其の参拾漆 化け物ヒーロー
「な……なんだ、あいつ……!?」
「あの化け物と同じ奴じゃないのか……?」
「でも、俺たちを助けてくれたぞ」
「けどあいつ、銃を持ってる……」
人々の仰天と奇異の入り交じる視線を一身に受けて、黒マフラーの人物──妖怪リトル・ヤタガラスこと九十九は、ほんの少しのむず痒さを覚えた。
教わった認識阻害の術によって、自分の素顔が彼らにバレる事は無い。そう分かってはいても、少しばかり不安である事は確かだ。
「エヒ、エヒヒヒヒッ……!? ナンダ、アイツ!」
「ヨウカイ? ニンゲン? ワカラナイ! ワカラナイ!」
「コロソウ! コロソウ! ワカラナイ、コロソウ!」
遠くから、他のガキツキたちが九十九の姿を認めて声を上げる。
妖怪なのか、人間なのか分からない。分からないが、とりあえず殺してしまおう。
そんな金切り声の数々に、遅れて現れたイナリとお千代が不快感を露わにする。
「フンッ、彼我の実力差も分からない獣はこれだから……と言いたいところですが、やはり物量が脅威ですわね」
「1体1体にチンタラ時間なんて使ってられない……。街中回って、片っ端から薙ぎ払おう」
「それが最善でしょうや。……ですが、気を付けてくださいやし」
九十九の右肩に飛び乗り、ふわもこの尻尾を揺らすイナリ。
彼の視線の先には、無数の大群……というほどではないが、それでもワラワラと蠢くガキツキの群れが見て取れた。
「雑魚相手にあまり妖気を使い過ぎると、いざ大物と戦う時に身が持ちやせんぜ」
「……あ、やっぱり限界とかあるんだ? コンピュータゲームで言うMPみたいに」
「数値化できるようなもんじゃありやせんがね。体に巡る気の流れ故に、決して無限とは言えやせん。“すたみな”のようなモンでさ」
「体力配分に気を付けろ……って事か。雑魚を殲滅しつつ、でも全力は出せない……」
「ご安心を、坊ちゃま。その為のわたくしでしてよ♪」
パタタ……と、お千代が翼をはためかせた。
翼が上下する拍子に、彼女の持つ黒い羽根がパサパサと揺れ落ちていく。
緩やかな動きを伴って地面に落ちた羽根は、その途端に泡沫の如く消失する。
「1体ずつ確実に、なんてかったるい真似は致しません。“くうる”に“すまあと”に、“ふるすろっとる”で参りますわよ!」
淡い夜闇を引き裂くように、お千代が宙を駆ける。
翼を限界まで細め、驚くべきスピードで低空を飛ぶその姿は、熟練の射手によって放たれた矢と遜色無い。
彼女が真っ直ぐに向かう先は当然、こちらに襲いかからんとするガキツキの群れ。
「さぁ! わたくしの術をお見せ致しましょう!」
薄汚い襤褸の幽鬼たち、その狭間と狭間をすり抜けて、滑るような軌道を描いてスズメの妖怪は飛翔する。
彼女にかかれば、九十九神の成り損ない程度が繰り出す攻撃を掻い潜って飛行する事など容易い所業だった。
だが、決してそれだけに終わらない。
お千代が低空を駆けた軌道上には、ひらひらと舞い散る大量の羽根が残されていた。
宙を舞う無数の黒い羽根は、ガキツキたちの体に貼り付くや否や、まるで溶け込むかのように消えていき──
「ギャアァッ!? ク、クルシイ……!?」
「カラダ……カラダ、シビレルッ……!?」
直後に訪れた異変は、明確なものだった。
羽根を取り込んだガキツキたちは一斉に体の不調や痺れを訴え、その場に崩れ落ち始める。
その異変の根源がお千代にあると分かっていながら、幽鬼たちは体の痺れによって彼女を掴む事は叶わない。
それどころか、体を動かせば動かすほど周囲の羽根がより纏わりついて更なる痺れをもたらしていた。
「これが……お千代の妖術?」
「へぇ。あのスズメは“たぶらかし”の術と呼んでいやすがね。早い話が毒でさ。あいつの羽根には妖気の毒が溶け込んでいて、触れればたちまちあの通り」
イナリがクイッと顎を上げた先では、思い通りに体を動かせず倒れ伏したガキツキたちが大量に転がっていた。
妖術によって撒き散らされた毒の黒羽根が、妖怪たちの動きを徹底的に封じている。最早、無事に立っている個体の方が少ない惨状だ。
「さぁ、わてらも行きやしょうぜ坊ちゃん。あのスズメがあれだけ張り切っている以上、ガキツキなんざどれだけ群れようと敵じゃありやせん」
「それは分かったけど……お千代は大丈夫なの? 妖気を使い過ぎるな、ってさっき言われたばかりなんだけど……」
「心配ご無用。わてやあのスズメのような容れ物が元の九十九神は、普通の妖怪よりも妖気を多く蓄えやすいんでさ。そして……」
随分と遠くへ飛んでいった同胞の姿を見やる。
容れ物──巾着が元となった、妖怪キンチャク・ヨスズメ。
その名に違わず、彼女の体は夜闇に同化するほど黒く、穢れのない艷やかさに満ちていた。
妖魔の合間を縫って飛ぶあいつの、翼の美しさだけは綺麗だと認めてやってもいい。
そんな風に思いつつも、イナリは決して口には出さないでいる。
「妖気の貯蔵量で、お千代の右に出る者はおりやせんぜ」
「それは……とても頼もしいね。……でも、お千代の術には直接的な殺傷力が無い。さっき言ってた『戦闘能力が無い』って……」
「ええ、まぁ。妖怪がひっくり返って死ぬほどの毒性は無いんでさ、あいつの術には。ですから、ほっとくと起き上がってくるやもしれやせん。急ぎやしょう」
「ん、分かった。それじゃ……」
そこで九十九は1度、自分たちを囲む人々に目を向けた。
妖術によって認識できない表情が帯びる黒い眼差しに、彼らは一様に肩を震わせた。
萎縮したように縮こまる人々の姿に、小さく溜め息をひとつ。
感謝してほしいとか、ヒーローとして称えてほしいとか、そういう欲求がある訳ではない。
元より自分たちは化外の存在。妖怪への恐怖を抱いた彼らに、九十九たちとガキツキたちを正確に区別しろなどと、どうして言う事ができようか。
だから、彼らが怯えの感情を向けてくるのは仕方がない事だ。
だから、チクリと痛む心を深刻に受け止めてはいけないのだ。
だから。
「……ここから先は、僕たちがどうにかする。妖怪の事は……妖怪に任せて」
それだけを言い残して、九十九は前方に飛んだ。
足裏の点火によって加速した少年の体は、真っ黒いマフラーを後方に強く伸ばしながら地面スレスレを飛行。
そのままの姿勢で火縄銃を正面に構え、体の麻痺に苦しむガキツキたちに狙いを定める。
夕方に戦った時の体感から、彼らに耐久性は無い事は分かっている。
1撃の威力は極力抑えるべきだ。意識するのは、射撃の精密性と速射力、そして弾数。
それらを踏まえた上で、九十九が「散弾」という選択肢を取ったのはある意味当然と言うべきか。
「威力は控えめに……でも、確実に撃つ!」
引き金を引いた瞬間、銃口から放たれたのは無数の弾丸。
1つ1つがBB弾ほどに小さく丸められた弾丸が、幾重にも分裂して放たれたのだ。
銃口より我先にと飛び出した炎の散弾は、1発足りとも外れる事なく、倒れ伏したガキツキたちの脳天を正確に貫いた。
狙いを外す事は一切無い。人間には傷の1つもつける事なく、しかし悪しき妖怪のみを殺傷する。
成果を確認している暇など無い。
そう言わんばかりに九十九が飛び去った後、妖怪に成り損なった幽鬼たちは、内側から身を焼く熱によってその身を崩壊させていく。
消滅しゆく遺骸たちが形成した灰のカーテンを掻き分けて、漆黒の影はただ前へ。
「……なんだったんだ、何もかも」
おかしな妖怪たちがその場から全ていなくなった後、民衆の1人がぽつりと呟いた。
「なんか、今まで俺たちを襲ってた奴らとは……何かが、違う気がする」
「けど……あんなの、人間じゃない。化け物には変わりないじゃない」
「……一体、何者なんだ。あいつらが話してた内容も、全然意味が分かんなくて……でも」
彼らは、その場から逃げるでも、何か具体的な行動を起こすでもなく。
ただ呆然と、九十九たちの飛び去った方角を見ていた。
「あの、人みたいな奴の言う事……まるで、ヒーローか何かみたいだった」
◆
ガキツキという存在に、知性らしい知性は無い。
妖怪への変化に失敗した結果、元となる筈の道具を呑み込んで生まれる、ただ妖気が実体化しただけの存在。
そんな成り損ないたちに、真っ当な在り方など期待するだけ無駄というものだ。
「エヒヒヒヒヒ、エヒャッ……!」
「ひぅ……!? こ、こっちに来た……!?」
だから彼らには、目に入るモノを手当たり次第に攻撃するしか能がない。
現に今、ガキツキの内の1体が、足を挫いて動けない女性の姿に気付いて舌なめずりしている。
その頭の中には、目の前の女性をどう殺そうか、などという思考すら存在しない。
適当に襲いかかって、適当に攻撃すれば死ぬ。それが人間という生き物だ。
彼らにとって、獲物の死は確定している。だから、獲物を殺す手段ではなく、獲物を殺す事による快楽と愉悦のみがガキツキたちの思考を満たしていた。
「エヒヒヒッ、ヒャァアハァーッ! コロソウ! コロソウ!」
「いやぁーっ!? 誰かっ、助けてー!」
とうとう辛抱たまらず、飛びかかるガキツキ。
血塗れ錆だらけの牙をグパリと開き、女性の首筋を狙って食い千切りにかかる。
女性の悲鳴が轟くが、しかしそれを気にかける者などいない。周りにいる人々は、誰もが幽鬼の群れに襲われていた。
故に彼女も、なんて事は無いただのモブとして残虐に殺される。
その、筈だった。
「ア……?」
すり抜ける。
無力な女性の動脈を食い破る筈だった牙は、スルリと女性をすり抜けて、ガキツキを地面に転がらせる。
路面に頭をぶつけた痛みと共に起き上がってみれば、女性の体はまるで最初から存在しなかったかのように虚空へと溶け消えた。
「イナイ……? ナンデ? ニンゲン、ドコ?」
戸惑うガキツキは、キョロキョロと周囲を回し見て……その光景を目にする。
「ギャッ!?」
「アギュッ!?」
「イナイ! ニンゲン、イナイ! キエタ!?」
「ドコ!? ドコ!? コロセナイ!」
人間に襲いかかろうとした他のガキツキが、蜃気楼のように消失した人間の姿に攻撃を空振らせる。
殺そうとした人間がそれぞれ消え去り、ガキツキ同士で頭をぶつけ合って悶絶する。
恐るべき幽鬼が殺害しようとした人々は、いずれも攻撃を受ける事なくその体をゆらりと消失させていた。
獲物を見失った化け物たちの困惑が、この場に満ち始める。
だって、今の今まで目の前にいた筈なのだ。それが、いきなり消えるなんておかしい。
それじゃあ、まるで──
「【近来、魂、古今、混、子昏故、献】」
キツネに化かされたようじゃないか。
「おーおー、引っかかった引っかかった。ガキツキどもは馬鹿で助かりやすねぇ」
ゆらゆらと、天女の羽衣めいて妖しく揺れるキツネの尻尾。
電柱の上にちょこんと座り、自分たちの醜態を眺めているちっちゃなキツネ妖怪がいる事に、ガキツキたちは終ぞ気付かない。
尤も、ガキツキ程度の知性で見破れるほどチャチな“ごまかし”でもないのだが。
「襲われていた皆さんは上手いこと助けやしたぜ。ぶちかましてくださいやし」
「あなたに言われなくてもやりますわよ、キツネ!」
漆黒のシャワーが、中空から降り注いだ。
雨のように、雪のように、黒く艶やかな羽根が街の最中にばら撒かれる。
当惑するガキツキたちに逃れる術はなく、舞い降りたそれらは肌に触れた端から染み込んでいった。
そうして起きるのは、先ほどの焼き直しだ。
お千代の振り撒いた妖気の羽根が、体の動きを縛る麻痺毒を以て、妖魔の群れを“たぶらかし”ていく。
瞬く間に崩れ落ちていくガキツキを前に、お千代は自分よりも更に上を見る。
「今です、坊ちゃま!」
「──うん!」
空から落ちてきたのは、長く黒いマフラーを尻尾のようにはためかせる1人の少年。
その右腕が炎を纏い、眼下に迫る怪物の群れへと勢いよく振り払う。
──ボォワッ!
日がとっくに沈んだ夜闇の街を、真っ赤に燃える炎が照らす。
花火が降り注ぐかのように弾ける無数の炎は、“たぶらかされ”て動けないガキツキへと吸い込まれていく。
「ギャグァアッ!?」
ただの1つも誤射は無く、いっそ恐ろしいほどに狙いは正確だった。
炎の雨は寸分違わずガキツキのみを撃ち貫き、穿たれた穴から吹き出した炎が体内で荒れ狂う。
断末魔すら呑み込んで、妖怪の成り損ないたちは灼熱の妖気に喰らい尽くされた。
──BA-DOOM!!
地上に咲いた幾つもの花火、その中心部に少年は降り立った。
四方八方から放たれる真紅の光が、黒衣の出で立ちをハッキリと照らし出す。
それと同時に、周囲の景色が大きく揺らぎ始める。
連鎖する爆炎が辺りに張り巡らされた幻影の幕を引き裂き、陽炎のように崩壊させた。
「凄い……。イナリが本気を出すと、こんな広範囲に術をかける事ができるんだ」
「そう簡単な技でもありやせんがね。細かい調節やら制御やらに気を使わねばなりやせん」
開けた道の端に、数秒前まで存在しなかった筈の人々が多数現れる。
彼らは酷く困惑した様子で、各々の怪我に痛みを覚えたり、目の前で怪物たちの消し飛ぶ光景に驚きを見せていた。
今しがた九十九とイナリが話していた通り、この状況を作り出したのはイナリのかけた“ごまかし”の術だ。
広範囲を覆うように張り巡らされた“ごまかし”の幻影は、ガキツキたちの視界から人々を消し去り、偽りの獲物を追わせていた。
その隙を突いてイナリやお千代、九十九が人々を救出し、攻撃の余波を受けない位置まで避難させていた。
「それより坊ちゃん、あんな大技を撃って大丈夫で御座いやすか? だいぶ派手にやったようでやすが」
「うん。……段々と、コツを掴んできたような気がする。どうすれば効率的なのかとか……この力の使い方も」
グッ……と、胸の前で拳を握る。
体を巡る妖気の流れを拳の内に感じて、ポカポカとした熱を感じるようだった。
それは例えば、漫画やゲームであるような「戦いの中で成長する」とは少し趣が異なるかもしれない。
どちらかと言うと、元々あった力の使い方を実践で学ぶようなもの。
言うなれば、1を100に変えるのではなく、マイナス1を1に変える工程と表するべきだろう。
なんであれ、九十九が自身の力により習熟した事実は変わらない。
妖怪として在る事に本能的な「慣れ」を覚えながら、他に襲われている人たちがいないかと振り向いた矢先。
「「きゃぁぁぁあ!?」」
「あぎゃぁぁぁあああ!?」
「──!? 今の声……!」
聞き覚えのある少女の声と、聞き慣れた男の声。
ガキツキたちを一掃した事で静かになった場に突如として響いたそれらの叫び声に、九十九の顔は明確に強張った。
「坊ちゃん……今聞こえてきたのは、もしや」
「あっちだ!」
「ちょっと、坊ちゃま!?」
驚くお千代の声を背中で聞きながら、一目散に駆け出す。
声のあった場所まではそう遠くない筈だ。そんな思いと共に、漆黒のマフラーが風に靡いてその場を去っていく。
残された人々の目には、低空を駆けるカラスのような少年の背中が映っていた。




