其の拾陸 戦う理由
時は少し遡る。
「……うん。多分、こんな感じかな……?」
「ほう……やはりというか何というか、飲み込みが早いの。妖気が暴走しなくなる程度の簡単な制御ならば、あっという間に会得してしもうたか」
四十万の家に帰った九十九は、祖父から妖気の扱いについて手ほどきを受けていた。
体に巡る妖気の知覚から始まり、空気中に溶け込んだ妖気の認識。そしてそれらの妖気に自分の意思で干渉し、指向性を持たせる。
そういった能力は、妖怪ならば生まれながらに誰でもできるらしい。
教えを受けた九十九もまた、それらの力をあっという間に使いこなしてみせた。
軽く妖気を振るった彼の首には真っ黒いオーラのようなものが絡みつき、マフラーを形作っている。
「これは……ちょっと、カッコいいかも。アメコミのヒーローみたいで」
「今教えたのは妖気を糸のように編み、戦装束とする術じゃ。それを纏っている間は、妖怪ニンゲン・ヤタガラスと名乗るがよい」
「……爺ちゃん。その『ニンゲン』っていうの、本当に必要なの?」
「所謂“ふぁあすとねえむ”のようなものじゃ。その妖怪が如何なる道具から生まれたのかを示すものじゃが、儂らは人間由来じゃからの」
「……ダサい」
「ダサい!?」
孫が言い放ったまさかの一言に、愕然とする四十万。
数秒の微妙な雰囲気ののち、彼は空気を切り換えるように咳払いをした。
「ともかく、その装束には自分の正体を理解させなくする効果がある。同じ妖気由来の存在である妖怪などには効果は無いが、人間相手ならば覿面に効く。例え白昼堂々と戦ったとして、この術さえ纏っていれば正体がお前である事は誰にも認識されなくなるじゃろう」
「んー……イナリが使う“ごまかし”の術みたいだね」
「おっ、それはいい気付きでありやすね、坊ちゃん。いかにも、わての妖術はこういった認識阻害の術を更に発展させたものでさ。バケギツネとしての面目躍如って訳で御座いやす」
嬉しそうに語るイナリの頭部には、黒い羽のお千代がチョコンと座っている。
得意げに尻尾を揺らす同僚の言葉に、彼女はツンとしたおすまし顔で嘴を尖らせた。
「悔しいですが、“ごまかし”にかけてはこのキツネが最も優れていると言っていいでしょうね。ご当主も似た術をお使いになられますが、イナリは数百年分の“きゃりあ”が御座いますから」
「あ、爺ちゃんも使えるんだ? “ごまかし”の術」
「ほっほっほ、妖怪としての種族はバケダヌキじゃからの。狐七化け狸八化け……と言いたいところじゃが、儂は元々戦えるほどの力を持っておらん。お前が先祖返りしたレベルで優秀なだけじゃよ、九十九」
モサモサと生え茂った白髭を撫でながらの四十万の言葉は、まさしく孫を褒める祖父のようだ。
その称賛をどこかくすぐったく感じながらも、九十九は祖父の髭がそろそろサンタクロースの領域に入ってきているのではないかと思った。
「そもそも妖気とは、地脈……地下に巡る『大きな力』の流れが噴き出したものじゃ。それは目に見えず、匂いもなく、人間が取り入れても害の無い程度の濃さでしか無い。じゃが、長い長い時間をかけて道具の中に蓄積していった妖気はやがて……」
「道具を核として妖怪に成る……だよね。除去とかはできないの?」
「妖怪を倒せるのは同じく妖気か、或いは徳のある坊主の説法、神道に仕える巫女の祝詞くらいしかない。じゃが、今はそういう話もとんと聞かん。科学と文明の発展した現代では、オカルトなど必要とされんという事じゃ」
「それに、モノを多く作り多く捨てる大量消費社会では、九十九神など生まれようがありませんわ。夜を照らす街灯の開発は、良くも悪くもわたくしたち妖怪の住処を奪いつつあるのです」
そう語り、片羽を軽く振ってみせるお千代。
九十九は首元に手を寄せ、妖気のマフラーで口元を隠すようにして思考に耽る。
「……それが、『現代堂』の妖怪たちが人間に危害を加える理由?」
「連中にとっちゃ、そんなもんただの建前でしょうや。人を恐怖させ、その血と死を以て自分たちに畏れの感情を向けさせる。その為に力を振るう以上、奴ばらのやっている事は単なる“てろりずむ”。被害者加害者、なんて尺度で考えるのは阿呆らしいというもんでさ」
「じゃあ……妖怪だけど人間の側に立つ僕らは、それを止める為に……」
「僕ら、ではなく、自分自身が何の為に戦うのか。それを考えるのがよかろう」
言葉を遮る形で、四十万が割り込んでくる。
普段から好々爺然とした表情を見せているからこそ、こういう時に向けてくる真剣な眼差しは強く効果的だ。
「妖気の使い方を教えておいてなんだがな、九十九。儂らは、お前が『現代堂』と戦う事なくどこか遠くへ逃げる選択肢もアリと思うておる」
「えっ……? でも、家の使命なんじゃ……」
「家の使命だから戦えるのであれば、儂とて80年前の決戦に命を捨ててでも馳せ参じておったわい。……結局のところ、儂は腰抜けただけ。病弱だからだの、大した力も持っていないから足手まといになるだのと言って、結局は命がけの殺し合いから逃げただけじゃ」
「爺ちゃん……」
「お前は、怖くなかったか? 博物館に現れた妖怪を、多くの人間を殺戮した妖怪を前にして、そ奴を倒す為に命を賭け……そして、相手の命を奪った事に」
その言葉に、九十九はハッとさせられた。それと同時に、自身の体に仄かな震えを覚える。
妖怪カタナ・キリサキジャックとの戦いは、ともすればこちらが負け、死んでいてもおかしくのないものだった。
もしも、奴がもう少し強ければ。もしも、自分がもう少し弱ければ。もしも、観戦していただろう山ン本が介入していれば。
──もしも、自分が妖怪の力に覚醒める事なく順当に追い詰められていれば。
その時死んでいたのは、間違いなく九十九の方だ。
あの初陣は正真正銘、薄氷の上に成り立った勝利でしかない。それを漸く自覚して、体がにわかに震え出す。
「九十九。お前は、何の為に戦う? 誰かの為でも、自分の為でもいい。じゃがそれは、こちらの命を奪う事に躊躇いの無い妖怪どもを相手取り、いつ終わるかも分からない殺し合いに身を投じるだけの理由になるのか?」
「……それ、は」
「よく、考えなさい。……儂は、お前には死んでほしくない。ロクに戦う力も持たず、お前たち若い者に背負わせるしかできない無能ジジイの我が儘じゃが、な」
九十九は黙りこくる。
分からなかった。あの時戦えたのは、本当に成り行きでしかなかったから。ああしなければ、自分が死ぬだろう事が分かっていたからだ。
でも、今は? 逃げる余裕も、力も、時間も十二分にある。
それでも、逃げる事を選ばないだけの理由。
(……ただ特別展示を見に行くだけの話から、随分と大きくなっちゃったな)
内心で溜め息をつく。
元はと言えば、光太から譲り受けた戦国時代展のチケットを手に、博物館の展示品を見物しながら穏やかな休日を過ごすだけの筈だったのに。
(……そういえば、あのチケットは)
そこで、気付く。
特別展示のチケットは元々、光太のものだ。彼は家族から休日に勉強を強いられ、博物館に足を運べなくなった。
だから、九十九にチケットを譲った。だから、九十九は博物館に行った。
もしも、様々な要因の末に光太が休日に外出する事ができていたならば?
彼は当初の予定通り、戦国時代展を見に行っていただろう。友人にチケットを渡す事なく。
そうして彼は、キリサキジャックが変化する瞬間を目撃し──
(僕が、チケットを譲られていなかったら……光太が、死んでた?)
全身の鳥肌が立ち、薄い寒気を覚えた。
無論、これは最悪に最悪が重なった場合だろう。
彼が妖怪の出現する時間まで博物館に滞在し続けるという確証は何も無い。
でも、もしも。もしも、もしも、もしも。
(もしもあの場にいたのが僕じゃなくて、光太だったら……キリサキジャックは館内の人たちを……光太たちを皆殺しにして、あのまま建物の外に出ていた。……より多くの人たちが、殺されていた)
ならば、自分という存在は──
「──!?」
「……? どうしたんでさ、坊ちゃ……いえ、わても感知しやした」
「わたくしもですわ。これは……間違いなく妖気。それも、妖怪に連なる者が意図的に振るったものでしてよ」
九十九のマフラーがぶわりと打ち震え、毛皮の如く逆立った。
それはイナリとお千代も同じようで、それぞれがまったく同じ反応を検知していた。
即ち──新たな妖怪が街に現れ、何らかの害を為している。
「とうとう本格的な行動を開始しましたのね……。しかも、こんなに分かりやすく。こちらに喧嘩を売っている……そう解釈してもよろしくて?」
「朝に聞いた“にゅうす”の件……恐らく、昨日起きたっていう人食い事件は十中八九妖怪の仕業で確定でさ。人の命を啜り喰らう事でも、妖気を得る事はできやすからね」
「うむ……これは由々しき事態じゃな。イナリ、お千代。お前らはまず──九十九!?」
「ごめん、爺ちゃん! 僕行くよ!」
火薬が弾けたような勢いに乗って、九十九が駆け出す。
そのまま家の外まで飛び出しかねない速度の彼に、慌ててイナリとお千代の2体がついていく。
四十万も同様に、彼の背中を追おうと咄嗟に立ち上がった。
「待て、九十九! よもや、妖怪の元へ向かうつもりか!? 危険じゃぞ!」
「危険なのは分かってる! でも、僕は──戦わなきゃ!」
「……!」
決して、売り言葉に買い言葉ではない。
いたって自然に、心から発せられたその言葉に、四十万は九十九を追う動きを止めた。
目を閉じ、数秒思考したのちに、やがて目を開く。
「……イナリ、九十九についていきなさい。“さぽおと”は任せたぞ」
「ご当主様!? ……いえ、分かりやした。ご下命、確かに果たしやす!」
「お千代、九十九にあれを!」
「然るべく! 坊ちゃま、これを!」
主の指示に従い、イナリが九十九の肩に飛び乗る。
その傍らを飛んでいたお千代は、ぷくりと膨らませた嘴から、自分の体よりも大きなものを勢いよく射出した。
それは、1丁の火縄銃。
八咫村家の祖たる大妖怪テッポウ・ヤタガラスの亡骸であり、博物館で九十九の力を覚醒めさせ、勝利に貢献した射撃武器。
「ありがとう!」
それを受け取り、九十九は家の外に出る。
肩にイナリを乗せたまま地面を蹴り、夜空に向かって大きく跳躍した。
できるかどうかは分からなかったが、直感ができると言っている。
その勘に従って自分の中の妖気を巡らせてみれば、九十九の体は真っ暗な夜空を滑空するような形で飛行し始めた。
見えない翼を操っているような感覚で、徐々に加速をかけていく。すぐに、その手応えを掴んで慣れる事に成功した。
「……凄い。僕、空を飛んでる!」
「そりゃ、元になった妖怪がカラスでありやすからね。妖気の根源がどこにあるかは分かりやすか?」
「うん。……行こう!」
火縄銃を手に、空を翔ける。
その首元に巻かれた漆黒のマフラーは、風に靡いて一筋のラインを描いていった。




