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読んでくれたらちょっと嬉しい

妄想で駆けぬけろ

作者: 阿部千代

 妄想に蝕まれ、なにもかもが定かではなくなっていた頃、つまりそれは今だった。雨もすっかり上がり、きらきらと雪が降る。雪を拡大した目で覗き見ると、くっきりと結晶が見え、それが違う冷たい結晶に思えて仕方なくて、つい炙ってみたが瞬間で溶けてなくなり、がっかりした。

 泣きそうなくらい惨めな気分だった。気合いを入れるために、つけ麺の特盛を頼んだのだが、食べきれずに残してしまった。いくらなんでもあの量は頭がおかしい。でも店の親父には悪いことをした。ついつい郷里の親父の背中を思い出してしまったが、殺意しか湧いてこない。おれに背中を見せるとはいい度胸じゃねえか。刺す気マンマンだった。殺る気だって特盛だった。だが結末はつけ麺と一緒。残してしまった。

 結局のところ、おれは親父のことを愛しているのかもしれない。よく考えてみると、特に刺す理由もなかったわけで。それでも刺すことによって、人生のブレイクスルーが訪れることを期待した。そんな甘い企みは、角砂糖と一緒に溶けた。前よりももっと――「ダメ、それ以上はいけない!」おれの頭の中に住む麗しの乙女から待ったが掛かったのでおれは素直に従った。彼女にだけは嫌われたくないから。

 それにしても、角砂糖のことを考えると、あの白い結晶のことが――「それもダメェ!」オッケイハニー。いまのはほんの悪戯さ。これでもちゃんとルールは把握してるんだ。きみを絶対に困らせはしないってあの日、丘の上のチャペルで誓ったろう? 彼女からの返事はなかった。だもんだから、おれはすっかりめげてしまった。いつの間にか雪は止んでいた。と言うか、最初から雪なんて降っていなかったようだ。そして猛烈な空腹が襲ってきた。つけ麺すら食べていなかったのだ。


 クリスマスへのカウントダウンが始まっていたにも関わらず、心の中は夏だった。

 動物園のシロクマに氷がプレゼントされたというニュース映像を繰り返し観ていたせいかもしれなかった。何度観たってこれだけは飽きない。一体なにが面白いのやら、我ながら不思議だったが、シロクマが氷にすりすりしているのを観ると、つい腹がよじれるほど爆笑してしまう。涙もでてくる。気づくと本当に泣いているおれがいるのだった。

 他人から指摘を受けるまでもなく、おれの情緒がおかしなことになっているのは気づいていた。でもおかしさと悲しみの津波に耐えられるはずがない。流されるまま流されるだけだ。水洗便所のクソみたいなものだ。やつらは一体どこにいくんだろう? こういう時、自分の学の無さに情けなくなってしまう。

 大学出の秀才たちはこんな疑問に苛まれることはないのだろう。クソの行方くらいは先刻承知に違いなく、そういういちいちがおれの貧乏揺すりを呼ぶのだった。

 おれの貧乏揺すりはなかなかエグい。貧乏と言うより、これはむしろ金持ちのスケールでは。それに爪を噛むのも止められない。おかげでいつも深爪だった。生きるって悲しいことばかりだ。それでも悦びの瞬間はある。悲しみのタペストリーに印象的にちりばめられたヴィヴィッドカラーだ。しかし持たざる者の貧乏揺すりによる振動によって、ヴィヴィッドカラーの糸だけがほつれてゆくのを、止めることなどできるはずがなかった。


 貧乏揺すりの正体は踵にあった。貧乏揺すりはどこが起点になっているのか、と注意深く洞察した結論がこれだった。そのとき、バスドラのペダルを踵側に設置することにより、手軽に高速バスドラが実現できるのではないか? この閃きがおれを虜にした。ドラマーの友人に連絡をとってみようかと思った。しかししばらく考えてみて、おれ如きが考えていることは大抵いつかどこかの誰かが考えつき、そして実践も試みているはずで、その結果が現状であるならば、つまりはそういうことなのだろう。素人の浅い閃きなどが、幸せをもたらした試しが一切ないとは言い切れないが、多くの場合において奇跡などは起らないからこそ奇跡は奇跡と呼べるのだ。

 ドラマーの友人に連絡をとることを思いとどまってよかった。また軽蔑されるところだった。軽蔑されるならまだいい。縁を切られてしまったらどうすることもできない。と言っても、おれの方から連絡をとらない限り、向こうの方から連絡がくることもないだろうし、おれにはそういう友人だらけと言うか、そうではない友人が存在しないので、おれは縁を切られている状態が常態であるとも言える。

 つまりはおれがくたばってしまっても、誰もそのことに気づきやしないし、そのうちおれのことなど記憶の隅に押しとどめられ、記憶の歯車によってすり潰され、かつておれの記憶だった修復不可能な欠片たちとして、そのまま風雨にさらされ朽ちてゆくか、迅速に処理されなかったことにされるかのどちらかであろうから、まったくそれは理想的な状況と言える。おれのことなどはさっさと忘れてしまうに限るのだ。


 おれからすると、名前も顔もあやふやなまま、記憶に残り続けるという状況だけは避けたいのだ。そんなのってあまりにも可哀想で、まるで地縛霊のようなものだ。成仏させてやってくれや、そう願わずにはいられない。

 霊の存在を信じているわけではない。霊はいないと思う。しかし霊的なものはあると思う。霊と霊的なものの違いは、ざっくり言ってしまえばかつて生き物だったものが霊だ。おれたちと同じ次元に存在したものが肉体的な死によって霊となる考え。これはちょっとおれには受け入れ難い。なぜかと問われるとうまく説明はできないが、そんなに単純でいいのか、という思いがある。それならもう最初から霊でいいじゃない。肉体いらないじゃない。生殖する必要ないじゃない。増えること。生きること。苦しむこと。死を恐れること。そんなことのすべてが否定される気がしてしまうからだ。おれはすべてに悪態をつきながらなにかを信じている、ペシミストの皮を被ったロマンチストなんだ。

 霊的なものはよくわからない。よくわからないからこそ霊的なものだ。それが人間と関係があるのかどうかもよくわからない。関係があるようでないようで、ときにはあるとしか考えられないことがあったり、それでもやっぱり関係ないよね、という結論に至ったりする。いまこの瞬間でもどっちなんだろうと迷っている。それはそれとして、霊的なものはありまあす、という立場でおれはたたずんでいたい。証拠は? と問い詰められたってそんなものがあるはずなかろうもん。野暮なことは言いっこなしだよ。科学的ではないという批判は的外れだ。なぜ的外れなのか。それを説明する義理もないし、説明するのも面倒くさいし、科学とはなにかを考えればすぐにわかることだし、そもそもおまえは一体、誰なんだ!


 いっつもいっつもいっつもいっつも! おれの考えていることに茶々を入れてきやがって。赤ずきんかおまえは。

 おれはサイコキネシスの存在は否定する。もう少しわかりにくい、ぼやっとした、気、のようなものはあるかもしれないとぼんやり思ったりもするが、名状して分類できるような精神エネルギーはないと考えて日々はただ過ぎていく。

 つまるところ、おれがテレパス攻撃を受けているわけではないと自覚しているということだ。これはむしろ、科学的な範疇に入る事象なのではないか。心当たりがある。電波だ。グンジ・カワマタの例もある。おれにだって電波をひっつけてこようとしたって不思議ではないではないか。似たような主張をしているやつだって大勢みたことがある。あれが本当に人間だとしたらの話ではあるが。

 だが連中の主張は悲壮感に溢れたものだが、おれのは違う。命令をしてくることもないし、むしろ優しく問いかけてくるというか、なにかこう、慈愛的なものさえ感じるのだ。おれはもしや愛されているのではないか。だとしたら、おれも愛さなければならない。愛には愛で対抗してやる。愛のせめぎ合いだ。愛とは。あなたのためだとは言って――「それ以上、ダメェ!」やっぱりね。こうすれば、また出てきてくれると思っていたよ。麗しの乙女。「わたしをはめたと言うのね」愛とはハメてなんぼだろう、ハニー。ただきみはおれの頭の中からは出てきてくれないし、おれだってもうすこしフィジカルな恋をしたいと思わないでもないけれど、愛は耐えることでもあるからね。愛に生き、愛に消えるとするよ。


 ふと空を見上げると、大粒の雪のオーケストラ。初雪だ。どこかでシャンシャンシャンと鈴がなり、赤と緑の電飾がおれのまわりで踊り出した。ついにクリスマスがやってきたのだ。

 ホーホーホー! おれはたまらず叫び、駆け出した。今年はおれがサンタクロースということが決定したのだ。おもちゃ。おもちゃはどこだ。おもちゃをよこせ。サンタクロースがきたぞ。きてやったんだぞ。信号待ちのそりから運転手を引きずりだし、顔面に蹴りを入れてやった。愛に殉じろ。

 アクセルを思い切り踏みこむと、トナカイが走り出した。いいぞ、いいぞ。街の皆がクラクションで祝福してくれている。ありがとう、ありがとう! 愛を感じ、涙が出てきた。こんな素敵なクリスマスがかつてあっただろうか。そりのパワーウインドウを開け、おれは皆に告げるのだ。

 メリークリスマス! メリークリスマス! ホーホーホー! ホーホーホー!


               終わり

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