第20話 遁走
蛇行しながら山道を登って行く。
この山道は車が二台、ギリギリすれ違うことが出来る幅しかない。左右は森に囲まれている。左側は深い森で右側は五十メートル程先で段々と下がって行き、崖に行きあたる。登るにつれその崖は高くなっていく。
後ろの席では車の揺れの激しさを物語るように、斗南がひっくり返っていたが、豪切は姿勢を崩すことなく集中していた。
シートベルトをしている松宮も足を突っ張り深々とシートに座ってはいるが、汗だくになり、その足はふるふると震えていた。
いまだフロントガラスには女が両手足をペタリと、カエルのように張りついている。
異様な力にハンドルをとられながら「松宮さん、斗南くん、二人とも怪我はないかい? この山道ならば、この女が操る人も車もない。奇妙な女だが結界は効いているんだ。ほら、ガラスに張りつく虫と同じだ。せいぜい車を小突くことしか出来ないよ」
顔が異様に白く皺深い。そのせいでよく目立つ、黒い目玉をぐりぐりと動かし、剥き出した歯を当て、フロントガラスから侵入しようとする女を横目に、桜紗は二人を安心させようと話しかけるが、左右に流される体を必死に支え耐えている二人には聞こえていない。
カーナビの上に設置された携帯に着信が入った瞬間、待っていたとばかりに桜紗は片手ハンドルで携帯に手を伸ばす。こんなことは日常茶飯事なのか、手慣れている。
電話は紫桜からのもので、先ほどの国道での騒動で、事故や怪我人はなく、すぐにあとを追うという報告だった。
「しえ、電話はこのまま繋がったままにしておけ」
桜紗は言った。
不意に木々の折れる音が聞こえ始めた。
車体に何かが当たる——徐々にその音が激しくなった——突然車が右に横滑りした!
桜紗は目視とサイドミラーで確認していたがこの暗闇では原因が分からない。見えるのはヘッドライトの照らす先だけだった。
ハンドルとアクセル操作で微調整はしているが右に——崖に引っ張られていく。
車はまるで引っ張り合いをしているように蛇行の振り幅が大きくなっていく——。
「木が! 周りの木が車を追って来てます」
斗南が声を上げた。途端に女が目の前に移動してくる! まともに目が合った。斗南は凍りつくように固まり、視線を外せなかった。
すうっと斗南の目から光が失われていく。
開いた口からは白いモヤが漏れ出している。
思考すら失われた頭の中に声が流れてくる——。
それはそのまま斗南の口から発せられた——、
「帰れ、帰れ、帰らなきゃ——死ぬ」
桜紗がバックミラーでちらりと斗南を見た。
松宮も振り返り斗南を見ていた。
車は枝に絡めとられては引きちぎり、絡めとられては引きちぎりを繰り返しながら進み、車体を傷つける甲高い音とタイヤの滑る音が車内に響く。
「木か……なんでもやってくる」桜紗はボソリと言った後、声を張り上げて「さすがに虫と一緒だなんて無視出来なかったな、松宮さん」
この状況でもくだらないダジャレを放てる桜紗に唖然とする松宮だったが、それが頼もしくも感じ、口元が緩んだ。
それを見て桜紗は「よし、ひとつやってみるか!」と車を止めて、直接やり合う算段をしたのだが、いままで静かに目を閉じて集中していた豪切が口を開いた。
「次の別れ道を西の方角だ」
「西か、西? 別れ道?」
それはどれくらい先なのか? 桜紗はブレーキから足を外しアクセルを踏みこんだ。纏わりつく木々が弾かれるようにちぎれ飛んでいく。
たえず横滑りをしている車を手なずけるように、ハンドルを切り返しながらも、右手の薬指で車のヘッドライトをハイビームに切り替え、先を照らす。くねくねと曲がり道は多いが、分かれ道は無いように見える。桜紗のひたいに、じわりと汗がにじむが、この状況でも、その表情に焦りはない。
「近いぞ、兄様!」
桜紗は前方左側を凝視するが、草木に覆われていて道らしきものは見えなかった。
「まもなくだ!」
! 少し先、太い木に挟まれた箇所、草や、伸び広がった枝に覆われていて先は見えないが、車が一台通れる幅はありそうだ——。
「ここだ!」「ここか!」
二人は同時に叫んだ。桜紗はハンドルを左に切り、突っ込んだ。
ばりんばりんと周りの草や木の枝が容赦なく、車体にさらなる傷をつけていく、車は縦横に激しく揺れながら段差で大きく跳ねた。
「きゃああ!」
叫び声が一つ上がってすぐ、少し開けた場所に出た。
速度を落とし、車は走り続ける——。
やはり、車が一台通れる程の道幅で、草に覆われ、未舗装のガタガタ道だが、じゃりが敷かれていて、どうやら以前は使われていた道路のようだ。
「ふー、こんな道が隠れていたとはね。どうやら奴も離れたようだし、一旦小休止、てところか」
いつの間にか女は消えていた。桜紗の言葉で、車内に安堵の空気が流れるが、何故か、松宮だけは顔を伏せ、ぐったりとしている。
この道が廃村への道だと確信する豪切は、「もうナビは必要ないだろう」と言って前の席を覗き込み、うなだれている松宮を、にやり顔で見る。
「何度か『きゃあ』とか、か弱い少女みたいな声がしたが」
ビクッと松宮の肩が上下する。
「う、うう……うるさい。からかうな。私も、女子だからな……似合わなくて悪かったな。もう、へとへとだよ」と眼鏡のふちを左手でクッと上げた。




