其の拾捌 提灯迷路の怪
「……やっぱり、あなたは……」
「ひっ……ひぃいいっ!? ま、また化け物が来た……! ちびみてぇな……かっ、怪人っ……!?」
突然現れた黒衣の少年を前に、再びパニック状態に陥った灰管ががなり声で叫び散らす。
対する姫華は、そんな幼馴染の声に意識を割かないまま、淡い光の灯った瞳孔を揺らして打ち震えていた。
「倒す、だァ……? そいつは中々、面白くない冗談だよなァ」
咄嗟の回避で崩れた体勢を整え直し、チョウチン・ネコマタが強く地面を掴む。
先ほどまでの、獲物を甚振る余裕の動きではない。それは間違いなく、自分と対等な敵を前にした時の戦闘態勢。
大きく弧を描いて反り曲げられた1対の尻尾は、先端の提灯を銃口のように九十九へと向けた。
「どこの誰かは分からないけどなァ……おれの幽世に来た以上、お前もおれの獲物なんだよなァ。今の内に、命乞いの言葉を考えておいた方がいいんだよなァ」
「……命乞い、か」
そう呟いた少年の目に映るのは、ただの巨大な怪物の姿だけではない。
その口を赤黒く汚す、夥しい量の人間の血。それがどうして付着したかなど、問うまでもなかった。
小さく息を吐き、九十九は普段とは異なる強い眼差しをネコマタに向けた。
「僕は、お前が命乞いをしても……許さないけどね」
「──抜かせェッ!」
巨体が跳ね跳ぶ。
踏み締めた勢いで肉球が地面を割り、ネコマタは目の前の敵へと体当たりを仕掛けた。
「来やすぜ、坊ちゃん!」
「うん。白咲さんは下がってて」
「名前──ううん、分かった!」
1歩も動けなかった筈の足に、僅かながらも力が戻る。
助けに来てくれたという希望が勇気に変わり、姫華はなけなしの力を込めて転がるように脇へ逸れた。
彼女が動いたのを背中で感じて、九十九は右腕を大きく前に突き出す。
腕の軌道に沿うように湧き出た炎が、空中でカーブを描きながらも異形のネコに向かって放たれる。
「うおっ!? ……っと! まさか、これ……妖術なんだよなァ!? 妖術が使えるって事はお前、妖怪なんだよなァ!」
「さぁ……ね。生憎、普通とは違う生まれみたいだから」
九十九から見て、右から左へ軌道を曲げながら放たれた炎。
妖気の溶けた灼熱はネコマタの肉体を焼くには十分な威力を持っており、それが分かっているからこそ、巨体は炎の軌道とは反対側に大きく避ける動きを取った。
果たしてそれは、姫華が飛び退いた方向とは正反対の位置。
守るべき対象と倒すべき敵の距離が適切に離れた事を認めて、黒衣の銃士は肩に乗るイナリへと声をかける。
「イナリ、白咲さんと……灰管の2人を守って」
「へぇ。それは問題無くできやすが……あの野郎もでやすか?」
「お、俺を喰うのかっ!? やめろっ、来るな化け物っ! 俺より姫華を喰えよ!」
ちっちゃなキツネの眼差しが、灰管を見やる。
それを睨まれたと認識したのか、彼は引き攣った声でがなり立ててきた。
「うん、あいつも助ける。……駄目?」
「今日1日見た限り、あ奴は決して善性とは言えやせん。それに、此度の一件で心にもヒビが入っている様子。助けたところで、これからも周りに石を投げ続けるでしょうや」
「そうだね。でも助けるよ」
「……苦労するお人だ。だから仕え甲斐があるってもんでさ!」
啖呵を切ったイナリのちっちゃな体が、九十九の肩から飛び降りて後方に向かう。
一般人の2人が戦闘に巻き込まれる可能性を一通り排除して、少年は今一度、手元の銃を強く握り直す。
顔を上げれば、1対の尻尾に提灯の癒着したネコの妖怪がこちらを睨み付けていた。
「……ねぇ。お前も、あいつらと同じ『現代堂』の妖怪?」
「あァ? そうだよなァ。おれこそ『げえむ』の参加者にして、記念すべき最初の『ぷれいやあ』。妖怪チョウチン・ネコマタなんだよなァ」
「『げえむ』……。あの男……山ン本も、キリサキジャックも同じ事を言ってた。ゲーム感覚で、人間を殺すの?」
「それこそ我らが長の思し召しであり、おれたち妖怪の望みなんだよなァ」
ギラリと、穢れた光を放つ牙。
その牙でどれほどの人間を喰い殺してきたのか。それは、妖怪を知らない者たちにとっては想像の外にあるだろう。
「1度に挑戦できるのは1体。参加時に自分で定めた『るうる』から逸れた行動は推奨されない。それさえ守れば、おれたちはどんな方法で人間たちを殺してもいい。むしろ、こんな縛り程度で好きなだけ人間を殺してもいいなんて、願ったり叶ったりなんだよなァ」
「……お前たちをそんな残酷な行動に駆り立てるのは、どんな感情? 恨み? 憎しみ? それとも嫌悪?」
「いいやァ? そんなチャチな感情で腹は膨れないんだよなァ。おれたち妖怪が人間を殺す理由は、いたって単純」
尻尾が逆立つ。
先端に取り付けられた提灯から、妖しく不快な光が強く迸る。
それに伴って、九十九も同様に火縄銃を構えた。
銃口に見立てた提灯などではない、本物の銃口が妖怪の瞳孔を捉えて離さない。
「そうするのが面白いから。人間を痛めつければ痛めつけるほど、それがおれたち妖怪の快楽を満たすんだよなァッ!」
直後、提灯の光が煌めいた。
放たれたのは尋常の提灯に込められているような蝋燭の炎などではなく、純粋な光のエネルギー。
矢のような形状を取った無数の光が、半妖の少年を蜂の巣にせんと襲いかかる。
対する九十九は、足の裏に込めた炎を一気に点火する。
小さく爆発する靴裏が、彼の脚力を瞬間的に補助して加速を手助けした。
受け身を取る形で地面の上を軽く転がり、しかし火縄銃の照準は決して崩さない。
ネコマタの揺れる尻尾が今なお光の矢を射出し続けている中、一瞬で体勢を立て直すと共に指が引き金にかけられた。
「まだ勝手が分からないけど、応用するなら多分──こう!」
──BANG! BANG!
本来の火縄銃ではとてもじゃないがあり得ない、弾丸の連射。
しかし妖術の使い手が銃を用い、弾丸に妖気を採用するのであれば、それも可能となる。
絶妙にズラされた角度とタイミングにより、放たれた2発の弾丸はそれぞれが異なる軌跡を描いて飛翔する。
「連発、って……単なる炎使いじゃないんだよなァ!?」
1発目は、ギリギリのところで回避する事に成功する。
チョウチン・ネコマタの片耳を焦がし掠って明後日の方角に飛んでいった炎の弾丸は、この幽世を構成する壁の一部を派手な轟音と共に破壊した。
だが、2発目。精密にタイミングのズレた第2の弾丸は、異形の獣を確実に狙い撃たんと飛来する。
1発目の回避に脚力のリソースを割いたネコマタは、時間差で襲い来る2発目を回避する事ができず……
「妖術《行燈とおりゃんせ》──“2番”!」
横合いから凄まじいスピードで飛来する、廃商店の看板。
煤けたネオン付きの看板は、術者の脳天を破壊せんとしていた炎の弾丸を防ぐ盾となり──着弾と共に爆発して果てた。
「あァ……冷や冷やしたんだよなァ」
「……今の、この空間にあったもの? それを、咄嗟の盾にした……」
「幽世の主であれば、中にあるものを自在に操れるんでさ! 気を付けてくださいやし、坊ちゃん。今のような盾程度であれば、奴はいくらでも無から生み出せやす!」
背後からイナリの助言が聞こえる。
体の向きはそのままに目線だけをそちらに向けると、彼は迷路の行き止まりで姫華と灰管を庇うように立っていた。
どうやら九十九の命令通り、上手く2人を回収できたらしい。
それを理解してホッと一安心するも、目の前のネコ妖怪は依然として脅威のままである。
「分かってはいたけど、この空間はあいつの腹の中……か」
「理解したか? 理解したんだよなァ? じゃァ、今度もこっちから行くんだよなァ!」
ネコマタが2つの尻尾を震わせ、提灯から再び光の矢を放出した。
今度は一点に向けて集中して放つのではなく、それぞれの照準をバラけさせての面制圧。
シャワーのように降り注ぐ妖気の矢を回避するべく、九十九は細かいステップを何度も刻みながら矢と矢の隙間を潜り抜けていく。
彼の足元では、地面に着弾した矢がアスファルトに夥しい数の小さな穴を空けていた。
(1発1発の威力は小さい……でも、数が当たればダメージは徐々に大きくなっていく)
文字通り矢継ぎ早に発射される矢の雨は、途切れる素振りすら見せる事は無い。
一瞬のミスが致命傷に繋がる死のダンスを続けている内、背中にぞくりと寒気が走る。
カタナ・キリサキジャックとの戦いと何も変わらない。負ければ、待ち受けるのは死一択。
その事実を再確認した九十九の心を、仄かな恐怖が締め付けた。
(なら、強引にでも突破するっ……!)
そうして、矢と矢の狭間を狙って火縄銃を構えた直後。
「そこなんだよなァ! 《行燈とおりゃんせ》“3番”!」
「な、に──くぅっ!?」
足元の床が、突如としてせり上がる。
いや、それは正確な表現では無い。踏み締めた足元から、廃店を象ったモニュメントが生み出されたのだ。
それは九十九の体勢を大きく崩すだけでなく、さながらアッパーカットのように彼の体を空中にかち上げた。
それはつまり、攻撃を避ける為の逃げ場が無いという事。
「不味い、回避を──」
「もらったんだよなァッ!!」
提灯が、今までで一番強く発光する。
放たれた矢もまたこれまでの中で最も太く巨大で、それは最早矢ではなくパンツァーファウストとでも呼ぶべきものだった。
妖気の光をこれでもかと凝縮した一撃は、空中に投げ出された九十九を狙って一直線に突き進み──
「──八咫村くんっ!?」
空中で巻き起こった爆発の轟音と、姫華のつんざくような悲鳴が、ほぼ同時に響き渡った。




