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其の弐拾陸 占い師は誘う

ふと気が付くと10万文字。

前作「黒マントさんが通る!」が13万文字だったので、そこは超えたいものです。

 最初に姫華が感じたのは、不快という言葉ですら足りないほどの異質さを帯びたカビ臭さだった。


「ささ……どうぞ、こちらになります」


 錆びた蝶番が悲鳴に似た音を軋ませ、店の内部を露わにする。

 外の明るい夕日を無視するかのように、店内は不気味な暗さを保っていて、電灯どころか光源の1つもありはしない。


 そして何よりも、扉を開けた瞬間から襲いかかるカビ臭さ。

 凡そ、一般的に想像できる「清潔」の概念とは無縁としか言い様が無い。


(何……? この、酷い臭い……甘すぎてクラクラしそう)


 同時に姫華は、むせ返る異臭の中に嗅ぎ慣れない甘ったるさを感じ取った。

 しかし、その香りの正体に考えを巡らせる前に、老爺は彼女たち3人を店の中に案内し始める。


「奥に受付(かうんたあ)があります故、(まじな)いはそこで施しましょうか」

「は~い。どんなおまじないかな、美季にゃんもワクワクしてこない?」

「してこないわね。むしろ店の中に入った瞬間、怖いお兄さんの群れが出てくる……なんて事が無くてよかったとは思ってるわ」

「え、と……お爺さんは、いつからこのお店を? こんなところにお店があるなんて……」

「ヒッヒッ。いえいえ、ワシはあくまで店員。店主はちぃと席を外しておりましてな。代わりに、ワシが店番をしておるのですよ」


 奇妙な声色で笑う老爺の声は、どこか薄っぺらい異常さを宿しているように思えた。

 よくよく考えれば、この店そのものが異常に満ちている。


(……誰かが、見てる? 誰かは分からないけど……でも、見られてるみたいな……)


 店の中を歩く度に、どこかから視線を感じる。

 だがどれだけ店内を見回しても、この場にいるのは姫華と友達2人、そして老爺の4人以外には無い。

 他にあるものと言えば、棚を無視して乱雑に置かれた大量のガラクタの山。


 ボロボロの掛け軸、薄汚い仏像、無駄に大きな招き猫、何に使うのかさえ分からないブリキの置物。

 これでは古美術商と言うよりも、ゴミ捨て場と言われた方がまだ納得できるくらいだ。


「この店では、店主が古今東西から掻き集めた美術品に骨董品を取り扱っております。ですが如何せん、この通りに閑古鳥が鳴くばかり。若い客が来てくれるだけでも、こやつらの心も慰められるというもの」

「こやつ、ら……? えっと、他に誰かいらっしゃるんですか?」

「ええ、いますとも。分かりませんかな?」


 カウンターに辿り着いた老爺は、何の前触れも無く3人のいる方に振り向いた。

 真っ黒な瞳孔がギョロリと蠢いて、怖気の走る雰囲気が女子たちに浴びせかけられる。


()()()()()のですよ、この店に眠る道具たちは。そうして覚醒(めざ)める時を、刻一刻と待ち望んでいる」


 恐怖。

 姫華が抱いた感情は、まさしくその2文字以外にあり得なかった。


 老爺が言葉を発した直後から、店の中を蠢いていた視線の数々が一斉に強まった。

 決して錯覚などでは無い。店内……いや、360度全てから、姫華たち3人を値踏みするような視線が確かに発せられている。


(道具が、生きて……って、そんなの、まるで……)


 こちらを見つめてくる気配の正体。それが何なのか、ある程度の予感はあった。

 けれど姫華は、それを信じたくなど無かった。だって、そうだろう。それは、彼女が最も苦手とする概念なのだから。


「幽霊……いえ、妖怪……?」


 店内に置かれた道具たちが、自分たちを見つめている。

 そんな仮定を、白衣 姫華という少女は何としてでも否定したかった。


「……ほう。あなた、妖怪を知っているのですかな? 若い身空で何とも勤勉な事だ」

「ヨーカイ? ……ってなんじゃらほい。姫華にゃん、ジバ○ャンとか好きなの?」

「そうじゃないでしょ、弥生。でも、ちょっと意外ね」


 そう朗らかに話す友人たちは、自分たちに突き刺さる視線の存在に気付いていないらしい。

 だから友人の内の1人が、いたって普通の雑談のように姫華に呼びかける。


「姫華、()()()()()()()()()()? 道具が生きてるっていうのも、お爺さんの方便でしょ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ」


 その言葉に何の悪意も他意も無い事は、よく分かっている。

 よく分かっているからこそ、心に強く突き刺さった。


 妖怪なんていない。誰も信じていない。信じる人は馬鹿か阿呆だ。

 だから私も妖怪なんて信じない。妖怪なんていないに決まっている。

 そうじゃなきゃ──


「ヒッヒッヒッヒ。信じるも信じないもその人次第、この世に確かなものなどありはしません。ですから、ワシのような占い師がいるのですな」


 ふと意識を逸らした隙に、老爺は既にカウンターの席についていた。

 手に持っていた筆を軽く舐め、湿らせた穂先から墨を滲ませる。


「それで、おじーちゃんはどんな占いが得意なん? 成績上昇とか、恋占いとか?」

「ヒッヒッヒッ。ワシが生業としているのは、如何にすれば幸運を呼び寄せる事ができるか。その最適な流れを掴む事ですよ」


 すい……と、老爺の手が姫華たちに差し出される。

 皺だらけの真っ白い手のひらを3人がパチクリと凝視している内、サルのようにガラガラとした笑い声が老いた口から漏れ出した。


「何か、普段から身につけているようなものはありますかな? 鞄、財布、装飾品。なんでも構いません。あなたたちが最も大切と思っているものを1つ、ワシの前に出してください」

「大切なもの……それでその筆、って……もしかして」

「ええ、ええ。近ごろ巷では、ワシの事が噂になっているようですなぁ」


 そう言って笑う老いた男の所作は、なんとも奇っ怪なものに見えて仕方が無い。


「確か……ああ、そうだ。幸運を招く書紋(しんぼる)。そのように呼ばれている事は、存じ上げておりますとも」


 そのカミングアウトは、少女たちにとって驚きと興奮をもたらすものだった。

 少なくとも、激しくなる鼓動を抑えて呆然としている姫華の目前で、彼女の友人たちは色良い反応を上げている。


「幸運の書紋(シンボル)……って、マジ!? やったじゃん美季にゃん、ここが噂の占い師さんの居場所だよ!」

「うん……。アタシも、さっきまでは半信半疑だったけど……これ、本当ならちょっと面白そうじゃん?」

「ヒッヒッ……喜んで頂けたようで何よりです。何分、ワシの手法を嫌がる人も少なくないですからね」


 筆が生きた蛇を思わせる軌道を描き、空中に文字を書くように動く。

 その拍子にカウンターに溢れる墨の黒色が、ジクジクと震えているのは……果たして、激しい心臓の鼓動が作り出した錯覚だろうか?


「人によって、そしてモノによって、書くべき印は異なります。ワシの仕事は、その人に適した印を見極めて書く事。それさえできれば、後は幸運の方から勝手にやってきますとも」

「ほえ~、なんか面白そう。あーしは出すよ! 美季にゃんと姫華にゃんは?」

「アタシもやってみようかな。パチモンだったら後で洗うなり拭き取るなりすればいいだけだし」

「え、私は……」


 姫華が言葉に迷っている間に、友人たちは各々の小物をカウンターの上に差し出していた。

 不自然なまでに白い指先がそれらを拾い上げ、黒く濁った目で隅々まで見定める。

 ギョロリギョロリと瞳孔が拡縮したのち、おぞましささえ感じられる笑い声が発せられた。


「ヒッヒッヒッヒッヒ……よぉく見極めました。では、紋を記していきましょう」


 そうして老爺は、穂先をゆらりと動かした。

 墨の染み込んだ穂先が、可愛らしいピンクのポーチに黒い軌跡を走らせる。

 少女たちが瞬きしている内に、カウンターの上に戻されたポーチには真っ黒い魔法陣のような書紋(シンボル)が書き込まれている。


 2人の少女がそれに感嘆の声を上げるよりも早く、次いで手に取られたのは化粧ケース。

 そこにもやはり、凄まじい速さで黒い紋章が塗り込まれた。先ほどポーチに記されたものとは、大きさもデザインも微妙に異なっている。


「はい、これにて。大事にしてくださいね、ヒッヒッヒ」

「うわぁ、すっごい! SNSで見たのと同じ感じだー!」

「ありがとうございます。これ、お代とかは要らないんですよね?」

「ええ、ええ、勿論。縁を大切にするのも、占いには必要になる事ですからね。……さて。それで、そこなお嬢さん」


 老爺のドロドロとした目が、今しがたの現象を唖然と眺めていた姫華の姿を捉える。

 ビクッと身を震わせた時には、各々の差し出した小物を回収した友人たちが同じようにこちらを見てきていた。

 彼女たちは不思議そうな目をして、血の気の引いた姫華の顔を覗き込んでいる。


「姫華はやってもらわないの? 折角だし、記念にお願いしてもいいんじゃない?」

「そーそー、あーしも美季にゃんもおじーちゃんに占ってもらったんだしさー。姫華にゃんもやりなよ」

「え……ええっと、私はその……」

「ほう……。あなた、とても()()()()をお持ちではないですか?」


 目を見開く。

 何を言われたのかを認識した瞬間、額を冷や汗が流れる感覚を確かに理解した。

 だって、目の前の男が目を向ける先は……寸分違う事なく、制服の内ポケットだったのだから。


「へっ? 姫華にゃん、なんか持ってたんだ」

「占いをやっていると、自然と分かるものなのですよ。いい品だ。よほど長い間、大事に使われているようですね」

「物持ちいいもんね、姫華。それでも、普段からアクセサリーとか小物とか身につけてないから全然知らなかった。何持ってるの?」

「……それは」


 いつもの癖で、内ポケットのある位置に手を伸ばす。

 軽く指を折り曲げれば、ポケットの中に隠されたモノ──古い手鏡の質感がありありと伝わってきた。


 何故、どうしてこのお爺さんは、手鏡の事を見抜いたのだろう。

 分からない事、奇妙な事、不可解な事があまりに多過ぎる。この店は、一体何なのか。


「是非、お出しください。ワシが心を込めて、幸運を呼ぶお手伝いをさせて頂きましょう」


 差し出された手は皺に塗れていて、さながら沼の底から堕落を誘う幽鬼のよう。


 この手を取るべきか、取らずに去るべきか。

 店に満ちる不愉快な匂いは、姫華に思考と選択を許す事無く、彼女の心から判断力を削ぎ落としつつあった。

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