人助け・・後に
あそこを出てからそんなに時間は経っていないはずだが想像していたよりも厄介な光景が目に飛び込んできていた。
事故車、怪我人、言い争いする人、呆然と立ち尽くす人、救助活動をする人々。
ジョギングで使用するような細い道だ、ここでこれだとするとこの時間の大通りはもっと酷い事になっていそうだ。
その証拠とも言えなくはないが俺を嫌な気分にさせる音は今でも続いている。
しかしその奥からはサイレンや警報音、街を復興させる為の音もちらほらと聞こえてきた。
「対応が早いな・・流石。
・・・・それにしても。」
普段の生活ではお目にかかれない光景をチラチラと見つつ俺は進んだ。
ガードレールに腰を当て項垂れるサラリーマン。
つまづいて転んだのだろうか、ズホンをたくし上げて膝を確認する男。
携帯を耳に当て、苛立った様子で口をチっと鳴らす女。
トレーニングウェアを着込んで、肩に目立つ小動物、コンを乗せながら歩く何時もなら特殊な人間を見る様な目で見られそうな俺を皆、透明人間でも歩いているかの様にこちらに見向きもせずにスルーする。
自分の事で一杯一杯なのだろう、一寸先もわからない状態から一気に元に戻されたんだからそういう気持ちにもなるだろうさ。
救助を求める声も聞こえるが、俺は先を、家路を急いだ。
冷淡な人間と思われようがいっこうに構わない。
この数分が過ぎてしまえば皆ただの赤の他人だ、メリットも何もあったもんじゃない。
ここが通勤ルートで何度か顔を合わせた人がいようとも、余程の事が無ければ助けたりする事は無いだろう。
お互いただの通行人A でありBという認識しかないんだから助ける以前の話だ。
「ふっ」
「どないしたんご主人?」
「嫌、別に」
メリットか、我ながら、嫌な人間性をお持ちの様だな俺は。
「はぁ〜」
短いため息が出る。
「すみません
すみません・・・・誰か
すみません・・・・誰か!!
誰かいませんか!?」
・・・マジか・・・深刻そうな
女の声、最後の一声は振り絞る様な叫び声だった。
「まじかよ・・くそ!」
周りを見渡す。
もちろん、誰もいない筈がない。
車は目に入る一台以外止まっていなかったが、人はいる。
だが皆一様に自分の事で手一杯の様で他の事に構っている余裕は無さそうだった。
「他力本願精神が爆発してるな。」
勿論自分の事だ、誰かがこの声の主を助けてくれればそれでいい、俺がわざわざ助ける必要なんか無い。
それに距離にして自宅まで1キロも無い。
近くのコンビニで通勤中に買おうと思っていた朝一のコーヒーでも買って帰るつもりなのだ。
そうそうな事でコンビニが閉まる筈がない。、以前大地震が起こった時だって営業していた。
「・・・・くそ。」
声のした方を見る。
例の軽自動車が一台、側溝に前輪を落としていた。
あれか?
窓から中を見る。
エアバックが飛び出して座席と運転手をサンドしていた。
窓は少し、拳大の幅で開いていた。
そのおかげで声が外に漏れたのだろう。
人助けなら気持ちよくしたいものだが、今の精神状態では難しい、どうしても面倒臭さを感じる。
とぼとぼと車に近づき窓を軽くノックする。
運転手の女は俺に気付いていたのか最初から俺に対して声をかけていたのか、獲物を待ち構えた猛獣の様に俺に苦しそうにいくつか言葉を浴びせかけてきた。
俺はそれらを軽くスルーして要点のみを整理する
苦しいなら話さなければ良いと思ったのは胸にしまっておこう。
20代後半か30代だろうか、化粧してるしもっと若いのかも知れない、逆も然りだけど。
美醜で言えばまあ普通と言えそうな容姿だった。
まぁトータルで見ればまた違うんだろうけど。
評価する立場では無いのはわかっているが、男のサガみたいなものだついついそういう感想が頭を過ってしまう。
「つまり、エアバックのせいで身動きがとれないんですよね?」
「・・・・はい。」
「少し待てばしぼむんじゃ無いんですか?」
「・・・・分からないんです、・・・こんな事初めてなので」
・・・・そうだろう、何回もそんな経験をしているのなら免許なんてとっくに失効してるだろう。
「・・・・苦しくて、・・・・息もあんまり出来なくて」
じゃあ、あんまり話さないでいた方が良かっただろうにと言う言葉が頭をよぎったが、何とか喉の奥に引っ込める事に成功した。
「お、私もこんな事は初めてなので、どうしたら良いか分からないんですが、どうしたら良いですか?」
「・・・・ドアを開けられないですか?」
ドアハンドルをガチガチと引いてみるが開く気配が無い。
当然のようにロックが掛けられている。
「ロックが掛かってて開かないけど、解除出来ませんか?」
「本当にエアバックが邪魔でボタンも何も操作出来なくて」
嫌、それじゃどうにも出来んだろう。
無理矢理こじ開けようにも道具は無いし。
こじ開けて後で難癖つけられて金とか請求されるの面倒だし。
だからってここまでやって諦めてバイバイじゃ、寝覚めも悪いだろうな。
窓が開いてる隙間から手を突っ込んで、、、。
この隙間じゃ手が届く訳がない。
「儂が行けばええんとちゃう?」
肩に鎮座していらっしゃった小動物が俺の耳元で囁いた。
「行けそうなのか?」
「あっこから入って鍵開けすればええんやろ?」
「そうだな」
「あの風船みたいんパンって割る事も出来るけど」
そう言ってコンは可愛い肉球を自慢げに俺に見せた。
爪でも自慢したいんだろうが、あまり脅威に感じないな。
「ああ、別にそれでも良いけど、あまり目立つのもな」
「風船の一つ二つ、割れて気にする人間が今の状況で何人おるんやろな?」
「それもそうだけど、穏便に済ませられるならその方がいいと俺は思うんだが。」
「ご主人がそう言うならそれでええけど」
「でも意外だな、コンからそんな提案してくるなんて。」
「意外て、儂かて血も涙もない訳やないで」
「他人の不幸は何たらって言ってただろ」
「それはそれや、それにもう腹一杯やし、少し位施してもええかなって心持ちやな。」
「随分傲慢な神様だこと」
「まぁ目の前のこの娘は助かるし、ええやろ。」
「ああ」
「ご主人は車持ち上げて助けたりーな。」
「は?」
「は?
やないで、今のご主人なら余裕やでこの車持ち上げるのなん」
「そうなのか?」
「筋力43やろ?
余裕やがな」
「嫌、覚えてないけど、マジか。」
無理矢理ドアを引っ張ろうとしなくて良かった。
コンの言葉通りなら漫画で良くありそうな場面を再現するところだったかもしれん。
「その気になればこの車、ポイっとほおるんも可能やろ、こうポイって。」
コンが前屈みに手を身体の前でバレーのレシーブのように組み前に押し出す。
「やらないよ!
ほれ、ちゃっちゃとやるぞ」
俺がそう言うとコンは器用に俺の左腕を渡りドアの隙間からその身体を捻じ込み車の中に侵入した。
俺はフロントから回り込み側溝に足を踏み入れる。
幸い水は流れていなかったので靴を汚すことはなさそうだ。
振り向いてタイヤを目の前にすると、軽といえどその大きさは相当なものだった。
普通に生活していてこのアングルでタイヤを見る事なんか無いから新鮮だ。
それはさておき、好奇心よりもまずどこを触ろう?
「・・・うむ。」
取り敢えず掴みやすそうなココとココを、ちょん、ちょんと触る。
幸い熱を感じる事は無く火傷する事も無さそうだ。
こっちは素手だから怪我とかしたくないし、確認する事は重要だ。
俺はグイッと車体を手に持つと両腕に力を入れ腰を入れる。
「?」
不思議?
奇妙な感覚を感じた。
頭は重い物を持つという行動に備えて力を入れる準備をするのに、重みを感じない。
まるでフタ付きで、水入り、しかも満杯の、と言われたバケツを持って中に何も入っていなかった時の様な。
「うお!」
思わず声が出る。
あまりの出来事に思考が一瞬停止する。
・・・・あ。
持ち上げたこれを何処かに置かないと。
コンが言った通り、その気になれば車体を天地逆にするのも可能の様だ。
ミシリと足を踏み締める様な優しい音をたてタイヤが地面に置かれた。
両手についた汚れをパンパンと払い掌を確認する。
擦り傷どころか車体を持った部分に痕すら付いていない。
これが耐久ってやつの恩恵なのだろうか?
ゲームの防御力みたいな感じか?
「・・・ゲームて」
カキッ
車の中から鍵が開く音がした。
コンがやったのだろう。
特に問題無くクエスト完了という訳か。
エアバックはまだ萎んでいなかったのでドアを開ける。
ガチャっという音をたてドアが開くと中から女がエアバックを押し込ませながら這い出ようとする。
だが、シートベルトのせいで身動きが取れないみたいだ。
気が動転していて自分が何しているかわかんないんだろうなきっと。
「ああ、、うう、、助けて下さい」
懇願するかのように涙ながらに女が俺を見る。
「はぁ〜後で痴漢とか何かで訴えないで下さいね」
「しませんから・・・・助けて」
コンに頼もうと思ったが、姿が見えない、意図的に見つからないように隠れているんだろうか?
仕方なくエアバックと身体の隙間から手を突っ込み、シートベルトの解除ボタンをベルト伝いに探す。
「つう!」
女が痛みに声を上げる。
こっちも真剣なんだからやめて欲しいが出てしまうものは仕方がない。
膝を座席にくっつけ、肩位迄手を伸ばすとそれらしい物があったので、解除する。
くぐもったカチッという音がしたので、そのままベルトを掴み引っ張り出す。
ある程度引っ張ると、ベルトはギュルっという音を立て収納された。
それを見ていた女はもう一度エアバックを押し込み脱出を試みた。
俺は上半身を支えてやり、そのまま女の身体を引き摺り出す。
そうしたところで、意識的に触らなければ別に訴えられたりはしないだろう、多分。
過剰に考えすぎな気もしてきた。
面倒臭い性分だ。
「・・・何とか症候群とか、なってなきゃ良いけど。
大丈夫ですか?」
「・・・・はい、おかげさまで。」
「立てますか?」
「すいません、今はちょっと」
「ああ、そうですよね、よかったらこれ」
バックからペットボトルを出そうとしたが、これ口つけちゃってるからな、俺も嫌だし、向こうはもっと嫌だろう。
あ、飲み物、と言えば。
俺はバックの中でポーションを出現させると、あたかもそこから取り出したかのようにポーションを女に差し出した。
差し出された小瓶を女は訝しめに見つめる。
「あの、それって?」
「あ、嫌、炭酸水です、ちょっと味付きの、クラフト何ちゃらみたいな、毒とか入ってないので、安心して飲んで下さい。」
「はぁ、毒?」
「え?
あ、いやいや嫌、毒じゃないです!!
「頂いても?」
「ああ、はい勿論、どうぞ」
俺はもう一度差し出すと、女はそれを両手で受け取り、キュポンとフタを開け、瓶に口を付けた。
「!?」
女の目が大きく開いた。
「え、美味しい!!」
「あ、そうですか、良かったです」
「それに何だか身体がポカポカして、気持ちが楽になるっていうか、怠さが消えました。
後、気のせいかもしれないですけど、痛みも引いたみたいな。」
「へぇ、そうなんですか?」
・・・自作なのにそのリアクションは違う気がするな。
「・・・はは、とにかく、良かったですね、じゃあ、俺はこれで」
俺が踵を返そうとると女がばっと立ち上がり俺の肩口を掴む。
「へ?」
変な声が漏れる。
お〜い、さっき立てないって言ってませんでしたっけ?
「あ!!いえ!!!すいません!」
女は咄嗟に手を離す。
「あの、、、何か?」
「私、、、轢いちゃったかもしれないんです。」
轢いた?
・・・・何を?