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其の拾玖 その名こそは

 轟々と吹き荒れる爆炎と煙塵を前に、姫華は両手を地面につける形で崩れ落ちた。


「そ、んな……八咫村くんが……」

「うっ、うるさいぞ姫華ぁ! や、八咫村って……さっきから、なっ、何言ってんだよ! 陰キャのちびカラスがどうしたってんだよ!?」


 瞳孔を震わせて悲嘆する幼馴染を見て、灰管は当惑の声を荒々しく上げる。


 いきなり目の前に現れた、あの妙に背の低い不審なヒトガタ。

 どうして現れたのかも、何をしに来たのかも分からないし、それを理解できるだけの正気も足りていなかった。

 そんな正体不明の怪人を応援する彼女の気が知れないが、それ以上にあの根暗野郎の名前を連呼している意味が分からない。


 だから、そんな姫華が枯れ切った声で呟いた一言も、灰管にとっては意味が分からないものだった。


「……あの、黒いマフラーの男の人。私の考え過ぎかもしれないけど……でも、多分……八咫村くんなんだ」

「は、はぁっ!? 今死んだ怪人の正体が、ちびカラス!? 頭おかしくなっちまったんじゃねぇのか! あんなカス野郎が、あの化け物なんて……」

「否定は……できない。さっきだって、何度見てもあの人の顔がハッキリ分からなかったし……それに、目の前で起きてる事ぜんぶ、私の知らない……訳の分からない事ばかりだから。でも……それ、でも」


 地面につけた手を、強く握り締める。

 アスファルトをザリザリと擦る指先が痛むが、ジクジクと痛みが刺し続ける足首の捻挫ほどじゃない。

 そんな事よりも、目から止めどなく溢れる涙の方がよっぽど重要だ。


「私が『助けて』って言って……あの人は『必ず助ける』って言った……。だから……だからっ……!」

「だが、その当人は今ここで爆散したんだよなァ」


 ゲラゲラと嘲る声がする。

 それは勿論、たった今九十九を爆炎の中に吹き飛ばしたチョウチン・ネコマタの擦れ切った重低音だ。


「おれの放った妖気の矢を! 真っ正面から受けて! 今も爆炎の中! あの弱っちぃ変な妖怪の肉体は粉々に消し飛んで、血煙になったんだよなァ! これはつまり、おれの勝ちって事なんだよなァ!」

「……っ。それ、は……」

「こうなった以上、お前らに抵抗の手段は何も無いんだよなァ。後はゆっくり、無様な抵抗をしようとした代償をおれが取り立てて……」

「……さて」


 イナリの尻尾が揺れる。ゆらゆらと、ふかふかと。

 彼のつぶらな瞳は、九十九の姿が消えた煙塵をじっと見定めていた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を。


「そう簡単に事が運びやすかね?」

「──運ばなかったから、僕がここにいるんだよ」


 チョウチン・ネコマタの背後。

 何も無かった筈の空間が不気味に揺らぎ、透明なカーテンを開いたかのような動きを見せる。

 そんな揺らぎの向こう側から顔を出す──火縄銃の銃口。


「な──」

「そこっ!」


──BANG! BANG! BANG!


 字義通りに空間を引き裂いて、炎を圧縮して作られた3発の弾丸が虚空を往く。

 予期せぬ背面攻撃(バックスタブ)に異形の巨体では対応し切れず、それでも無理やりに回避を試みる。


 1発目。右前脚を起点に全身を捻り、ギリギリを掠めて地面に着弾させる。

 2発目。旋回した勢いを利用して宙に浮き、腹の下を通して壁にぶつける。

 そして、3発目。


「ぎゃァアッ!?」


 今度こそ命中した炎の一撃は、ネコマタが持つ1対の尻尾の片方、その先端からぶら下がる提灯を粉々に破壊した。

 クラッカーの如く弾け飛んだ提灯は、その焼けた残滓を周囲に撒き散らしながら異形のネコに痛痒を与える。


「ぐっ、ぐ、くっ……! おのれぇ……よくも、おれの提灯をっ……! いや、それよりも……何故生きているんだよなァ!?」

「計算通り……なんて言えるほどの策じゃないけどね。半ば賭けみたいなものだったから」


 歪んだ空間のカーテンから飛び出しがてらにそう返したのは、先ほどの一撃で爆散した筈の九十九に相違ない。

 その衣服はボロボロになっていて、肌にも焦げた痕が見えるものの、致命的なダメージは負っていないようだ。

 軽やかに着地した彼の首元には、無傷のマフラーが熱風で余裕綽々に靡いている。


「矢が当たる直前、矢に向かって至近距離から銃を撃ったんだ。被弾覚悟で撃ったから爆風に巻き込まれたし、ダメージの全部をやり過ごす事はできなかったけど……でも、この程度ならまだ戦える」

「っ……だが、それではおれの背後に回れた理由に説明がつかないんだよなァ! まさかお前みたいな()()の妖怪が、炎を生み出す他に透明化の妖術まで行使できる訳じゃないんだよなァ!」

「しししっ、それは何故で御座いやしょうねぇ」


 先ほど嘲笑を浴びせかけられた意趣返しとして、イナリが嘲るような声を放つ。

 その尻尾はゆらゆら揺れていて……同時に、ぶわりと激しく逆立っている。

 彼の視線の先では、あれほど立ち込めていた煙が、最初から存在しなかったかのように消滅していた。


「狐七化け。如何なる奇術か妖術か、認識を“ごまかされた”んじゃありやせんか?」


 無論、それらのトリックがイナリの振るう“ごまかし”の術である事は明白だ。

 九十九が光の矢を炎の弾丸で相殺した直後、荒れ狂った爆炎と煙に“ごまかし”の術による幻影を重ね、彼が爆発で吹き飛んだと錯覚させたのだ。

 そして爆炎の幻影に紛れ、まんまとネコマタの背後をついたのである。


「んだよっ、これ……! ワケ分かんねぇ! 化け物どもが意味不明な事ばっか言いやがって……!」

「……凄い」


 頭を掻き毟りながら喚く灰管を他所に、姫華はポツリと呟きを落とした。


「これが、妖怪……」


 その小さな呟きに、目の前に佇むイナリはただ尻尾を揺らすのみ。


「本当に……いたんだ……!」


 前方に向き直ると、爆ぜて真っ黒に焼け果てた尻尾を唸らせながら、チョウチン・ネコマタが九十九を睨み付けていた。

 自分という妖怪の核となる提灯が破壊された。それはつまり、妖怪としての能力の減退を意味する。

 例え2つある内の1つだとしても、たった一撃で自分が不利になった事は明白だ。


 尻尾を焦がす熱と痛みに喘ぎながらも、異形のネコはやがてある事に気付く。


「そうか……そういう事なんだよなァ!? やっと気付いたんだよなァ、お前の正体に!」

「……!」

「小間使いのバケギツネに、炎を操る妖術……そして人間同然の外見! お前が、我らが長の言っていたニンゲン・ヤタガラスなんだよなァ!?」


 喉を鳴らす音が、重機のエンジン音の如く重く響き渡る。

 1つだけになってしまった尻尾の提灯を震わせて、その光をスポットライトに見立てて浴びせかけた。


「だったら……どうするの?」

「……“八咫派”の小倅。お前は何故、おれの『げえむ』を邪魔するんだァ? おれもお前も、同じ妖怪。どんなに人間の血が混じり、どんなに昼の側で生きようとも、お前は妖怪として夜の側に立つ宿命から逃れる事はできないんだよなァ」


 獣のガサついた怒声が、たった1人の少年に注がれる。

 それは、まるで九十九という罪人を糾弾する言葉のようだった。


「答えろ、妖怪ニンゲン・ヤタガラス! お前も妖怪でありながら、おれたちの『げえむ』を邪魔する理由がどこにある!? おれたち『現代堂』の全てを敵に回す覚悟が、お前みたいな()()にあるのかァ!?」

「あるよ。僕にとっては強い理由が」


 間髪入れない即答が、糾弾の言葉全てをバッサリと切り捨てる。

 九十九の目に宿る透き通った光が、チョウチン・ネコマタという恐ろしい妖怪を正面から捉えていた。


「僕が力に覚醒(めざ)めたあの時……あの場所に僕がいたのは偶然だった。本当なら僕の友達があそこにいて……妖怪に殺されていたかもしれない。結果としてそうはならなかったけど……でも、僕はあの場にいた人たちを助けられなかった」

「なにを言って──」

「知らない人たちの命まで、全部を背負えるほど僕は強くない……心も体も。でも、僕の大切な人たち……家族や友達は、今の僕が手を伸ばせる位置にある筈なんだ。そして、妖怪たちが暴れ始めた今……僕の大切な人たちの命は、いつでも失われてしまう領域にある」


 チリ……と目に炎が走る。

 それは幻覚でもなんでもなく、少年の奮い立つ心に呼応するかのように、彼の瞳から妖気の炎が灯ったのだ。


「だから……僕は戦う! 僕の手が届く人たちを守る為に……お前たちを、倒す。お前たちの言う、悪趣味な『げえむ』を……この手で、止める!」

「クソッ、猪口才なんだよなァ……! 若造のニンゲン・ヤタガラスがァ!」

「……それも、違う」


 更なる否定を重ねて、首を横に振る。


「悪いけど、僕の名前はニンゲン・ヤタガラスじゃない。さっき決めたんだ」

「ちょいと坊ちゃん? いきなり何を言い出すんでさ!?」

「爺ちゃんが言ってたでしょ。名前の前半は『その妖怪がどんな道具から生まれたのかを示すもの』だって……。なら、ボクの由来は“ニンゲン”じゃなくていい」


 ガシャリと、確かな音を立てながら火縄銃を構え直す。

 熟練の狙撃手のように堂に入った構えは、相対するネコマタにとっては死神が大鎌を携えているようにも見えただろう。

 例え様の無い悪寒が、異形の毛皮を刺激する。


「お前たち妖怪にとって、僕たち人間は容易く踏み躙る事のできる弱くて小さな命なんだろう? だから、僕の名前は──」


──“ちび(リトル)


「妖怪リトル・ヤタガラス。昼の側に立ち、大切な人たちを夜の側から守る者──()()()()()()()()()()。それが僕だ!」


 その場の誰もが、彼の言葉に目を見開いた。

 言葉の意味を理解できる者、できない者の垣根はあれど、紡がれた声色を通して感じ取れる気迫と意思が確かにあった。

 ただの大言壮語、どこかで見たような薄っぺらい台詞だと、そう切り捨てる事すら許さない妖気が言葉の節々に宿っている。


 相手の意表を突き、驚かせ、恐れを抱かせる。

 そんな外連味(ハッタリ)こそが妖怪の本領であるならば、今の彼はまさしく妖怪と言えるだろう。


 彼の名は、妖怪リトル・ヤタガラス。

 血統に連なる妖怪の力を手にした八咫村 九十九の、真の意味での妖怪変化(ヘンゲ)の瞬間である。

今日はこの後【20:00】より追加投稿を行います。

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