記憶 2
葬華は星が好きだった。
星。遠く離れたところで輝いて、静かに誰かを照らす。
月の眩しい夜も、月の見えない夜も、その輝きは不変で失われない。
いつも等しく輝き続け、人々が眠りから覚めると同時に沈んでいく。
まるで姉のようだ。彼女は常に、存在そのものが輝いていた。
常に最も輝いているわけではないけれど、その輝きは傍に誰がいようとも関係なく、粛々と静寂の中で光る。
自分はあんな風にはなれなかった、と思う。
どちらかと言えば月の方だろう。中途半端な光。夜空を大きく照らすけど、その大きさは距離ゆえの虚構であり、さらに恒星の光を反射している他力なものだ。
(そうだった。自分は結局、姉の模倣だった。)
姉に強く憧れていた。瞳に映る彼女は、いつでも静かに光っていた。
そういえば、最後に交わした会話も星に関する話だった。
「葬華。そこで何をしている。」
彼女は縁側に座り星を眺めていた。この頃は何も考えず、ただ眺めては美しいと感じるだけだった。
そこにやってきたのは姉の灯華だった。
木が軋む音が少しする。静寂をかき分けて歩いてくる。
時刻は11時。
「5歳児が起きているには遅すぎると思うが。」
灯華はそう指摘し、彼女が首にかけている時計をみた。
「うん。常識的にはね。」
葬華はそう言い返した。灯華はそっと横に座った。
「…星。好きか?」
「うん。」
「そうか、私はあまり好きではないが…たまにはいいだろう。」
葬華は察していた。姉が何を期待してここにきたのかを。
「…あなたはどの星が好きなの?それとも星という存在が好きなの?それとも、自分が思う'星'という概念に付随する幻想を愛しているの?」
5歳児に問うことではない。葬華は何を聞かれているのかよくわからなかった。
「星、という存在が好きね。」
「雲で隠れるし、雨の日は見えないけれど?」
「それは一時的なもの。本質は視覚よりむしろ観測による数値で定義されるから。事実は事実だから。」
これは葬華が好きな本に出てきた言葉だった。何を言いたいのかよくわからない言葉だが。
「……。難しい言葉を覚えたんだな。」
灯華はふっとため息をついて、空を見上げた。
「星、ねえ。なぜ人は星をあんな形で表したんだろうか。本当の形は丸だというのに…」
独り言のように灯華はつぶやいた。
「…なぜ私がここに来たのかわかるか?」
葬華は静かに頷いた。灯華にじっと見つめられる。
「誕生日おめでとう、お姉ちゃん。」
そう告げた時、灯華はこれまで見せたことがないくらいの笑顔を見せた。
「ありがとう、葬華。」
その後、2人でじっと空を見つめた。
これが最後の会話になった。
気がつくと星は全て沈み消え去って、代わりに燃えるような朝日がすでに昇っていた。
葬華は縁側の上で丸まっていた。いつも灯華が使っていた布団を包まったまま。
「葬華様、おはようございます。」
メイドである「奏」が起こしに来たのを覚えている。
「…おはよう。」
目をこすりながら屋敷に戻り、姉の姿を探した。
でも、姉はどこにもいなかった。
そっくりそのまま、彼女が使っていた部屋を残して消えてしまったのだ。
それから少しづつ両親は狂っていった。
いつも食卓には4食分の食事が並んでいた。
両親はいつものように、「灯華、今日はどうだったんだ?」と問い、葬華には何も聞かなかった。
当然、返事はない。姉はいなくなったのだから。
だが、両親は不思議と相槌をうち、うん、うん、と言っている。
その様子は葬華からすれば心底滑稽に見えた。
もしこれが推理小説なら、きっと自分は「被害者の家族」として目に涙を溜めるのだろうし、恋愛小説なら「駆け落ちする箱入り娘の妹」として最後の別れの時に何かぬいぐるみでもわたすのかもしれない。
SFなら、マッドサイエンティストの犠牲となった姉を嘆き、復讐を誓うのだろう。
だが現実は違った。彼女は目に涙を溜めたわけでもぬいぐるみをあげたわけでも復讐を心に決めたわけでもなく、ご飯を口に運び、いつも通りに咀嚼していた。
味は感じられた。両親は若干味音痴になったらしいが。
苦しくはなかった。ただ、姉を失った喪失感は少しの間葬華の心に穴を開けた。
変わらず葬華の部屋は小さいままで、持ち主がいない姉の部屋はとても大きかった。
両親に何か言われることもなく、空気に向かって話し続ける彼らを眺めるだけ。
(…姉は星になったのだろうか)
なんて考えたこともある。
それから少しして、両親が死んだ。12歳の時だった。
彼らは結局最後まで葬華に構うことはなく、事故でこの世を去った。
両親が死んでから、葬華はより一層寡黙になった。
身内を全て失った彼女が心の拠り所としたのは、数人残った使用人たちだった。
特に信用を置いたのは奏である。彼女は葬華より7歳年上で、一条家に幼少拾われたと聞いている。
小さいころの葬華の母親の役割を果たした彼女を葬華は誰よりも頼りにしたし、奏もまた葬華を可愛がった。
本当は叔父が「葬華を預かろう。1人は寂しいだろうから」と言ったのだが、それを断り広い家での葬華の生活が始まった。
「そう。あなたにとって姉・一条 灯華は、星だったのね。」
(…姉は、難解な喋り方をする人だった。)
「そうね。一条 灯華は非常に特殊な言葉の使い方をしたようね。比喩を極端に用いない、あるいは用いてもそれが比喩だと理解できないから、聞く人はさぞ苦労したでしょう。
加えてマシンガンのように高速で喋るから。」
(それはきっと父の影響だ。父は極端に比喩を嫌った。
…父、か。)
父親がどんな人間なのかわからなかった。
幼少期の葬華はひたすらに灯華にだけ憧れていた。
両親が死んだ後、彼らが撮り溜めていた灯華のビデオを見た。
はじめて幼稚園に行った時のビデオ、各年の誕生日パーティー、クリスマス、体育祭のダンス、歌唱…。
その中にはいくつか自分が映る時もあった。
が、そんなことよりも。
葬華は正直、灯華を舐めていたのだとわかった。
彼女は正真正銘の天才で、何でも器用にこなしていた。
映像の中で動く灯華は、知っている通りに全てを凌駕するような才女でしかなかった。
不思議と嫉妬しなかった。自分もこうなりたい、と、ただひたすらに燃えるような鼓動を感じた。
「一つ聞くけれど、一条 葬華とあなたは同じ人間なの?
あなたの今の喋り方は別に難解ではないし、寡黙になったというけれど無限ホテルの仕事はきちんと務まっているじゃない。」
(…中学校。)
中学校…高校…。葬華にとって、最も苦しい時だった。
「語りなさい。きちんと自分を見つめるために。」




