其の陸拾弐 事実上の敗北
今日2話目の投稿です。ご注意ください。
その爆音を別の言葉で形容しようとするならば、きっと「ナニカを殴り飛ばした際の音」と表現するのが最も近しいだろう。
閃光が消失する。衝撃が相殺される。轟音が上書きされる。
ミサイルにミサイルをぶつけて爆発させたかのような、それほどに巨大な爆発音が目の前で轟いた後、閃光で覆われていた視界に元の景色が帰ってくる。
コンクリートの焼ける匂い。ナニカの焦げた匂い。
ジュウジュウと煙と音を立てる瓦礫たちの中には、融解したものや、消し炭になったものもいくらか見える。
視覚と聴覚だけを使って、目の前の事象を理解しようと試みる。
そうでなければ、己の右腕に起きた惨劇を認識して、狂ってしまうかもしれなかった。
手に持っていた筈の火縄銃がどこに飛んでいったかなんて、最早考えている場合ではない。
「あ……」
パチクリと瞼を震わせて、九十九はようやく現実を認識した。
「……謝罪しよう。俺は、貴様の真価を侮っていた。それは、紛う事なく俺の恥だ」
眼前に鎮座する、真っ黒い塊。
それが一体何なのか、初めはまるで理解できなかった。
けれど視界がクリアになるにつれて、それの正体が徐々に明らかになっていく。
黒焦げた表面から大量の煙をもうもうと吐き出しながら、しかしそれ以外の傷を負っている様子の一切見受けられないそれは──
「まさか、80年ぶりに妖術を行使する事になるとはな」
──盾
神ン野の巨体よりも大ぶりのタワーシールドが、彼を蒼色の灼熱から守っていた。
「……は?」
最初に到来した感情は「何故?」だった。
何故、彼は盾を持っている? それもあれほど巨大なものを、一体どこに隠し持っていたというのだろうか。
九十九が特大の火球を放ってからそれを受け止めるまでに、許された時間はそれほど多くなかった筈だ。
その一瞬で薙刀をどこかに仕舞い、代わりにあの大盾を取り出したとでも言うのだろうか?
果たしてその答えは、即座に明かされる事となる。
「……我が愛刀《悪五郎》を焦がすほどの熱量。力量も妖術も荒削りな面が目立つが、やはり将来的な脅威となり得る、か。この場で討たねばならぬ事が口惜しい」
盾を持ち上げる。自らの全身を覆うほど巨大な盾を、片手で軽々と。
そうして手に持った盾を神ン野が軽く横に振った瞬間、そのフォルムが大きく歪み始めた。
ぐにゃりと、まるで飴細工のように。
盾はたちまちに形状を変質させて、瞬く間に薙刀へと変化する。
その見た目はまさしく、先ほどまで彼が振るっていた薙刀であり──刀身や柄は、炎を浴びたように黒く焦がされていた。
薙刀が盾に。盾が薙刀に。
自在に形状を変化させる事のできる武器を使い、薙刀を即座に大盾に変換して火球を防ぎ切った。
言葉にすれば簡単なトリックだが、それを「簡単」で終わらせるには理不尽が過ぎるものだった。
「今度こそ、仕舞いだ。その首を刎ね飛ばし、『げえむ』を再開する」
巨体が消える。
否、先にも起きた事だ。驚異的な踏み込みによって一瞬で接敵した神ン野は、既に薙刀を振り上げていた。
先ほどと違って、今の九十九には回避できるだけの体力も、気力も、余力も、何も残ってはいなかった。
だから、この致命の一撃を回避する術は無い。ここから生き延びる術は無い。死を免れる術は無い。
八咫村 九十九は、ここで死──
「──む」
例えるならば、広大な砂漠の彼方で、ほんの一瞬だけ煌めいた針の反射光だろうか。
それほど微かで、常人ならば気付く事すら無いだろう違和感が、刹那よりも短い間だけ視界を掠める。
それを無視する事は容易い。
だが、そこで違和感を確かめる事を選択するからこそ、神ン野は強者でいられた。
強く力を込めて、薙刀を振り下ろす。
首を狙うのではなく、敵の体を両断する事を求めた斬撃は、目論見通りに九十九の体を切り裂──かない。
「成る程、幻術か」
切り裂いた筈の少年の体が、陽炎のように揺らいで消えた事で、違和感は確信にすり替わる。
即座に体を持ち上げて、薙刀で周囲を薙ぎ払う。
特定の何かを攻撃する為でなく、この場一帯に仕掛けられただろう“ごまかし”の術を破る為に振るわれた斬撃は、果たして。
「ち、ぃい……もう、気付かれたで……御座いやす、か」
「ちょっ……イナリさん、それ以上喋らないで! ただでさえボロボロの状態なのに、無理に喋ったらもっと体に響くよ!?」
認識を歪める幻術のカーテンが、微塵も残さず消失する。
そこで甲冑姿の巨漢は、カーテンの向こう側、遠く離れた場所に1人の少女が立っている事に気付いた。
白銀の長髪と白塗りの眼鏡が特徴的な彼女は、両手で包み込むようにして満身創痍のイナリを抱き抱えている。
その身が放つ僅かな妖気の香りから、彼女はフデ・ショウジョウが狙っていた呪い師の才能を持つ少女、白衣 姫華だろうと当たりをつける。
しかし、その場に九十九はいない。
では、どこに? その疑問を一瞬で切り捨てて、間髪入れずに首を上に持ち上げた。
「上か」
「ヤバっ……もうバレましてよ!?」
「ぅ……あ……」
当たりだった。
先ほどまでいなかった筈の小さな黒スズメ──お千代が、両足で九十九を掴んで上空を飛んでいた。
彼女は自分たちの存在が気付かれた事に、強い焦りを見せている。
ここまで来れば、仕掛けは全て分かったも同然だ。
九十九が渾身の妖術を放った直後、残った力を振り絞ってイナリが“ごまかし”の術を展開。
そこに駆けつけたお千代と姫華が、それぞれ満身創痍の2人を回収して離脱しようとしていた。
そんなところだろうと結論付けて、コキリと首を鳴らす。
それを敵対の意思と判断したイナリは、姫華が心配する事も厭わず声を荒らげた。
「ス……ズメェ! 収納して……ください、やし!」
「致し方ありませんわね……! 生者を収納すると負担がかかるので、あまりやりたくはないのですけれど……」
ポイッ、と軽い拍子で九十九の体が宙に放り出された。
それを為した──つまり、彼を放り投げたお千代は即座に嘴を大きく開き、その足にパクリと食いついた。
すると、どうだろうか。
如何に矮躯なれども、人間の範疇を逸脱しない体躯である。そんな少年の体が、見る見る内に小さなスズメの嘴へと吸い込まれていく。
凡そ物理法則を無視するにもほどがある光景が数秒続き、九十九の姿は綺麗さっぱりお千代の喉の奥へと消えてしまった。
「え……えぇっ!? な、んでっ……九十九くん!?」
「けぷっ……わたくし、銘をキンチャク・ヨスズメと言いますの。巾着の九十九神であるが故、腹の中になんでもかんでも収納できるのですわ。とはいえ、坊ちゃまくらい大きな、それも生者を収納したとなると……く、苦しいですわね」
言葉の通りに苦しそうな様子を見せる彼女の腹は、ぽっこりと膨らんでいる。
いつも火縄銃を体内に収めて運んでいるようだが、流石に人1人を収容するとなると辛いものがあるらしい。
その様を、神ン野は武器を構えたままにじっと見ていた。
お千代を見て、姫華を見て、それからイナリを見やる。
(……何故)
刹那、彼の心に疑問が芽生えた。
(何故、俺は安堵している?)
彼は、心のどこかで安堵していた。
何に対して? そんなもの、分かり切った答えだ。
リトル・ヤタガラスを殺し損ねた事実に、神ン野は安堵を覚えていた。
「……貴様ら」
「へ……へへっ。わても、男でやす……から、決闘などに、理解は……ありやす、が……」
ヒバチ・ヒトウバンの巻き起こした灼熱地獄に晒され、ズタボロ状態のバケギツネ。
彼はそれでも、少女の手の内で体を起こし、不敵な笑みを不器用に飛ばしてみせた。
「こちとら、主に……仕える、身。名誉なぞ、よりも……やはり、主の、命の……方が、大事……なん、でさ」
「キツネに同意するのは癪ですが、こればかりはわたくしも同意見でしてよ。あなたに狙われるより早く、逃げ果せてみせましょう。この命に替えましても」
「……正直、私はあなたが怖くて仕方ないし、今だって足が震えてるけど……。でも、ここで私が竦んだせいで九十九くんが死ぬくらいなら……私は、イナリさんやお千代さんと同じ側に立つ」
「……」
数秒を、沈黙に費やして。
徐に構えを解いた巨怪は、手に持った薙刀の石突で地面を突き、その場にどっしりと立つ。
多少の威圧感はあるし、彼ほどの手練であれば、この状態からすぐさま戦闘に移る事もできるだろう。
だが少なくとも、その姿勢からはこれ以上の戦闘続行を望む意思は感じられなかった。
「主の利に背くと知ってなお、主の命を選ぶか。その忠義、天晴。貴様らの心意気に免じて、この場は手を引くとしよう」
「……へっ?」
「どう、いう……風の、吹き回し……でさ」
「何も、難しい話ではない。元より俺はリトル・ヤタガラスを殺しに来たのではなく、見極めに来たのだ。この先、『げえむ』を盛り上げる『敵きゃら』となり得るか、それともただ殺されて終わるだけの存在なのかを」
兜を揺らし、空を見上げる。
視線の先には、お千代……ではなく、彼女の膨らんだ腹が見えた。
あの腹の中に、九十九が匿われている。己の妖気に呑まれていたとはいえ、瀕死の状態になってなお、戦う意思を持っていた九十九が。
薙刀を握る手に、仄かな熱を感じる。
その柄は、黒く焦げながら熱を帯びていた。渾身の妖術を受けた際の炎熱が、未だ冷める兆しを見せていないのだ。
「……今暫く、見定め続ける必要があるようだ」
その一言を置いて、くるりと背を向ける。
ガシャリ、ガシャリと鳴る金属音が、追撃無用を言外に告げているようで。
「だが、心せよ。『げえむ』に参画せし『ぷれいやあ』どもは、俺のように優しくは無い。たかだか字を持たぬ者ども程度、倒せずして敗走するようでは、この先の現世を生き延びる事は叶わぬと知れ」
「……ご忠告、痛み入りますわ。ですが坊ちゃまは、あなたたちの『げえむ』とやらを盛り上げる気など毛頭御座いませんわよ。無論、わたくしたちも」
「いいや、既に為しているとも。『ぷれいやあ』に敵対し、『ぷれいやあ』と戦う事こそがそうだ。山ン本は、それを望んでいる。人の側に立つ者が、『ぷれいやあ』の手によって討たれる事。そうして生じる人間の絶望と恐怖が、“昏い太陽”を招く1歩となるだろう」
「……“昏い太陽”?」
その名に、姫華は聞き覚えが無かった。だが、2体の召使い妖怪たちは違う。
「……嘘でしょう? まさか『現代堂』は、その為に人間世界を攻撃しているのですか? あんな、実在さえ不確かな与太話の為に」
「ヒトウバンの、奴も、言って……やした、が……あんたらは、本当に信じてるんで、やすか……? わてで、さえ……話にしか、知らぬ……御伽噺、を……」
「与太話、御伽噺か。まぁ、無理も無い。我らが“魔王”亡き後、“八咫派”の者どもは“昏い太陽”の実在を徹底的に隠したそうだからな。子々孫々にさえ受け継がぬほど、実在を知られては困るのだろう……あのテッポウ・ヤタガラスにとっては」
神ン野は、決して振り向かなかった。
直後、その足に無から発生したと思しき煙のようなナニカが纏わり付く。
その不愉快になるほど甘ったるく青臭い煙の正体に一同が気付くよりも早く、煙は巨漢の首から下までを包み込んでいた。
そうして頭部までをも瞬く間に包んでいく刹那、無骨な声が放たれる。
「覚えておくがいい。人は夜に恐怖する。それは、本能の内で知っているからだ。闇を照らし光を閉ざす、“昏い太陽”の暗黒を。我ら妖怪が人を恐怖に駆り立てるほど、世界は『夜』に回帰する。忌々しい『昼』の光が、世界の裏側へと失墜する時は近い」
やがて全身を煙で覆い尽くされた巨体は、徐々にその存在を薄れさせていく。
その間際に小さく零された呟きは、果たして誰かの耳に届いただろうか。
「また会おう、リトル・ヤタガラス」
甘ったるい煙の塊は一瞬の内に霧散し、それに覆われていた神ン野の姿もまた、綺麗さっぱり消え失せていた。
煙を一掃するように吹いた夜風は、九十九たちが戦闘で放った炎の残滓がまだ残っているのか、肌を撫でる暖かさを孕んでいる。
後に残ったのは、ただ静寂だけだ。
ヒバチ・ヒトウバンの暴威も、ヒョウタン・アブラスマシの悪辣さも、神ン野の圧倒的な攻勢も、何も残っていない。
あるのは、生の気配を奪われ黒ずんだ繁華街の残骸たち。
変わり果てた街を目の当たりにしてとうとう緊張の糸が切れたのか、姫華はすとんとその場に尻餅をついた。
その拍子にイナリを落としかけるも、なんとか堪えて腕の中に留める事に成功する。
「……これ全部、妖怪がやったの?」
「無論、姫様とわたくしとで助ける事ができた方々もいらっしゃいます。ですが、間に合わなかった方々も多くいらっしゃるでしょう。……そしてそれこそが、奴ら『現代堂』の目的であり、本懐なのです」
「……酷い」
「ええ、まったく」
無力感だけを込めた一言に、お千代は同意を示す事しかできなかった。
「……とも、かく……坊ちゃんを、家に、運ばね……ば。人の、病院で……は、いけねぇ……わてらの、存在……が、ばれ、ちまいやす……」
「はいはい、それ以上喋っては傷に障りますことよ! 坊ちゃまは、わたくしの腹の中で無理やり眠らせましたわ。少しでも、ご自身の妖気を傷の回復に当てて頂けねばいけませんから」
「……大丈夫、なの? あんなにズタボロの九十九くん、初めて見た……」
「詳しくは家で診ねばいけませんが……恐らく、命に係わるほどでは無いでしょう。……キツネが身命を賭して“さぽおと”していなければ、もっと酷い事態になっていたやもしれません。そこだけはお手柄でしてよ」
「……ケッ。スズメに、言われて……も、嬉しか……ねぇ、や」
軽口を叩きながらも、彼とて瀕死である事には変わりない。
何はともあれ八咫村邸に帰り、傷を癒やさねばならないだろう。
戦闘に参加していなかった為に大した怪我も無く、十全に動ける状態にある姫華とお千代が、それぞれ怪我人を抱えて動き出す。
兎にも角にも今の彼女たちは、命を懸けて戦ってくれた同胞たちを助ける事に意識を割いていた。
だから、気付かない。
「なぁるほど……大体分かったわ。五十鈴ちゃん、ボクらも動くで」
「えっ、何が? 何が分かったんですか? 課長。私の目からは、街で突然爆発が起きたかと思ったら火事が消えて、またドデカい爆発が起きてすぐ消えたようにしか見えなかったんですけど」
「なんや、目ぇ悪いんか? こんくらいの距離やったら、大して目ぇ凝らさんでも向こうで起きとる事くらい分かるやろ」
「私の視力は人類の範疇なんだが?」
少し離れた小高い丘から、自分たちの事を観測していた存在に。




