯一責任を問えるのが彼だからだろうか。
「なぜあの時、父親を説得してくれなかったのか」と。
兄が父親にそっくりだからだろうか。
見た目も性格も発言の内容も。
でもそんなのは意味がないし、後付けの理由だ。
(正直に言う。怖い。このままでは、いつか本当に無関係な誰かを傷つけるような気がして。)
黒く燃え続ける炎を抱えたまま、燃やしたまま、ここまで来た。
アゲハのことを否定されて家を飛び出したあの日。
狂乱したジラーリアにアゲハとまだ見ぬ子を殺されたあの日。
自分の髪の毛が白くなっていることに気がついたあの日。
「メチルがやったようにはできなかった。シリウスがやったようにはできなかった。」
そう呟く。
「おい、エラルド…?」
メチルの声がする。
「…お前が羨ましいよ。メチル。」
ああ、本当に羨ましい。
メチルの顔を見る。困惑したような瞳で見つめてくる。
「…なあ、アゲハ。この行為に意味はあるのかな?」
「俺がやったようにって?何のことだ?」
「なあ、レンド。この行為に意味はあるのかな?」
「おい、エラルド。お…ちょっとおかし…ぞ。戻れ。何が見えてるんだ?」
「なあ、父さん。なんでアゲハとの結婚を認めてくれなかったんだ?」
「おい!おい。おい!聞け!ど…にいく!?待て、待てって。頼……何か言ってくれ。
な……よその顔は。なんだよそ…声…!」
「なあ、ジラーリア。何でアゲハを奪ったんだ?僕の全てだったのに。」
「……ルド!お…!ジ………は………………………………………。
……………!……!?………が…………ない!…………………!」
視界が崩れていく。驚いたことだ。まさか自分がこんなになるなんて。
もう何の音も聞こえない。ようやく掴んだ、復讐のチャンス。
何年もの間欠けていた心。そこに溜まっていたドス黒い何かが、今自分の体を駆け巡っている。
もうずいぶん前の記憶から抽出された熱量。それよりさらに前の記憶がもたらす凍。
兄と戦った記憶は残っている。
314戦0勝314敗。とてつもない敗北の数。
兄の足音がする。兄の匂いがする。兄の鼓動がする。
兄が、目の前にいる。
「…………。」
恐ろしい。
メチルは生まれてはじめてそう思った。
エラルドの背中を見る。
メチルもガングートもアリエルも、生き残っているこちらの職員らもメリアドール社の職員らも、ファウスターですらも、その圧倒的な雰囲気に飲まれていた。
「…行かせていいものだろうか?」
ガングートがそっと囁く。
「わからない。もうわからない。」
メチルは答える。
絞り出したような声だった。
エラルドはただ1人の男の前で止まった。
赤い髪の男だ。
その男が腕を振り上げた瞬間。
2人は消えた。
「……。」
張り詰めた空気が、シャーベットのように溶けた。
2人はどこに行ったのだろう。
「……。エラルドは何があったんだ?」
ファウスターは笑った。
「そうか、お前は知らないんだな。」
メチルではなくガングートが答えた。
「さあ、お前らのどちらを殺して'鍵'を奪おうか。」
彼は言った。
強力そうな魔法使いたちが5人颯爽と現れ、2人を取り囲んだ。
とても一級では相手になりそうにもない。
「うちの最上位ギルド「黎明」のメンバーたちだ。君たちとはいえ、彼らを相手するのは難しいだろうな。」
「…どちらか?」
メチルは聞き返した。
「それは間違ってるぜ。」
ファウスターは横を見た。
「…へえ、いつのまに…。」
サービスチーム特別指定職員、サノワール。
財務チーム特別指定職員、アキレア。
統括チーム特別指定職員、ノスタル。
「よく知ってるな。誰から聞いたんだ?」
メチルは呆れたように笑った。
「まあ、いろんな情報筋からさ。」
ファウスターもにやりと笑って言った。
「まあいいよ。僕はここでのんびりと観戦させてもらおうか。」
ファウスターは少し上を見てつぶやいた。




