第40話 記憶
八枝子がこちらに来なければ意味がない。不安げに辺りを見回す斗南に松宮は「間違いなく来るよ」あの女の優先順位だ、と言った。
「僕も、それを確かめたかったんです」
ただ、分からないこともあった。そもそも、殺したいのならば斗南だけを追えばいいはずなのに霊体の八枝子はそれをしなかった。『坊や』である斗南よりも、周りにいるものに対しての執着心が尋常じゃなかった。しかし、いまの八枝子はどうだろうか? どちらかというと斗南を狙っている?
とにかく邪魔者は排除したい……排除して——、結局そのあと、どうしたいんだ?
殺したいのか?
取り戻したいのか?
「もしかしたら、霊体の八枝子と肉体を持ったとかいう八枝子とでは、その行動に微妙な違いがあるかも知れないな」
肩を上下させた松宮には視線を合わせずに、斗南が「度胸なんてないです」と小さく言ったままうつむいた。
「——きっと、どちらにしろ最初から僕一人が死んでいれば済んだんだと思うんです。誰も傷つくことなく、犠牲になることもなく」
「あー、ずっと神妙な顔をしてるからおかしいと思ったが、やっぱりそんなことを考えてたんだな。そんなことはとっくにみんな気づいていたし、とっくに忘れてる。くだらないこと言ってると怒るぞ」
ずっと考えていた。気づいていた。考えないようにもしたが苦しかった。知り合いの死を簡単に割り切ることなんてできなかった——心情を吐露する斗南に、
「今は——とにかく黙って生き延びろ」
松宮は怒りを露わに言い放った。
そこで動きを止めた。
松宮の視線の先に、八枝子は現れた。
二人はゴクリと喉を鳴らす。
しかし、八枝子はすぐには動かなかった。右を見てみたり、左や後ろを見てみたりと、気を散らせているようだった。
どこまでも邪魔をする奴らめ……。
桜紗と紫桜は無心で念唱を唱えている。
桜紗は眉間に皺を寄せて、紫桜は額に玉の汗を作り息も荒い。
一見するとただ唱えているだけのように思えたが、実際は二人とも、目には見えない圧迫感に襲われていた。
パンっと乾いた音が響く、儀式の最初の一拍が打たれた。
途端に音が消える。
動じることなく詠唱し続ける二人の意識の中に、別の意識が流入してくる。
これは、八枝子の記憶——。
——時は遡り昭和二年。
診療室で医師の彦一が八枝子の髪を黒く染めている。硬くなった皮膚には軟膏を塗り、包帯で隠した。
実際、治療法はなかった。大学附属医院に送った皮膚片や血液の検査結果も異常が認められなかった。
今はまだ、肩にかからない艶やかな黒髪も、健康的な肌つやも異常が見られるのは部分的なものなので、ぱっと見では分からない。
それでも念には念を、と村の人間に知られないためにも徹底して隠すようにしていた。
角度を変えながら髪染めの出来を確認している彦一を、タレたその目で追っていた。優しく微笑む、澄んだ瞳。八枝子はその心までも澄んでいた。
この少女は守らなければ。
現在、丘の上に建築中の研究所も来年初旬には完成する。外国人医師も駐在する。
そうなればこの病の研究も進むに違いない。
呪いなどないことを証明しなければ。
そんな彦一の努力も願いも、半年ほどで徒労に終わる。
なぜそうなったのか、呪詛を受けたのが村人の知るところとなり、八枝子は訳の分からないまま、土蔵の地下にある隔離場の牢屋の中に放り込まれた。
寝巻きである浴衣のまま、それ以外は何も持たされずに。
「呪詛を受けた? 嘘だ。やだ、呪われたなんて嘘。いやだ……そんなのいやだよ」
村の有力者から、これは呪いを拡散させないため。村人からの非難や攻撃から身を守るためにも必要な隔離であり、その間の清拭や食事の世話は村の老婆が交代で行うことや、土蔵には見張りがつくこと等の説明を受けたが、始終泣き崩れていた八枝子の耳には届いていなかった。
助けて、誰か助けて——助けて、斗南先生。
八枝子の願いも虚しく、それはその夜から始まった。
深夜、話し声で目を覚ます。
牢屋の外には三人の男たちが、こちらを覗き込んでいた。
一様に、にたり、にたりと薄気味悪い、いやらしい笑いを見せている。
そのうちの一人が牢屋の間抜きを開けた。
驚き、牢屋の奥へ逃げた八枝子には、何が起きているのか分からなかった。何が起きるのかも分からなかった。
男たちは牢に入るなり、八枝子を押し倒した。
口を塞がれ、抵抗を見せると容赦なく拳を振り上げた。
久しぶりの女だ。上玉だ、と口々に男たちは歓喜の声を上げた。
手足を抑えられ、浴衣を剥ぎ取られていく。
殴られた痛みと恐怖で身体が動かない。
怖い、怖い、痛い、痛い、なんで? どうして? やめて、いやだ——、
いやああ、ぁぁ。
心の中の叫びが声に出されることはなかった。
あまりの恐怖に震え、止めどなく溢れ落ちる涙と、震える声しか出せなかった。
それすらも押さえつけられて——。
男たちは代わる代わる、思うままに八枝子を凌辱した。
それからは毎夜、複数の男たちが現れては八枝子を犯した。その手に棒きれや、斧を持った者もいた。
見知らぬ男たちがほとんどだが、その中には知った顔もあった。いずれも美しく若い八枝子に小躍りして夢中になった。
——訴えかける八枝子の言葉に、老婆たちは誰一人耳を貸さなかった。昼夜、交代で蔵番がいるなか、そんなことがあるわけはない、と。
ただ、老婆たちが隔離場を出る間際に必ず言う言葉があった。
もしも何か起きたとしても、諦めなさい。それは呪詛を受けたものの運命だ、と。




