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其の拾伍 残酷な夜

暴力・残酷な描写があります。ご注意ください。

 夕日がビルの谷間に消え去って、5月にしては冷たい風が街に吹く。

 時刻は午後8時を過ぎた頃。夜の帳が、街を覆い包み始めた時間の事である。


「塾、遅くなっちゃったな……。パパとママも心配してるだろうし、急いで帰らないと」


 白衣 姫華は1人、薄暗いシャッター街を急ぐように歩いていた。彼女が抱える鞄には、学習塾での課題が詰め込まれている。

 いつもはこんなに遅くならないのだが、今日は色んな用事やら何やらが重なった結果、塾を出る頃には外はすっかり暗くなっていた。


「最近、この辺で殺人事件があったっていうし……。猛獣が脱走してる、みたいな話も聞いたけど……とにかく、早く帰るに越した事は無いわよね」


 そんな独り言が、暗がりに包まれた商店街の中でいやに反響する。

 かつては商店街として賑わっていたこの通りも、今となっては経営している店の方がよほど少ない。

 恐ろしいくらいに静まり返ったこの場所では、まともな人の気配もまったくと言っていいほど感じられなかった。


 だからこの場で何か起きても、それを明解に知覚できる者はほとんどいないだろう。

 それをよく分かっているからこそ、()()はそれを利用した。


「よぉ、姫華」

「……っ。道人……」


 行く手を阻むように物陰から現れたのは、下卑た笑みを向ける灰管 道人。

 思わず足を止めた姫華は、背後にも気配を感じた。振り返れば、灰管の取り巻きの男子生徒2人も同様に顔を出してきていた。


「ひひ、さっきは余計な邪魔が入っちまったからな。今度こそ、もうお前を助ける奴はどこにもいない。詰みだぜ、姫華」

「……夕方みたいに壁際まで追い込まれた訳でもないから、今度こそ逃げて交番まで駆け込むわよ」

「できると思うか?」


 ジリ……と徐々に距離を詰める3人の男子生徒。


 前方には灰管、後方には取り巻き2人。そしてこの場所はひと気が無いシャッター街な上に、時刻は夜。

 夕方に助けてくれた九十九は、今はいない。既に家に帰った頃だろうし、ここで何が起きようとも彼にそれを知覚する術は無い。

 逃げ場も助けを求める相手も失った事を理解して、姫華は唾を飲み込んだ。


「そう……それ、その顔だよ姫華ぁ。弱ぇ奴が、自分は弱ぇ奴だって理解した時の顔。俺はそれを見てる時がいっちばん楽しいんだよ」

「……最っ低。例え一時(いっとき)でも、あなたの幼馴染だった事が恥ずかしいわ」

「言ってろ。んじゃ、お楽しみタ~イム。ぜーんぶ脱ぎ脱ぎして、持ってるモン俺たちに差し出しましょうね~」


 おぞましい声を放ちながら迫る元幼馴染を前にして、姫華の両腕が自分の体を守るように抱き締める。

 だから、灰管は見逃さなかった。彼女が自身を抱き締めるようにして、服の下の何かを強く掴んだ事を。

 故にそれまでのジリジリとしたペースを唐突に崩し、一気に肉薄して腕を掴み上げる。


「おや~? なーに隠してるのかなー?」

「──っ!? 嫌っ、離してっ……! 触らないでっ!」


 夕方の時のように片腕を掴まれて必死に抵抗する姫華だったが、もう片方の手も背後から近付いてきた取り巻きその1に掴まれた。

 前後から両腕を掴まれ拘束された彼女の服に、灰管は当然のように腕を突っ込んだ。

 ガサゴソとまさぐられる感覚に少女の顔から血の気が引いていく中、内ポケットに何かを見つけて一気に抜き取る。


「はーいご対面……っと、なんだこれ。手鏡?」

「うっわ古臭ぇ~。持ってる奴のセンスを疑うわ、これ」

「そ、れっ……!? 返してっ! 早くっ、それ、私のだからっ!」


 灰管が抜き取ったのは、1枚の手鏡だ。

 相当昔のものらしく、持ち手や裏面の絵柄はレトロ調に色褪せている。

 それでも鏡面はピカピカに磨き上げられていて、持ち主が如何に大事に扱ってきたかを物語っていた。


 けれども非道で下劣な灰管たちにとって、それはただの古臭くダサいガラクタでしかなかった。

 その手鏡を抜き取った瞬間、血の気が引いていた姫華の顔が更に輪をかけて青褪めていくの見て、男どもはニタリとおぞましく笑う。

 これが彼女の弱点なのだと理解されてしまった。


「返してっ……! お願い、だから……それ、とても大切なものなのっ……!」

「へぇ~? これ、お前の宝物なんだ。こーんなガラクタが? お前にとって大切な?」

「そう……そう、だから……! お願いします……返して……」

「……へへっ」


 必死の懇願を、鼻を鳴らして嘲笑う。

 それが、彼の人間性だった。


「嫌に決まってんだろバーカッ! これをお前の目の前でブッ壊して、ゴミになったこいつの前でお前をめちゃくちゃにしてやるよ!」


 手鏡を持ったまま、灰管が腕を大きく振り上げる。

 誰も介入する事が無ければ、手鏡はこのままアスファルトの地面に叩き付けられて無惨に割り砕かれるだろう。

 そして、この場に介入する者は誰もいない。それを理解したからこそ、姫華は絶望の叫びを上げ──




──ニャァァァ……ォオ……




 怖気の走るナニカの鳴き声が、夜のシャッター街に反響した。

 そのおぞましい声色を耳にした4人全員が、一斉にその動きを止める。


 手鏡を叩き落とそうとしていた灰管も、今にも泣き叫びそうだった姫華も、彼女を後ろから押さえつけていた取り巻きたちも。

 誰もがそれまでの思考をリセットされ、体をフリーズさせたままに周囲を見る。


「なん、だ……? 今の、音……」

「どこから……どこから、きっ、聞こえてきたんだ……」

「……っ! 道人さん、あれっ!」


 恐慌じみた声で取り巻きその2が指差した先。

 シャッター街の更に奥、暗闇に包まれた向こう側からナニカの気配を感じる。


 じっと目を凝らしている内に、4人は暗闇の奥に灯る2つの赤い光を認めた。

 ゆらり、ゆらり、と生きているかのように蠢く2つの赤色は、闇の中をクルクルと回転しながら近付いてくる。

 ただそれだけの現象に、灰管たちはどうしようもない恐ろしさを覚えていた。


「な……なんだ、あれ。人魂……?」

「だっ、誰かのイタズラだろっ! 怪奇現象なんてある訳ねぇ!」

「で、でも……あれ、見ろよ。なんか、シルエットみたいなのが見えて……」


 そこで息を呑んだのは、果たして誰だっただろうか。

 彼らは確かに見た。ゆらりと近付いてくる赤い灯が、1つのシルエットを映し出す様を。


 それは通りの端から端まで届くほどの巨体を持ち、4足歩行をしているようだった。

 丸々とした顔立ちに、白みがかった毛並み。頭頂部に生えたケモノ耳。

 その出で立ちは、まるで──


「ネ、コ……?」

「……っ!」


 その灯りとシルエットを前に、身の毛がよだつ恐怖を感じていたのは姫華とて例外ではない。

 それでも彼女は、自分が大事にしていた手鏡が、灰管の手からするりと零れ落ちていく様を決して見逃しはしなかった。


 だから、自分の両腕を掴んで離さなかった握力が緩んだ隙をつく。

 前後から受けていた拘束を振り払い、今まさに地面に落ちようとしていた手鏡を、身を屈めて滑り込むようにキャッチする。


 それに気付いた灰管たちが行動を起こそうにも、それが叶う事は無かった。

 同時に、シルエットに意識を割くよりも手鏡の奪還を優先した姫華は、この上なく幸運だったと言えるだろう。


「みぎゅっ」


 手鏡を拾う為に姿勢を低くしていた姫華の頭上を、巨大なナニカが高速で通り過ぎる。

 何が起きたのか。それを確かめる為に顔を上げると、先ほどまで目の前にいた筈の灰管やその取り巻きたちが視界から消えていた。


 よくよく周りを見れば、灰管と取り巻きその2はそれぞれ左右に突き飛ばされたように尻餅をついていた。

 凄まじいスピードで通り過ぎた何かが、彼らを吹っ飛ばしたらしい。


 では、もう1人は?

 そんな思いと共に、その場の3人が同じ方向を向き……見て、しまった。



──ガリッ……ゴリ、ゴリ。クチャ、クチャ……ミチ



「あァ……うんめぇよなァ。若ェガキの肉は柔らかくていいんだよなァ……甘みがあって、脂が程々で……」


 それの外見を一言で言い表すならば、巨大なネコ以外の形容が思い付かなかった。

 でっぷり丸々と肥え太った白毛の巨体は、まさしくトラックほどの大きさと例える事ができる。


 その尾は臀部から2つに分かれ、それぞれが独立して揺らめいている。

 それぞれの尾の先端には、真っ赤な光を灯す提灯が癒着していた。恐らく、先ほど闇の中から見えた赤い灯の正体はこれなのだろう。


 そして、何よりも。いいや、それら全てを差し置いて重要なもの。

 姫華たちのど真ん中を通り抜けていったその巨大なネコが、今まさに捕食しているモノ。

 それは。


「……さ、佐藤(サトウ)……? なんで、佐藤があそこで、食われ……」


 灰管の喉から発せられた震え声が、ネコの食事と成り果てたモノの正体を言い当てる。

 それはまさしく、灰管の取り巻きその1だった。喉を薄皮1枚しか残らないほどに食い破られた彼は、とっくに事切れていた。


 取り巻きその1の命を奪ったらしきネコは、彼の腹を引き裂き噛み千切り、その肉と臓腑を喰らっていた。

 そのあまりに現実離れした惨状に、姫華たちは悲鳴を上げる事すら忘れて呆然とするしかない。


 やがて、巨大なネコが食事の手を止める。

 血と脂でベトベトになった口から牙をギラつかせて、縦筋の瞳孔が3人を見やった。


「なんだァ……? オメェら、悲鳴も上げねぇんだよなァ。おれはよぉ、人間の悲鳴を聞きながら喰う肉が一番好きなんだよなァ」

「ひっ……!? な、何を言って……」

「何の因果か『げえむ』の一番手に選ばれたおれだけどよぉ、おれがやりてぇ事って言ったら人の肉を喰うくらいしか思い付かないんだよなァ。一晩に喰える量にも限りがあるし、あんまり一度にたくさんは殺せねぇんだよなァ」


 だから。

 そう言って、ネコは取り巻きその1の遺体を拾い上げると、大きく口を開けた。

 無数の牙がギラつく口の中に放り込まれた遺体は、そのままバキゴリと奇っ怪な音と共に噛み砕かれ……嚥下される。


 一連の光景が残酷過ぎるあまり、姫華は自分の口を押さえた。

 灰管や取り巻きその2がどんな反応を見せているかなど、確認している余裕も無い。


「量じゃなくて、質を増やしたらいいんじゃねぇかなァって思ったんだよなァ。お前ら人間を怖がらせるだけ怖がらせて、それから絶望の淵に追い込んで喰い殺す。そうすれば、一度の食事で効率よく恐怖や絶望を集められるんだよなァ」

「おっ、おおおおおっ、お前っ。なっ、何者、なんだよっ!?」

「おれかァ……? おれはなァ、お前ら人間の敵なんだよなァ。人間を死滅させて、おれたちに都合のいい世界に作り変える為に行動する『ぷれいやあ』なんだよなァ」


 のし、のし、とネコが歩み始める。

 その歩みは徐々に、そして確実に灰管たちへと近付きつつあった。

 突如として非現実的な世界に放り込まれた少年少女たちの目に、明らかな恐怖の感情が溢れ出す。


「昨日、たらふく喰って腹一杯だからさァ……ちょっとくれぇ妖気を振るっても問題無いんだよなァ……? 妖気を振るったら、お前らもっと怖がるんだよなァ」


 その直後、ネコの巨体から溢れんばかりのプレッシャーが放たれた。

 殺意と悪意、濁った食欲がこれでもかと詰め込まれたその圧力を浴びて、灰管が子供のように涙を流す。

 取り巻きその2もまた、歯をガチガチと鳴らして大粒の涙を零していた。


 その様を見て、ネコは満足そうに口角を吊り上げる。


「いいよなァ、いいよなァ……その顔、いいよなァ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよなァ……。その顔を噛み千切れば、さぞかし美味そうなんだよなァ」

「ばっ……化け物っ!」

「違う、違うんだよなァ。おれたちを恐れるなら、もっと違う名があるよなァ? お前らがよーく知ってる言葉だよなァ。おれが言ってやるから、それに続けよなァ?」


 そうして、ネコが高らかに謳い上げる。

 この名こそ、『夜』から『昼』への宣戦布告だと言わんばかりに。


「──“妖怪”。そう、妖怪だよなァ。おれの名は妖怪チョウチン・ネコマタ。それだけ覚えて、お前らはおれの夕飯になるんだよなァ」

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