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其の伍拾漆 瓢箪劫奪の怪

 くるくると、歪な錐揉回転をしながら九十九の体は宙を舞う。

 彼の全身は今、横合いから着弾した高質量の油に塗れ、それらは口内に入り込んですらいる。

 ねっとりべったりとした不愉快な粘性を持つ油が喉へと差し掛かり、呼吸を阻害しかけているのだ。


「げ、ぼっ……!? がふ、ごほっ……!」

「坊ちゃん!? しっかりしてくださいやし、坊ちゃん! このままじゃ地表へ落下しちまいやすぜ!?」


 視界が揺れる。思考が揺れる。意識が揺れる。

 妖気を飛行に割く為のリソースすら曖昧になって、油まみれの矮躯は力なく重力に引っ張られ始めた。。


 かくん、と首が下を向く。頭から落下を開始する。

 その時、朧げな視界の内に──轟々と燃える炎と、それらに蹂躙されゆく街が見えた。


「──ッ!?!? がっ……げぐっ!」


 ほんの僅かに取り戻した人間性が、本能的に喉の筋肉を動かした。

 肺に滑り込みかけていた油を吐き出す。粘ついた粗悪な油は、ぐっちょり不快な音を立てて口から飛び出し、その中には血すら混じっていた。


 血混じりの油を吐き出した後、ようやく取り込めた酸素を脳に行き渡らせる。

 フル稼働させた神経は、寸でのところで妖気を巡らせ、九十九の体を再び飛行状態に移行させる事に成功した。


「うおっ!? ……っと。ようやく意識を取り戻しやしたか、坊ちゃん」

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……! じょう、きょうは……?」

「それなりにクソッタレ。そう形容するのが()ぉ御座いやしょうね」


 先ほど繰り広げられていた戦闘時よりも高度の落ちた地点で滞空しつつ、九十九はイナリが指差した方向を見上げる。

 ちっちゃな指先が肩越しに示す先に見えたのは、明らかな異形の影が2つ。


「オイ。……テメェ、もう1回言ってみな」

「へへっ、何度も同じ事を言わせるんじゃねぇやい。お前の『げえむ』はあっしが掌握する。ここから先は、あっしが『ぷれいやあ』だ」


 空中に佇む生首──妖怪ヒバチ・ヒトウバンは、ある1点を睨みつけ、牙を剥き出しにして憤っていた。

 見るからに怒りという怒りが滲み出てやまない表情が、この場が彼にとってこの上なく不本意な状況であると示唆している。


 対して、そんなヒトウバンが睨む相手──古い電波塔の頂点に立つ小汚い異形の男は、妖怪ヒョウタン・アブラスマシ。

 先ほど、九十九に不意打ちを仕掛けたのも彼だ。その証左として、手に持った瓢箪の口にはべっとりと油がへばりついている。


「前っから、お前の能無しぶりには辟易してたんだ。お前みたいな野蛮妖怪よりも、あっしの方が“魔王”に相応しい。でもまぁ、お膳立てはきちんとしてくれたみてぇだからな。あっしが『げえむくりあ』した後、お前は“魔王派”の幹部に重用してやるさ」

「……本気で言ってんのか? それ。テメェが今、何を喋ってんのか分かってンのか?」

「お前こそ、まだ分かってないのかい。元より『現代堂』は、総大将の山ン本様と幹部以外の一切が有象無象。そこに群れや仲間であるという意識は一切無い。あるのはただ、『強い奴が強くて偉い』という摂理だけさ。油断すれば引き摺り落とされるのが常だろ?」

「オレサマの事を舐め腐ってンのか知らねぇが、随分と思い上がってんじゃねぇか。なァ? オレサマがテメェより下だと? テメェが、オレサマより上だと?」

()()()()()()()()()()

「……ゲギャッ」


 怒気を込めた高温の吐息が、牙の隙間から漏れ出る。

 これでもかと裂けた口は、堪え切れない怒りを表現していながらも、逆に笑っているようにすら錯覚してしまう。

 頭頂部に空いた穴からは、グラグラと空気の茹だる音が聞こえてきた。感情が昂ったあまり、陽炎が浮かぶほどに頭部周辺の空気が熱されているのだ。


「ならまず、テメェから『げえむおおばあ』にしてやるよォ!!」


 ヒトウバンの繰り出した炭火弾幕が、電波塔ただ1点に集中して注がれた。

 怒涛の勢いで放たれた灼熱によって穿たれ、焦がされ、へし折られた塔がひしゃげて崩壊し、ただの金属のオブジェとして果てる。


 だがしかし、その攻撃はアブラスマシに痛打を与えるには至らなかった。

 奴は既に、着弾の寸前にはその場を飛び降りて、爆風を背中に受けながら地表に着地していたからだ。

 難なく焼けた路面を踏み締めた後、上空を見上げた小悪党の顔は「嘲笑」を表しているようだった。


 それを認めたからこそ、異形の生首は更に怒り狂う。

 これまでの方針──上空に陣取っての爆撃を取り止めたばかりか、地上に向かって降下し始めた。

 そしてそれは、九十九たちにとって看過し難い状況である。


「ヤバい……っ! あいつら、地上で戦うつもりだ!」

「おいおいおい、あんな馬鹿火力を地上で撒き散らした日にゃあ、もっと直接的な被害が出やすぜ!?」

「もう1体の方も、どんな術を使うか分からない……どっちも止めないと!」


 まだ微かに眩む意識をグッと堪え、一気に地表へ向かって飛ぶ。

 2体の妖怪が対峙する場へと急降下をかけた時には、既に彼らの妖術が行使されようとしていた。


「妖術ゥ! 《炭火焼災(スミビヤクサイ)》ィッ!!」


 再度、噴火が起こされた。

 頭部から高らかに射出された灼熱の炭は、天高く上昇したのち、その軌道を大きく逆U字に曲げながら地表へと落ちてきた。

 それはただアブラスマシだけを滅ぼすのではなく、そのついでに街をより焼き砕く為の術。敵を戦場ごと打ち破る破滅のシャワーだ。


 一撃でも通せば、更なる被害が出る。

 そう理解して、来たる炭の雨を破壊する為に火縄銃を構えた矢先──


「ならば、こっちもお見せしようか。これがあっし、妖怪ヒョウタン・アブラスマシの妖術!」


 瓢箪を持っていない方の手の内。その中に隠し、転がしていた木製の蓋を使って瓢箪に栓をして、間髪入れずに蓋を開けて開封する。

 すると、どうだろうか。水の氾濫が起きたかのような異音が込み上げるや否や、瓢箪の口から土気色の油が溢れ出したではないか。


「妖術っ、《油一匁(アブライチモンメ)》!」


 術の名を叫んだ事で妖術が成立し、尋常の物理法則を無視する形で油が放出された。

 瓢箪の見た目から想像できる容量を遥かに超える、大量かつ高質量の油の球体。

 膨らませたシャボン玉のように現出したそれらが、シャボン玉など比較にもならないスピードで空中に躍り出る。


 それら幾多もの油玉は、獲物を滅ぼさんと襲いかかってきた炭火の内の1つと接触し──ゴクリと、呑み込んだ。


「ん、なァッ!?」


 ヒトウバンがそのような声を上げたのも、無理は無い事だ。

 油玉に包まれた炭は、表面に纏った炎は消えないまま、しかし炎ごと油の中にすっぽりと収まっている。

 それでいて油に引火する様子も見せる事なく、言うなれば「丸ごと収納された」と表現するのが相応しいだろう。


 だが、それだけでは終わらない。放出された油玉は、まだいくつも空中に残っている。

 瓢箪から勢いよく飛び出したそれらは、撃ち放たれた炭火を次から次に取り込み、自らの内に収納していく。


 そうして瞬く間に、街を砕く脅威は全て呑み込まれた。けれども、それは別にアブラスマシが街を守ろうとした事を意味していない。

 彼はただ、自らの強さを喧伝する為にヒトウバンの妖術を無力化したに過ぎない。彼にとっても、人間の街は『げえむ』によって壊すべき対象なのだ。


 その証明と言わんばかりに、炭火を全て呑み下してなお残った油玉たちは、行き場を失って地上に落下する。

 ビルの瓦礫、燃え盛る自動車、砕けた信号機。そういったモノさえ取り込んで、妖気の油はこの場一帯を侵蝕していった。


 九十九が現場に到着した時、目の前に広がっていたのは、無数の油玉が浮遊している光景だった。

 その内部全てに何らかのモノが収められていて、まるで包みの中に入れられた商品たちが並ぶショーケースのよう。


「これは、何が起きたんだ……!?」

「へっへっへ……あっしの妖術《油一匁(アブライチモンメ)》は、瓢箪から溢れ出る油を使って、物体を油の中に収納する術なのさ! どんなに巨大でも、破壊力を持っていても、油と相反する何かだろうと、それがモノなら何でも取り込んじまう! そして……」


 つい。

 丁度近くを浮いていた、瓦礫を収めた油玉1つを、アブラスマシは人差し指で軽く押す。

 押された拍子にふよふよと動き出すそれは、進んだ先で路面を舐めていた炎と接触。



──POW!



 一瞬の内に火がついた油玉は、瞬きするよりも早く炎に包まれ、即座に破裂した。

 いとも容易く、そして呆気なく弾け飛んだ後、そこには何も残されていなかった。

 あれだけ大きかった油玉も、その中に収められていた瓦礫も。


「油が破壊されれば、中の物体も道連れさァ。1度油ん中に取り込まれちまえば、金剛(だいやもんど)だろうと1発よ」

「こいつぁ……ちぃと不味い事になりやしたぜ、坊ちゃん。ヒトウバンの奴といい、こんな街中で使われれば拙いってモンじゃないでさ」

「……けど、それを喰らった僕とイナリはピンピンしてる。生物……いや、まだ生きてる存在には効かないのかな?」

「ご明察。だが、その程度は“はんで”にもならねぇさ。分からねぇかい?」


 ふぅ。

 明確な力を込めて、細められたアブラスマシの口から吐息が出される。

 そのモーションに呼応したのか、周囲に浮遊していた油玉が一斉に動き出した。


 瓦礫を閉じ込めたもの。自動車を閉じ込めたもの。信号機を閉じ込めたもの。ヒトウバンの炭火を閉じ込めたもの。

 何ひとつとして例外は無く、術者の意思に沿うように動いているらしいそれらは、自ら付近の火気や鋭利な物体に近付き──



──POW! POW! POW! POW! POW!



 破裂したそれらが還ってくる事は、2度と無かった。


 どうやら本当に、収納後の油玉はシャボン玉に近い性質を持っているらしい。

 剥き出しの鉄筋など、鋭利な物体が突き立てられた瞬間、油の塊が瞬きの内に消失した。当然、中に収められていたモノと一緒に。

 これによって、アブラスマシが妖術から生成した油は全て消失し、それを確認したのちに瓢箪の蓋が閉められた。


「あっしの術は、“物”に対して覿面に効く。巨大な鉄の塊だろうと、途方もない威力の爆弾だろうと、あっしの油に呑まれれば最後。文字通りの“泡沫”ってワケさ。これを『げえむ』に活かせば、きっと人間どもの痛快な阿鼻叫喚が聞けるぜぇ?」

「どんなに強力な兵器でお前を殺そうとしても、油で包めば無に帰す……って事か。でも、ならどうしてヒトウバンの術は──」

「──話はもう終わったかよォッ!!」


 もう、辛抱堪らん。そういう事なのだろう。

 度重なる愚弄と長ったらしい自慢話に我慢の限界が来たらしいヒトウバンは、怒髪天を衝いて強襲をかけた。

 術も何も無い。ただ、自らの手で不届き者の首を食い破らんと、牙を大きく剥いての体当たり。


 まさかそういう手に出られるとは思っていなかったようで、咄嗟に回避を試みたアブラスマシの足が宙に浮く。

 彼が立っていた地点へと異形の全身が着弾し、その鋭利かつ悪辣な牙で路面を噛み砕き、嚥下した。


「グダグダグダグダと、したり顔でのたまいやがって……! よくもオレサマの『げえむ』を邪魔してくれたなァ! アぁ!?」

「言っただろう、この先の時代を制するのは頭のいいヤツなのさ! お前みたいな阿呆は、あっしのような賢い者に使われる定めなんだよ!」

「言ってくれるじゃねェか……! なら、玉座でふんぞり返ってるところを下剋上される事も、当然覚悟の上なんだろうなァ!?」


 バリボリと瓦礫を咀嚼する口から、高熱の吐息が排出された。

 あまりに熱を帯びているのか、口内に残っていたアスファルトの破片すらドロドロに溶け、歯の隙間から漏れ出している。

 その光景に末恐ろしさを感じつつも、痩せぎすの妖怪はニヤリと嗤った。よほど、己の優勢を確信しているらしい。


「さぁて、ありもしない未来を想定するほど、あっしは暇じゃないんでねぇ……。お前を出し抜いて、リトル・ヤタガラスを抹殺する。そうすりゃ、この『げえむ』の“いにしあちぶ”はあっしのモンだ」

「……参ったね、これは」


 悪辣な目線をこちらへ向けてくるアブラスマシを前に、九十九は独りごちる。

 口には出さないものの、イナリも同様に冷や汗をかいていた。


「三つ巴……か。またややこしい事態になっちゃったなぁ……!」


 半妖、対、妖怪、対、妖怪。

 炎が侵蝕する夜の繁華街で、乱戦の火蓋が切られた。

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