其の伍拾伍 火の海の接敵
今日2話目の投稿です。ご注意ください。
街に近付くにつれ、肌を刺す熱気はますます勢いを増している。
それは火と熱に高い耐性を持つヤタガラスでもなければ、あまりの温度に痛みすら感じるだろうほど。
パキパキと歪な音を放ちながら弾ける火花が視界で見え隠れを繰り返し、火災現場が間近に来ている事を告げていた。
「……酷い匂いだ。炎や煙に混じって、これは……ガスの匂い?」
「恐らく、どこかのガス管か何かに引火したんでやしょう。この大火事は、それも一因にあるやもしれやせん」
「早く鎮火しないと、もっとたくさんの被害が出るかもしれない……急ごう!」
中空を裂いて飛翔する九十九。その右肩には、イナリがしがみつく形で随伴している。
眼下から立ち昇った黒煙に突っ込んだ2人は、そのまま煙を突き破って──凄惨な光景を目の当たりにした。
その様を一言で表すならば、まさしく「地獄」だろう。
轟々と吹き上がる灼熱が路面を焼き、ビルを焼き、空すら焦がしている。
放置された車を喰らい、アスファルトの下まで潜り込んでガス管に牙を立て、更なる引火を誘発する。
それはまるで、真っ赤な竜が暴れ回っているような光景だった。
当然、そんな状況下にあって人間が無事でいられる筈が無い。
逃げ遅れ、炎に襲われた人々は……恐らく、もう命脈の全てを焼き尽くされているだろう。
その事実に歯噛みしながらも、じっとしている訳にはいかない。
改めて前方に向き直り、空を飛びながらこの事態を引き起こしただろう元凶を探す。
「このままじゃあ、消火に来た消防士の人たちも巻き込まれてしまうかもしれない。そうなる前に早く──」
「──! 見えやした、坊ちゃん! あそこでさ!」
ちっちゃな前足を伸ばしてイナリが指し示す方向へと、追随して視線を向ける。
目を凝らす為に目尻を鋭く細めれば、果たしてこの災禍を呼び起こした張本人の影が見て取れた。
同時に、驚愕する。その姿形は、初めて見るほどの異形だったからだ。
「ゲェェェェェーッ、ヒャヒャヒャヒャヒャッ!! 燃えろ、燃えろォッ!! 簡単に燃えちまうほどヒョロい人間どもは、オレサマの炎で纏めて消し炭になっちまいなァッ!!」
首から下を持たないにも拘らず、頭頂部から首までが人1人と同じほどに大きい。
まさしく「巨大な生首」としか言い様の無い異形が、頭頂部の穴から吹き出す炎を地上へと振り撒いていた。
その表情は、まさに悪鬼の如し。愉悦と加虐に満ちた笑みが、裂けた口元を更に引き裂いている。
凶器じみた無数の牙の奥、薄汚れた舌が重ねる言葉の数々からは、その異形の持つ残虐性がこれでもかと露出しているかのよう。
これまでに相対した妖怪たちともまた異なる非道さが、接敵前からよくよく理解できた。
「──あいつか! 生首の化け物……あいつも妖怪!?」
「あんなキテレツな面ァした妖怪は1種しかいねぇ……! 亜細亜に伝わる空飛ぶ胴無し鬼、飛頭蛮でさ!」
「あ~~~ん? 誰だァ……オレサマの事を呼んだのはよォ!?」
2人の会話に気付き、異形の生首がこちらを向く。
……いや、その表現には些か語弊があるだろう。
異形は振り返った瞬間に、頭頂部を大砲の如く九十九たちへと向けた。
それは彼らの存在を知覚したからではなく、単に「多分あの辺にいるだろう」という適当な予測に基づくもの。
ぽっかりと空いた頭部の穴からは、火花の弾ける真っ赤な炭が大量に見え隠れしており──次の瞬間、盛大に炸裂した。
「──うぉぁあっ!?」
炸裂と共に襲いかかってきたのは、深紅色に包まれた炭だ。
それも、1つや2つではない。概算で10個ほどはある灼熱の炭が、火山の吹き上げた噴煙のように、或いは散弾銃のように迸っていた。
無論、それら高温の弾丸は直撃どころか、掠っただけでも危険なものだ。
本能的にそう感じ取った瞬間、即座の回避行動に移る事ができたのは僥倖だろう。
全力で体を捻り、空中という身動きの取りづらい状況下に迫る炭の群れを強引に掻い潜る。
「あっ──つぅ!? あんなモンまともに喰らった日にゃ、わてはものの数秒で焼きギツネになっちまいやすぜ!」
「至近距離を掠めただけでこれか……! とんでもない熱量……これが、あいつの妖術!」
「ゲヒャヒャヒャヒャ……どうやらこの程度のご挨拶じゃあ、簡単には死なねぇようだな。面白ェ……!」
両足を前に突き出し、妖気の炎を軽く吹かせる事で空中でのブレーキをかける。
そうして静止した九十九たちの存在に今度こそ気付いたようで、異形の嗜虐に歪み切った眼差しがギラギラと光を放った。
「よォ! テメェがウワサのニンゲン・ヤタガラス……いや、リトル・ヤタガラスだったか? ま、どっちでもいいか! ともかく、テメェがオレサマたちの『げえむ』を邪魔する『敵きゃら』で合ってんだよなァ!?」
「そっちの思惑に組み込まれた覚えは無いけど……ああ、そうさ。僕はお前たちの引き起こす、こんなふざけた『げえむ』を止める為に戦っている」
「回答どォもォ! じゃ、兎にも角にもオレサマの敵って事でいいんだよなァ!」
バチリ。頭頂部から火花が昇る。
どうやら頭の中の炭は使い手の感情に呼応して発火するらしく、酷く興奮した様子の生首が嗤う度、その炭はより勢いを増して火の粉を散らす。
「オレサマは妖怪ヒバチ・ヒトウバン! 他の奴らには悪いが、今回の『げえむ』はオレサマの勝ちで決まりだ。なよっちぃヤタガラスを地にブチ落とし、この手で“昏い太陽”を呼び寄せる! そうすりゃ『げえむくりあ』の栄光はオレサマのモンだぜ!!」
「なっ──“昏い太陽”でやすって!?」
ヒバチ・ヒトウバンを名乗る異形の啖呵に、驚きの声を上げたのはイナリだ。
「……イナリ?」
「何故そこで、そんな御伽噺が話題に出てくるんでやすか!? まさかお前さんら、本気であんな言い伝えを信じて……っ、もしや『げえむ』の目的とは──」
「さぁなぁ。だが、我らが大将が『ある』と言って、『それを呼び寄せた者こそが次の“魔王”だ』とまで言ったんだ。なら、何も問題は無ェ。次代の“魔王”として妖怪を率いるのは、このオレサマだァッ!!」
燃え上がる。業火を轟かせて、ヒトウバンの頭上から妖気が噴出する。
妖気は炭となり、炭は炎を呼び、炎を纏った炭が更に妖気を吸い上げて燃え上がる。
その光景はさながら、九十九が妖術を行使する際のエネルギーチャージと酷似していた。
それを理解したが故に、九十九は肩に乗ったイナリの叫びを途切れさせながら後方へ大きく飛んだ。
直後の事である。より激しく炎上するよう制御された妖気の炭が、遂に限界を超えて解き放たれたのは。
「妖術──《炭火焼災》!!」
噴火。そう表現するのが最も適切だろう。
下手な間欠泉よりもよほど勢いがあるのではないか。そう思えるほどに大量の灼炎が、異形の頭から溢れ出た。
その全てが炭を核に持ち、その炭の全てが烈火を帯びている。小さいものも大きいものも、等しく爆弾級の火力を宿している。
そしてそれら全てが、たった1人の敵を呑み込み灼き尽くす為に荒れ狂っていた。
「坊ちゃん!」
「分かってる! 妖術……《日輪》っ!」
当然、黙って見ている選択肢は元より無い。
すぐさま火縄銃を向け、内部に込めた炎の妖気を弾丸として射出する。
銃口を飛び出した緋色が、殺到する深紅の波濤を正面から迎え撃った。
その結果として、何が起きたのか?
着弾の瞬間、弾丸の形に圧縮されていた業火が解放され──激しい爆発と共に、炭の一切を粉微塵に消し飛ばした。
──KA-BOOM!!
しかしそれは、ただ相殺に成功した事を意味してはいなかった。
炎の弾丸と炎の炭。類似する2つの妖気が正面衝突して発生した爆発は、それら単一の術によって発生するそれよりもずっと規模の大きいものだ。
彼我が想像していた以上の爆風に襲われ、宙を挟んで対峙していた妖怪たちが吹っ飛んだのはほぼ同時のタイミングだった。
「ぬわっ!? ──っとォ! ゲヒャヒャッ、こりゃちぃとばかし想定外だなァ?」
クルクルと駒のように横回転しながらも、元々浮遊して移動する性質を持っていたヒトウバンは難なく元のバランスを取り戻す。
あっという間に空中で減速し、勢いを殺す形で静止に成功した。
「ぐっ……!? 僕の術とあいつの術が、互いに作用してあんなに大きな爆発を……!」
「困りやしたね……どうやら坊ちゃんと奴は、相性が良過ぎるせいで相性が悪いようでやす。下手に撃ち合いを続ければ、爆発の余波が地上にも届きやすぜ!」
「それは……ちょっと、不味いね。姫華さんやお千代にも被害が及ぶかもしれない」
一瞬だけ、眼下の街へと目を落とす。
距離が離れている事もあってか、炎に包まれたビル街に人影があるかどうかも分からない。
けれどもきっと、街のどこかで姫華たちが奔走し、逃げ遅れた人たちを探して回っているのだろう。
そこら中に火の手が回っている環境下でも、妖気を利用すればある程度なら活動できるし、お千代が傍にいるなら危険な橋はそうそう渡らないと信じたい。
だからこそ、街にまで敵の妖術を波及させる訳にはいかないのだ。
彼女たちが巻き込まれる可能性を少しでも減らす為に、自分たちが取るべき選択肢は──
「街に降り注ぐ前に、奴の術を全て撃ち落とす。それしかありやせん」
「イナリさ、自分でも割りかし無茶苦茶言ってるって自覚はあるよね?」
「しかし、それ以外に取れる手段が無いのも事実でさ。こちらが大技を放てば被害が大きくなり得る以上、選ぶべきは耐久戦。奴の妖気が底をつくまで我慢比べでさ」
「容れ物系の九十九神は妖気をたくさん溜め込める……だよね? ……火鉢って、容れ物じゃない?」
「……定義によりやす」
そこで溜め息をついたのは、さてどちらだったろうか。
だが、それを細かく指摘している状況ではない事もまた事実だ。
「話し合いは終わったかァ? なら、もっかいお見舞いしてやるぜ!」
ヒトウバンの頭頂部で、再び妖気のチャージが行われる。
そうして次に起きるだろう光景は、先ほどの焼き直し以外の何物でもない。
やるしかない。
グッと呑み込んだ気力を体内に溶かし込んで、火縄銃を握り締めた九十九は空中を蹴り、敵への突撃を試みた。




