其の伍拾壱 字持ち
今日2話目の投稿です。ご注意ください。
「とは言っても、そう難しい組織図ではありませんことよ。結局のところ、『現代堂』は首魁の山ン本が“魔王の2代目”を名乗り、それに相応しい力を持っているから従っているだけ。妖怪とは『個』の存在であり、本質的には群れる種族ではありませんから」
まず始めに、お千代はそのように切り出した。
いつの間にやら姫華の頭から飛び立っていた彼女は、ちゃぶ台の上に置かれていたおかきを漁っている。
ちっちゃなスズメの嘴が、器用かつ力強い所作でおかきをバリボリと噛み砕いた。
「一般妖怪どもが山ン本に従っている理由は2つ。1つは、山ン本がかの“魔王”山ン本 五郎左衛門の名を継ぐ“妖怪の総大将”だから。もう1つは、その名と座を奪う機会を虎視眈々と狙っているからですわ」
「殺伐としてるんだね……」
「人間を害する側の妖怪なんてそんなもんでしてよ。まぁ、それで楽々と名を奪えるほど、あの煙草喫みは甘くはありませんけどね。今回の『げえむ』とやらも大方、奴が餌をぶら下げて妖怪たちを扇動しているのでしょう」
「ですが、『現代堂』の幹部連中……“字持ち”どもは話が別でさ」
重々しい声色で呟いたイナリに、疑問を口にしたのは姫華だ。
人差し指を頬に添えて、「確か……」と何かを思い出すような仕草を作る。
「字……っていうと、イナリさんとかお千代さんみたいな個人名の事……よね。逆に、ネコマタやショウジョウ、ジョロウグモちゃんみたいなのは種族としての名前?」
「へぇ。そもそも妖怪は、個体としての名に頓着しないんでさ。そいつの本質も、能力も、恐怖も、存在も、妖怪としての名……銘が全て保証しやす。その代わり、自分で名付けた自分だけの名……即ち字は、どれだけ名乗っても存在自体が定着しやせん」
「じゃあ……イナリたちの字って、何? それに、『現代堂』の山ン本だって……」
「わたくしやそこなキツネの場合は、人から名付けてもらった事で名前として成立しましたの。と言っても、ただ名付けられたというだけの話でもありませんけどね」
チラリと、黒スズメのつぶらな瞳が、ちっちゃなキツネへと飛ぶ。
脳裏に同じ人物を──80年前までの主君を思い返したのだろう。鼻をツンと鳴らすイナリを見て、お千代は言葉を続ける。
「元より妖怪とは、人の感情を反映する存在。第三者が存在を定義する事で、その在り方は変質致しますわ。名付けもまた、ひとつの呪いでしてよ」
「『現代堂』の幹部連中も、仕組みとしては似たようなものでやす。ただ『そういう妖怪だから』では説明できない力、そして恐怖。それを表現する為に、銘だけでは足りないんでさ。奴ばらにとっての字とは即ち、実力者の証と言って差し支えありやせん」
「……つまり、それくらい強い妖怪なんだ。あの山ン本って……」
「敗走から80年経ってなお返り忠のひとつも起きず、首魁のまんま居座っているのがその証左で御座いやすね」
ひょこひょことちっちゃな足で歩き回り、ちゃぶ台の上まで飛び上がる。
そのまま同僚の横でお煎餅を咥え、音を立てて噛み砕き始めたイナリを見て、九十九たちも自然とちゃぶ台を囲み出す。
「わてらが知ってる範囲で『現代堂』について教えやしょう。まずは大将。字は山ン本、銘は妖怪キセル・ヌラリヒョン。80年の昔、かつて敗れた“魔王派”の残党どもを纏め上げ、妖怪集団『現代堂』を結成したスットコドッコイでさ」
「うん。僕や姫華さんの前にも現れたあいつ……だよね。キセル・ヌラリヒョン……って事は、煙管の九十九神? あいつがいつも持ってる、煙草を吸う為の道具の事だっけ」
「それに滑瓢……確か、妖怪を率いるリーダー格の妖怪、みたいな話を聞いた事があるわ。敵のボスとして申し分ない存在……という訳ね」
「正直なところ、奴については未だ底が知れやせん。分かっている事と言えば、われらなんか比較にならないほどの妖術使いって事くらいでさ。あの妖気を帯びた煙は変幻自在。振り払う術も、打ち破る術もありやせん」
九十九や姫華の脳裏に思い出されたのは、あの夕暮れの路地裏。
室外機に腰掛けて煙草を喫み、ヌラリと薄っぺらい嘲笑を以てこちらを見下してきた、枯れ木風の男の姿だ。
あの煙管から湧き出す煙によって、こちらは一方的に翻弄されていたように思う。
加えて彼は、妖術を用いて刀を九十九神に変成させた事もあった。
それが九十九の妖怪への変化を促し、八咫村家と『現代堂』の因縁へと導いたのだ。
「それで……他の幹部については?」
「へぇ。とはいえ、80年前の決戦であっちもだいぶ死にやしたからねぇ……。わてら“八咫派”や、先代……当時のご当主様に共感した妖怪たちの活躍で、幹部の大半は討ち取ったかと思いやす。……その辺どうでやしたっけ、スズメ」
「そうですわねぇ。オウギ・ユキオンナの残ン雪は死んだでしょう? それにイシユミ・イツマデの隠ン岐も倒して、マサカリ・ドロタボウの玄ン湖も討ち取ってとなると……わたくしたちが討滅を確認していないのは、残り2体と1体になりますわね」
「2体と……1体? どうしてそこで分けるの?」
「お恥ずかしながら、わてらでさえ把握できていない幹部がいるようなんでさ。順を追って説明しやす」
気が付いた時には、ちゃぶ台の上でお菓子をつつくイナリとお千代を、九十九と姫華が囲んで話を聞く構図が出来上がっていた。
それを認めた四十万はそっと静かに席を立ち、彼らの為にお茶を淹れようと動き出す(無論、イナリではなく普通の急須を使って、だ)。
「わてらの知る内、まだ生き残っているであろう幹部は2体。その内の片方は、信ン太という女怪でさ。銘は妖怪シャミセン・キュウビ。その名の通り、常に三味線を持ち歩く九尾のキツネでやした」
「九尾のキツネっていうと、創作でもたくさん見かけるわ。玉藻前とか妲己とか、そういう類いよね」
「初手から物凄いビッグネームだけど……キツネの妖怪かぁ。イナリの種族とは、また違うんだよね?」
「ケッ。わてはただのバケギツネ。格の話なら、奴さんの足元にも及びやせん。向こうを“めりけん”の“めじゃありいがあ”とするなら、わてはせいぜい中学校の野球部でさ」
割りと気にしていたらしい。
少し不貞腐れた様子で耳を震わせつつ、解説は続く。
「……話を戻しやすか。九尾の名を冠するだけあって、信ン太の妖術はわてらを越えていやす。奴の妖術が一体どんなものなのか……その全貌は、あの決戦に参じたわてらでさえ分かっていやせん」
「多過ぎるのですわ、信ン太が使ってくる妖術の種類は。天候を操り、炎を撒き散らし、あまつさえ敵を石像に変える事もできる。一体、どのような理に則ればあのような事ができるのか……。あまり前線に出て来ないのが救いでしたわね」
「ま、ある意味当然でやすけどね。山ン本や信ン太に刃を届かせようとしたら、それより前に奴にぶち当たって命を散らすだけでさ。結局、わてらの総進撃は奴に阻まれやした。口惜しい限りでやすよ、本当に」
「……奴? それが、詳細の分かってるもう1人の幹部?」
その問いかけに対して、2匹の召使いたちは一様に頷く事で返答とした。
「……神ン野。80年前……いや、かつての江戸時代より『最強』と名高い、筋金入りの武闘派で御座いやす」
「最強……それに、武闘派。そんな妖怪まで、『現代堂』に参加してるんだ……」
「えっと……その神ン野っていう奴は、どんな妖怪なの? 武闘派って言うくらいだし、そんなにマイナーな妖怪じゃない、のよね?」
「それが……申し訳ありやせんが、分からないんでさ」
「分からない……って、え?」
くりくりと丸まる、少年少女2人分の瞳。
彼らがそういう反応を見せるのもしょうがないなと思いながら、イナリ自身も溜め息混じりに困った風な声色を発した。
「まー、あの鎧野郎は良くも悪くも無骨者でやしてね。まったくと言っていいほど名乗らなかったんでさ。名のある妖怪との戦いでは名乗る事もありやしたが、そういった場合に用いるのは字ばかり。結局、奴の銘は分からず仕舞いでやした」
「ですが、奴の出で立ちは嫌でも記憶に残りますわ。大男が着込むような甲冑に、素肌を徹底的に隠す篭手と面頬、そして兜を飾り立てる『神』一文字。恐らくは鎧か何かの九十九神でしょうけれど、その正体を探ろうとした者は、例外なく薙刀の錆となりましたの」
おかきを貪る手を止め、ペタンと座り込むお千代。
彼女がそのように語るほどの敵、という事なのだろう。
「……そんなに強い相手、だったんだ」
「ええ。……ええ、そうですわ。信ン太と神ン野を乗り越え、山ン本の首を撥ねる事の叶った妖怪は、終ぞいませんでした。……先代のご当主、わたくしがお姉様と呼び慕うお方ですら」
「『現代堂』の連中の話じゃ、他にも呑ン舟とかいう字を持つ幹部がいるようでやすが……そいつは、最後まで戦場には現れやせんでした。なので今もいるかどうかは分かりやせんが、もし生きているなら、今の『現代堂』には幹部が3体いる事になりやすね」
「信ン太、神ン野、呑ン舟……そして、総大将の山ン本、か」
反芻するように、これまで挙げられた妖怪たちの名を紡ぐ。
そんな九十九の姿に、キツネの妖怪は目を細めてちゃぶ台の上に丸まった。ちっちゃな黒スズメの体も、その傍にそっと寄り添うように。
「口惜しい。いえ、口惜しいという言葉ですら不足でしょうや、わてらの屈辱を語り切るには。80年前のあの日、確かにわてらは日本の落日を阻止する事ができやした。……ですがそれは、わてらの勝利を意味してはいないんでさ」
遥か昔に繰り広げられた一大決戦の惨状が、召使い妖怪たちの瞼の裏に思い描かれる。
津波のように襲い来るガキツキの軍勢。人が巻き込まれる事など意にも介さない非道な妖怪たち。
かつて倒した幹部──残ン雪が吹雪を巻き起こし、隠ン岐が矢の雨を降らし、玄ン湖の振るう鉞が一切合切を薙ぎ払う。
彼らを討ち果たして敵陣へと進んでなお、立ちはだかる幹部たち。
信ン太の変幻自在な妖術の前に滅ぼされた妖怪は数多く、神ン野に戦いを挑んであえなく叩き潰された妖怪もまた多い。
そうでなくても、山ン本の生み出す煙に呑み込まれて消えた者たちは、一体どれほどになるだろうか。
結局、自分たちでは山ン本を討滅し、『現代堂』を滅ぼす事ができなかった。
それどころか、自分たちの仕える主──かつての八咫村家当主すら、その命を落としたのだ。
そこまで多くの犠牲を出して得られた結果は、痛み分けと、たった80年の平和。
その悔しさは、九十九と姫華には十全に理解する事などできないだろう。
「……すまんなぁ。儂らの代の因果を、お主らに押し付けてしもうて。全ては、儂らの無能が生んだもの。じゃが、年老いた儂にはもう、奴らと渡り合う事すらできぬのじゃ」
人数分の湯呑みが、そっと並べられる。
熱々の緑茶を注いで帰ってきた四十万は、悲しそうな声色でそう言葉を落とした。
彼もまた、己の病弱さが故に決戦に参じ得なかった者。
その無力感は、計り知れないものだ。
九十九は、姫華を見た。
湯呑みを手にとってお茶を口に含んだ彼女は、目を閉じて何かを考えているようだった。
敵の強大さに恐怖しながらも、それだけで終わろうとしない感情を、彼女から感じ取って。
「……因果を、僕らの代で終わらせられるかどうか……か」
そう、小さく呟いた。
敵幹部の名前を言い連ねる、という性癖。




