其の弐拾伍 誰そ彼刻
「そもそも奴ばらの名乗る『現代堂』とは、そのままズバリ店の名前から取られたものなんでさ」
放課後。
いつものように光太たちと別れ、夕日が照らす路地を歩く。
そのタイミングを見計らい、九十九の背負うリュックサックを抜け出したイナリは、そのようにして語り出す。
「80年前に日本を荒らして回っていた時も、奴らは古美術商『現代堂』を僭称しておりやした。わても1度だけ目にした事がありやすが、あの時は清や和蘭の……ええと、現代ではなんという名前でやしたかな」
「清は中国で……和蘭は、オランダだっけ?」
「ああ、そうで御座いやした。そういった国から流れてきただろう骨董の品々が多く、それも乱雑に置かれていた事を今でも思い出せやす」
イナリの語り口は重々しく、当時の事を1つ1つ思い出しながら言葉を紡いでいるように感じられる。
だから九十九も余計な茶々を入れる事なく、夕暮れの帰路を歩きながら彼の話を聞いていた。
「坊ちゃん。妖怪が生まれる為に必要な要素は覚えていやすね?」
「長い時間をかけて道具の中に蓄積された妖気が、限界まで溜まり切った時にその道具を妖怪に変化させる……だよね? その平均的な期間が100年だから、99年使われ続けた道具は妖怪に成る……って」
「然様。故に、妖怪に成り得る道具は古ければ古いほど良いんでさ」
リュックサックから這い出た勢いのまま、ひょこひょこと危なげなく九十九の肩に場所を移す。
ちょこんと主の肩に座り込んだキツネの尻尾は、ふわふわもこもこと柔らかい質感のままに左右へ揺れている。
「奴ばらの居城たる店の中には、数多くの古美術品が所狭しと並んでおりやす。そしてその全てが妖怪、或いはいずれ妖怪に成るだろう道具の数々なんでさ。まさしく百鬼夜行。遺憾ではありやすが、今の日本で最も規模の大きな妖怪集団と言えば奴らでしょうや」
「“八咫派”……だっけ、僕らの勢力って。“八咫派”の規模はどうなの?」
「ビックリするくらい弱小勢力ですぜ」
「弱小なんだ……」
唖然とする九十九の耳に、イナリの「ケッ」という呟きが至近距離から届く。
「80年前に“八咫派”と“魔王派”の決戦があったと言いやしたでしょう? その時、“八咫派”に属する妖怪のほとんどが死に、お二十様……坊ちゃんの曾祖母であり、ご当主様の母君であらせられる方もお討ち死になされたんでさ」
「……そんなに酷い戦いだったんだ」
「地獄も同然の有り様でやした。……その上、両者共倒れという形で決戦が終わった後、“八咫派”を見限って闇の中に消えた同胞もおりやしてね。今の“八咫派”はご当主様と、わてにお千代、そんで坊ちゃんくらいのもんでやす」
そこでイナリは、九十九の肩から飛び降りた。
ちっちゃな足で地面を掴み、オレンジ色の光に晒されたアスファルトの上に着地する。
揺れる尻尾に合わせて影が歪みを繰り返し、さながら陽炎のようにも見える。
夕日を見つめる彼の姿からは、何故だか色濃い哀愁と、懐旧の念が感じられた。
……多くの仲間を失い、離反者を見送り、かつての主君の死さえ経験した者の背中だ。そこに如何なる感情が込められているかは、ちっぽけな少年の想像の外にある。
「……イナリ」
「……すいやせんね、少し湿っぽい態度を取っちまいやした。話を戻しやしょうか」
そのまま、てこてこと歩き出す。
体躯の小さなに見合わぬ歩行速度に、今度は九十九が慌てて追いかける形になっている。
「ともあれ、連中の性質は今も昔も変わっていやせん。古美術商『現代堂』の拠点は、この街にあると見て間違いないでしょう。ですが、その場所は誰にも掴めないまま現在に至っておりやす」
「それは……どうして? 地図に載ってないだけなら、頑張れば探せるような気もするけど……」
「それは、単に地図に載っていないだけなら、の話でさ。奴らの拠点は、文字通りに神出鬼没。店の場所を自在に転移させる事ができるんで御座いやす」
「転移……って」
首を傾げながらの呟きには、戸惑いに似た反応が混ぜられていた。
「そんな事、あり得るの? 引っ越したとか、そういう話でもなく?」
「へぇ。昨日店が建っていた場所が、今日は空き地。何も無かった筈の路地裏に、次の日訪れると店が建っている。そんな無法を平然と成り立たせているのが、奴ら『現代堂』なんでさ」
会話しながら歩いていた矢先、ちっちゃなキツネの動きが唐突に止まる。
それに驚きつつも彼を蹴らないよう足を止め、その目線が向かう先に同じく目を向ける。
2人が見やったのは、建物と建物の狭間に形成された、何の変哲も無い路地裏。
しかし、夕暮れに染まる街の中にあって、パックリと口を開いた道の先はなんとも不気味な雰囲気を纏っている。
赤みがかった黒色の影が路地裏を塗りたくる様は、まるで現世のものではないようで。
「奴らがその姿を現す事が多いのは……丁度、今のような誰そ彼刻。この街のどこかで、連中は夕日に染まったがらくた商店を開きやす」
◆
同時刻。
「──でさー、そん時お姉ちゃんがそいつに言ってやった訳よ。あんたがアタシ以外の女と浮気してた事、あんたの両親に全部ぶち撒けてやったわ……ってさ!」
「うわ~、泥沼じゃん! 無事に解決したとは聞いてたけど、そこからまたひと悶着あったんでしょ?」
「そーそー、それでその後さぁ……って、姫華? なんか気分悪そうだけど、大丈夫?」
「えっ? ……え、ええ。大丈夫、よ」
九十九やイナリが帰路についていた頃、姫華はいつものように友人たちと下町を歩いていた。
友達同士の会話に耳を傾けながら、夕日に目を細める。そんな矢先、意識の外から思わぬ指摘を受けて素っ頓狂な声を放つ。
「というか……そんなに変な顔してた、かしら?」
「変な……ってか、ちょっと暗い感じ? なんか思い詰めてた、ってのも違うけど……悩んでた、的な?」
「姫華にゃん、なんかあったなら相談に乗るよ? 灰管の事なら、元はと言えばあいつらが……って、あ……ごめん」
「……本当に大丈夫だってば。皆が心配してるみたく、道人たちの事で悩んでた訳じゃないし、道人の事だって……そんなに気にしてないもの」
いつもの柔らかい笑みとは違う、仄かな儚さを孕んだ笑みを貼り付ける。
そんな表情と共にそう言われてしまっては、友人たちもそこで黙る他無いものだ。
九十九が妖怪チョウチン・ネコマタを打倒し、姫華と灰管を助けてから2週間。
助けられた2人の記憶は、イナリが振るった“ごまかし”の術によってあやふやにボカされ、その時目にした事のほとんどは綺麗さっぱり忘れ去られていた。
事件以降に灰管が不登校になった事は、姫華の中では既に「終わった事」として認識されていた。
昔のような関係にはもう戻れないという寂しさはあるけれど、彼と彼女はもう他人になってしまったのだから。
だから、今の彼女を悩ませているのはそこではない。
(言える訳無いよね……夕日が苦手、なんて)
コンクリートジャングルの向こう側から差し込む光が、視界を埋め尽くす。
その焼けたミカンのような色の光が、姫華は嫌いだった。だから灰管に絡まれた時も、心が竦んでどうしようもなかった。
いつから、どうして、と聞かれれば……きっと、あの時からだろう。
あの橙色の太陽に目を細めれば細めるほどに、心の内の弱いところがズキズキと痛む。
姫華は夕焼けの光を見る度に、妖怪が……オカルトが嫌いになった時の事を思い出す。
(こんな事、誰かに言ったところで……まともに取り合ってもらえないもん。おかしいって笑われて終わるだけ)
そんな自覚が、彼女の中にあった。
友達になんでもないと強がりながら、それでも手は自然と服の下に伸ばされる。
制服の内ポケットに仕舞い込んだ手鏡の感覚を、忘れないようにそっと握って……
「……あり?」
「ほえ? どしたん美季にゃん」
「いや……あそこ。あんなとこに、お店あったっけ?」
友人の内の1人が、不可解そうに首を傾げつつ人差し指を向けた先にあったもの。
そのあまりに珍妙な外見と雰囲気に、姫華ともう1人の友人は胡乱げに目を瞬いた。
「あそこさ、確か裏路地のちっこい公園に繋がる道があった筈なんだよね。ちっさい頃に通ってたから、なんとなく覚えてるんだけど」
「そうは言っても美季にゃんや、事実としてあそこには変なボロっちいお店があるだけですぜ?」
「そうなんだよねぇ……姫華はどう思う? あの店、なんか変な感じじゃない?」
「わ、私? でも、そうね……」
突然振られた話題に戸惑いつつも、目の前にでんと建つ1軒の店を見つめる姫華。
ビルとビルの間にポカンと空いた小さな隙間。そのスペースいっぱいを埋めるようにして建つその店は、誰の目から見ても明らかに古びていた。
昭和初期の世界からそのまま切り取ってここに置いたかのように、目につく全てがボロボロで、薄汚れている。
セピア色とか、レトロ調とか、そういうおためごかしではとてもじゃないが擁護し切れない有り様だ。
煤こけた窓に目を凝らしても、奥に見えるのは黒一色の闇しかない。
にも拘らず、店の全貌はこれでもかと夕日に照らされて、この世の何よりもオレンジの光を浴びているようにも見えた。
「なんか……こう、何もかもがアンバランスだなって感じは、確かにするわね」
「だよね~。……どうしよっか? なんかあーし、仄かな興味が湧いてきたので見に行ってもいいカナーって」
「やめときなって弥生。アタシはついてかないからね? なんか怖くなってきたし」
「……待って。看板に、何か書いてある」
姫華の呟きに、友人2人が彼女を見やったのはほぼ同時の事だった。
2人の目線を気にする暇も無く、店前に立てかけられた看板にじっと、強く強く目を凝らす。
何かの文字が墨で書かれているのは確かだが、如何せん擦り切れているらしく読むのは困難を極めた。
それでも姫華には、その文字を認識する事ができた。そして彼女が、擦り切れた文字を認識できる違和感に気付く事は無い。
「うーんと……古美術商、かな。それで名前が、えーっと……げ、『現だ──」
「おやおや、お客様ですかな?」
心臓が口から飛び出すかと思った。そんな比喩が似合うほどに、姫華はこれ以上無いくらいの勢いで驚いた。
看板の文字を読もうと目に意識を割いていた中、自然と瞬きをした刹那の直後。
気が付いた時には、さきほどまでいなかった筈の老爺が店の前に佇んでいたからだ。
単に、自分が老爺の存在に気付いていなかっただけ。そのような仮説は、同じように驚きの声を上げた友人たちによって掻き消された。
「ヒッヒッヒッヒッヒ……若い女子が、そのように声を荒らげるものじゃ無いですよ」
「あ、えと……すみません。少し驚いてしまって」
「ヒッヒッヒ、そう驚くような事は何もありません。ここは、ワシが働いているごく普通の店なのですからな」
妖しげに笑う老爺は、全身に塗料をぶち撒けられたと言われても納得できるほど真っ白だった。
髪も、髭も、肌も。夜を思わせるほどに黒い瞳孔と、その身を包むドス黒い外套を除いては、全てが恐ろしいまでに真っ白い。
その出で立ちに薄ら寒さと気持ち悪さを感じた姫華は、無意識に1歩退いた。
「あ……そ、そうですか。じゃあ、私たちはこれで……」
「ねね、おじーちゃんってこの店の人? 何やってるとこなの?」
「ちょっ、弥生!」
気の抜けた問いが、傍の友人から放たれた。
もう1人の友人がそれに掣肘するよりも早く、老爺は皺だらけの唇を震わせる。
「そうですなぁ……。この通りの古美術商ですから、美術品を売っているのと……もう1つ。ワシの個人的な趣味として、占いをやっておりますな」
「占い……おじーちゃん、占い師なんだ」
「ええ、ええ。では、折角の縁です。お代は要りませんので、あなたたちに幸運の呪いを用立ててあげましょうか?」
「え……?」
どこかで聞き覚えのある、そして個人的に嫌悪を沸き立たせる単語。
それをまざまざと耳にして、姫華の舌は独りでに言葉を反芻した。
「幸運の……おまじな、い?」
「如何にも、その通り。ワシは占い師ですからな、そういう事もできるのですよ」
ガラガラと、しわがれた声で笑う老爺。
いつの間にか、その手には1本の筆が握られていた。
筆を濡らす真っ黒い墨は、橙色の夕日に染まる街の中にあって、光を拒絶するように滴っている。
「ようこそ、お上がりくださいませ。……我らが古美術商『現代堂』へ」




