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其の伍拾参 動き出す者たち

「……おやァ?」


 ヌラリとした視線が宙を滑り、たった今名乗りを上げた者へと虚無的な意識を向ける。

 総大将が放った伽藍堂の眼光を受けてもなお、今まさに妖怪どもの群れを掻き分けて現れた者は、ピクリとも竦む事は無い。

 牙の奥から高熱の吐息を漏れ出させながら、その妖怪はもう1度、おぞましく笑った。


「前回はフデの奴に先を越されちまったからなァ。あいつとは違うところを、このオレサマが見せてやろうじゃねぇか! ゲヒャヒャヒャヒャ!」


 それは、まさしく異形以外の何物でもなかった。


 これまでに『げえむ』に参画した妖怪は3体。カタナ・キリサキジャック、チョウチン・ネコマタ、フデ・ショウジョウ。

 キリサキジャックはれっきとした人型であり、ネコマタも巨躯でこそあったが猫の形を保っていたし、ショウジョウの姿はサルの枠を逸脱していなかった。


 だが、山ン本たちの前に現れた()()は違う。

 それを一言で形容するならば、巨大な生首だった。首から下の一切を持たず、それでいて人間の胴体ほどの大きさを持つ、男の頭部。


 ふわふわと宙を浮遊するそれの頭頂部、本来ならば頭髪があるべき場所には、ぽっかりと穴が開いている。

 落ち武者のように垂れ下がった髪で周囲を装飾された穴の中からは、パチパチと火を放つ炭が見え隠れしていた。


 野蛮な笑い声を放ち、残虐さを隠そうともしないその妖怪が何者であるかを、当然山ン本は知っている。


「ヒヒヒッ……誰かと思えばヒバチかい。そうだねェ、お前さんならド派手な祭りを見せてくれそうだ」

「当ったり前だろ! オレサマの妖術なら、今すぐにでもこの街を阿鼻叫喚の地獄絵図に変える事ができらァ! 次の『げえむ』は、この妖怪ヒバチ・ヒトウバンに任せな!」


 妖怪ヒバチ・ヒトウバン。今なお炭の燃え盛る火鉢を核として生を得た、首無しの九十九神。

 彼が哄笑(こうしょう)する度、頭の中の炭がパチリと弾け、つんと焦げ臭い火の粉が跳ね踊る。

 パチンという音と共に弾け飛んだ火花が床に落ち、しかし延焼などを起こす事なくあっさり掻き消えた。


【オイオイ、ヒバチよォ。燃え移りはしねぇからって、あんまり火の粉を飛ばすんじゃねェよ。妖気の炎は簡単に消えねぇし、あっついんだぜ?】

「ゲヒャヒャヒャ! そいつァ悪かったな、呑ン舟! だが、それで分かるだろう? オレサマの妖術は炎を生み出し、操るもの。そう! あのリトル・ヤタガラスとかいう生意気な小坊主と同じ術さ!」


 ざわり。(とみ)に騒がしくなる妖怪ども。


 彼らの知るところでは、リトル・ヤタガラスなる妖怪は炎の妖術を得手としている。

 それも、ただの妖術ではない。八咫烏とは即ち、太陽を司る存在──妖怪でありながら、昼の側を象徴する存在なのだ。

 その妖気に込められた陽の気は、半端な妖怪の肉体を食い破り、たちまちに灼き尽くす太陽の熱を宿していた。


 だが、もしも。妖怪どもの脳裏に、ひとつの期待が過る。

 もしも、ヒバチ・ヒトウバンの振るう炎の妖術ならば──憎きリトル・ヤタガラスの炎を破れるのではないか?


「しっかり見てろよな、大将! そして有象無象ども! オレサマの炎が、思い上がったカラスの翼を焦がし折る瞬間をな!」

「ヒヒ、ヒヒヒヒヒッ。そりゃァ愉しみだねェ。あァ、実に愉しみだ。そこまで言うなら、今回の『ぷれいやあ』はお前さんで──」

「ちょっと待ったぁ! 次の『ぷれいやあ』は、あっしに決まっているだろう!?」


 如何にも愉快痛快そうな総大将の台詞を掻き消してまで、咄嗟に割り入った第三者の声。

 周りの妖怪たちは、一体何事かと不愉快そうな眼光を放った。折角自分たちが盛り上がっていたところに、どこの誰が水を差したのかと。


 果たして、声の主は妖怪の群れを掻き分けて現れた。

 周囲からの視線にビクつきながらも、それでもなお歩みを止めはせず、山ン本とヒトウバンの前に躍り出る。


「ほォ……? お前さんは確か、ヒョウタンだったかねェ?」

「ええ、そうです。このあっし──妖怪ヒョウタン・アブラスマシこそ、3回目の『げえむ』に相応しい立ち回りをお見せできるでしょう!」


 そう謳う妖怪は、凡そ人間と遜色ない容姿をしていた。

 ボロボロのズボンを履いたのみの半裸な為、あばら骨が浮いて見えるほど痩せこけた肢体が露わになっている。

 小柄な体躯を猫背によって更に小さく見せながら、その手には色褪せた大ぶりの瓢箪(ヒョウタン)が握られていた。


 小悪党じみた相貌で下卑た風に笑いつつ、痩せぎすの怪異──妖怪ヒョウタン・アブラスマシは、火鉢の異形に不躾な視線を飛ばす。


「このような、力技しか能の無いような者とは違い、あっしならば“とりっきい”な『げえむ』をお見せする事ができましょう! さぁ、どうか!」

「あァ!? テメェみてぇな貧相な奴が、大将を楽しませられる訳無ェだろうが! オレサマのド派手な“しょう”を、指を咥えて見てろってんだ!」

「へっ、これだから品性の無い妖怪はいけねぇんだ。時代は頭脳だ。頭を使った“とりっく”と“ぎみっく”が至上なんだよ。フデに成し遂げられなかった事を、お前みてぇな野蛮妖怪にできる訳ねぇさ!」

「なんだとォ!? だったらこの場で、どっちが『ぷれいやあ』に相応しいか──」

「──そこまでです」



──ベベン、ベンッ!



 三味線の旋律。

 弓の弦を弾き、矢を放つ時のように冷酷で、乾いた音が反響する。


 ただそれだけで、ヒトウバンとアブラスマシは全身を硬直させた。


 体が動かない、どころの話ではない。

 心臓の動きさえ止まってしまうかのような、肌から体温が全て逃げていくかのような、そんな背筋の凍る恐ろしさが彼らを襲っていた。

 動かない筈の指先が、恐怖で震えていると錯覚してしまう。人間を恐怖させる筈の妖怪が、自身の体に起きた異変に恐怖している。


「な、ぁ……っ!?」

「これ、は……!?」

「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあと、喧しい事この上ありません。品性どころか、頭の出来まで貧相な者が2体も集まれば、こうも煩くなるのですね」


 身の毛のよだつ、金色の瞳孔が2体の妖怪を見据えている。

 妖怪どもの波が自然と2つに割れ、カウンターに陣取る山ン本の真反対──店の窓側にもたれかかり、三味線を抱えた女怪の姿をくっきりと現した。

 当然、その正体は信ン太である。彼女が音色を奏でる度に、この場に集う妖怪どもは肌をヤスリで削ぎ落とされるかの如き錯覚を味わった。


「あ、姐さん……あっしは……」

「此度の『ぷれいやあ』は既に、山ン本がヒバチ・ヒトウバンであると認めました。この決定に否を唱えるとは即ち、『げえむ』への叛意と見做されます。また、この場での交戦も認められません。──『げえむ』開始前に、『ぺなるてぃ』を宣告されたいのですか?」

「とっ、とんでもねぇ! ただちょっと、売り言葉に買い言葉になっちまっただけだぜ姐御! オレサマは今からでも『げえむ』に繰り出すぜ、いいだろ!?」

「…………ハァ」


 深い、深い、呆れと侮蔑と煩わしさを込めた溜め息の後。


──ベンッ


 信ン太が三味線の弦を乱暴に弾くと、ヒトウバンとアブラスマシを締め上げていた不可視の妖術はたちまちに解除された。

 自らの心を押し潰さんとしていた妖気の圧力が消え失せ、2体の妖怪はたたらを踏みながらもなんとかバランスを保つ。


 その様子に首を振ったキツネ耳の女怪は、視線の奥に居座る山ン本を見やる。

 彼は一連のやり取りを面白おかしい喜劇か何かだと思っていたのか、ケラケラと軽薄に嗤いながら煙草を()んでいた。


「ヒヒヒヒヒッ……悪いねェ、2人とも。近頃、信ン太の奴はちょォっとばかし虫の居所が悪いようでさァ。『げえむますたあ』として自分が『ぷれいやあ』に認めた妖怪たちが相次いでやられたせいで、尻の毛が縮れるほど苛立ってるのよォ」

「下品な揶揄はやめてください、不愉快です。その煙管(キセル)をへし折って差し上げましょうか?」

「おォ、怖い怖い。じゃァ、冗句はここまでにしておくかねェ」


 唇を細め、ふゥ……と肺の中の煙を吐き散らす。

 相も変わらず、その煙は甘ったるい匂いに満ちていて、同じ妖怪でさえ眉を顰める青草さが鼻孔を刺激した。


「ま、信ン太の言う通りだねェ。あたしは既に、ヒバチを『ぷれいやあ』として認めた。ヒョウタンには悪いけど、今回の『げえむ』はヒバチに任せてやりなよォ」

「ぐっ……! いやしかし、それならあっしとヒバチで“こんび”を組んで『げえむ』に挑戦するのはどうです!? あっしの勘が正しければ、こいつの妖術とあっしの妖術は相性が──」

「それも、認められん。『げえむ』の『ぷれいやあ』は1体でなければならない」


 次いで、アブラスマシの提案を否定したのは神ン野だ。

 ゴン、と薙刀の石突で床を鳴らし、面頬越しに睨みを飛ばす。

 戦場であれば心強い「神」一文字の兜も、今この場においては、こちらを喰らい尽くすのではないかと思えてしまうほどの畏れを孕んでいた。


「な、何故です!? 妖怪同士で力を合わせれば、『げえむ』ももっと効率的に……」

「先ほどの話をもう忘れたのか? 『げえむ』の土台に在るのは“百物語”、つまりは怪談だ。怪談は、その妖怪を象徴する“物語(すとおりい)”でなければならない。1つの怪談(えぴそおど)に登場が許されるのは、ただ1体だけであるべきなのだ」


 低く、重みのある声が言葉を募らせる。

 これほど重い言霊を紡げる神ン野の素顔は、一体どのようなものだろうか。


 彼の素顔を知る者は、山ン本を始め『現代堂』の幹部しかいない。

 顔はおろか、素肌の一切さえ鎧の向こうに隠されているのだから。


「怪談とは、その妖怪の為に用意された舞台。その舞台に、他の妖怪が乱入する事は罷りならん。それ即ち、怪談の質を貶め──本来、語り部(ぷれいやあ)が得られる筈だった“聞き手(にんげん)の恐怖”を損なう事になる。それは、『げえむ』の規則(るうる)として認められんものだ」

「例外として、複数で1つの個体と見做される妖怪であれば『ぷれいやあ』の多重参戦を認める事もできましょうが……あなたたちの場合は、到底許可できませんね」

「ぐっ……!」


 神ン野と信ン太、山ン本が特に信頼を寄せる2人の幹部妖怪にそう説かれては、言葉に詰まらざるを得ない。

 これ以上の反論を重ねれば、本当に『ぺなるてぃ』を下されてしまうだろう。

 そうなれば何が起こるか。想像しただけでも、手に持った瓢箪にヒビが入って割れてしまいそうになる。


 そこに追い打ちをかける形で、大気がビリビリと震え出した。

 『現代堂』のどこからか、呑ン舟の大笑いする声が轟いたのだ。


【ギャハハハハッ! ま、そう引き摺らずにさっくり諦めた方が身の為だぜ? オメェだって、気持ちよく自分の『げえむ』に挑みたいだろ?】

「……チッ!」


 吐き捨てるような舌打ちを残し、アブラスマシは後ろに下がった。

 その姿を、他の妖怪どもは嘲るような目つきで捉えていた。それがますます、彼の神経を苛立たせる。


「ヒヒヒッ。とまァ、そういう訳さァ。ヒバチ、お前さんの『げえむ』はお前さんの好きな“たいみんぐ”で始めてくれていいよォ。是非とも頑張って人間どもを殺戮し、恐怖を煽り立て、この世界に“昏い太陽”を顕現させてほしいものだねェ」

「応とも! 任せてくれや大将、オレサマにかかれば人間どもを丸焼きにするなんざ児戯にも等しいぜ! ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ! さァ、街を火の海に変えてやろうじゃねぇか!」


 ふわり、とその体が宙を舞う。

 ヒトウバンは呵々大笑を上げながら浮遊すると、その巨体を揺らして店の奥へと消えていった。

 自らの座るカウンターの奥、光さえ届かない深淵の彼方へと溶け消えた巨首の異形を見届けて、山ン本はヌラリと目を細める。


「さァて……今回の『げえむ』はどうなるかねェ。チョウチンの奴はあっという間に終わっちまったし、フデの奴はチンタラ仕込んでた分だけ派手だったけど、あいつも呆気なく『げえむおおばあ』だ。ヒバチの奴は……さて、どこまでやってくれるか楽しみだよォ」

「……山ン本」


 金属同士の擦れ合う音がする。

 微かに身を捩らせた神ン野が、こちらにだけ聞こえる程度の声色で話しかけてきた。


「ヒョウタンの気配が無い。今しがたの一瞬で、こちらの目を盗んで外に出たようだ」

「……へェ? それは、それは。なんとも面白い事になりそうだねェ?」

「面白いものか……。あれだけ諭した結果がこれだ、頭が痛い。奴の浅慮が、我らの計画にどれほどの支障をもたらすかさえ未知数だというのに」

「ヒヒッ、人間の恐怖は移ろいゆくもの。簡単に数値化できるようなものじゃないからねェ。で、それをあたしに言ってどうするつもりだい?」

「無論、俺が動く。その為に、『げえむ』の審判役を務めているのだからな。それに……」

「それに?」


 伽藍堂の黒い眼に刺し穿たれてなお、意にも介さず。

 ゆっくりと、甲冑姿の巨体が起こされた。


──ガシャリ


 ざわっ、と妖怪どもの間に動揺が走る。

 それもそうだろう。今の今まで総大将の端に座したまま、じっとしていたばかりの神ン野が動き始めたのだから。


 その巨体が立ち上がれば、兜の飾りがザリザリと音を立てて天井を擦り上げた。

 店内に陰を落とすほどに大きく、分厚い鎧の大男は、その場にいる全てを見下ろしながら薙刀を握り締めた。

 その切っ先も同様に、天井を荒く傷つけている。


【オイオイオイ! 勘弁してくれよ、神ン野の旦那ァ! そんな乱暴に立ち上がったりするから、店が傷付いちまってるじゃねぇか!?】

「元々このようなボロ屋、傷の無い場所の方が少ないだろう。いちいち喚くな、呑ン舟」


 兜と面頬に覆い隠された眼光が、どこにいるかも分からない呑ン舟を睨みつける。

 彼が1歩前に出れば、床は悲鳴の如く軋みを上げた。鎧の重量故か、店そのものもグラリと揺れた気がする。


 ゴクリ。

 誰かが唾を飲む音が聞こえた。少なくとも、幹部たちではない。

 それでも信ン太でさえ、額に滲む1滴の汗を誤魔化せていなかった。これでもかと威圧感を纏った同胞へと、細めた瞳孔で語りかける。


「どちらへ? これから、ヒバチの『げえむ』の筈ですが」

「その『げえむ』を見届けるついでに、見定めたいものがある」


 薙刀を握る手の力が、より強まっている。

 ヒョウタンが出奔したのは予想外だったが、これもいい機会だ。

 利用するだけしてやろうじゃないか。甲冑姿の妖怪は内心で(はかりごと)を巡らせた。


「あの()()()が、本当に我らの敵対者足り得るかどうか。違わぬ力量を持っているならば、静観とする」

「実力の浅い、惰弱者であれば?」

「無論」


 ギラリと光ったのは、手に持つ得物の刀身だ。

 数多の敵を叩き潰して幾星霜。その煌めきが、未だに陰りを見せる事は無い。


「『げえむ』に無用なものとして、切るのみだ」

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