其の弐拾捌 水面下の侵蝕
それは、明くる日の事だった。
「……なぁなぁ、九十九っち」
「……何? 光太」
「なんか……増えてねぇ?」
「増えてるねぇ……」
ホームルームを待つ朝の教室にて。
九十九は自分の席に座りながら、光太は九十九の席の前でしゃがみ込んで頬杖をつきながら、目の前の光景をボーっと見ていた。
「でさー。昨日、占い師のおじーちゃんに会えたの! そこで……ホラ! あーしのおきにポーチに書紋書いてもらっちゃったー!」
「うわ~、マジで? あの噂って本当だったんだ」
「あ、私も私も! 美季たちとは別のとこでさ、私もスマホに書いてもらえたの」
「えっ、それホント!? アタシも、弥生や姫華と一緒にいた時に書いてもらったんだけど、その後に出会えた感じなのかな?」
「多分そうじゃないかな? その時はわたしも一緒に買い物してたんだけど──」
教室の隅に集まってキャイキャイと話す女子生徒たち。
彼女たちが手に持ち、互いに見せ合っている小物には……いずれにも、黒い墨で塗られたらしい紋様が色濃く現れていた。
それらのデザインはどこからどう見ても、近ごろ噂になっている幸運の書紋というやつだろう。
漏れ聞こえる会話からも、本物の占い師に会って書いてもらえたという話が伺える。
どこか遠い世界のやり取りのようにも思える姦しさを眺めて、光太は困惑混じりにボンヤリと呟いた。
「おっかしいなぁ……昨日の今日で、こんなブワッと発信者が増える事ある? 何なの? 昨日の俺らの会話がなんかのフラグだったの?」
「遠くから話を聞く限り……昨日の夕方とか夜に占い師を見つけて、そこでおまじないをしてもらったみたいだね」
「あんなに散々いない会えない見つからないって話題だった占い師だぜ……? なんで見えてる範囲でも4人が、ほんの1日でフィッシュできてんだよ」
そう言って自分の机に顎を乗せてくる親友の額を指で弾いたものの、九十九もまた同じく、女子たちのやり取りに不可解さを覚えていた。
こうした「おかしい」に詳しい知識を持つだろう相手を頼るべく、机にかけられたリュックサックへと手が伸び……そこで、気付く。
「……そうだ、今日はイナリがいないんだった」
「んお? 油揚げがどうしたって? 食いたいなら今日の昼に買えばいいじゃん。あの、稲荷寿司と巻き寿司の……なんだっけ、宿六ってヤツ」
「それを言うなら助六ね……」
溜め息を交えてボケをあしらうが、九十九の呟き自体は事実だ。
昨日、姫華から聞かされた「占い師のいる、地図に無い古美術商」の噂話。
イナリはその事を独自に調べるべく、今日は九十九に同行していなかった。
故にどれだけリュックサックのファスナーを開けようとも、中に潜り込んだちっちゃなキツネはどこにもいない。
目前でおかしな事が起きているというのに、なんともタイミングの悪い話だ。
内心でそのように歯噛みして、指先を机の上に戻す。小さな呼吸音に釣られて、肩の力も自然と抜けた。
「それで、彼女たちが書紋を入れてもらった時に白衣さんも一緒にいたみたいだけど……その辺、どうなの?」
「あー……そりゃ、聞きたいよね。つい昨日、あんな事話したばかりでだもん」
女子たちの会話を眺めながらの呼びかけに、2人の後ろに立っていた姫華が言葉を返す。
いつの間にかそこにいた彼女の存在に驚いて、光太は「どわぁ!?」と声を出して転げてしまう。
「し、白衣さんや白衣さんや……いつからそこに?」
「最初から……っていうのは冗談だけど、ほんのちょっと前からよ」
「あれ……光太、気付いてなかったんだ?」
「気付いてませんでしたけど!? 逆になんでお前は気付いてたのかなぁ九十九くん!? 振り向いた素振り一切無かったよね君!? なんかめちゃくちゃ自然に声かけてたけど!」
態勢を戻してのツッコミを「何故と言われても……」と受け流して、九十九は姫華に意識を向け直す。
その視線の意図を理解して、彼女も困ったような表情を作る。
「……美季や弥生たちの事、やっぱり気になるんだ?」
「まぁ、ね。でも、白衣さんが嫌な気持ちになるようなら、無理に言わなくても……」
「ううん。あった事を話すくらいなら、別にどうって事無いわ」
近くにいた生徒に声をかけ、ホームルームまで椅子を借りるよう断りを入れる。
嫌な顔ひとつせず快諾した相手に礼を言いながら、姫華は九十九の対面に細い腰を落とした。
光太もノロノロとした動きで起き上がり、生徒3人が机を囲む形で顔を突き合わせる。
「昨日、学校が終わった後……3人で街を歩いてた時に出会ったの。その……占い師のお爺さんに」
「うっそ、マジでいたんか占い師……。そんで、あそこで駄弁ってる白衣の友達ズは書いてもらったんよな?」
「そう……なるのかな。美季は化粧ケースに、弥生はポーチに。占い師のお爺さんが、持ってた筆でテキパキと書紋を書いてくれたみたいね」
「おーん……? なんだべ、そのビミョ~に不明瞭な物言い」
「それで……」
いつもの眠たそうな、なおかつダウナー気味な瞳が持ち上がる。
それでいて、姫華を見る九十九の目には僅かながらに心配の情が見て取れた。
「白衣さんは……書いて、もらったの? おまじない」
「……いいえ。勿論、断ったわ」
「そっか」
なんて事無いように頷く様子に苦笑いしながらも、少女の手は自然と服の下の何かに触れる。
光太の「あっさりし過ぎじゃないですかね君らの会話さぁ!」という叫びをスルーして、その行動を不可解そうに見つめてくる九十九に小さく笑いかけた。
「ありがとね、八咫村くん」
「……? 急にどうしたの?」
「なんでも。……多分、八咫村くんが助けてくれたんだと思うから」
「うん……?」
「そんで……多分ここが一番重要だと思うんだけどよ。その占い師のじーさんって、一体この街のどこにいたんだ? 場所さえ特定できたんなら、俺らも冷やかしにちょいと……」
「それがね、確か……え? あ、れ……? なんで……」
呆然と。
自分の言っている事が理解できないと言いたげに、姫華の瞳孔が焦点をブレさせた。
当惑しながら己の頬を撫でる彼女の様子を、男子2人は訝しげに、そして只ならぬ雰囲気への警戒の意を込めて注視する。
「……白衣さん、大丈夫? 何か、思い出したくない事があるなら……言わなくていい」
「そ、そうだぜ白衣。俺らはちゃんと分かってっから、お前が気分悪くしてまで話す必要は……」
「……違う、違うの。そうじゃ、なくて……。でも、さっきからおかしかったけど、今ようやく分かったの」
口に手を当て、信じられないように視線を落とす。
下げた視線の先には机の木目しか無いが、それでも己に降り掛かった不可解さが彼女の気分を害していた。
「……思い出せないの。昨日、占い師のお爺さんと出会った場所がどこで……そこで、何をされたかも」
「……はぁっ!?」
「それ、って……単に忘れた、とかそういう訳でも……なく?」
「昨日、友達2人と占い師に会って、2人が書紋を書いてもらって……私は断った。それは覚えてる。でも……その時どんなやり取りがあったとか、どこでどういう風に何をされたのかとか……そういうのが、まったく思い出せない。ただ、事実だけが頭の中に……」
戦慄と共に呟かれた一連の言葉に、発言した姫華自身がゴクリと喉を鳴らす。
それから彼女は、今一度2人を見た。彼らは不安げに、そして訝しむようにこちらを見ている。
「……お願い、信じて。私はちゃんとその場にいて、何かやり取りをした筈なの。そこで何が起きて、どうなったかを……私は、ちゃんと覚えていた。興味が無いからとか、嫌いだからとかで、その時の事を忘れる筈が無いの。……信じて、もらえないかもしれないけど」
縋るような懇願を受けて、九十九と光太は互いの目を見やる。
にわかには信じ難い。そんな思いが光太の目には込められていた。
姫華は占いが嫌いと言っていた。だから、そんなに意識を割いていなかったのだろう。だからこれは、ただの物忘れだろう。
そう言いたげな親友の目に、普通ならばそう考えるのも無理は無いと九十九は思った。
けれど、彼は。
「……一応、その時いたっていう白衣さんの友達にも聞いた方がいいと思う」
「ちょい、九十九? 俺らみてーななヘラヘラマン&ダウナーマンがあのキラキラ女子の群れに突っ込むのかい?」
「私が信頼してる友達だから、そんなに卑下しなくても邪険にされないと思うけれど……」
顔を上げる姫華。
九十九の目はいつものように眠たそうで、でも今はそれが逆に不安を感じさせる。
「それでも、聞きに行くの? 私の思い過ごし、みたいに終わらせずに?」
「うん」
頷く彼の脳裏には、イナリから聞かされていたある事が思い浮かべられていた。
夕暮れの中に現れるガラクタ古美術商。
もしも、姫華たちが占い師と出会った場所がそこであるならば……
「ちゃんと、調べるよ。信じる信じない、正しい間違ってるは……その後でも、いいでしょ?」
当然の事と言わんばかりに、九十九は真っ直ぐな目を見せた。
彼の人となりをよく知る光太は「そう言うと思った」と肩を竦めるが、一方で彼ら2人は気付かない。
「……ありがとう……」
九十九の言葉に目を見開いた姫華が……小さく呟くように、感謝した事を。
今日はこの後【20:00】より追加投稿を行います。




