第34話 守る者
桜紗の視る場面が切り替わり、月日が経つ——。
「かわいいね」
玉のような赤子を見ながら坊やは、もじもじと体をくねらせながら微笑む。
家具も調度品も揃っている六畳ほどの洋室で、椅子に座ることもなく、八枝子はベッドを背にして足を投げ出し、べたりと床に座り、ぼうっと視線をさまよわせている。時折り「くふふ」と笑い、「ふひひひ」と肩を上下させている。
長い髪はすべて白髪となり、艶も失われて波状にうねっている。
右腕は肘の下から先は失われていて、残された手足の筋肉は痩せ衰え、二十代前半とは思えないほど老けて見えた。
その横で彦一は坊やに赤子を紹介するように見せて、言い聞かせるようにこの子は男の子で、名前は昭僧。そして今日から坊やの名前は浄子だ、と言った。
「しょう、ぞう。しょうぞう。じゃあ、しょうちゃんだね」
坊やは明るく笑う。しかし彦一がもう一度、坊やの名前も今日から新しく、浄子という名に変えようと言うが、坊やは受け入れなかった。
これまでにも『坊や』というのは名前ではないことを説明してきたが、その度に坊やは否定した。
「ぼくの名前は坊やだもん」
再び月日が流れる——。
突き飛ばされて、フローリングの床に尻もちをついた坊やは、大きな目をしばたたかせている。
「私の坊やに触るんじゃないよ。近寄るな! 汚い餓鬼。邪魔なやつ」
八枝子は守るように昭僧に覆い被さり、坊やを罵った。
「おかあさん……」
小さく言う。その目は今にも溢れそうに潤んでいる。
昭僧が生まれてからの八枝子は、気力なくぼんやりとしているか、昭僧を相手に、これまで坊やにしていたように呪詛や村人のことを語る毎日だった。
そして、残酷にも八枝子にとっての『坊や』は昭僧に置き換えられ、今までの坊やには見向きもしなくなっていた。
むしろ、『坊や』をさらおうとしている敵であり、邪魔なやつでしかなかった。
終始見ていた彦一は、七歳の子供にはあまりにも酷い仕打ちだと、坊やを引き寄せて抱きしめた。
そして、八枝子が心も体も病んでしまっていると話す。
以前の八枝子の精神状態は異常な時もあれば、正常な時もあった。しかし、今の八枝子の心は完全に崩壊してしまっていた。
——守るよ。か細い声で。
ぼくがおかあさんを守るから。力強い声に変わる。
「今度はぼくが、おかあさんと、しょうちゃんを守ればいいんだよね?」その力強い声とはうらはらに、坊やの胸元はぼろぼろと落ちる涙で濡れていた。
——抜け穴の通路は徐々に上り坂になり、上へと続く階段で行き止まった。
桜紗はそれからしばらくの間、霊視を続けて口を開いた。
「君はずっと、しょうちゃんを守ってきたんだね」
「うん、ずっと探していたの。でも、見つけたと思ったら失敗しちゃって、また探したの。でもでも、また見つけて、今度は絶対守らなきゃって。だって、わたしはおかあさんだから」
坊やはうつむいたり、はしゃいだりを繰り返して、最後はもじもじと照れながら言った。
「よく、頑張ったね。すごいことだ、しょうちゃんだけではなく、我々のことも守ってくれていたんだから」
「うん! だってみんなも、しょうちゃんを守ってくれてるんでしょう。でも、溺れたお兄ちゃんは間に合ったけど……わたしがまだ子供だから、失敗ばっかり……疲れちゃった」
口を尖らせ、下を向いて地面を蹴る坊やを、桜紗は優しく抱きしめて「もう十分だ。これからは、君の代わりに私がしょうちゃんを守るよ」
「あー、お兄ちゃん、男なのに『私』って言うんだね。お父さんたちと一緒だ」
パッと笑顔になる。コロコロと変わる表情の坊やを抱きしめる腕に、少し力を加えて——、
「だから、もうおやすみ」
そして桜紗は念唱を唱えた。それはとても優しく。
「うん、わかった」
坊やの体が黄色い光に包まれる。
抱きしめる桜紗の腕から、小さい光の粒がするり、するりと抜け出していく——。
やがて、坊やは光の粒となり、消えた。
それからしばらくの間、桜紗は『坊や』の過去と、その結末までの話を続け、松宮は黙ったまま聞いた。
聞き終えて一言、「つらいな」と息を切らせながら言った。そして、考える。(村の医者が斗南氏の曽祖父だったわけか。そして、昭僧という赤子が祖父か)と。
二人は途中の廃屋を抜けて、再び森の中を進んでいた。
「抜け道を抜けた先は川べりの水車小屋の中だったんだが、覚えているかい? 水車小屋」
不意に、桜紗が問いかける。
蔵の向こうに見えたな、と答えた松宮に、「では、蔵の裏手にあった広場は?」
まるで松宮を試すように。
「確かにあった。地面に木片が突き刺さっていたところだ」
即答する松宮に思わず唸る。
「あの暗い中、ちょろっと確認しただけなのに、よく覚えているもんだ。では、その木片、広場の中心から散乱していたんだが、どう考える?」
一拍おいて「儀式じゃないだろうか。おねえさんの霊視で、斗南氏の曽祖父が記していた本にあった、人に見立てた木組みを燃やすとかいう『祟り鎮めの儀式』だ」
「答えが早いな。まず、それで間違いない。君の優秀さには感服する」
桜紗は参ったと言わんばかりに首を横にふった。
「松宮さんが一緒にいてくれるのは、実に頼もしいよ」
「あ、ありがとう。足手まといにはならないよ」
松宮は顔を伏せながら痛む足を見てから小さく言った。
「斗南くんはコンピュータに強いようだし、君たちと一緒なら良い仕事が出来そうだ。報酬は弾むぞ」
冗談っぽくニヤける。
が、「だが断る!」松宮はホラーはもう充分だ、と即答した。




