恋愛感情
それからしばらくしたある日暮、シリウスは頬杖をつきながら物思いに耽っていた。
貴族街の一角の、青い屋根の屋敷のベランダ.
橙の日差しが彼女の美しい横顔を照らし、あたりの空気は薄い朱色に染まっている。
風呂上がりなので薄着である。肌着の上からパーカーを着ただけだ。
(あの日は疲れたなあ…)
あれから学校には行っていない。
理事長があんな風だから危険である。
メチルもエラルドもガングートもアゲハも休学している。
そのうち退学処分されて学校を離脱させられそうだが、この世から離脱するよりもマシであろう。
アゲハとエラルドは二人とも遊んでばかりいるそうだ。
この間街であったのだが、その時の気まずさはなかなか応えた。
若干はにかんだように照れたアゲハが可愛かった。
メチルとガングートも家の用事で忙しく、最近会っていない。
会いに行こうと思えば会える距離だが。
唯一ジラーリアのみ登校しているようだ。
理事長と関係していそうな学生を片っ端から拷問して情報を集めているようだ。
「……。」
こうして夕日を眺めていると色々と考えることがある。
アゲハとエラルドは一体どうなるのだろうか。
悪魔(の血族)と貴族の結婚など聞いたことがない。
二人ともあまり深刻に考えていないようだが、これは少々問題になりはしないか、と心配していた。
エラルドは彼女をどうするつもりなのだろう。
彼が下級貴族だったらまだなんとかなったろうが、上級貴族ともなると話は変わるだろう。
アゲハの片思いから始まったが、この短期間で二人の距離は大きく縮まっている。
加えて、二人は昔から知り合いだったらしい。
これはメチルから聞いた事実だ。
彼がいうには「意外だった」ようで、珍しくいっぱい話していた。
いずれにせよ、おめでたいことには変わりないのだが。
「…恋、かあ…」
シリウスは何とも言えない気持ちになる。
愛だとか、恋だとか。
そういうものを考えるたびに、まるで溶け切ったチョコレートをつかんで口に含んだように、頭には何も残らずにただふわふわと甘ったるい実感に襲われる。
なんとなく全身が熱くなって、ペチペチと頬を叩く。
べっと舌をだす。
何も吐き出せないまま、朱に染まっていた虚空がだんだん青くなっていくのを見るばかりだった。
ジラーリアから受けた提案は、メリアドール社を壊滅させることだった。
メリアドール社は例の理事長キオンが社長を務めている企業で、表向きは何でも屋のような感じだ。が、裏はー。
シリウスはこの提案を受け入れた。
自分やメチル、ガングートやエラルド、ジラーリアがいれば全く問題ない。
エラルドの両親と兄がメリアドール社に勤めている。
彼を通じて事情を探りながら、メリアドール社を崩壊させることなど造作もないだろう。
そして、それが終わったらジラーリアに協力してもらうと約束した。
(……あいつのところに行ってみるか。)
シリウスはふと思い立ち、そっと後ろを向いた。
クローゼットからドレスを取り出し、着る。
階段を降りた先には、彼女の警備や執事、メイドらが掃除をしていた。
「…お嬢様。一体どちらへ?」
「あいつのところよ。」
「そうですか。馬車を手配いたします。」
「いや結構。歩いていくわ。」
「しかし…」
「大丈夫、付近までは転移で移動するわ。」
玄関で靴を履く。
いつもの履きやすくて軽いものではなく、重厚感と高級感を兼ね備えた革靴だ。
ドアの音と「行ってらっしゃいませ」という執事の声をおいて、すでに紫に染まり切った空の下を歩いて行った。
数分後。
彼女は大きな城の前に立っていた。
貴族街の中央。この城は、帝国内で最も大きい。
周辺には防魔結界や警備兵がうじゃうじゃいる。
当然彼女は気づかれないが。
(…相変わらずここは物騒だな。)
彼女はヒュン、ヒュン、と壁をつたい、窓を開けて城内に侵入した。
「肝心の国王様がこれじゃあな。」
そう、ここはこの国の皇帝の城である。
そこになぜ彼女はまるでコンビニにでも行くかのように入れているのかといえば、この城の防魔結界が彼女には効かないからだ。
ちなみに彼女は王族の親戚だから、わざわざこうしなくても正面から入れる。
が、そうすると妙に手厚い待遇を受け、本命の辿り着くまでに相当な時間を要するから、こうして忍者のようにこっそり入っている。
下の階はずいぶん賑やかだ。
察するに宴会場だろう。
「だろう」というのは、この城の内部構造は毎日変わる。
だから彼女自身、自分がどこにいるのやらさっぱりわからない。
もし万一国王の部屋で国王と会ったら処刑されるかもしれないが、その時はその時である。
(さて、と…)
彼女は部屋を慎重に出て、そそくさと移動を開始した。
目指すべきはただ一部屋。
「…で、また無断で来たんですか?」
あっさりと見つかった。
開始五分、彼女はこの迷宮からお目当ての部屋を見つけ出した。
1番小さく、1番片付いている部屋だ。
一人の男子が座っている。
「ああ。久しぶりアルフ。」
アルフ=カレアメス。
この国の第一皇太子である。
年は13。彼女の三つ下だ。
「見つかったら面倒ですよ。」
「知ってるさ。それよりも状況は?」
「やはり芳しくないです。」
この国は前からおかしかったが、最近それに拍車がかかっている。
国軍の横暴をよく見かけるようになったし、税金はさらに高くなりつづけている。
おかげでスラム街には人が溢れかえっているし、汚職もあとをたたない。
平民街では女性は夜中出かけることができなくなったり、窃盗や強盗がいっぱい出ているようだ。
いわゆる国家権力の腐敗である。
ところが、これはどうもこの国のトップである皇帝によって引き起こされたものというより、宰相やその他国務大臣どもの影響らしい。
この国は君主制を敷いている。皇帝が直接統治しているはずなのだがいつのまにか連中の手に権力が渡ってしまって、こんな好き放題の状態になってしまった。
宰相どもを皆殺しにすることは難しくないが、それでも別の似たようなのが出てくるだけだろう。
だからアルフが国王になるまではとりあえず待ちの姿勢を保つことにした。
この国の革命。誰もが生きやすい世界の実現。それがシリウスの目標である。
「やっぱり宰相は国庫から金を横領しているみたいです。父上は気づていないようですが。」
「そう。証拠は?」
「あります。」
「とっておけよ。いつかお前が王になった時に連中をしばくのに必要だからな。
じゃ、私らは少々事情があるからバイバイする。じゃーな。」
シリウスは窓から飛び降りた。
「…あ、シリウスさん…」
アルフは言いかけたが、諦めた。
彼女は帰りながら、あることをするべく、準備を考えていた。
一方、メチルは自分の屋敷でくつろいでいた。
「…お茶でございます。」
黒髪のメイドがお茶を淹れてくれた。
「ああ、ありがとう。」
彼の正面にはガングートが座っている。
「で、どうする?」
「どうするって、何が?」
「ジラーリアの件だよ…」
「うん。まあ、受けるしかないとおもうよ。」
ガングートはこの家の主任警備者兼メチルの友人という立場である。
こうして彼の相談を受けることは何度もあった。
「大体、あのジラーリアという人間はなんなんだ?とても常軌を逸したとしか思えない力を持っているんだが。」
メチルは彼女の能力を危険視していた。
あまりにも強すぎる。使い方によっては世界を滅ぼすことも容易いかもしれない。
「そうだな。彼女について少し調べたが、出自不明、娘の現在も不明だ。」
加えて苗字がないというのも余計に怪しかった。
「ジラーリア」。ただそれだけの乾いた名は、彼女にとってふさわしいもののようにも思えた。
それと同時にふさわしくないようにも見えた。
どうしても、中が空なような気がするのだ。
中に何もない、ただ人の皮を被っただけの空気がそこに立っているような印象すら与える人だと思っていた。
それはつまり、彼女の感情の起伏が極めて小さいことを示している。
「今は何やってる?」
「今は学校で理事長に関係していそうなやつを片っ端から拷問しているらしいな。」
「…あいつの拷問ってやばいんじゃないか?」
「そこは大丈夫みたいだ。トアレスとかいうう奴がそばについている。
それよりも御坊ちゃま。」
これまでの調子と変わってガングートが言った。
「急になんだ、キモいな。」
「そろそろ婚約なさっては?」
「…ああ、面倒だな。誰かいい感じのやつはいないのか?」
そんな問題もあったな、と思い出す。
面倒にも程がある。彼は恋愛など興味ないし、どうでもいい。
「…いますが、顔は可愛くないし、頭も悪いし、魔法もほとんど使えず、性格も悪いようです。」
「は?」
「ただ金だけはあるみたいですね。」
「おい、ざけんな。」
いくら興味がないとはいえ、金だけの人間と結婚するくらいなら独身の方がマシだ。
賑やかな声がメチル宅で響いていた。
「………ぴー、ぴー、脱走が発生しました。脱走が発生しました。全ての防御プログラムを起動して…」
無機質な機械音。
炎が燃え上がっている。
火の粉が足元を伝う。局所的な熱が体と心を燃やす。
「…もう、大丈夫ですよ、ジラーリア。私と一緒に行きましょう。」
差し出された手。そっと握って、次の場所へー
ジラーリアは目を覚ました。
(…今のは…、研究所時代の記憶…?)
目の前には何もない。
照明はつけない。つけたところで、何も見えないから。
「…起きた?」
声が聞こえる。
「うん。起きたよ。」
答える。
一つの光がつけられた。
奥から一人の女子生徒が出てきた。
「…今日も行く?」
「…うん。行こうか。」
綺麗な金髪を整えながら、件の女子生徒はジラーリアのあとにつづいて、狭い平民街の一角からでていった。
彼女の名はトアレス。
研究所時代、ジラーリアの精神分析担当者であり、貴族であり、ジラーリアを脱走させた張本人でもある。
「よし、これで情報はだいぶ集まったね。」
「うん。」
二人は学校で、血だらけになりながら笑い合った。
図書室の裏、ジラーリアの魔法で作り上げられた異空間。
その視界の端にすら、愚かで哀れなる犠牲者の凄惨なる様は映っていない。
彼らは、理事長やメリアドール社に繋がりそうな生徒たちをひたすら拷問して、情報を引き出そうとしていた。
「………懲罰教会………」
「ん?今何か言いました?」
トアレスが被害者に聞く。
「懲罰教会では…あの方の信者が…いて…資金源、に…」
それだけ言うと、男子生徒は息絶えてしまった。
「懲罰教会ですか…。」
それぞれが、決断を迫られていた。
学校に行くこともできない今、魔法至上以上に学歴至上の世界でもはややれることは多くはない。
あるものは復讐のために、あるものは目標のために、あるものは愛のために、あるものは懺悔のために。




