其の伍拾捌 三つ巴
「さて……まずは手早く、格付けでもしようかね。その方がお前も従いやすいだろう? ヒバチ」
ヒョウタン・アブラスマシの手が、瓢箪の蓋に伸ばされる。
渦巻く妖気が木製の表面に纏わりついて、練り上げられていく。今まさに、妖術を行使しようとしているのだ。
「また、あの術を……! 僕たちも介入しよう、あのまま戦わせても被害が広がるだけだ!」
「それはそうでやすが、まずはどっちを狙うおつもりで!?」
「アブラスマシの方! 場合によっては、ヒトウバンの術よりも厄介だ!」
今、敵の妖怪たちは互いを攻撃・排除する事に意識が向いている。
その隙に奴の持っている瓢箪を狙撃し、確実に破壊する。それが九十九の狙いだ。
かつて戦ったネコマタも、尻尾に癒着した提灯の破壊によって妖術の精度が落ちていた。
妖怪は、自身を構成する核たる道具を破壊される事で、その力を減退させるのだ。
ならば、それを狙わない手は無い。
「行きやすぜ! 【根粉、弧金献、娘懇、紺】!」
ぶわり。イナリの尻尾が逆立ち、ふわふわもこもこの毛並みも激しく尖る。
彼の展開していた“ごまかし”の術がより一層の出力を増し、アブラスマシを取り囲むように何人もの九十九が現れる。
認識を捻じ曲げ、歪ませ、“ごまかす”妖術が生み出した幻影の九十九たちは、それを目視した者にその一切を「本物である」と認識させるもの。
その上で、本物は知覚されない“ごまかし”を纏い、地面を蹴って別の地点へと移動していた。
これこそ認識阻害の真骨頂。化け狐の術に囚われた妖怪たちは、決して本物を見破れない。
スニーカーの裏でブレーキを踏み込んで、狙いを定め、そのまま火縄銃の引き金を──
「馬鹿が。わざわざ浮き駒を作るワケ無いだろうよ!」
キュポンッ。
軽い音が弾けて、木製の蓋が開け放たれる。
唸りと共に湧き上がる油の奔流が、徐々に音量を増していく。瓢箪の容量を遥かに凌駕した質量が、小さな口から飛び出した。
「もう1度、今度はこの辺り一帯を埋め尽くすまで──妖術《油一匁》ェッ!!」
妖気を吸い込んでぶくぶくと膨らむ油玉の数々が、瓢箪を抜け出してこの世へと現れる。
アブラスマシは妖術発動中の瓢箪を両手で掴むと、妖気が油が放出されている真っ最中のまま、思いっきり大きく振り回した。
瓢箪の口から溢れようとしていた油たちはどぽどぽと奇っ怪な軌道を描き、先ほどよりも更に広範囲へと拡散される。
妖気の油はたちまちに、“ごまかし”の術によって生成された幻影の九十九全てに襲いかかる波濤へと転じていた。
それを言外に語るかのように、油をまともに喰らった幻影は、その途端に掻き消える。
道具でもなく、術でもなく。ただ認識を捻じ曲げて作られたモノであるが故に、異なる妖気の攻撃を受ければ容易く破られる。
どれが本物か分からないならば、一切を攻撃してしまえばいい。
簡単に聞こえるが、そうやすやすと実行し得ない。それを、この妖怪は容易くやってのけてしまった。
「こ、れっ……いくらなんでも、大盤振る舞い過ぎるでしょ……!?」
「チィッ……! 猪口才な、纏めて消し炭に変えてやらァッ!!」
ヒトウバンがまたもや妖術を行使し、煮え滾った頭頂部から炭火が射出される。
今度は明確に油の破壊を念頭に置いての展開らしく、火を纏った炭のいくつかは油と激突し、相打つ形での破壊に成功していた。
反面、そうではないもののいくつかは競り負けたようで、どっぷりと油玉に包まれて無力化されてしまっている。
そして、相殺した訳でも競り負けた訳でもないもの。
つまるところ流れ弾と化したそれらは、地上を走る幻影の九十九たちを貫き、次々と霧散させた。
その余波で路面が砕け、その下の土を露出させては耕すように吹き飛ばしていく。
「ヤバいっ……! このままじゃ、こっちも巻き添えだっ」
「その前にあの瓢箪を破壊しやせんと! 炭と油とに塗れて、ここら一帯が滅茶苦茶になっちまいやすぜ!」
「……くそっ! 同士討ちなら他所でやってほしいなぁ!」
元より、九十九と彼らは共闘関係にある訳では無い。三つ巴の状況にある以上、こちらを勘案する義理など彼らには無いのだ。
そう分かってはいるけれど、口から悪態が漏れてしまう。二の句を奥歯で噛み潰し、流れ弾として飛んでくる炭火を破壊した。
砕けて消える炭を横目に、素早く妖気を装填。鋭い火の弾丸で、アブラスマシを狙う。
「妖術、《日輪・あけぼ──ッ!?!?」
偶然か、意図的にか。それを判断する術は、今は無い。
この場で確かな事実として語れるのは、九十九が狙撃の体勢を取った瞬間、1発の油玉が彼の直線上に迫ってきた事だけだ。
突然視界に割り入ってきた土気色の塊に、一瞬だけ面食らう。
引き金にかけた指の力さえ緩むが、すぐに歯を食い縛って我に返り、今度は迷わず撃ち放った。
射撃の余波で“ごまかし”のカーテンを破りながらも、弾丸は自らの役目を果たす為に虚空を駆ける。
貫通力に秀でた炎の針が油の膜を貫き、破壊し、弾けさせ。
そのまま回転を衰えさせる事なく飛翔すると、軌道を曲げずに瓢箪へと突き進む。
だが、そこまでだ。
「ヒョウタンの野郎も、リトル・ヤタガラスも! 一切合切消し飛ばしてやるよォッ!!」
この場の誰も想定していなかった一手。術者であるヒトウバンでさえ、意図していなかっただろう事象。
彼が展開し、射出した炭火の内の1つが、九十九の放った弾丸を横合いから襲ったのだ。
如何に高い貫通力を持つ炎の針と言えど、横から高質量かつ高速の一撃を受ければ、その威力に意味は無い。
容易にへし折られた弾丸は火の粉となって溶け消え、それから数秒も経たない内に炭火は落下先の路面を砕く。
細かい瓦礫が巻き上げられて、ほんの数瞬だけ少年の視界を塞ぎにかかった。
それこそが、命取りとなる。
「ん、なぁっ──!?」
「──っ!? 坊ちゃん、前!」
小規模な砂煙で遮られた正面から、油玉が飛来する。
意識の外にあった事象だけに、九十九は反応が遅れる。対処が遅れる。迎撃が遅れる。
刹那の後に現状を理解して、火縄銃に弾を込めようとするが──時既に、遅し。
「──ぁっ!? 銃が……っ!」
油玉が、九十九に着弾する──否、その認識は誤りだ。
正確には、彼が構えていた火縄銃に着弾し……その銃身を、妖気の油でものの見事に包み込んだ。
その拍子に手の力が緩まった事で、銃は少年の手を離れ、火縄銃をどっぷりと内包した油玉だけが後方へと飛んでいく。
それを一瞬遅れて把握し、途端に顔が青褪める。
アブラスマシが行った盛大なデモンストレーションは、ほんの数分前だ。1度でも油の中に取り込まれれば、油玉の破壊と共に内部の物体は消失する。
焦りが神経を通して足まで伝搬し、少年の小さな体は踵を返した。妖怪2体が相争う場に背中を向けて、だ。
「ちょまっ、敵はまだ健在にどつき合ってやすぜ!? 今、背中を向けたら……」
「分かってるけどっ! でも、あの銃を手放す訳には──ッ!」
足の裏に火をつけて、爆発と共に水平方向へ跳躍。
幅跳びのようなフォームで火の粉を押し退け、火縄銃を取り込んだ油玉へと一直線に肉薄する。
相手は、シャボン玉に似た性質を持っている。安易に手を突っ込めば、それが「シャボン玉を割った」と見做されて油玉が弾け、銃も同じ運命を辿るだろう。
ならば、安易な手の突っ込み方をしなければいい。
(あの時、ヒトウバンの放った炭が簡単に呑み込まれたのは……多分、妖気の差! ヒトウバンの炭よりも、アブラスマシの油の方が妖気が濃かった……だから競り負けたんだ。なら僕も、それに対抗するには妖気を使えばいい!)
経験則に由来する直感ではなく、本能的な直感によって正解を導き出す。
中空を裂きながら、腕に妖気を纏わせる。足の裏に宿した妖気を爆発させるのと同じ要領で、指の先に至るまで熱を巡らせる。
そうして飛びついた油玉に向かって、何の躊躇も無く両腕を突っ込んだ。
──グプッ、ズブブブ……!
ゼリーみたいだ。九十九は、思考の隅で微かにそう思った。
指を突き入れた瞬間にまず感じたのは、お菓子のゼリーを軽くスプーンでつついた時のような、プルプルとした弾力。
そこから妖気を意識しつつ更に腕を押し込めば、ドロドロで重たい粘液の中を掻き分けるような感触がこれでもかと纏わりついてきた。
油にしては粘っこく、重たく、じっとりと絡みつき、奥へ伸ばそうとする力を阻害する。
それでも必死になって腕を捩じ込み、油をしごき、遂に銃身へと指先を届かせる。
「よし、後は引っ張るだけ──」
「させるかぁっ!」
背中を向けていた為に九十九からは見えないが、彼が火縄銃を取り出そうとしている事を認知したアブラスマシが妖術を行使し始めた。
それは、放出した油玉の作為的な操作と誘導。無から勢いを付与された油玉は、少年にしがみつかれたままに動き出す。
その軌道が目指す先には、折れて倒れた標識を薪に燃え上がる炎があった。
「ヤバいヤバいヤバい! 早く手を抜いてくださいやし、坊ちゃぁん!?」
「ダ……メ、だっ! これは、この銃、はぁ……っ!」
両の指10本で銃身をしかと握り締め、一気に腕を引く。
油玉が独りでに移動しているが故に、それにしがみついている自分も上手く重心を制御できず、思ったような力が入らない。
それでもなお、火縄銃を引き摺り出そうとする。炎が間近に迫る中、ドロドロネバネバとした妖気の油を掻き分けて。
「僕の、僕たちのご先祖様の……大事なっ、形見なんだから──ッ!?」
──POW!!
炎に接触した瞬間、引火した油玉は当然のように弾け、1秒にも満たない内に消え失せる。
至近距離で破裂の衝撃をまともに受けた九十九もまた、吹っ飛んだ拍子に焼けたアスファルトへ叩きつけられ、その身をゴロゴロと転がした。
当然、肩に乗っていたイナリは墜落と同時に吹き飛ばされて、ベシャリと路面に倒れ伏す。
彼はヤタガラスとしての特性を持つ九十九とは違い、ただのバケギツネ。熱への耐性を持っていない中での強行軍が祟り、もう1歩も動けない状況だ。
「ぼ……っちゃん。大丈夫で、やすか……!?」
「ハァ……ハァ、ゲホッ!? ゲホッ……う、ん。僕、も……銃も、無事だよ……」
煤に塗れた毛皮を震わせて安否を問えば、離れた場所から息も絶え絶えの言葉が返ってくる。
仰向けに倒れながらも突き出されたその手には、油でベトベトになった火縄銃が握られている。
間一髪のところで、何とか抜き出す事に成功していたのだ。
しかし──
「た、だ……ちょっと、腕が痛い、や……ははは」
火縄銃を必死になって握り締めている両腕からは、夥しい量の血が滲み出していた。よくよく見れば、数え切れないほどの切り傷がぱっくりと割れている。
本当に、ギリギリだったのだ。
油玉が破裂する寸前に銃を抜き出したはいいものの、代償として破裂の威力を最も受けたのが両腕だった。
まだ動かせるようだが、傷だらけという表現すら陳腐になり得る有様である。悲鳴こそ上げてないものの、今の彼は尋常ではない激痛に苛まれている筈だ。
ほんの一手で劣勢に陥った九十九。しかし、そこに更なる追い打ちがかかった。
近付いているのだ。悪しき妖気の気配が、着実に、ダウン状態の彼の下へと。
「へっへっへ……隙だらけにも程があるぜ、八咫村のヤタガラス! ここまでズタボロなら、あっしでも簡単に殺せちまうなぁ?」
「あっ、おい待て! テメェだけ抜け駆けしてンじゃねぇぞ!?」
「うるせぇ! 『げえむ』は早い物勝ちなのさ。だからあっしは、お前の『げえむ』に介入したんだ。ここが確実な『勝ち』を狙える、またとない“機会”だったからなぁ!」
相手の意識が逸れたほんの一瞬を突いて、アブラスマシが先行する。
無論その狙いは、倒れたまま動けないらしい九十九にトドメを刺す為だ。
それに気付いたヒトウバンも慌てて動き始めるが、彼我の距離からして間に合う事は難しいだろう。
「やめっ……坊ちゃん、逃げてくだせぇ!」
「遅いっ!」
蓋を閉めた瓢箪の口を持ち、通常の用途とは上下を逆転させた状態──つまり、棍棒に見立てて握り締めた。
それを跳躍と同時に振りかざせば、轟と空気を引き裂くほどの質量が唸りを上げた。
「死ねェ! 妖怪リトル・ヤタガラスッ!!」
「ぁ──」
あと数秒もしない内に、自分の頭はあの棍棒でかち割られるのだろう。
その事をぼんやりと認識した直後、九十九の心の奥に炎が灯る。
チリッ、と微かな音を立てたそれは、ほんの僅かだがカラスのシルエットを象ったような気がして──
「──この『げえむ』、一時無効とさせてもらう」
地面が、消し飛んだ。
荒れ狂う風圧を中空で真っ向から喰らい、バランスを崩したアブラスマシはその場に転げ落ちた。
倒れ伏した九十九やイナリもまた、その衝撃で吹き飛ばされ、またもや路面を無防備に転がっていく。
突然の轟音に耳を劈かれた彼らは、何が起きたのかを理解できていない。
唯一彼らと離れた場所にいて、かつ生まれつき浮遊能力を持っていたヒトウバンだけが、その状況を正確に理解できた。
突如として空中から落下してきたそれが地面に着地──或いは衝突し、それによって隕石の落下と見紛う衝撃と轟音を巻き起こしたのだ。
今、目の前には馬鹿デカいクレーターが形成されている。ヒトウバンの放つ炭火の雨でさえ、これほどのクレーターは生み出せないだろう。
それは即ち、落下してきた彼の重量があまりに大き過ぎる事を意味しているなど、『現代堂』に所属する妖怪たちならば誰でも知っていた。
「な……何のつもり、だ。今は、オレサマの『げえむ』をやっている最中……の、筈だろう」
その声は震えていた。
あれほど苛烈に、あれほど威勢のいい声を上げていたヒバチ・ヒトウバンは、己の声が震えている事実に愕然とする。
「無論、貴様に用は無い。貴様の『げえむ』は正しく進行されるべきものであり、それを阻害する要素は排除せねばならない。……意味は、分かるな?」
頷くしかなかった。頷く以外の選択肢は、頭の中から消え失せていた。
その声無き返答に満足したのか、それはゆっくりと巨体を揺るがした。
全身を刺すような激痛の中、未だ倒れたままの九十九は、それの姿を目の当たりにする。
「な……んだ、アレ……。鎧……武士……?」
その体躯、概算で4m。肩幅だけでも、一般男性が両腕を広げた際の長さよりも大きいものだった。
そんな巨体が、全身ありとあらゆる箇所を甲冑で覆い隠していた。傷だらけで、しかし光沢を失ってはいない、よく使い古された甲冑だ。
それはまるで、武装というよりも己の正体を秘匿しているかのよう。
本来ならば、具足や篭手の隙間から見える肌でさえ、追加の装甲や固い布地などで徹底的に隠されている。
顔面でさえ、鬼を思わせる意匠の面頬が厳重に覆い、唯一露出している目の部分でさえ暗闇に閉ざされている有様だ。
そして何よりも目を引くのは、位の高い武士の如き絢爛豪華な兜。
無骨な印象の目立つ甲冑の中にあって、「神」の1文字を装飾として持つその兜だけが、彩りと派手さに満ちていた。
総括するならば、全身甲冑姿の大男。
そんな巨体が、右手に握ったこれまた巨大な薙刀をゆるりと動かした。
「貴様が、妖怪ニンゲン……いや、リトル・ヤタガラスか。話は、山ン本から大方聞いている」
「や、まん……!? おま、え……ま、さか」
「貴様にも後で用がある。だが、今ではない。何よりもまず、俺が優先すべき事項は──貴様だ、妖怪ヒョウタン・アブラスマシ」
薙刀が緩やかな動きで焼けた虚空を切り裂き、その切っ先をある1点に差し向ける。
ギラリと鋭く輝く刀身が示すのは当然、今ようやく起き上がったばかりのアブラスマシだ。
刀身の輝きに睨まれた彼は、ビクリと身を震わせた。
次第に、体がガタガタと震え出す。全身の毛穴が開き、汗が吹き出す。顔は青褪め過ぎて、いっそ死人のようだ。
恐れている。目の前の巨漢を、痩せぎすの小悪党は途方も無く恐れている。
それは、九十九も肌を通して実感していた。血塗れ傷だらけで激しく痛む両腕が、あの大男に睨まれただけで更なる痛みに襲われたのだから。
「事前の警告にも拘わらず、他者の『げえむ』への不正な介入。そして、『ぷれいやあ』への攻撃行為、妨害行為。『ぷれいやあ』にのみ許されている『敵きゃら』への攻撃の無断実行。貴様がここまで阿呆とは思わなかった」
「あ、あああああ、あっし、はっ、ただ」
「俺の名を忘れたか」
その一言で、アブラスマシの喉は悲鳴を上げる。
最早、呼吸すら忘れて、絞め殺される寸前の小動物のような声のみが漏れ出した。
そんな醜態を、甲冑の巨漢は侮蔑混じりに見ていた。
面頬の奥底から、怒りと殺意の込められた眼光が放たれる。
「我が字は神ン野。『げえむ』の審判者として、『げえむ』の正常な進行を妨げる者は──一切の区別なく、処断する」




