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其の伍拾肆 災禍の訪れ

 唐突に、ひんやりとした風が吹く。

 頬を照らす汗が風に冷やされて、姫華はコミカルな仕草を伴ってぶるりと震えてみせた。


「へくちっ……なんだか、肌寒くなってきたかもしれないわね」

「……大丈夫? もう6月とはいえ、夕方はまだ冷えるし……風邪を引いたら大変だ」

「あはは、そんなに心配するほどじゃないって。今日はちょっと大変だったから、それで疲れちゃったのかも」


 そうは言ってみたものの、隣を歩きながら見上げてくる九十九の表情は、なんとも不安そうだ。

 純粋にこちらを案じてくれている事がよく伝わってきて、少女はどこかこそばゆい気持ちを胸に抱く。


 自身の肉体に妖気を馴染ませる事に成功した──即ち(まじな)い師としての下地を得た姫華は、四十万の教えの下で妖気の操り方についてレクチャーを受けていた。

 それは横から見ていた九十九の目から見ても難しそうで、夕方頃になると彼女の顔は汗でびっしょりになっていたほどだ。


 それでも、新しい世界に足を踏み入れるのは楽しかったのだろう。

 夕暮れの帰路を歩く少女の表情は、疲労感こそあるものの実に満足げだった。


「……そんなに楽しかった?」

「ほえ? ……んー、そうね。やっぱり、今まで自分にできなかった事ができるようになって、今まで知らなかった事を新しく知るっていうのは……うん、結構楽しいかも」


 視界の先を中空に飛ばし、思慮に耽る。

 やや曇り気味の夕焼け空は、しっとりと焼けたケーキのような色合いに染まっていた。

 どこか色濃い雲たちが、言外に告げている。空がこんな色に染まるのは、この街だけだと。


「同時に、ちょっとドキドキもしてる。怖い、って意味でね。だって、私が(まじな)いを……戦う為の術を学ぶって事は、私もあの怖い妖怪たちと戦う機会が来るって事だもん」

「……あの話、聞いたよね」

「うん、聞いた。九十九くんのお家がどう始まって、どういう敵と戦ってきたのか」


 (まじな)いや妖気の扱いを学ぶに当たって、姫華は四十万から八咫村家と『現代堂』についても聞かされていた。

 それは九十九がかつて聞かされた内容と同じもの──つまり江戸時代に始まった“魔王”との因縁、そして80年前の大戦に纏わるものだ。


「やっぱり、怖かった? 改めて聞いてみて……敵の強大さとか、どれくらい昔から続いてきたのか……とか」

「そりゃそうよ! 近所の家に住んでる番犬が吠えてくるの、今でも怖いもん。そんな番犬よりもずっとずっと怖いのが、今九十九くんたちが戦ってる妖怪なんでしょ? なら、怖くない訳が無いわ。実際に何度も殺されかけた訳だし、侮る気なんて元から無いもの」


 でも。

 そう区切った言葉を紡ぐ前に、服の下に手を添える。

 そこにはいつだって、姫華にとっての大切なものが仕舞われていた。


「……それでも、それでも私は、ただ見ているだけの私から変わりたい。いつかまたあの子を、ジョロウグモちゃんを助けられるように。次に会った時、あの子のヒーローとして胸を張れるように」

「……姫華さんは、優しいね」

「九十九くんだって優しいでしょ? 私の事もあの子の事も救ってくれて、私が戦う道を選んだ時も、否定しないでくれた。一緒に強くなろうって、約束してくれた。私が今ここにいるのは、ぜーんぶ九十九くんのおかげだよ」


 にへら、と心からの感謝を告げる笑み。

 それがあまりに可憐で、思わず目を逸らしてしまう。顔の赤さに気付かれないといいな、なんて考えを脳裏に追いやりながら。


 最初にネコマタの魔の手から救い出してからこちら、どうも姫華は好意(この場合は親愛の情を指す)をダイレクトに伝えてくるフシがあるように思う。

 それ自体はいい事だし、悪い気もしないのだが、如何せん九十九も年頃の男子高校生である。

 このネコのようなクラスメイトを前に、胸の中のドキマギとした感情を刺激されて、どうにも照れくさい心地を否定できなかった。


「そうかなぁ……? まぁ、それなら何よりだけど」

「あっ、もしかして照れてる?」

「……照れてません」

「やっぱり照れてる。結構可愛いところあるよね、九十九くん♪」

「むぅ……」


 分かりやすく膨れっ面を作ってみせれば、ケラケラと楽しげな笑い声が返ってくる。

 穏やかな夕暮れ時が、静かに過ぎていく。先ほどまでひんやりとしていた風さえ、今はどこか心地よかった。


 風の中を、軽いステップを踏んで数歩前へ行く姫華。

 彼女はくるりと振り返り、踊るような仕草で小さな恩人へと向き直る。


「ホント、ありがとね。私を笑わないでくれて。悪い妖怪から助けてくれた事よりも……私は、私の“大切”を笑わないでいてくれた事が何よりも嬉しいや」

「……僕は、特別な事なんて何もしてないよ。ただ、当たり前の事をしただけだから」

「それが嬉しかったんだってば! ……きっと私、小さい頃に妖怪に助けてもらった時から、こうして妖怪に関わり続ける運命だったんだ。それは悪い意味じゃなくて、私は妖怪と関わる事で初めて、自分と向き合えたような気がするの」


 彼女の背中の向こうからは、薄暗い夜の帳が近付いていた。

 2人が歩いてきた方角へと消えていく夕日を追って、淡い藍色の空が世界を塗り替えていく。


 その更に向こう側には、九十九たちが暮らす街──金鳥市の街並みが見える。

 深い誰そ彼刻(たそがれどき)が終わり、夜が来る。それを示唆する風に、小さな街頭やビルの灯りがポツポツと街を照らしつつあった。


「だから九十九くんは、私にとって大切な──」


 そこで、言葉は遮られた。




──KAAA-BOOOOOM!!




 のたうち回るような風と熱、爆音が背中を襲い、バランスを崩した姫華が吹っ飛ぶようにして前のめりに転がった。

 彼女の体を慌てて受け止めて、2人一纏めになって背中からその場に倒れ込む九十九。

 アスファルトに叩きつけられた背中が痛みを発するが、そんな事を気にしている状況ではない。


「姫華さん、大丈夫っ!?」

「う、うん……ちょっと足がもつれただけ。九十九くんは? 私が押し倒したみたいになっちゃったけど……」

「僕も平気。でも、一体何が起きて……え?」

「……? 九十九くん? 後ろで何が……──」


 一様に言葉を失った。失わざるを得なかった。


 いくつもの小さな灯りが生み出す金鳥市の夜景は今、荒々しい“赤”に呑み込まれている。

 轟々とうねり形を変え続けるそれを、「炎」以外のどのような言葉で言い表せば良いだろう?

 淡い色彩が美しかった藍色の雲は既に、街から登る黒ずんだ煙に凌辱されていた。


 つまるところ、街が燃えている。

 それも、ただの火事ではない。先ほどの爆炎から思うに──まるで、特大の爆弾が降ってきたかのように。


「なん、で、これ……街が、燃えてる……っ!?」

「そんな、馬鹿な……さっきまで、そんな気配は無かったのに──まさか!」

「──坊ちゃん! 姫華の嬢ちゃん!」


 2人が起き上がった矢先、後ろから緊迫した声が飛ぶ。

 屋敷の方角から真っ直ぐ飛んできたのはお千代と、彼女の足に尻尾を掴まれる形で運ばれてきたイナリだった。

 彼らは「もうちょっと優しく掴んでくださいやし!」「今はそれを言ってる場合ではないでしょう!?」などど言い合いながらも、その雰囲気で非常事態を言外に告げていた。


「イナリ、お千代! あれってまさか……!」

「ええ、恐らく『現代堂』の仕業でやす! わてらもそれに気付いて、急いで坊ちゃんたちの後を追ってきたんでさ!」

「じゃあやっぱり、熱風に紛れて感じるこの感じは──」


 今1度、燃える街を見た。

 ビルに喰らいつく炎は、尋常のそれよりもおぞましい色合いと明度を孕んでいる。


 その炎が生み出す熱と煙が、風に乗って九十九たちの方へと吹き荒んでいた。

 チリチリと肌を刺激する熱風に混じり、彼らは異質な不快感を察知する。


「妖気……! あの炎は僕と同じ、炎の妖術が生み出したものだ!」


 それは即ち、人ならざるモノが生み出す邪悪な気。

 悪しき力を溶かした炎が、街を蹂躙している事を意味していた。

 熱風に流れされ、路地を撫でる不愉快な悪意がそれを何よりも暗示している。


「そんな……!? じゃあ、また新しい『げえむ』が始まったって事? こないだの事件からそんなに経ってないのに……」

「奴ばらの『げえむ』がどれほどの“すぱん”で行われるかなど、それこそ連中の匙加減次第でしてよ。それを加味してもなお過激ですわね、今回は」

「博物館襲撃、通り魔、街一帯でのガキツキ生成と来て、今度は火の海で御座いやすか。随分と“すとれえと”な手段で来やしたが、それにしたって激し過ぎる……!」

「……喋ってる場合じゃ、無さそうだね」


 首に手をやり、意識を廻す。

 血流に乗せた妖気が首の周りに集中した直後、それらは黒色の靄として現出した。


 靄はたちまち糸となり、九十九の正体を秘匿するべく認識阻害の装束へと変容する。

 瞬く間に編み上げられた漆黒のマフラーが喉元を覆い隠し、断続的な爆風に吹かれて後方に激しく靡いていた。


「お千代!」

「かしこまり、ですわ!」


 頬を膨らませたお千代が嘴を開けば、やはり喉の奥から火縄銃が飛び出してきた。

 巾着を由来に持つ九十九神としての能力、自身の体内にモノを収納する特性である。


 そうして手元に飛んできた火縄銃を、がっしとキャッチする。

 手早く具合を確かめ、戦闘に用いるに申し分ない状態であると確認。

 そのまま足や背中に妖気を巡らせ、九十九──否、リトル・ヤタガラスは飛翔の構えに入った。


「イナリは僕についてきて。姫華さんはお千代と一緒に、逃げ遅れた人がいないか見て回ってほしいんだ」

「わっ、私も」

「ダメ。君はまだ戦えない。戦う技術を学ぶ為の下地ができただけだ。そんな状況で突っ込んでも、死ぬだけだよ」

「……っ」


 何も言い返せなかった。彼の言葉は紛れも無い事実だからだ。

 無意識に、拳を強く握る。自身の無力さに嫌悪の念を抱くが、そんな事を論じている場合でも無かった。


「ご安心を。敵は坊ちゃんとわてとで食い止めやす。嬢ちゃんが避難誘導をしている間、そっちには流れ弾の1つも漏らさせやしやせん」

「だから姫華さんは、姫華さんにできる事をやってほしいんだ。……お願い」


 イナリを肩に乗せた後、真っ直ぐな目でそのように請う九十九。

 姫華はグッと唾を呑み下し、なんとか声を発する事ができた。


「……無事に、帰ってきてね!」

「うん。お千代、姫華さんを頼んだ」

「お任せあれ。“れでぃ”の肌にはかすり傷さえつけさせませんことよ!」


 返された答えに頷いて、思いっきり路面を蹴っ飛ばした。

 足の裏に込めた妖気の爆発によって加速し、すぐさまマフラーを起点とした浮遊の術を行使。


 禍々しい深紅に染め上げられた街へと、銃を携えた黒一色のカラスが飛び去っていく。

 その背中を、ただじっと見送って。


「……悔しいな」

「そう思うのであれば、まずは己の役目を全う致しますわよ! きっとまだ、助けられる人は多くいますわ!」

「うん。……行こう、お千代さん!」


 真っ黒いスズメの先導で、少女もまた夜の路地を駆け出した。

 火花の散る夜は、まだ始まったばかりである。

今日はこの後【20:00】より追加投稿を行います。

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