其の捌拾弐 対戦相手として
自分たちの目の前で、1体の妖怪が完膚なきまでに殺し尽くされた。
その残滓が存在する事すら許されず、塵まで掻き消えた末路に、その場にいた誰もが恐怖した。
これまでに現れ、敵対してきた妖怪たちなど、比べ物にすらなりはしない。
最も端的に、手軽に、呆気なく他者を殺してしまえる妖術。
それを涼しい顔でやってのけた神ン野が持つ、遥か高みの実力を思い知ったのだ。
「これで、今回の俺の仕事は終わった訳だ」
アブラスマシを切り刻み消滅させた球体状の針山へと、緩く手を伸ばす。
最早数える事すら億劫になるほどの剣で構成されたそれは、空中で薙刀へと変形しながら神ン野の手元へと引き寄せられていく。
片手で難なくキャッチしてみせたそれの切っ先を、九十九たちへと差し向ける。
刀身には、切り刻まれた妖怪の残滓を示すかのように、薄汚れた血が貼り付いていた。
「さて……残るは、貴様らだな」
「……っ。やる、気……? なら……」
「ちょっ……!? 動かないでくださいやし、坊ちゃん! 今の坊ちゃんの状態じゃあ、これ以上の戦闘は無理でさ!」
「け、どっ……! やらなきゃ、皆が……!」
「……そこなバケギツネの言う通りだ。最早、貴様に戦えるだけの力は残っていないだろう」
無理やりにでも立ち上がろうとして、周りから必死に諭されている九十九を、神ン野もまたやんわりと静止した。
彼らに向けていた切っ先を降ろし、戦闘の構えを解くと、大きく息を吐き出す形で脱力する。
つい先ほどまで苛烈な蹂躙を繰り広げていた彼が、こちらへの敵意を向けていない。
その違和感に、“八咫派”一同は自然と落ち着きを見せる。けれども、警戒は解かないままだ。
「……何が、目的なの? お前は、僕を見定めると……そう、言っていた筈だ。その為に、僕と戦って、それで……」
「ああ、そうとも。俺は、貴様が『げえむ』の『敵きゃら』足り得る存在であるか、それを見極める為にここにいる。そして、その目的は達成された」
じっと、面頬の奥から光る眼差し。
鋭く重い眼光で見据えられ、九十九は身を強張らせつつも相手を見返した。
「ヒバチを倒せた事は評価しよう。奴は短気で単細胞だが、その身に宿す妖気はよく練り上げられていた。消耗した上での再戦にも拘らず、奴を下したその武勇、侮れるものではない。だが決して、貴様1人での勝利ではなかったようだな」
「……うん。僕1人じゃ、多分勝てなかったと思う。勝てたとしても……今よりもっと、もっと酷い状態になっていただろうね」
神ン野の指摘は、決して否定できたものではなかった。
姫華やイナリ、お千代がアブラスマシを足止めしていなければ、九十九はヒトウバンと奴を同時に相手取らなければならなかっただろう。
誰も知らない事だが、瀬戸が人知れずガキツキたちを仕留めていなければ、奴らは五十鈴の下へと到達していただろう。
そして五十鈴が地脈を鎮めていなければ、それぞれの戦場における勝利はあり得なかったと言えるだろう。
今回の戦いの全てが、九十九1人では成立しなかったものだった。
仲間の、友の存在があってこその勝利。恐るべき妖怪たちを相手取るにあたって、妖怪リトル・ヤタガラスは未だ力不足である。
だが、神ン野の思惑はまた別のところにあった。
己の実力不足に歯噛みする少年を見下ろして、巨鎧は兜越しに目を細める。
「故に、貴様の恐るべき点は実力ではない。その成長速度だ。苦境に陥る度、環境が変質する度、貴様の妖気はそれに適合する。適応する。ヒバチの敗因はまさにそこだ。戦いの中でのびのびと成長する貴様を前に、奴は対応できなかった。故に敗北した」
「……だから、今の内に刈り取るつもり?」
「それをするのは容易い事だ。だが、先にも言った筈だぞ。俺は、貴様を見定める為にここにいる。その結論を、ここで出そう」
ゴン! と、地響きにも似た音が出る。
薙刀の石突が勢いよく地面を穿ち、周辺を軽く揺るがした。
その場で厳かなに立った『げえむ』の審判者は、はっきりと、よく耳に届くよう声を張り上げる。
「妖怪リトル・ヤタガラス。貴様は、『げえむ』の『敵きゃら』に非ず。──いるだろう、山ン本」
「──ヒヒヒヒヒッ。お呼びかァい? 神ン野。審判役たるお前さんに呼ばれたんなら、出て来ない訳にはいかないねェ」
ヌラリ。
つい一瞬前までいなかった筈の場所に、その男は現れた。
焼けた瓦礫の上に腰掛けて、相も変わらず長い煙管を弄ぶ、枯れ葉風の和服姿。
甘ったるい煙をもうもうと口から吐き出すその男こそ、山ン本──大妖怪キセル・ヌラリヒョンに他ならない。
「山ン本……! お前まで、この場に来るのか」
「そりゃァ、あたしは『げえむ』が楽しみで仕方が無いからねェ。面白い催しを特等席で観戦したいと思うのは、人間も妖怪も同じだろう? そういう意味じゃ、今回はとっても楽しませてもらったよォ。お前さんらの這いずり回る姿をねェ……ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒッ!」
明らかな嘲笑に、一同の顔が強張る。
どれだけこちらが痛痒を負おうとも、どれだけ自分たちの手駒が傷つき死のうとも。
彼にとっては、その全てが「見応えのあるエンターテインメント」でしかないのだ。
「敵の大ボスとだけ聞いてたから、どんな奴かと思えば……とんだクソ野郎じゃない。自分に被害の来ない対岸の火事を、まるでスポーツの試合扱いってワケ?」
「……80年前から、なんも変わってへん。あのド腐れ煙草喫みは、他人が傷付けば傷付くほどおもろいんや。あの大戦で殺せんかったんが、何よりも悔しゅうて仕方あらへん」
「おやァ? 見慣れない顔ぶれが増えたと思ったら、どこかで見たようなツラだねェ。でも、どこで見たのか忘れちまったよォ。ヒヒヒヒッ。80年前の大戦と言ったら、“八咫派”の連中が虫けらみたいにたくさん死んでいったからねェ。誰が誰だが覚えてないのさァ」
煽り立てるような言葉を受けて、瀬戸や召使い妖怪たちの額に青筋が浮き上がる。
サングラスの向こう側から強く睨まれても、山ン本は何も感じない。
煙管を口に咥え、ぷかぷかと青臭い煙を吐き出す枯れ男に、“八咫派”の誰もが不快感を覚えていた。
このままでは話が進まない。
そう判断したのか、神ン野が己の体を揺らし、ガシャリガシャリと大きな金属音を奏でた。
「そのような茶番をさせに呼んだ訳ではない。山ン本。『げえむ』の審判役として、俺は貴様に通達する義務がある」
「そうだねェ、お前さんからの上奏とあっちゃ、あたしも無視はできないからさァ。でも、どうする気だい? リトル・ヤタガラスを『敵きゃら』として認めない、って言ってたけどさァ……それじゃァ、あいつらをここで消しちまうのかい?」
「……!」
「そのつもりは無い。……『現代堂』幹部・神ン野より、『げえむ』の運営に関する提言を行う」
再び、石突で地面を叩く。
揺るぐ大地の中で一切身じろぐ事も無く、その冷淡な眼差しは、警戒を強めたままの少年の姿を見た。
「妖怪リトル・ヤタガラスを、否、当代の“八咫派”に属する者たち全てを──我らが『げえむ』における『らいばるぷれいやあ』に認定する」
その言葉の意味を、九十九たちは暫しの間、まるで理解する事ができなかった。
「……ヒ、ヒヒヒ、ヒヒッ、ヒヒヒッ」
けれど、山ン本は違った。
「ヒヒッ──ヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!! そうきたかい、そうきたのかい、神ン野! 面白いねェ、まったくもって面白いねェ!」
煙草を喫む事すら忘れて、ゲラゲラと高笑いに浸る胡乱な男。
ぽかんと呆然に暮れている者たちを視界に収めながら、彼は笑いつつも言葉を続ける。
「『らいばるぷれいやあ』って事はさァ、つまり、つまりだ。『げえむ』における対戦相手って事だろう? 『敵きゃら』という名の排除すべき障害ではなく、彼らの打倒無しに『げえむくりあ』は認められない! 神ン野ォ、お前さんはそう言いたいんだろう?」
「そうだ。ああ、その通りだとも」
腹を抱えて大笑いしっ放しの総大将を他所に、鎧の巨漢は頷きを返す。
「我ら『現代堂』が夜の側を象徴するように、奴ら“八咫派”は昼の側を象徴している。いち個体で完成された我らと、群れる事で真価を発揮する奴ら。これは、どちらが正しいのかを決める戦いだ。どちらの側が、優れた文明であるかを決める戦いだ」
「ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒッ。随分とまァ入れ込んだねェ、神ン野。そんなに、八咫村の小倅を殺すのが惜しいかい?」
「ああ、惜しい」
思わぬ即答に、あの山ン本がピタリと動きを止めた。
「俺は、奴に──リトル・ヤタガラスに、俺のところまで登り詰めてほしいと願っている。夜の側の勝利を、“昏い太陽”の降臨を望む一方で、俺の『げえむ』を開催するその時が楽しみで仕方が無い」
笑っている。
神ン野が、あの堅物が、武と暴力の化身が笑っている。
例え素顔が分からずとも、表情の全てが面頬に覆い隠されていようとも、その事実を全員が理解できた。
「妖怪リトル・ヤタガラス。我ら『現代堂』が差し向ける『ぷれいやあ』を下してみせろ。そうすればいつか、俺がいち『ぷれいやあ』として参戦する日が来るだろう。その時こそ、貴様を確実に屠る。リトル・ヤタガラスの討滅こそが、俺の定める『るうる』だ」
「──分かった」
ヨロリと、ふらつきながらも立ち上がる。
火縄銃を杖代わりに、姫華たちの静止を受けながら、それでも九十九は立ってみせた。
立って、目の前に君臨する巨鎧の武神へと真っ直ぐに対峙する。
「神ン野。いつか、お前を倒す。今よりもずっと強くなって、もっとたくさんの人を守れるようになって、お前の『げえむ』を真っ向から打ち破ってやる」
「その言葉、決して忘れるな」
その言葉を最後に、神ン野は踵を返した。
見るからに楽しそうな彼の姿に肩を竦めながら嘲ると、山ン本もまた煙管から沸き立たせた煙を、自分と彼の2人に纏わせる。
「また会おう。いつの日か、貴様が高みに到達するその時に」
「ヒヒヒヒヒッ。次の『げえむ』も、ちゃァんと楽しませてくれよォ」
2体の妖怪を包み込んだ煙は、たちまちに霧散する。
その直後、そこにはもう誰もいなかった。きっと、今しがたの煙に乗じて『現代堂』へと帰還したのだろう。
「……目ェ、つけられてしまいやしたね。真っ向からの“らいばる”宣言たぁ、いよいよ逃げ場も無なっちまいやした」
「まったく……80年前とは大違いですわね。よもやあの神ン野が、特定の誰かを“たあげっと”に見初めるなど。況や、それが坊ちゃまなどとは思いもしませんでしたわ」
イナリと、ようやく話せる程度に回復したらしいお千代。
彼らは互いに目を合わせて、それはもう深々と、困惑と諦観の混じった溜め息を吐き出した。
なんせ相手は、かつての大戦で大敗を喫した強敵である。
彼が、自分たちの主を好敵手と見做した。即ち、九十九は逃げ場を完全に失ってしまったのだ。
「どうすりゃいいのよ、これ。いくら九十九が決めた事とはいえ、相手がヤバ過ぎるでしょ。今からでも、私も妖怪になる為の特訓とかしてみる?」
「……いや、やめといた方がええ。妖怪っちゅうんは、そない、なりとうてなるもんやないで。五十鈴ちゃんは、八咫村のの背中を押してサポートする役に徹しい。その間にボクは……そやな、やっぱあのコネ使うか……」
過去の経験から敵の脅威を読み取った五十鈴を、瀬戸がやんわりと掣肘する。
彼も彼で何かを考え込んでいるようだが、それをこちらに開示するつもりは無いのだろう。
そう割り切って、姉として視線を向けるのはやはり、大敵に目をつけられてしまった弟の方だ。
「……大丈夫? 九十九くん。そんなにボロボロになった上に、あいつらが……」
「……うん。心配してくれてありがとうね、姫華さん」
顔を俯かせて脱力し切った九十九を見て、労るように慮るように、彼の肩をそっと抱く姫華。
彼女に感謝の言葉と、ややダウナー気味な笑みを返しながらも、少年はそっと夜空を見た。
まだヒトウバンとの戦いの痕跡が残っているのだろう。
本来ならば満天の星空が見られる筈だった視線の先には、黒ずんだ煙の残滓や、未だ空を奔る火花などが見てとれた。
戦いの傷は深く、1つの戦いが終わってもなお、敵との因縁は続く。
そればかりか、今の自分では太刀打ちできないような強敵からライバル宣言をされてしまった始末。
(……今の僕では、絶対に勝てない。もっと……もっと強くならないと。今回みたいな大敗を、2度と犯さないように)
それでも、今だけは。
「……帰ろっか。爺ちゃん、家で待ってるよ」
今だけは、生き延びた喜びを噛み締めたい。
その思いを胸に、ふにゃりとした笑顔を仲間たちに向けた。




